声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

文字の大きさ
143 / 210
第五章

百十三話 思い出せない(律樹視点)

しおりを挟む
※このお話は本編ですが律樹視点のお話です。



 寝る前は恥ずかしいとベッドの際で丸まっていた弓月だが、完全に眠ってしまった今は俺の腕の中にいた。穏やかな寝息を立てながら俺の服を控えめに掴む弓月の姿に思わず笑みがこぼれる。起こしてしまわないように目にかかった前髪を指先で掻き分ければ、彼の白くてまろい額が姿を現した。そこに軽く唇を押し当てると、胸がほわりと熱を帯びたような気がした。

「はぁ……」

 病院での検査が終わってから先程までの出来事を思い出すと自然とため息が出た。あまりにも怒涛過ぎた所為で正直な話、心と頭の整理が追いついていない。混乱や戸惑いなどいろんな感情や想いがあるけれど、一番はやはり後悔だろうか。

 弓月をあの家の惨状から連れ出す際、当然だが俺は現場を見た。退院してからではあるが、元の肌色が見えないくらいに全身に広がった無数の赤黒い痣も見ている。しかし先程弓月が話してくれた内容はこちらの想像を軽く超えてくるような悲惨さだった。
 今思えば、確かに初めの頃は首の辺りにまで痣は存在していた。けれど身体中の痣の衝撃で首周りの痣にまで注意がいかなかったのかもしれない。まさか日常的に首を絞められていたなんて思いもよらなかった。

 聞く前もそれなりにあった後悔が、聞いた後はさらに強くなった。もっと早く連れ出せていれば彼の心や体の傷の具合も今よりもましだったかもしれない。俺がもっと真剣に探していれば、俺にもっと調べる力や金があれば、俺が今のような大人だったなら――そう後悔が次から次へと湧いてくる。
 だが今更そんなことを思ったところで過去を変えられるわけではない。しかしあの頃に戻れたら今だったらこうしていたのになんて考えてしまう自分がいた。

(戻れたところできっと俺は同じことを繰り返すんだろうけどな……)

 それでも考えずにはいられなかった。
 誰にも傷つけられず、弓月がずっと幸せで笑っていられた未来を想わずにはいられなかったんだ。

 俺は枕の下に置いていたスマホを手に取った。そして先程までのやり取りをしていたメッセージアプリを開き、先程彼が送ってくれた言葉を初めから読み返していく。あまりにも長いからと分割して送ってくれたそれは確かに長かったが、弓月なりに考えてわかりやすいように短くしてくれたんだろうなと所々から伝わってくる。決していい思い出ではないだろうに、それでも俺に伝えるために一生懸命思い出しながら綴られた文字を見ていると、目頭が熱くなった。

「……っ」

 ……ああ、駄目だ。目の前が滲んでよく見えない。さっきは弓月を困らせまいと必死で涙を堪えていたというのに、一人で読み直し始めた途端にこれだ。

「はぁ……、っ」

 口から吐き出した息は震えていた。喉は引き攣り、鼻の奥がつんと痛む。息を吸い込むと、すんっと鼻が鳴った。時折目に浮かぶ涙によって画面が見づらくなりながらもなんとか読み進めていく。そうして半分くらいまで読んだ時、俺は「あれ?」と首を傾げた。

 弓月の話には、弓月の兄である坂薙総一郎以外にも登場人物が出てきた。その中の一人は、俺も良く知っている弓月の友人である刈谷壱弦という生徒だ。しかし他の人物は知らない。まあ当然といえば当然なのだが、それが少し嫌だなと思った。

「トウヤ……どっかで聞いたような……」

 トウヤ――この名前は弓月の話の中に出てきた人物の一人の名前だ。俺はこの名前をどこかで最近聞いたような気がする。文面から察するに弓月の友人の一人だと思うのだが、それらしい人物に心当たりがないように思う。もし仮に同じ学校の生徒だったとしてもトウヤという名前は別に珍しい名前ではないし、そもそも弓月と同じ同じ学年でなかった場合はもう卒業していることになるので調べようがない。

「トウヤくん……トウヤ……?」
 
 小さく口に出しながら必死で頭を働かせるが、残念ながらいつどこで聞いたのかは全く思い出せなかった。

(一応慶士に聞いてみるか……)

 もし仕事中に聞いたのだとすれば、同僚である慶士に聞けばわかるかもしれない。そう思って聞いてみることにしたが、もうすぐ入力し終えるという時にそういえばもう夜も遅かったことを思い出した。まああいつなら多分夜中に送ったところで何も思わないだろうが、こちらの心情があんまりよろしくない。入力し終えたメッセージはそのままにして、俺は弓月が送ってくれた文面に再び目を通し始めた。

 刈谷やトウヤの他に出てきたのは弓月の家族、ユキちゃんという人物を含めた友人数人、そしてシュンという総一郎の親友だった。この中で知っているのは弓月の家族だけだ。思い当たる節もない。しかしそうにも関わらず、俺はこの『シュン』という文字を見た瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。『シュン』という名前もあだ名も決して珍しいものではないはずなのに、どうしてこんなにも胸騒ぎがするのだろうか。

 目を閉じ、あの家から弓月を連れ出す時のことを思い出す。当時あの家にいたのは弓月の家族を除いて数人。だがあの時は頭に血が上っていたせいで残念ながら名前は愚か、顔すらもどんなだったか思い出せない。
 あの場に『シュン』という名前の人物がいたのかを思い出そうとしても、他の数人同様思い出すことはなかった。それが今はとても悔しくて、歯がゆい。もしその『シュン』という奴が近くにいた場合、俺がそいつの顔や名前を知っていれば弓月を安全なところへ逃すことも可能だったのに。

 俺は腕の中で穏やかに眠る弓月の髪を優しく撫でながら、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【BL】捨てられたSubが甘やかされる話

橘スミレ
BL
 渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。  もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。  オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。  ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。  特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。  でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。  理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。  そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!  アルファポリス限定で連載中  二日に一度を目安に更新しております

カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!

野原 耳子
BL
★執着溺愛系イケメン俳優α×平凡なカメラマンΩ 平凡なオメガである保(たもつ)は、ある日テレビで見たイケメン俳優が自分の『運命』だと気付くが、 どうせ結ばれない恋だと思って、速攻で諦めることにする。 数年後、テレビカメラマンとなった保は、生放送番組で運命である藍人(あいと)と初めて出会う。 きっと自分の存在に気付くことはないだろうと思っていたのに、 生放送中、藍人はカメラ越しに保を見据えて、こう言い放つ。 「やっと見つけた。もう絶対に逃がさない」 それから藍人は、混乱する保を囲い込もうと色々と動き始めて――

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

どうせ全部、知ってるくせに。

楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】 親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。 飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。 ※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。

嫁がされたと思ったら放置されたので、好きに暮らします。だから今さら構わないでください、辺境伯さま

中洲める
BL
錬金術をこよなく愛する転生者アッシュ・クロイツ。 両親の死をきっかけにクロイツ男爵領を乗っ取った叔父は、正統な後継者の僕を邪魔に思い取引相手の辺境伯へ婚約者として押し付けた。 故郷を追い出された僕が向かった先辺境グラフィカ領は、なんと薬草の楽園!!! 様々な種類の薬草が植えられた広い畑に、たくさんの未知の素材! 僕の錬金術師スイッチが入りテンションMAX! ワクワクした気持ちで屋敷に向かうと初対面を果たした辺境伯婚約者オリバーは、「忙しいから君に構ってる暇はない。好きにしろ」と、顔も上げずに冷たく言い放つ。 うむ、好きにしていいなら好きにさせて貰おうじゃないか! 僕は屋敷を飛び出し、素材豊富なこの土地で大好きな錬金術の腕を思い切り奮う。 そうしてニ年後。 領地でいい薬を作ると評判の錬金術師となった僕と辺境伯オリバーは再び対面する。 え? 辺境伯様、僕に惚れたの? 今更でしょ。 関係ここからやり直し?できる? Rには*ついてます。 後半に色々あるので注意事項がある時は前書きに入れておきます。 ムーンライトにも同時投稿中

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。 更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。

処理中です...