愚者のオラトリオ

Canaan

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第1章 What's Going On?

05.這いつくばってケツを出しな

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 宿舎に戻る頃にはすっかり身体が冷え切っていたので風呂を使った。
 充分に温まったはずなのに、首や背中のあたりにぞくぞくとしたものを感じ、ベネディクトは早めに床に就いた。

 しかし、朝になると体調はさらに悪化していた。
 身体を起こすとひどい目眩に襲われる。熱があるのではないかと疑って首や額を触ってみたが、手も熱くなっているのだろうか、熱があるかどうかはよくわからなかった。
 でも、研修生たちに指導を行える状態でないことはよくわかっていた。
 宿舎で働く使用人に頼み、欠勤の連絡を入れ、再び床に就いた。

 そして、ノックの音で目を覚ました。ナイトテーブルに置いた懐中時計をなんとか引き寄せると、ちょうど正午を回ったところだった。
「うぁ、あ、開いてる……」
 喉の痛みは無いのだが、熱で粘膜の水分が奪われているのだろうか。酷い声が出た。
「ベネディクト、平気か? ……いや、平気ではなさそうだな」
「ま、待て! 来るな……!」
 ヒューイが入ってこようとしたので、ベネディクトは慌てて起き上がった。途端、ひどい目眩と頭痛に見舞われて、そのまま前方に突っ伏す羽目になる。
「こっちに、来るな……」
「いや、しかし」
「だ、だめだって。流行り病だったらどうするよ……!?」
「!!」
 何かの病が流行しているとは聞かないが、万が一ということもある。それに、ヒューイの妻ヘザーは身ごもっているのだから、用心するに越したことはない。
 ヒューイも、自分が病を持ち帰る危険性を把握したようだ。彼は部屋を出て、扉越しにベネディクトに話しかける。
「症状は熱だけか? 軍医のところへ行って、熱冷ましの薬を頼んでくるが、それでいいか?」
「あ、ああ……頼む……」
「わかった。起こしてすまなかったな。ゆっくり身体を休めたまえ」
「いいってことよ……」
 声を出すだけでもしんどい。ヒューイの気配が消えると、ベネディクトは再び毛布にもぐり込んだ。



 ゴン! ガンガンガン!!

 やたらと乱暴なノックが聞こえ、ベネディクトは目を覚ました……というか、意識を取り戻した。
 部屋の中は薄暗くなっている。きっと、熱冷ましができあがったのでヒューイが持って来てくれたのだろう。だが、彼を部屋の中に入れるわけにはいかない。
「ろ、廊下に……」
 置いといてくれ。そう言いたかったのだが、ベネディクトの声に被せるように雑なノックが響き渡る。ヒューイがこんなノックをするとは思えない。だから、軍医に頼まれた使用人が扉を叩いているのではないかと思った。
「く、くそっ……」
 ベネディクトはなんとか身体を起こし、ふらふらとした足取りで扉へ向かった。
 そして扉を開けると、そこにはステラ・ハサウェイが立っているように見えた。
 ベネディクトは咄嗟に扉を閉めて悪魔を払う勢いで叫んだ。
「チェ、チェンジ!!」
 そして背中で蓋をするように扉に寄りかかる。

 なんだ、今のは? 
 なんでステラ・ハサウェイがいるんだ? 
 高熱が見せた幻影、いや、悪夢なのだろうか?

「おい、バーキン! チェンジとはなんだ!?」
 しかし、扉を叩く音は止まなかった。悪魔よりも恐ろしいステラ・ハサウェイが扉一枚隔てたところに立っている……信じたくないが、それは現実らしい。
「ここを開けろ!!」
 はっきり言って開けたくない。
「バーキン! 開けろと言っている!!」
 ドゴン、とひときわ大きな音がして、扉が開いた。内開きのそれにともなってベネディクトの身体は前方につんのめる。
「貴様の同期の、なんと言ったか……人相の悪い男に訊いたが、バーキン。貴様、病気なのか? 熱だけなのか?」
「え? あ、ああ……」
 ヒューイがベネディクトの病状を話したのだろうか。伝染するような病気であればまずい。だからこの部屋にヒューイが来るのはよくないが、ステラにも来てほしくなかった。もっとも、彼女は殺しても死にそうにない女ではあるが。
「ね、熱……だけ、だと思うっす……」
 ベネディクトは這いつくばった状態でなんとか返事をしようと試みた。ステラに早く立ち去ってほしかったのだ。
 しかし彼女はしゃがみ込むと、ベネディクトのガウンの首根っこをつかんだ。こっちの体力が奪われているせいもあるのだろうが、彼女はめちゃくちゃ力が強い。ベネディクトの上体はステラのなすがままにぐいんと引き起こされる。ガウンが後ろに引っ張られ、合わせ目がはだけていった。
「おい、熱のほかは? 腹が痛いとかはあるのか? 喉の痛みは?」
「な、な……い……」
 ぜえぜえと息をしながらベネディクトは答える。
「咳は? 鼻水は?」
「な、ない……!」
「ふん……では、この解熱剤で事足りそうだな」
 解熱剤があるのならばありがたい。ベネディクトは解熱剤を薬湯だと思い込み、それを受け取ろうと膝立ちのまま手をついて身体を返した。
 だが、ステラは油紙のようなものをカサカサと開けている。そして、信じられないことを言った。

「バーキン、尻を出せ」

「は……!?」
「軍医に坐薬をこしらえてもらった。尻から突っ込めば一発で熱が下がるらしい」
 彼女はベネディクトのガウンの裾を勝手に捲り、なんと、下穿きのウエスト部分に手をかけた。熱で朦朧としているベネディクトではあるが、これは、越えてはいけない一線だということはわかる。
「ちょ、ちょっ……待っ……」
 下穿きの紐を死守しながらステラから距離をとろうとしたが、ひどい目眩に襲われて再びごろんと床に転がる羽目に陥った。そして転がったままステラを見上げる。
「で、できる……! 自分でできるんで!!」
「……本当か?」
 ステラは夜中の広場に屯している不良のようなポーズでしゃがみ込むと、ベネディクトの前に何かの紙を突き出した。
「軍医の書いた説明書だ。読んでみろ」
「え? ええーと……」

 ”解熱作用のある粉末をヤシ油で固めたものです。
 挿入のタイミングは排便後が望ましいですが、
 便意の無い場合は無理に排便する必要はありません。
 手とお尻の周りを綺麗にして速やかに挿入してください。
 ただ、挿入の刺激で便意をもよおす場合もあります。
 今回、坐薬をふたつ作りましたので、
 薬が吸収される前に排泄してしまったら
 数時間おいて再度挿入してください。”

 何か書いてあることはわかる。
 だが、今はそれがひどく難しいものに感じられた。書いてある字は読めるのに、内容がちっとも頭に入ってこないのだ。
「バーキン、説明書の意味はわかるか!?」
「え、あ、ああ……わかる、わかるって……!」
 はっきり言ってまったくわからなかったが、ステラに早く立ち去ってほしいあまり、ベネディクトは彼女の手から油紙を受け取った。そこにはベネディクトの人差し指半分ほどの大きさの、白っぽい塊が包まれている。
「急げ! 早くしないと溶けるぞ!!」
「え。あ、ああ……」
 自分が何をどうしようと思ったのかよくわからない。急かされて焦っていたし朦朧としていたのだ。ベネディクトは取り出した塊を口の中に入れようとした。途端に罵倒が降り注いできた。
「ド阿呆!! 貴様は顔に肛門がついているのか!?」
「え……?」
「それは、尻の穴に突っ込む薬だと、さっきから言っているだろうが!」
「あ、ああ……そっか……」
 そうだ。尻だ。尻の穴に入れるのだ。だからステラには立ち去ってほしいのだ。だがステラは立ち去るどころか居座り、怒鳴り散らしている。
 こちらが立ち去りたいところだが、遠くまでは歩けそうにない。せめて毛布で隠せやしないかと、ベネディクトは立ち上がろうとした。
 その時、手の中で薬がぬらあ~っと溶けだした。
「あっ」
 手のひらから滑り落ちそうになるそれを焦って掴もうとすると、溶けてますます小さくなっていく。
「だから急げと言っているではないか! 貴様、発熱している自覚はないのか!? そっちはもう使えないな。二つあって助かった」
 油紙がカサカサする音と、チッとガラの悪い舌打ちが聞こえたかと思ったら、下穿きがぐんと引っ張られる。
「もういい、私がやるから尻を出せ!」
「えっ、ちょっ……」
 だから、それは避けたい。それだけは避けたいのだ。腹のあたりにある紐の結び目に手をやって、ステラから逃げようとした。
「おい、バーキン! 手を退けろ貴様ァ!」
 でも、手を退ける前にブチっと紐の切れる音がした。続いて尻にひんやりとした空気を感じた。下穿きを下げられ、尻が丸出しになっているのだ。
「うわあっ……」
「大人しくしな!」
「ちょ、やめっ……うわっ……あっ、あああああー!!!」

 つぷりと何かが差し込まれた感触があった。
 続いて、
「よーし、そのままケツの穴を締めな!」
 今さらではあるが、とても女の科白とは思えないものが聞こえた。
 ベネディクトは巣から落ちた鳥の雛のように突っ伏しながら、今起こったことを理解しようとした。
 信じ難いことであるが、たった今、ヒトとしての尊厳を失ってしまった気がする。
「おい、そんな恰好のままでいいのか?」
「う、うう……く、くそっ……」
 頭を床につけた状態で尻を突き出すというたいへん恥ずかしいポーズを解きたいのは山々なのだが、さらに信じ難いことに、なぜか、バッキバキに勃起しているのである。
 いつからこうなっていたかは分からない。
 だが自分は罵倒されながら尻の穴を犯されて興奮するような男ではないはずなのだ。
 それも、ステラ・ハサウェイのような女を相手に。
 信じ難い。非常に信じ難い。まことに信じ難い。熱のせいだと思いたい。
「おい、貴様。動けないのか!?」
「あ、ああっ、ちょっ……」
 正直、彼女にそんな優しさは期待していなかったのだが、ステラはベネディクトを引き起こそうとしたようだ。そして今のベネディクトにとっては、それはかなり余計な厚意であった。
「ぐえぇ」
 雑にガウンの首根っこをつかまれて膝立ちになると、バキバキに硬くなっているそれはぶるんと揺れてベネディクトの腹を叩いた。
 下穿きはずり下げられているし、ガウンの身頃は大きくはだけている。つまり、丸見えであった。
 恐ろしくて彼女の顔を見ることはできなかった。だが、その部分にめちゃくちゃ視線を感じる。ステラは凝視していたようだが、やがて、静かに立ち上がった。
「……手を洗ってくる」

 扉の閉まる音と同時に、ベネディクトは再び床に突っ伏した。
「ああああ! くっそぉおおお!!」
 たぶん、ゴミを見るような目つきで見られていたのだろうなと思う。

 そうさ、俺はゴミだ。
 ステラ・ハサウェイを見返すどころか、彼女に罵られて尻穴を犯されながら勃起するゴミなんだ。

「くそっ……」
 ベネディクトはさらに頭を抱えた。
 実際に耳にしたことはないが、物語の中で女の人が「こんな恥ずかしいことされて、もうお嫁に行けない……!」なんて言うことがある。
 ベネディクトは心の底から思った。
 こんな恥ずかしいことされて、もう、お嫁に行けない……と。


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