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第五章
百十四話 あったかい
しおりを挟む寝る前は確かにベッドの端も端にいたにも関わらず、起きると律樹さんの腕の中にいた。なんか寒いなぁ……と夢の中で思ったことは覚えているが、まさか現実で律樹さんの身体に抱きついて暖をとっているなんて誰が予想しただろうか。起き抜けの寝ぼけた頭ではすぐに理解することは難しく、瞼を開けてすぐ視界いっぱいに広がった黒色に数分の間俺は動きを止めた。
……目の前に広がるこの黒色はなんなのか。それ自体はなんとなくわかるが、どうしてこうなっているのか理解ができない……というよりも理解することを頭が拒否している。頭は混乱でぐるぐると回っていた。
「ん……弓月……?」
「……ッ!」
そんな時、突然頭上から声が降ってきた。反射的に身体がびくんと跳ねる。体は固まり、息すらも止まった。
「おはよ……」
寝起きのぽやぽやとした低い声がいつも以上に色っぽく聞こえ、俺の心臓がゆっくりとその速度を上げていく。そして比例するように体温も徐々に上がっていくような気がした。身体もそうだが、何より顔が熱を帯びていく。
俺は返事の代わりに小さく頷いた後、昨日のように赤くなっているだろう顔を隠すように律樹さんの黒の服にコツンと額を当てた。すると再び頭上から降ってきたのは、とても柔らかでふわふわとした笑い声だった。
「ふふっ……あったかい」
「っ⁉︎」
大きくてあたたかい彼の手が俺の後頭部を撫でた後、なぜか俺の耳に触れた。まさかそんなところを触られるとは思っておらず、突然のことにびくんっと大袈裟な程に肩が跳ねる。くにくにと指先で揉まれるように耳殻を触られ、その手の感触に背筋がぞくぞくした。
耳の軟骨や柔らかな耳朶に指先が触れる度に変な声が出そうになる。俺は声がこぼれないようにきゅっと唇を閉じ、彼の黒のスウェットを控えめに握り締めた。そんな俺の様子に何を思ったのか、律樹さんは楽しそうにくすくすと笑みをこぼしながらさらに俺の耳を弄り始めた。
「……っ」
耳の周りをなぞるように指先が滑っていく。決して触り方がいやらしいというわけではないのに背筋のぞくぞくが止まらない。最近は夢のこともあって自慰も抜き合いもしていなかった体はどうやら欲求不満だったらしい。寝起きだからということもあるが、ただ耳を触られているだけだというのに俺のモノが熱を持ち始めてしまった。
(やばい……どれだけ欲求不満だったんだよ、俺……!)
鎮まれ、鎮まれと目を強く閉じながら心の中で何度も唱える。深呼吸をするようにゆっくりと息を吸ったり吐いたりを繰り返し、なんとか落ち着かせようとしたが、耳に触れる指先の感触に集中すらもできない。
昨日のことだってまだ恥ずかしいままなのに、これ以上恥ずかしいことが増えれば俺はただでさえ少ない容量をオーバーし、どうにかなってしまいそうな気がする。頼むから治まってくれ――そう心の中で強く願った時だった。
「……っ‼︎」
「っ、びっ……くりしたぁ……」
室内に鳴り響く着信音に、俺と律樹さんが同時に身体を撥ねさせた。まだ声がまともに出なくて良かったと息を吐きながら、俺は胸を掻くようにギュッと胸元を握りしめた。掴んだ手から伝わってくる今にも飛び出てきそうなほどばっくんばっくんと跳ねる鼓動に、俺は深く息を吐き出す。
電話に出るためなのか、律樹さんの手が俺の耳から離れていく。そのことを少し残念に思いながら、俺はそっと顔を上げた。
「……もしもし」
律樹さんの声はさっきまでとは違い、低い声をさらに低くしたような少しぶっきらぼうな感じだった。相手が誰なのかはわからないが、少なくとも律樹さんの反応ややり取りを見るに仲がいい人なのだろう。俺と話す時よりも砕けた感じの言葉遣いに、微かに胸が痛んだ気がした。
今の俺の位置からは律樹さんの表情が見えないし、電話の相手側の声も聞こえない。聞こえてくる声は弾んだそれではなさそうなので、楽しい話題というわけでもなさそうだ。しかし低く落ち着いてはいるがどこか真剣味を帯びた固い声色なところをみると、もしかするととても大切な話をしているのかもしれない。
もし本当にそうであれば邪魔をするわけにはいかないので、俺は律樹さんの服を掴んでいた手を離して彼からほんの少し距離を取った。……まあ離れたとはいってもまだ一緒の布団の中にいるので拳一つ分もない程なんだけど。
「……は?……あ、いや……それは……」
さっきまで熱を帯びていた体はいつの間にか冷め、頭を擡げていた俺のモノもすっかり大人しくなっていた。祈りが通じたことを喜ぶべきなんだろうけれど、素直に喜べない自分がいる。なんとなく居心地の悪さを感じた俺は、俺は首元に手をやるとそっと首輪の表面を撫でた。
「……はぁ……わかった、それでいいよ……ああ、また」
律樹さんがため息を吐きながら、手に持っていたスマホをマットレスの上に置いた。誰からだったのと聞きたいけれど重い奴だと思われるのがいやで、俺は開きかけていた口を閉じる。そんな俺の心中を察したのかはわからないが、律樹さんが手を伸ばして俺を抱きしめた。
「少しだけ……こうさせて……」
律樹さんが小さな声でそう言った。何があったのかはわからないが、声が震えている。
「……今の電話ね、慶士からだったんだ」
ぽつりと呟かれた言葉に、俺は一気に心が晴れていくのを感じた。保科さんだったのかと胸を撫で下ろす俺に気付いているのかいないのか、律樹さんは俺を抱きしめる腕に力を込めながら吐息を震わせた。
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