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本編

05.ヤツを発見! ぜったい手柄をあげてやる

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 交換条件については保留ということになって、数日が経った。
 というのも、フレッドはその話をしたくないようで、エミリアが彼のところに行こうとするとフッと姿を消してしまうのだ。
 きっと、彼は誰かとペアを組むことが嫌なのだ。「ペアを組ませろ」とはっきり言葉にしてしまったのは、間違いだったかもしれない。

 エミリアは資料室の中で、獣の被害について記された事件簿に目を通していた。主に地方の騎士団が扱った事件の写しだ。
 これまでにどこかで似たような事件が起きていて、それが解決されていれば、何かの参考になるかもしれないと考えたからだ。
 だが、地方では獣に襲われる事件が続くことはあっても、必ず犯人の痕跡があった。食べ残された身体の一部が見つかったり、近くにあったフンから人の服の切れ端や髪の毛が出てきたり。
 食べられるのでなければ「縄張りを荒らした」とみなされて襲われることもあるらしい。ただその場合は縄張りから追い払うのが目的である。ズタズタに切り裂かれて命まで落とすようなことは滅多にないみたいだった。それに獣の縄張りに入り込んでしまうのは、たいていは猟師や木こりである。若い娘ばかりが惨殺される王都の事件は、縄張り問題とはちょっと違う気がする。

「うーん……」

 何から手をつけていいのか見当もつかない。フレッドと組める見込みがない以上は、フィニアスにくっついて捜査して、彼のおこぼれをもらおうか……いやいや、そんなことをしているようでは出世はほど遠い。
 ここは気分転換が必要だ。外に出て身体を動かしてこよう。そう考えて事件簿を棚にしまったとき、誰かが資料室にやってくる。
 それは、タイラー・マーカムだった。

「お疲れ様です、マーカム博士」
「君はたしか……エミリアさん。お疲れ様です」

 マーカムはウルフナイツの詰所と王都内にある自宅、大学校の研究室を行ったり来たりの生活をしているようだ。詰所にいるときは団員たちの質問に答えたり、事件の資料と自分の研究資料を見比べたりしている。
 彼に会釈をして部屋を出ようとすると、

「待って、エミリアさん!」

 すれ違いざまに突然手首をつかまれたので驚いた。

「あの、な、何か……?」

 マーカムは怪我をしていないほうの右手でエミリアをつかみ、幽霊でも見たかのような表情でこちらを見つめている。それから慌てたように口を開いた。

「エミリアさんって、ご結婚はされているんですか?」
「……は?」
「あっ、同じ苗字の方がいらっしゃいますけど、もしかしてご夫婦で……?」
「フィニアスのことでしたら、彼は従兄です。私は独身ですが」
「では、ご婚約はされてます? 恋人はいらっしゃるんですか?」

 こういう質問をされると「私のことそんなに気になるわけ?」と思うところだが、マーカムの表情や口調からは、そういった浮ついたものが一切読み取れない。それは彼が学者だからだろうか?

「お願いします、教えてください」
「いえ……そういう人は、いませんけど……あの、手を放してください」
「あっ、これは失礼」

 マーカムはそう言ったが、手は放さなかった。
 エミリアに気があるのだとしても、距離感無さすぎでは……? なんだか不気味だ。大声をあげたほうがいいかもしれない。だが、マーカムは捜査の協力者でもある。機嫌を損ねられでもしたら、捜査に支障が出たりするだろうか……?
 エミリアが迷っていると、大きな音を立てて乱暴に扉が開いた。そしてフレッドが大股でこちらにやってくる。
 彼はすぐ近くまで来ると足を止め、しかめっ面でエミリアの手首とマーカムを見比べた。

「エミリアさん。話があります」

 フレッドはそう言って、マーカムを睨みながら彼の手首をつかむ。するとさすがにエミリアは解放された。

「行きましょう、エミリアさん」
「あ、うん……」

 フレッドに手を引かれ、資料室を後にする。
 彼はエミリアに話があるからやってきたようだが、結果的に助けてもらうことになった。だが、エミリアは資料室に行くなんて誰にも言っていない。なのにどうしてフレッドにはわかってしまうのだろう?



 詰所の裏口から外に出て、ひと気のないところでようやくフレッドは止まった。

「あの、ありがとう……ちょっと、困ってたところだったの」

 そのお礼はすんなりと口から飛び出した。これまでだったら「こいつに助けられるなんて」と苦々しく思っていたはずだ。

「どうして私が資料室にいるってわかったの? それに、話って……?」

 そこまで口にして、彼の話とは「やっぱりペアは組めない」という宣言かもしれないなと思った。
 フレッドはエミリアのほうを振り返る。それから何かを言おうとして、がくりと膝から頽れそうになった。

「えっ、大丈夫?」
「ちょ、ちょっと……すみません」
「具合悪いの? 怪我でもしてる?」
「待って、エミリアさん。ちょっと……近づかないでください」

 フレッドはよろよろと後退り、手のひらを見せることで「来るな」と伝えてきた。
 ちょっと、腹が立った。
 助けに来てくれたくせに、そして心配してやっているのに、それはないだろうと思う。

「なによ。どうしたって言うのよ」
「すみません。話があったんですけど……やっぱりナシで」
「ハァ!?」

 だがエミリアが「ふざけないでよ」と怒りをぶつける前に、彼はもう数歩後退りし、そしてさっといなくなってしまった。

「なんなのよ、もう……」

 *

 宿舎内にある自室に駆け込んだフレッドは、鍵のかかっている机の引き出しを開けた。
 そして曽祖父エドワード・アンブローズの手記を取り出し、中身を確かめる。この手記はもう何度も何度も読んでいて内容もすべて記憶しているが、念のためだ。

”我がアンブローズ家には、稀にヒトと狼の特徴を併せ持つ者が誕生するようだ。体毛の色がそのまま被毛に反映されるなど「狼」とは言い難い部分もあるが、便宜上、これを人狼と呼ぶことにしよう。
 直近では私の大叔父が人狼だった。それ以前となると、六代前の当主とその弟がそうだった。人狼が誕生する間隔は決まっておらず、また、直系だけに発現する能力ではないと思われる。
 私の子孫に人狼が誕生した場合のことを考え、ここにいろいろと記しておこう。
 まず、人間社会で「普通の人間」として暮らしていくために「自分の意志で、自在に姿を変える」。この訓練は絶対にしてほしい。能力が発現してすぐの頃はコントロールが難しいと思う。だがヒトの姿のままで過ごしていると、どこかで自分の意志をよそにエネルギーの放出が起きる。これは絶対に防がなくてはならない。適度に姿を変え、エネルギーを発散させることが必要である。そこで、私が試みた訓練方法であるが──……”

 フレッドは五歳のときに自分が普通の人間ではなかったことを知った。突然、ヒトの姿ではなくなったのだ。自分の意志で元に戻ることができなかったが、あるとき、やっぱり突然ヒトの姿に戻った。そういったことが数か月おきに続いた。
 そしてすらすらと文字が読めるようになって、その内容も理解できるようになった頃、父親からこの手記を手渡された。
 これはいわば、自分の取り扱い説明書である。
 フレッドがいま確認したいことは、この手記の後ろのほうに書かれているはずだ。記憶している位置に指を差し込み、ページをめくる。一発で目当ての場所を探り当てた。

”ここから、人狼の結婚や性についてわかったこと記していく。
 人狼と交わったヒトの雌は、淫靡な香りフェロモンを纏い、人狼をさらに引き寄せるようになる。その香りは月が満ちたときに最高潮となり、月が欠けるにつれて微弱になっていくようだ。

 人狼とヒトの間の繁殖についてだが、私は最初の子をもうけるまでに六年かかった。家系図を辿ってみたが人狼だったとされるものは、子に恵まれるまでにだいたい五年前後かかっている。
 私の妻が纏ったフェロモンは第一子の誕生とともに消えたが、夫婦生活を続けていると、二番目、三番目の子はそれほど間を置かずに誕生した。これは人狼皆に共通しているようだ。
 最初の妊娠までは容易ではないが、いったん繁殖に成功してしまえば「群れ」となるのは難しいことではない。そういうことだ。

 フェロモンは人狼とヒトという異種の組み合わせでも繁殖しやすいように……要は交尾を盛り上げ、その回数を増やすための仕組みではないかと、私は推測している。

 問題は、ヒトの雌が纏ったフェロモンはほかの人狼──まだ番のいない若い雄──をも、おびき寄せてしまうということだ。

 基本的に狼には他者の番を奪うような習性はない。やはり推測になるが、これは狼とヒトの混血であるが故の仕組みなのではないだろうか。「この雌は人狼と交わることを知っている、人狼の子を孕む覚悟がある」と、フェロモンで知らせているのだ。ヒトの雌を娶って繁殖するために、自分が人狼だと明かすことには大きなリスクが伴う。しかしフェロモンを発している雌に対してはその手間やリスクが省けるわけだ。
 ヒトの社会に紛れて暮らしていくために、人狼は、ヒトとも狼とも違う、人狼ならではの独自の性質を身につけたのではないか? と、私は考えている。

 もしも私の子孫に人狼がいるならば……そういう前提で、忠告をしておこう。
 私の子孫たちよ。この手記を読んでいるおまえが人狼であるなら、手当たり次第に種をまいてはいけない。そして妻を娶ったなら、彼女をほかの人狼に奪われないよう屋敷の奥深くに隠してしまいなさい。とくに月が満ちている間は要注意である。”

 フレッドはその部分を繰り返し確認した。
 それから手記を閉じ、大きく息をつく。
 まさか、フェロモンの威力があれほどまでとは。
 エミリアを押し倒して服を剥ぎ取り、彼女の中に入りたくて仕方がなかった。彼女の首筋に鼻を埋めて、ずっと香りを嗅いでいたかった。その欲求を堪えるのはほんとうに難しかった。
 昨日は「エミリアさんからなんだかいい香りがするような……?」と感じる程度だったが、今日は比べものにならなかった。
 さらにフレッドは月齢が記してある暦を取り出す。満月は明後日だ。つまり、満月の二、三日ほど前からフェロモンが漂い出すと考えればいいのだろうか?
 曽祖父が手記を残してくれたのは非常にありがたいが、実例が少なすぎる。彼も手探りで記したに違いない。記されていることのほとんどは曽祖父の推測に過ぎず、フレッドは手記の答え合わせを身を以てしている状態だ。

 とにかく、エミリアが嘘をついていることはわかった。
 人狼と交わったヒトの雌が、抗いがたい香りを発することも、よくわかった。
 しかし「ほかの人狼をおびき寄せてしまう」という部分が気になる。

 フレッドは獣の仕業とされる一連の事件を「自分と同じような能力を持つ人狼がやったのかもしれない」と思いはじめている。
 相手を食べるわけでもなく爪のみを使って襲い、殺し、目撃談もない。野生の獣の仕業にしてはあまりに不自然だ。「殺しが趣味の人狼が存在する、そして殺しの直前までヒトの姿をとっていた」と考えたほうがまだ納得できる気がした。
 アンブローズ家の人間以外で人狼がいるとは聞いたことがなかったが、直系に限らず発現する能力なのであれば、遠い過去に枝分かれしていった血筋を追うことは不可能に近い。なにより「俺は人狼です」なんて自ら明かす者はいないだろう。アタマがおかしいと思われるだけならマシだ。悪ければ研究対象として捕らわれたり、忌々しき存在として殺される可能性だってある。

 小さく唸りながら、優先すべきことを考えた。
 エミリアが自分と関係したのはほぼ間違いない。つまり、ほかに人狼がいた場合……彼女は危険にさらされる。なんとかして彼女にあの夜のことを認めさせ、危険を知ってもらわなくては。
 だが、危険といえば自分もである。エミリアに近寄っただけでよだれを垂らして彼女を襲ってしまいそうになるのだから。
 まずは、フェロモンがどれくらいの範囲に作用するのか、調べてみよう。そう考えた。

 *

 仕事を終えたあと、自室に戻ったエミリアはだらだらと過ごしていた。
 捜査について考えなくてはならないことがいろいろとあるはずだが、自室にいるときくらいは頭の中から仕事のことは追い払いたい。そして結局は寝巻姿でベッドに寝ころんで、雑誌に目を通したり、集中できなくて天井を見あげたり、どっちつかずのままだ。
 天井を見上げたついでに「フレッドの話って、なんだったのかなあ」と、考える。助けに来てくれてけっこう嬉しかったのに、直後に拒絶めいた態度を取られて、ムカついた。そしてなんだかショックだったのも確かだ。
 そこでエミリアはナイトテーブルの上のランプを消した。
 目を閉じ、枕を抱きしめながら、どうしてショックだったのだろう? 関係してしまったことで情が芽生えたのだろうか……? いや、単に「後輩のくせに生意気な」と感じただけでは……? と分析をはじめる。
 そのとき、外の茂みがガサっと音を立てたのが聞こえた。今夜は風が出ているのだろうかと思い、少し開けてある窓を閉めようとしたが、窓枠がガタガタ揺れている様子はない。
 再びガサ、ガサ、と音がした。風のせいではない。何かが、いるような……。
 エミリアは息をひそめ、窓の外を覗いた。
 そして目を見開いた。

 あと少しで月が満ちるらしく、地上は満月のときほどではないにしても、そこそこ明るく照らされている。
 エミリアの居室は一階の隅にあり、窓は宿舎の裏庭に面している。
 その茂みに、いたのだ。
 真っ黒の、バカでかい犬が。それは懸命に茂みや地面の匂いを嗅いでいた。

「……!!」

 犬のあまりの大きさに、エミリアは声をあげそうになって、慌てて手で口元を押さえた。
 あれは、後ろ足で立ったら成人男性くらいの高さになるのではないだろうか? 手の大きさも、人間の顔くらいあるように見えた。
 もう一度目を凝らして犬を確認する。それはいまだに夢中で地面の匂いを嗅いでいた。

 ただ、犬だと思うと何かがおかしい。
 身体つきやシルエットは犬というよりも狼に近いように思えた。だが月明かりのもとではその被毛は真っ黒に見える。エミリアはそういった色の狼を知らなかった。
 犬とも、狼ともつかないひどく大きな獣。イヌ科の、大きな獣……つまり、一連の事件を起こしているのはあの個体なのではないだろうか?
 ぜひとも、捕まえてやろうではないか。
 エミリアは部屋の隅に置いてあった小型のクロスボウを手に取った。これは以前、女騎士の宿舎にノゾキが出たことがあると聞いて、念のために用意していたものだ。訓練も怠っていないから扱いに自信はある。
 エミリアは窓の隙間から狙いを定め、獣に向かって発射した。
「ヒャン!」と哀れな叫び声が聞こえたが、獣は茂みの中に飛び込んでしまった。致命傷を与えたわけではないらしい。
 手柄をあげる大きなチャンスが巡ってきたと思った。
 エミリアはサンダルを引っかけると窓を大きく開け放ち、クロスボウと短剣を手にして茂みに向かった。

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