声を失ったSubはDomの名を呼びたい

白井由貴

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第六章

百六十一話 雨音の記憶④(律樹視点)

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「さて、まずは自己紹介からね!私は瀬名六花、小学五年生よ。……で、こっちが弟の律樹」

 応接間から抜け出した俺たちが向かったのは、夏の間自分たちに当てがわれた部屋だった。
 ここしか行くところがなかったと言えばそうなんだけど、ここなら俺たちの遊び道具もあるから退屈しないかなと思ったんだ。

 人数分の座布団を床に敷き、そのうちの一つに腰を下ろす。するとそれを見ていた幼い二人も慌てて同じように座った。
 俺は三姉弟の末っ子で自分より下の子どもと関わることなんてほとんどない。だからなんだかその様子が擽ったく感じてしまう。俺を見ながら必死で真似をする姿に思わず胸がキュンとした。

「りっか、と……りっき……?」
「りっきじゃなくて律樹ね、りーつーき」
「りっ……き?」

 どうやら俺の名前は幼児にとっては発音しにくいようだ。兄のそういちろうが何度も挑戦しているが、その全てが「りっき」という発音になっている。
 思い通りにならない発音に彼の小さな眉間に小さい皺が寄るのが見えた。続いて目には薄らと膜が出来ていき、俺は慌てて彼の丸くて小さい頭に手を乗せる。

「べつに、呼びにくかったら二人の呼びやすいように呼んでくれたらいいよ」

 保育園からの友達はみんな俺のことを「りっくん」と呼んでいるということを話せば、陰りかけていた表情が明るさを取り戻した。りっくん、りっくんと嬉しそうに言うそういちろうの姿に思わず笑みがこぼれる。
 
 ちらりと横に座る弟の方に視線を移すと、またぱちりと目があった。黒の瞳を不思議そうに揺らしながら、小さな口が少し開いている。
 だが相変わらず話はしない。まあそんなものかと小さくて丸い頭を撫でようとした時、彼の小さな肩がびくっと僅かに跳ねた。それまで開いていた大きな目も今はきゅっと閉じられている。予想していなかった反応に思わず伸ばしかけた手が止まった。

「あ……驚かせて、ごめん?」

 彼の目が再び開いた。
 ほんの少し膜の張った黒色が揺れている。
 その姿になんだか胸がぎゅっとなった。

 それから俺たちは姉さんの提案でトランプをすることになった。確かにトランプなら小さな子どもでも楽しめる遊びも多いからいい考えだと思う。
 初めはカードをめくって絵柄を合わせる神経衰弱、次は少し難しい七並べをした。幼い兄弟は俺たちの説明を聞きながらなんとか楽しめたようで、初めは恐る恐るだった行動が段々と賑やかになってきた。その姿にまた思わず笑みが溢れてしまう。

 ただ流石にババ抜きは弟のゆづきには難しかったようだ。……とはいってもルールが理解ができなかったわけじゃない。俺たちよりもずっとずっと小さな手の中にカードを納めたまま行動が出来なかっただけだ。
 これでは床に全てを広げながら作業を行うことになる。けれどそれでは全部のカードが丸見えになってしまい、どうしても勝てなかったのだ。

 落ち込んだ様子のゆづきの姿に胸が痛む。もう一回とせがむ兄を見つめる彼の目は寂しげに揺らめいていた。
 俺はそんな彼にちょいちょいと手招きをした。
 不思議そうに首を傾げる彼に向かって、俺は追加で胡座をかいた足をとんとんと手のひらで叩いてみる。

「おいで」
「……?」
「ここに座ってさ、おれと一緒にしようよ。そうしたらゆづきもできるだろ?」
「……!」

 そう告げれば、彼の顔がぱあっと輝いた。
 その笑顔になぜか胸が高鳴る。嬉しそうに俺の膝の上に座る小さな体に、どうしてが俺の心臓がどくどくとうるさく鳴り始めた。

 そうして二時間くらいが経った。
 幼い兄弟はいつの間にか眠ってしまっており、部屋の中は静かだ。あれだけ元気だったのに電池が切れたみたいに一瞬だった。俺も数年前はこんなだったのかななんて考えながら、膝の上ですやすやと眠る小さな頭を優しく撫でる。
 
 なんだか不思議と俺の心は満たされていた。
 近くにあったタオルケットを手繰り寄せてその小さな体に掛けてやると、幼い寝顔がへにゃりと緩む。あまりにもそれが可愛くて俯きながら悶えていると、遠くから足音が聞こえてきた。

「……話、終わったのかな」

 俺と同じように手近にあったタオルケットをそういちろうの体に掛けていた六花姉さんがそう呟いた。
 足音がこっちに向かってくるということはそうなんだろう。俺が「多分」と答えると、姉さんは「だよねぇ」と伸びをした。

 足音の主は祖母と母だった。
 二人はすやすやと眠る幼い兄弟の姿に驚いていたが、すぐにほっとしたような表情に変わる。

「ねえ、お母さん……さっきの女の人は?この子達のお母さんなんでしょ?……どうしていないの?」

 姉がそういった瞬間、二人の表情が再び凍りついた。
 俺も聞きたいというように母を見上げると、母は気まずそうに俺から目を逸らした。

「……帰ったわ」

 二人の空気感からなんとなくそうなんだろうなとは思った。この場に祖父がいなかったからまだ応接室にいるのかもしれないという少しの望みさえも砕けてしまった。

「二人がまだここにいるのに?」
「……ええ、そうよ」

 苦虫を噛み潰したような顔で母は頷いた。
 
 それから床に腰を下ろした母と祖母が今日のことを話してくれた。
 
 今日来ていた女の人は幼い兄弟の母親であり、昔家を出て行ったきり帰ってこなかった母の妹であること。
 この兄弟は俺たちの従兄弟で、坂薙総一郎と坂薙弓月という名前であること。
 そして総一郎と弓月は今日からこの家で暮らすのだということ。

 母の妹がこの家を訪れるまで、祖父母も母たちも二人の存在を知らなかったらしい。それどころか結婚したことすらも知らなかったんだって。
 家族と揉めて家を出て、そこからは音信不通。何処で何をしているのかもわからなかった彼女が、どうしてこの家に来たのか。

「……虐待、だって」

 虐待――その言葉を俺は知っている。
 今時小学生でも知っているその言葉を母は重々しく発した。

 こんな小さな子どもを?と思わなくもないが、同時にさっきの弓月の反応に合点がいってしまった。少し手を上げただけで反射的に強く閉じられた目と跳ねた肩。あれは全て虐待によるものだったのだ。

規子のりこ――この子達の母親じゃなくて……父親の方、らしいんだけどね」

 だから良いってわけじゃないが、その言葉に俺は何処かほっとしていた。だって二人は母親に連れられてここに来たのだ。もしかしたら彼らの母親は兄弟を守ろうとしていたんじゃないか……なんて、考えすぎなのかな。
 
 これ以上は子どもにする話じゃないと判断したんだろう。それきり母と祖母は口を閉ざしてしまい、俺たちもそれ以上を聞くことはなかった。

 
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