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第五章
百十三話 思い出せない(律樹視点)
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※このお話は本編ですが律樹視点のお話です。
寝る前は恥ずかしいとベッドの際で丸まっていた弓月だが、完全に眠ってしまった今は俺の腕の中にいた。穏やかな寝息を立てながら俺の服を控えめに掴む弓月の姿に思わず笑みがこぼれる。起こしてしまわないように目にかかった前髪を指先で掻き分ければ、彼の白くてまろい額が姿を現した。そこに軽く唇を押し当てると、胸がほわりと熱を帯びたような気がした。
「はぁ……」
病院での検査が終わってから先程までの出来事を思い出すと自然とため息が出た。あまりにも怒涛過ぎた所為で正直な話、心と頭の整理が追いついていない。混乱や戸惑いなどいろんな感情や想いがあるけれど、一番はやはり後悔だろうか。
弓月をあの家の惨状から連れ出す際、当然だが俺は現場を見た。退院してからではあるが、元の肌色が見えないくらいに全身に広がった無数の赤黒い痣も見ている。しかし先程弓月が話してくれた内容はこちらの想像を軽く超えてくるような悲惨さだった。
今思えば、確かに初めの頃は首の辺りにまで痣は存在していた。けれど身体中の痣の衝撃で首周りの痣にまで注意がいかなかったのかもしれない。まさか日常的に首を絞められていたなんて思いもよらなかった。
聞く前もそれなりにあった後悔が、聞いた後はさらに強くなった。もっと早く連れ出せていれば彼の心や体の傷の具合も今よりもましだったかもしれない。俺がもっと真剣に探していれば、俺にもっと調べる力や金があれば、俺が今のような大人だったなら――そう後悔が次から次へと湧いてくる。
だが今更そんなことを思ったところで過去を変えられるわけではない。しかしあの頃に戻れたら今だったらこうしていたのになんて考えてしまう自分がいた。
(戻れたところできっと俺は同じことを繰り返すんだろうけどな……)
それでも考えずにはいられなかった。
誰にも傷つけられず、弓月がずっと幸せで笑っていられた未来を想わずにはいられなかったんだ。
俺は枕の下に置いていたスマホを手に取った。そして先程までのやり取りをしていたメッセージアプリを開き、先程彼が送ってくれた言葉を初めから読み返していく。あまりにも長いからと分割して送ってくれたそれは確かに長かったが、弓月なりに考えてわかりやすいように短くしてくれたんだろうなと所々から伝わってくる。決していい思い出ではないだろうに、それでも俺に伝えるために一生懸命思い出しながら綴られた文字を見ていると、目頭が熱くなった。
「……っ」
……ああ、駄目だ。目の前が滲んでよく見えない。さっきは弓月を困らせまいと必死で涙を堪えていたというのに、一人で読み直し始めた途端にこれだ。
「はぁ……、っ」
口から吐き出した息は震えていた。喉は引き攣り、鼻の奥がつんと痛む。息を吸い込むと、すんっと鼻が鳴った。時折目に浮かぶ涙によって画面が見づらくなりながらもなんとか読み進めていく。そうして半分くらいまで読んだ時、俺は「あれ?」と首を傾げた。
弓月の話には、弓月の兄である坂薙総一郎以外にも登場人物が出てきた。その中の一人は、俺も良く知っている弓月の友人である刈谷壱弦という生徒だ。しかし他の人物は知らない。まあ当然といえば当然なのだが、それが少し嫌だなと思った。
「トウヤ……どっかで聞いたような……」
トウヤ――この名前は弓月の話の中に出てきた人物の一人の名前だ。俺はこの名前をどこかで最近聞いたような気がする。文面から察するに弓月の友人の一人だと思うのだが、それらしい人物に心当たりがないように思う。もし仮に同じ学校の生徒だったとしてもトウヤという名前は別に珍しい名前ではないし、そもそも弓月と同じ同じ学年でなかった場合はもう卒業していることになるので調べようがない。
「トウヤくん……トウヤ……?」
小さく口に出しながら必死で頭を働かせるが、残念ながらいつどこで聞いたのかは全く思い出せなかった。
(一応慶士に聞いてみるか……)
もし仕事中に聞いたのだとすれば、同僚である慶士に聞けばわかるかもしれない。そう思って聞いてみることにしたが、もうすぐ入力し終えるという時にそういえばもう夜も遅かったことを思い出した。まああいつなら多分夜中に送ったところで何も思わないだろうが、こちらの心情があんまりよろしくない。入力し終えたメッセージはそのままにして、俺は弓月が送ってくれた文面に再び目を通し始めた。
刈谷やトウヤの他に出てきたのは弓月の家族、ユキちゃんという人物を含めた友人数人、そしてシュンという総一郎の親友だった。この中で知っているのは弓月の家族だけだ。思い当たる節もない。しかしそうにも関わらず、俺はこの『シュン』という文字を見た瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。『シュン』という名前もあだ名も決して珍しいものではないはずなのに、どうしてこんなにも胸騒ぎがするのだろうか。
目を閉じ、あの家から弓月を連れ出す時のことを思い出す。当時あの家にいたのは弓月の家族を除いて数人。だがあの時は頭に血が上っていたせいで残念ながら名前は愚か、顔すらもどんなだったか思い出せない。
あの場に『シュン』という名前の人物がいたのかを思い出そうとしても、他の数人同様思い出すことはなかった。それが今はとても悔しくて、歯がゆい。もしその『シュン』という奴が近くにいた場合、俺がそいつの顔や名前を知っていれば弓月を安全なところへ逃すことも可能だったのに。
俺は腕の中で穏やかに眠る弓月の髪を優しく撫でながら、ぎゅっと唇を噛み締めた。
寝る前は恥ずかしいとベッドの際で丸まっていた弓月だが、完全に眠ってしまった今は俺の腕の中にいた。穏やかな寝息を立てながら俺の服を控えめに掴む弓月の姿に思わず笑みがこぼれる。起こしてしまわないように目にかかった前髪を指先で掻き分ければ、彼の白くてまろい額が姿を現した。そこに軽く唇を押し当てると、胸がほわりと熱を帯びたような気がした。
「はぁ……」
病院での検査が終わってから先程までの出来事を思い出すと自然とため息が出た。あまりにも怒涛過ぎた所為で正直な話、心と頭の整理が追いついていない。混乱や戸惑いなどいろんな感情や想いがあるけれど、一番はやはり後悔だろうか。
弓月をあの家の惨状から連れ出す際、当然だが俺は現場を見た。退院してからではあるが、元の肌色が見えないくらいに全身に広がった無数の赤黒い痣も見ている。しかし先程弓月が話してくれた内容はこちらの想像を軽く超えてくるような悲惨さだった。
今思えば、確かに初めの頃は首の辺りにまで痣は存在していた。けれど身体中の痣の衝撃で首周りの痣にまで注意がいかなかったのかもしれない。まさか日常的に首を絞められていたなんて思いもよらなかった。
聞く前もそれなりにあった後悔が、聞いた後はさらに強くなった。もっと早く連れ出せていれば彼の心や体の傷の具合も今よりもましだったかもしれない。俺がもっと真剣に探していれば、俺にもっと調べる力や金があれば、俺が今のような大人だったなら――そう後悔が次から次へと湧いてくる。
だが今更そんなことを思ったところで過去を変えられるわけではない。しかしあの頃に戻れたら今だったらこうしていたのになんて考えてしまう自分がいた。
(戻れたところできっと俺は同じことを繰り返すんだろうけどな……)
それでも考えずにはいられなかった。
誰にも傷つけられず、弓月がずっと幸せで笑っていられた未来を想わずにはいられなかったんだ。
俺は枕の下に置いていたスマホを手に取った。そして先程までのやり取りをしていたメッセージアプリを開き、先程彼が送ってくれた言葉を初めから読み返していく。あまりにも長いからと分割して送ってくれたそれは確かに長かったが、弓月なりに考えてわかりやすいように短くしてくれたんだろうなと所々から伝わってくる。決していい思い出ではないだろうに、それでも俺に伝えるために一生懸命思い出しながら綴られた文字を見ていると、目頭が熱くなった。
「……っ」
……ああ、駄目だ。目の前が滲んでよく見えない。さっきは弓月を困らせまいと必死で涙を堪えていたというのに、一人で読み直し始めた途端にこれだ。
「はぁ……、っ」
口から吐き出した息は震えていた。喉は引き攣り、鼻の奥がつんと痛む。息を吸い込むと、すんっと鼻が鳴った。時折目に浮かぶ涙によって画面が見づらくなりながらもなんとか読み進めていく。そうして半分くらいまで読んだ時、俺は「あれ?」と首を傾げた。
弓月の話には、弓月の兄である坂薙総一郎以外にも登場人物が出てきた。その中の一人は、俺も良く知っている弓月の友人である刈谷壱弦という生徒だ。しかし他の人物は知らない。まあ当然といえば当然なのだが、それが少し嫌だなと思った。
「トウヤ……どっかで聞いたような……」
トウヤ――この名前は弓月の話の中に出てきた人物の一人の名前だ。俺はこの名前をどこかで最近聞いたような気がする。文面から察するに弓月の友人の一人だと思うのだが、それらしい人物に心当たりがないように思う。もし仮に同じ学校の生徒だったとしてもトウヤという名前は別に珍しい名前ではないし、そもそも弓月と同じ同じ学年でなかった場合はもう卒業していることになるので調べようがない。
「トウヤくん……トウヤ……?」
小さく口に出しながら必死で頭を働かせるが、残念ながらいつどこで聞いたのかは全く思い出せなかった。
(一応慶士に聞いてみるか……)
もし仕事中に聞いたのだとすれば、同僚である慶士に聞けばわかるかもしれない。そう思って聞いてみることにしたが、もうすぐ入力し終えるという時にそういえばもう夜も遅かったことを思い出した。まああいつなら多分夜中に送ったところで何も思わないだろうが、こちらの心情があんまりよろしくない。入力し終えたメッセージはそのままにして、俺は弓月が送ってくれた文面に再び目を通し始めた。
刈谷やトウヤの他に出てきたのは弓月の家族、ユキちゃんという人物を含めた友人数人、そしてシュンという総一郎の親友だった。この中で知っているのは弓月の家族だけだ。思い当たる節もない。しかしそうにも関わらず、俺はこの『シュン』という文字を見た瞬間、背筋に冷たいものが走るのを感じた。『シュン』という名前もあだ名も決して珍しいものではないはずなのに、どうしてこんなにも胸騒ぎがするのだろうか。
目を閉じ、あの家から弓月を連れ出す時のことを思い出す。当時あの家にいたのは弓月の家族を除いて数人。だがあの時は頭に血が上っていたせいで残念ながら名前は愚か、顔すらもどんなだったか思い出せない。
あの場に『シュン』という名前の人物がいたのかを思い出そうとしても、他の数人同様思い出すことはなかった。それが今はとても悔しくて、歯がゆい。もしその『シュン』という奴が近くにいた場合、俺がそいつの顔や名前を知っていれば弓月を安全なところへ逃すことも可能だったのに。
俺は腕の中で穏やかに眠る弓月の髪を優しく撫でながら、ぎゅっと唇を噛み締めた。
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