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第五章
百十五話 もう一人の友達
しおりを挟む保科さんからの電話は、どうやら律樹さんが送ったメッセージに対する返事だったらしい。メッセージで返してくれればいいのにと律樹さんは言っていたが、きっと急ぎで伝えた方がいいことだったのだろう。保科さんはそういう人だ。
「……ねえ、弓月」
「……?」
落ち込んだような声音が不自然に途切れ、俺を抱きしめていた律樹さんの腕が不意に緩んだ。不思議に思って緩んだ腕の中から顔を出してみたが、栗色の髪と健康的な肌色が見えるだけで彼の表情を見ることはできなかった。そのまま途切れたままの言葉の続きを待ってみる。しかし彼は黙ったままで、話し出す様子はなかった。
俺は律樹さんが今どんな顔をしているのか気になり、名残惜しくはあったが緩んだ腕からするりと抜け出して身体を離した。つい数秒前までぴったりとくっついていたところが少し寒い。腕の長さとほぼ同じ距離分だけ開いた隙間に冷気が滑り込み、そのひんやりとした空気に身体がぶるりと震えた。
顔を上げるとさっきまでは見えなかった律樹さんの表情がはっきりと見えた。眉間に皺を寄せ、まるで思い詰めているかのような表情だった。俺はそんな律樹さんを見ながら首を傾げる。どうしてそんな表情をしているのかがわからない。やっぱり保科さんからの電話を切ってからの律樹さんは少しおかしいような気がする。
律樹さんは何かを迷っているのか、眉尻を下げながら何か言いたげに口を開いた。しかし口を開きはしたものの言葉を発することはなく、またゆっくりと閉じられていく。その姿がなんだか少し前の自分自身を見ているようで、無意識に眉間に皺を寄せた。
それから少しの間沈黙が流れた。数秒のことか、はたまた数分のことか、とにかく俺にはその沈黙が長く感じられた。律樹さんの顔をじっと見上げながら彼の言葉を待つ。そうしてようやく声が俺の耳に届いた時には、すでに数分が経過していた。
「弓月は……友達に、会いたい?」
……友達?と首を傾げるとはっきりとした頷きが返ってきた。今の俺の友達というともしかして壱弦のことだろうか。確かに最近は壱弦が大学受験の勉強が大詰めということもあり、あまり会えていない。けれど勉強の邪魔は極力したくはない。だからもし勉強の邪魔にならないのなら会いたいなという意味を込めて、俺は彼の問いに少し曖昧に頷いた。
俺の答えを聞いた律樹さんの表情が少し寂しげな様子に変わる。何かまずいことでも言っただろうかと首を傾げると、律樹さんが眉尻を下げながら微かに笑みを浮かべた。
「うん……やっぱりそうだよね」
「……?」
俺の頭に疑問符がいくつも浮かび上がる。律樹さんの言葉の意味も表情の理由もわからないままに彼は話を進めていった。
「昨日弓月が教えてくれた夢――過去の話に出てきた『トウヤくん』に……その……会わせられそうなんだけど……」
言いにくそうに歯切れ悪くそう告げる律樹さんの声に、俺の頭にはさらに疑問符が浮かび上がった。
まず律樹さんの言う友達が壱弦でなかったことに驚いたし、その友達が夢で見た『トウヤくん』であることにも驚いた。さらに言えば昨日の今日で名前を聞いただけの人物を探してしまえる律樹さんや保科さんが何よりもすごい。俺は驚きに目をぱちくりと瞬かせながら律樹さんを呆然と見つめた。
「実は、慶士に駄目元で聞いてみたんだけど……俺のメッセージを開いた時、ちょうど刈谷が近くにいたらしくて……それでわかったらしい……」
つまりその『トウヤくん』という人物は俺と壱弦の共通の友人だったと言うことらしい。正直、へえ……という感想しかわかなかった。
だってまだ全ての記憶が戻ったわけでもないし、突然以前友達だった子が見つかったよなんて言われてもピンとこなかった。寧ろ会って思い出せたらいいが、もしその『トウヤくん』に会っても思い出せなかった場合、俺は兎も角相手は受け入れてくれるのだろうか。そんな不安が心の中に湧き起こり、俺はそっと首輪に触れた。
「刈谷が言うには、打木桃矢という男子生徒がその『トウヤくん』だろうって」
打木桃矢――その名前を聞いた瞬間、俺の中に懐かしさが沸き起こった。それと同時に湧き上がる後悔と罪悪感。どうしてその人に対して罪悪感なんて湧き上がるのかはわからない。けれど少なくとも俺にとってあまりいいことではないだろうなって漠然と思う。
律樹さんの話によれば打木桃矢という男子生徒は壱弦の幼馴染であり、同級生なのだそうだ。真面目な性格で、現在も一応クラス委員を請け負っているらしい。
「刈谷が……もし会いたいのなら、刈谷が本人に伝えておいてくれるらしいんだけど……どうする?」
「……」
俺はすぐに反応できなかった。
会ってみたい気持ちは確かにある。けれど会ってどうなるかがわからない今は少し怖い。学校で初めて壱弦にあった時もそうだった。あの頃よりも少しは強くなったとはいえ、俺はまだまだ弱い。
琥珀色の瞳と視線がかち合う。
俺は薄く開いていた口を再びゆっくりと閉じた。
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