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本編

04.ここは交換条件ということで

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「え? うちがやることになったの? あの獣の事件を?」
「ああ」

 昼休みを終えたエミリアが詰所に戻ると、フィニアスは先ほど決まったことを告げながら、今朝の新聞をエミリアに見せてきた。
 今朝の新聞にはまだ目を通していなかった。騎士団の決まりで「新聞に目を通すのは早い者勝ち」ということになってはいるが、先輩や上官への遠慮という空気がなんとなく流れており、下っ端のエミリアが目を通すのはだいたい昼過ぎになるのだ。フィニアスから新聞を受け取り、ざっと読んでみる。

「また被害が出たんだ? しかも二日連続って……初めてじゃない?」
「ああ。しかも現場が……」

 遺体が発見されたのは墓地近くの林の中だった。
 はじめは繁華街近くの公園で、娼婦が殺されること三回。その周辺の警戒を強めると、今度は住宅街のほうで犠牲者が出た。だからイーグルナイツは警戒範囲を広めたはずだった。
 だが今回の遺体発見場所は、王都内とはいえ、これまでのものとかなり離れたところにある。
 まるで捜査をあざ笑うような犯行である。偶然でないとしたら、人間並みに知能の高い獣なのだろうか。だがそんな獣が存在するとは考えにくい。ほかに考えられることと言えば……。

「今回のって、同じ獣の仕業なの?」
「遺体に残された爪痕から、ほぼ同種の獣だと思われているが、同一個体かどうかまではわからなかったそうだ。たぶん、はじめのほうの事件はまともに捜査してなかったんじゃないか? 連続事件になるとは思ってなかっただろうしな。それで、イーグルナイツの捜査は壁にぶち当たったってわけだ」
「なるほどね……」

 そんな凶暴な獣が複数いたのではたまったものではないが、やたらと知能が高くて手ごわい一匹がいるのだとしても恐ろしい話だ。また、月が満ちるまでにまだ何日もある。同一個体の仕業だとすれば、はじめの三件の事件が満月の前後に起こったのは、やっぱり偶然だったのかもしれない。
 だがエミリアは捜査に乗り出せることに、喜びを感じてもいた。徹底的に調べて、犯人──犯獣?──をとっ捕まえてやるのだ。できることなら、自分が一番の手柄をあげてやる。そう考えるとじっとしていられなくなった。
 そんなエミリアの様子を見て、フィニアスは床を指さした。

「さっき、地下の証拠検分室に遺体が運ばれて来たぜ。これから検分をすることになってる。おまえも参加するだろ?」



 フィニアスと一緒に証拠検分室に入ると、多くの松明やランプが灯されており、すでにほかの団員たちは揃っていた。もちろんフレッドもいる。ただ、パーシヴァルの隣に見覚えのない男性が立っているのが気になった。ふわっとした茶色い髪で、銀縁のメガネをかけている三十歳くらいの男性だ。イーグルナイツから引き継ぎのためにやってきた人かと思ったが、騎士の制服を着ていないし、なによりあまり騎士っぽく見えない。
 すると、パーシヴァルが説明をはじめた。

「みんな、揃ったな? 彼は動物学者のタイラー・マーカム博士だ。今回の捜査に協力してもらうことになった」
「はじめまして。タイラー・マーカムです。普段は大学校で狼の研究をしています。今回の事件を知って、こちらの団長殿に『捜査に加えてほしい』と無理を承知で申し上げたのですが……有難くも、快諾していただきました。皆さん、よろしくお願いします……ああ、これですか?」

 マーカムは自分の左手に巻かれた包帯に注目が集まっていることに気が付いたようだ。包帯には血が滲んでいて、わりと新しい怪我なうえにけっこうな重傷であるように見える。

「研究中の狼にやられてしまいまして……よくあることなんですよ」

 マーカムは物腰やわらかな口調でそう言い、左手をひらひらとさせ、挨拶を終えた。
 エミリアはなるほどと思った。ウルフナイツはマーカムから参考になる意見や助言をもらえる。そしてマーカムは珍しい狼──かもしれない動物──の研究ができる。Win-Winの関係というやつだ。

「では、遺体の検分をはじめる」

 パーシヴァルはそう宣言して部屋の真ん中にある大きな台に近寄っていく。台の上には藁を編んで作ったシートで包まれた塊があった。パーシヴァルがそのシートを開けていくと、若い女性の遺体が現れる。顔は綺麗なものだが、その下がひどい。大きな爪が、彼女の身体を衣服ごと切り裂いているのだ。
 ここまで無残な状態のものは珍しい。小さく呻いて後退りする騎士も何人かいた。

「被害者はジーン・オルコット。十九歳。宿屋で働いていた娘らしい。彼女が昨夜出かけるところを、宿屋のおかみが目にしている。最近できた恋人に会いに行ったのだろうと、おかみは考えたそうだ。朝までに戻って来るならば問題はない、と。だが……」

 ジーンは戻ってこなかったどころか、墓地の近くで遺体で見つかった。おかみは事件を知って「あの時、ジーンを止めていれば」と憔悴しているらしい。
 そこで団員の一人が質問をした。

「彼女が会いに行った恋人というのは、わかっているんですか?」
「いや。ジーン・オルコットは、最近になって夜に抜け出すことが増えたという。だから『恋人に会いに行っているのではないか』というのはおかみの推察にすぎない。これから私たちが彼女の交友関係を洗っていくことになるだろう」

 はじめの頃に公園で起きた数件の被害で亡くなったのは、いずれも娼婦であった。「夜の公園の茂みでコソコソ商売しているからそんな目に遭うのだ」と、世間の目は同情的ではなかったようにエミリアは記憶している。
 だが住宅街の空き家で起こった事件の被害者は、商家の娘だった。なぜ家を抜け出したのかはわかっていないようだが、彼女も恋人に会いに行ったのだろうか? 若い娘を夜に一人で出歩かせる必要があるなんて、秘密の付き合いだったのだろうか? いずれにしろ相手は碌な男ではないなとエミリアは思った。
 だが、まずは……そうだ。フレッドがどんな風に捜査するのかを確かめなくては。エミリアは彼がいるほうに視線をやった。
 フレッドは台のすぐ近くに立ち、遺体の傷痕をじっと見つめている。それからマーカムに訊ねた。

「マーカム博士。この爪の痕ですが……これって、相当大きな獣ですよね?」

 事件を報じた新聞には「件の獣の手の大きさは、人間の顔くらいある」と書かれていたが、エミリアは少し誇張が入っている表現だと思っていた。だが実際に傷を目にしてみると、ほんとうに人間の顔くらい大きな手の持ち主とみえる。
 フレッドは続ける。

「爪痕からは虎や熊くらいの大きさのように思われますが……それほど大きな狼や野犬は存在するんですか?」
「そうですね。そこまで大きな犬や狼は僕も見たことがありません。でも、これは熊の爪痕とは違いますし、そもそも王都とその周辺に熊は生息しておりません。そして虎も、この国では動物園でしか見ることができません。イヌ科の大型の動物、と考えるのが妥当だと思います」

 しかも王都の動物園にいた虎は何年か前に死んだはずだった。その子孫がいるとも、新しい個体を仕入れたとも、飼育されている虎が逃げ出したとも聞いたことはない。虎の仕業ではないだろう。

「でも、そういった動物……非常に大きな犬や狼の目撃情報はないんですよね?」
「ええ。不思議なことに、まったくありません……犠牲になった方たちは見たのでしょうけれど」

 マーカムは研究のために王都近郊の山林に足を運ぶことがあるが、そこでもこれほど大きな獣は見たことがないと言った。

「巣穴やフンなんかは、見つかっているんですか?」
「それらしきものも王都内では見つかっていないようですね。いまのところは、ですが」
「ではその獣は、王都の外から侵入してきて、罪を犯して、明るくなる前にどこかにあるねぐらに戻っているということでしょうか?」
「そう考えるのが自然ですが、でも、野生の獣の仕業だとすると、逆に不自然でもありますよね……」
「不自然と言えば……」

 フレッドは手にしていた資料──イーグルナイツから引き継いだ、先の四件の殺人に関してのものだ──を捲り、遺体の傷を指さした。

「いずれの被害者も爪で切り裂かれたことが原因で亡くなっていますよね? そして食べられた形跡もない」
「ええ、そのようですね……」

 マーカムも資料を捲りながら答える。彼も被害者の遺体を目にするのは初めてらしいので、その辺は資料に頼るしかないようだ。資料を支えている血の滲んだ左手が痛々しい。
 マーカムが頷くと、フレッドが続ける。

「獣は、なぜ牙を使わなかったのでしょうか? いくら大型の獣でも、四足歩行ならば成人女性のほうが体高があるでしょう。その場合、獣は相手に飛びついたり引き倒したりするのではありませんか? その段階で、牙の痕がついてもおかしくないと思うんです」

 牙の痕がついていない遺体が一体だけならばまだしも、五体すべてとなると不自然ではないかと、フレッドは言った。

「ああ……なるほど……なるほどね……うん……」

 マーカムがそのまま考え込み、話を聞いていた団員たちも唸った。エミリアも唸る。
 食べるわけでもなく、ただ殺人を犯すためだけに外からやって来て、爪のみで相手をしとめ、また山や森に帰っていく……しかも、誰にも見られずに。そんな獣は存在するのだろうか。多くのことが判明すればするほど、不可解な事件である。
 フィニアスがぽんと手を打った。

「もしかして、人間の黒幕がいるんじゃないか?」

 皆が「何言ってんだ、この脳筋」という顔で彼を見たので、フィニアスは言い添える。

「バカでかい犬を手懐けて、命令して爪だけで女を襲わせる……そういう奴がいるんじゃないかってことだよ。ほら、噛みつかないようにマズルにつけるカバーとかあるし。そしたら爪しか使えないだろ?」
「あー……副団長。そんな大きな動物を王都で飼ってたら、すぐ噂になるんじゃないですかね?」

 誰かがもっともなツッコミを入れたが、フィニアスは持論の展開を諦めなかった。

「王都近くの別荘地とかで飼ってんだよ、きっと」
「で、事件を起こすたびに王都と別荘地を移動させてるんですか? 誰にも見られずに?」
「う。うーーーん……じゃあ、屋敷の地下で飼ってるとか!」
「ちょっと、無理があるんじゃないですかね……」
「けどさあ! 野生の獣の仕業だとしても無理だらけじゃねえかよ」

 そこでちょっと納得した団員もいたようだ。パーシヴァルもそうだったようだ。彼はフィニアスに頷いて、それから団員たちに向かって口を開いた。

「たしかに、フィニアスの考えには無理がある。しかし野生の獣の仕業だとしても、やっぱり無理がある。思いもよらぬ真実があるのかもしれないな……そこで、どんなに突飛なものでもいいから、何か考えの浮かんだものは私に話してみてくれ」

 あとは各自遺体からわかることをメモし、そこで解散となった。
 だがエミリアは部屋に居残り、遺体の検分を続けていた。物差しで傷の長さや深さ、爪痕と爪痕の間を測り、それらをメモしていく。
 フレッドもはす向かいで何かのメモをしていたが、突然エミリアのほうにやってきた。少し焦ったが、別の角度から遺体を調べたいだけかもしれない。チャンスがあったらフレッドのメモ帳を覗いてやろう。エミリアは敢えて素知らぬ顔で自分のメモを取り続けた。

「エミリアさん。昼休みの話の続きなんですけど……」

 いきなり切り出され、エミリアはぎくりとする。

「は? ま、まだ何かあるわけ?」
「俺、どうしても確かめたいことがあるんです」
「な、なによ……」
「昨夜って、俺、ほんとうにあなたに失礼なことしませんでしたか……?」
「だから、泥酔して先輩をこき使ったっていうのは、じゅうぶんに失礼でしょ」
「いえ、そうじゃなくて……」

 部屋には二人──と、遺体──しかいないというのに、彼はきょろきょろとし、それから何かを決意したようにエミリアを見据えた。

「じゃあ、はっきりお訊ねします。俺、あなたと情交しませんでしたか?」
「……!!」

 もしかして、彼は覚えている……?
 エミリアは筆記用具を取り落としそうになった。というか、ほんとうにメモ帳を落としてしまった。それを拾い上げて、フレッドを睨みつける。

「い、いきなりヘンなこと言わないでよ。そんなわけないじゃない!! アタマおかしいんじゃないの?」
「すみません。でも、あなたの言うとおりだとすると、ちょっと……説明がつかないことがあるんです」
「そうだとしても、御遺体の前でする話じゃないでしょ!」

 そう言うと、彼は遺体とエミリアを見比べた。もっともだと思ったらしい。

「でしたら、二人で話し合う場を設けてもらっていいですか?」
「これ以上話すことなんてないと思うけど」
「どうしても昨夜のことをもっと詳しく知りたいんです。お願いします」

 無理無理、絶対無理。そう答えようかと思ったが、ふと思い当たった。そうだ。自分はフレッドの捜査の秘訣を知りたい……この事件、一緒に捜査させてもらうというのはどうだろう? フレッドの質問には「違う」と言い張ればいい話だ。いい考えに思えた。
 エミリアはつんと顎をあげた。

「じゃあ、この事件、ペアを組んで捜査しましょうよ」
「えっ」

 昔のウルフナイツの団員たちは団長によって組み分けされ、グループで事件解決に臨んでいたという。だがいまの団長になってからやり方が変わった。グループを作るもよし、ペアを組むもよし、個人で捜査するのも構わないといったかたちである。
 めちゃくちゃな方法に思えるが、それで騎士団の成績があがったらしい。おそらくウルフナイツに所属している騎士たちの性質が、そのやり方に合っていたのだろう。

「あんた、いつも一人でコソコソ何かやって、手柄をあげてるじゃない。いったい、どんなズルをしてるわけ?」

 意外にも、フレッドが怯んだ。彼は「ズルなんてしていません」と答えるかと思ったのに……もしかして、ほんとうにズルをしているのだろうか? エミリアは驚く。

「え? え? ズルしてたの!?」
「いえ、そういうわけでは……」
「偉い人にお金を払って手柄を買ってるとか、そういうこと?」

 手柄を売ってくれる偉い人がいるのかどうかわからないが、侯爵家ともなるといろいろとコネがあるに違いない。ここは畳みかけて白状させてやりたい。

「ま、まさか! そんなことはしてません。自分の力で、解決してますよ」
「じゃあズルじゃないでしょ」
「ええ、まあ……そうなんですけど……」
「なによ。はっきりしない物言いね。とにかく、交換条件よ。一緒に捜査させて。そうじゃなきゃ、もうあんたとは口きかないから」

 フレッドは一歩下がり、息を吸い込み、唾を飲み込んだように見えた。
 それから「少し、考えさせてください」と呟いて、部屋から出て行った。

 彼が尻込みしたことで「勝った……!」と思ったが、いや、べつに勝ってはいないな、と思い直す。
 昨夜のことはあれ以上追求されずに済んだが、こちらも知りたい情報を得ることはできていない。ただフレッドは何かを隠しているようだ。ズルをしていないという言葉を鵜呑みにすれば、コネを使っているわけではないらしい。

「じゃあ、何なのよ……」

 勝ったどころか、負けたのかもしれない。謎が深まっただけなのだから。

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