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番外編

爆走、乙女チック花嫁街道! 3

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 甘い甘い飴をもらって元気を補充したはずであるが、ヒューイが出立してしまうとやはり寂しく思ったり心配だったりしてどこか落ち着かない。
 だからこそ普段はしぶしぶこなしている課題に打ちこもうと努力した。

 ……しかし。
 寝だめ食いだめはできないとよく言うけれど、会いだめってやつも出来ないような気がしている。
 二週間会わずにいて、数分だけの逢瀬。そしてまた二週間会えないなんて。
 不意打ちのキスはとても嬉しかったが、幸せな気持ちは時間が経つにつれて薄くなっていった。かわりに寂しさが台頭してくる。
 ヘザーは深刻なヒューイ不足に陥っていた。

 ヒューイは元気だろうか。ちゃんとご飯を食べているだろうか。睡眠はしっかり取っているだろうか……まあ、彼の自己管理能力は抜きんでて高いようなので、だらしないヘザーが心配するようなことではないのだろうけど。でも……ヘザーに会いたいと、ちょっとでも思ってくれているだろうか。思っててくれるといいなあ……。

「ピッ! そこ、ぼんやりしないッ!」
 ウィルクス夫人の鋭い笛の音が、ヘザーの考え事を打ち破った。
 彼女は力強い足取りでヘザーのいるところまで歩いてきて、机の上に置かれていた紙を持ち上げる。
「考え事をしている暇などあるのですか?」
「え、あの……でも……」
「では、先ほど出した課題は、もちろんできているのでしょうね!?」

 ウィルクス夫人怖い。
 でも、ちょっとくらい考えたっていいじゃないか。だって、ヒューイのこと、

 好きなんだもの ──ヘザを──

「お嬢様! なんですかこれは!」
 夫人は紙に書かれた文字を見て目を剥いた。
 ヘザーの現在の課題は詩の作成である。
 こんなことをして何の役に立つのかさっぱりわからないが、社交界に出るからには齧っておいた方がいいらしい。
 古い詩人の作品を語ったり、或いは即興でちょっとした詩を作ったり。そういう機会が訪れるかもしれないのだとか。

「ウィルクス夫人が『まずは自由に書いてみなさい』って仰るから……これ、だめですか?」
「ダメも何も……この『ヘザを』っていったい何なんですか!?」
「ペンネームですけど」
「んまあ、百万年早いですよ! そういうことは一人前になってからお考えなさい!」
 詩の作成において自分が一人前になることがあるのかどうか謎である。
 それに「百万年」などという現実味の無い数字が出るということは、ウィルクス夫人の見立てではヘザーに詩の才能はないということなのだろう。
 もうだめだ。ヒューイのことが気になって何をやっても上手くいかない。他人の存在にここまで左右されるなんて、以前の自分では考えられなかったことだ。
 そしてらしくもなく、負の連鎖に陥っている。

「まったく……」
 しょんぼりするヘザーを見下ろし、夫人は大きなため息をついた。
「ヘザーお嬢様。出かけますよ。仕度をしてください」
「え? 今からですか」
「はい。今からです」
 ヘザーは、ぼんやりした罰として堅苦しい集会に連れていかれるのかと身構えた。
 しかしウィルクス夫人の向かった先は、ヘザーの予想とは全く違っていた。



「力加減、どうですかあ?」
「ちょうどいいです。ああ……気持ちよくて、眠っちゃいそう……」
「ウフフ。どうぞリラックスしてくださいね~」
「ふあい……」

 夫人が向かった先はエステティックサロンだったのである。
 ヘザーは花びらの浮かぶ乳白色の湯に入れられ、その後は良い香りのするオイルを全身に塗りたくられていた。
 こういった施設を訪れるのは初めてだ。
 かつて剣士をやっていたころ、闘技場には凝りを解してくれるマッサージ師がいたし、実際にマッサージしてもらうととても気持ちがよかったが、それとは気持ちよさの種類が全然違う。
 こんなに気持ちがいいのに眠ってしまったら勿体無い……そう思ってはいたものの、施術師の手のひらがヘザーの顔をマッサージし始めた時、そこでとうとう眠りに落ちたのだった。

 施術師に名前を呼ばれて目を覚ますとすべてが終わっていて、ヘザーは施術台から降りて肌触りの良いガウンを着せられる。
 案内された部屋へ向かうと、そこではウィルクス夫人がお茶を飲みながら待っていた。
「ヘザーお嬢様、如何でしたか」
「はい! なんか、すっごく気持ちよくて……うわあ、ほっぺがぷるぷる!」
 部屋にあった姿見に顔を映すと、やたらと血色の良い自分がそこにいた。身を乗り出して覗き込み、興奮気味に答える。
 夫人は「もう少し落ち着いて答えなさい」とやや呆れ気味に呟いた後で施術師と向き合い、ヘザーの「お手入れ」についての報告を受けていた。
 剣士時代と騎士時代についてしまったヘザーの筋肉、これを無理なく美しい形で落としていけるように、代謝を促して……とか、リンパの流れが云々……とか、ヘザーにはよくわからない施術師の話を、ウィルクス夫人は真面目な顔で頷きながら聞いている。

 夫人との話を終えると、施術師はむくみや冷えを防止するというお茶を運んできた。ヘザーの肌には未だにオイルが残っていて、若干べたついている。これがもっと肌になじむまで、お茶を飲んで休憩するらしい。
 このサロンにもともと置いてある本だろうか、ウィルクス夫人は美容に関する書物を読んでいる。
 ヘザーはもう一度姿見に自分を映した。
 それからガウンの袖を少し捲って、腕に触れてみる。ツヤッツヤのプルップルである。すごい。ヒューイが見たらなんて言うかな。ヒューイに、触ってみてほしいな……。

 不埒な妄想に頬が緩みだしたところで、鋭い視線を感じた。ぱっと顔を上げるとウィルクス夫人が何か言いたそうにこちらを睨んでいるではないか。
 しかし場所が場所なので、彼女は笛を吹けないようだ。こんなところでいつものように笛を吹いたら、施術師や他の客たちが何事かと思うだろう。
「……お嬢様。」
「す、すみませぇん……」
 硬い口調で咎めるように睨まれ、ヘザーは肩をすくめる。
 だが意外なことに、夫人もまた肩をすくめた。
「まあ……今は特別な時間にいたしましょう。婚礼の日まで、このサロンには週に一度か二度通うことにします」
「えっ。いいんですか?」
 すごく贅沢な時間を過ごした気分だが、これを繰り返しても良いなんて。素晴らしい話である。

「美容を兼ねた息抜きの時間を設けるのも、悪くはないでしょう」
 静かにお茶を飲むウィルクス夫人を見つめ、ヘザーはふと気づいた。
 今日ここに連れてきてくれたのは、ひょっとしたら自分を元気づけるためだったのかなあ、と。
 感情を露わにするのはみっともないことだと、ウィルクス夫人は常々口にしているが、ヘザーから発せられる「ヒューイ好き好きオーラ」はダダ漏れのようだ。
 ヒューイに会えなくて日に日に萎れていくヘザーを見かねたのかも、と。
 ……やっぱり、ウィルクス夫人は結構優しい人なのかもしれない。

「……正直に申し上げますとね」
「えっ? は、はい」
 夫人はそこで、もう一口お茶を飲む。
「ヒューイ様が恋愛結婚をなさるとは、思いもしませんでした」

 それはヘザーもそう思っている。
 彼の人生の設計図は、ヘザーと出会うよりもずっとずっと前、遠い昔から用意されていたようだった。
 今の年齢で司令部所属ならば将来を約束されているようなものだが、彼はさらに上に行こうとしていたらしい。つまり、貴族や富豪……権力者の娘を妻にして、強力な後ろ盾を得ようと考えていたのだ。
 それは愛や恋といった感情でぶれるような計画ではなかったはずだ。
 だがヒューイは今、権力とは無縁で、育ちが良いとはとても言えないヘザーと結婚しようとしている。

「ヒューイ様は幼い頃から、バークレイ家のことを一番に考えていたようです」
「幼い頃って……」
「ええ。寄宿学校に入るよりも前からでしたね。バークレイ家の長子として家を守り、大きくしていきたいと語っておりました」
 ウィルクス夫人とバークレイ家の付き合いはかなり長いらしい。
「あの……ヒューイの小さい頃って、どんな風でした?」
「どんなって……昔から、しっかりした子でしたよ。印象は今とそう変わりませんね」
「へえ……」
 ヘザーは今のヒューイを頭の中で幼くしてみる。お上品に整ってはいるが、常に眉間に皺が寄っていて神経質な感じは否めない、あの雰囲気をもっと幼く。
 そして気難しそうな口調で「君も○○したまえ」とか言わせてみる。
 ……うわあ、クソガキだ! でも、ヒューイだと思うとなんかそれもカワイイ~! ああ、見てみたかったなあ。可愛いクソガキ時代のヒューイを!

 勝手に妄想を膨らませてにやにやしていると、夫人がこちらをじっと見つめていたので、慌てて佇まいを正す。
 だが彼女はヘザーを叱りはしなかった。

「はじめこそは意外に思いましたが……ですが、ヒューイ様が恋愛結婚なさるとしたら、相手は貴女しかあり得ないでしょうね。私、今ならそう思います」
「ウィルクス夫人……」
 それはひょっとして、お似合いだと言ってくれているのだろうか。
「ヒューイ様は真面目で責任感の強い方でしょう? 苦労も多いかと思います。いつも気を張っているようですから、彼はいつ素の自分に戻って寛ぐのだろうと、実は私、心配しておりました。貴女のような女性が傍にいてくれたら、ヒューイ様も安らげるでしょう」
「え。いえ、私……彼に迷惑かけてばかりで」
 夫人の言葉は嬉しいが、自分の存在はヒューイの気苦労を増やしているだけのような、そんな気がする。
「いつも助けてもらってるのは、私の方なんです」
 すると夫人はゆっくりと頷いた。
「その謙虚な気持ちを忘れないようにしてください。お互いにそう思い合うことが大事なのですよ」
 隣にヒューイがいること、その存在を当たり前だと思ってはいけないのだ。
 今の言葉はヘザーの胸にじわりと染み渡った。
 ウィルクス夫人は淑女のたしなみを教えてくれる、行儀作法の先生として有名な人だ。だが夫婦の在り方を説いてもくれるらしい。

「それから、ですね」
 ウィルクス夫人はコホンと咳ばらいをし、姿勢を正す。
「レジナルド様から夕食の招待を受けております。ヒューイ様が王都に戻ってきたら、皆で一緒にどうかと」
 ロイドとグレンの双子の兄弟は、寄宿学校へ入った。そして週に一度、バークレイの屋敷へ帰ってくる。彼らの休暇とヒューイの帰還に合わせて、レジナルドは夕食会を計画しているらしい。
「わあ、楽しみ!」
 夫人はそんなヘザーをひと睨みし、もう一度咳払いする。
「……その夕食会の日を以って、『ヒューイ様禁止令』をいったん解こうと考えております」
「えっ」
 ヒューイ禁止令が解ける……!?
 じゃあ、あんなことやこんなこと……は、夫人のいる前では無理だが、思い出し笑いしてにやにやしていても、笛の音は聞こえなくなるのだろうか。
「二人での外出は、昼間ならば許可いたします」
「は、はい!」
「ですが屋内で二人きりはだめですよ! ヒューイ様の訪問も、私がいない時は禁止ですからね!」
「は、はぁい……」
 ヘザーの現在の住まいは名義も支払いもヒューイであるのに、訪問するのにウィルクス夫人の許可が要るとはこれ如何に。
 そもそもヒューイの訪問は以前は禁止されていたわけではなかった。ウィルクス夫人の中のヒューイは自制心の強い品行方正な男で──これは間違いではないのだが──だが、そんな彼が膝の上にヘザーを乗せてイチャイチャしていた場面、あれは相当衝撃的だったらしい。
 彼女の中のヒューイ像はあの日を境にガラガラと崩れ去り、ヒューイ・バークレイといえどもただの男、そんな風に警戒するようになったのである。

 ああ、でも昼間ならば二人で会ってもいいのかあ……。お出かけするなら、美術館や植物園になるのかな。うん、植物園、いいかも。ヒューイがお花を贈ってくれたおかげで、結構花の名前も覚えたんだよね。それで帰りの馬車の中でちょっとイチャイチャしたりして……。
 ニヤニヤニヤニヤしながら妄想を繰り広げていると、
「いいですか! 飽く迄も! 『いったん』解除ですからね! 二人でコソコソしているところが私の目に入ったら、また禁止しますよ!」
「は、はい!」
 夫人に念を押されたのでヘザーはしっかり返事をした。

 二人で会える。ただし昼間、人の目のあるところでだが。それでも嬉しい。
 そしてこれまでの苦難の日々を思う。
 ヒューイからの手紙に慰められたり、王都を離れる前にこっそり会いに来てもらったり。
「……。」
 今思うと、あれはあれで情緒があった気がする。
 禁止されているからこそロマンチックに燃え上がって盛り上がったような。かといって、禁止令がもっと長く続いていたら、ヘザーはやはり腐ってしまっていただろう。
 禁止令の発布と解除のタイミングは、ある意味絶妙のものであった。

 ヘザーはそこでちらりとウィルクス夫人を盗み見る。彼女は再び読書をはじめたところだった。
 ぬくぬくだらだらと過ごしていたヘザーの日常に「ヒューイ禁止」という刺激を与え、頃合いを見計らっての禁止令解除。ウィルクス夫人はやり手の教育者だと聞いてはいたが、自分はそれを目の当たりにしたのではないかと、そう思った。


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