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番外編

猛進、乙女チックモンスター! 2

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 ヒューイ・バークレイは結構なロマンチスト野郎だとヘザーは思っている。
 性欲にまかせて飛びかかってくるようなことは決してないし、「いたす」前のムードをわりと重要視する。
 顔を合わせるなりヘザーが「しよう、しよう!」と言ってパンツを脱ぎだしたりしたら、彼は逆に冷めてしまうようなのだ。
 辛抱たまらなくなったヒューイから押し倒されてみたい気もするが、禁欲生活を一年くらい強いられたところで、ヒューイは涼しい顔をして過ごしていそうだ。ヒューイが我慢できなくなる前に、自分の気が狂ってしまう方が先だろう。

 寝支度を済ませたヘザーは、香料入りの蝋燭に火をともした。
 別荘の使用人にお願いして持ってきてもらったもので、ほのかにリンゴの香りが漂う。雰囲気づくりの一環である。
 リンゴの香りはちょっと子供っぽい気もしたが、使用人が持ってきたもう一つの蝋燭は、ウィルクス夫人の整髪剤と似たような匂いがしたのだ。
 香り自体は不快なものではないのだが。ないのだが……ウィルクス夫人を思い起こさせるようなものは避けておきたい。自分のためにも、ヒューイのためにも。

 鏡で自分の姿を確認したりして、ウキウキソワソワしていると、部屋の扉が微かに「コツン」と鳴った。
 ヒューイだ。ヘザーは扉を開けてヒューイを迎え入れ、彼の腕にしがみ付いて……いきなりベッドの方へ向かうのは良くないかもしれないので、とりあえずソファに座る。

「これは、何の香りだ……リンゴ?」
 ヒューイが周囲を見渡し、棚の上の蝋燭のところで目を留めた。
 さっそく匂いに反応するとは、なんともヒューイらしい。
「うん、リンゴ。……嫌いな匂いだった?」
「いや……」
 彼が言うには、フローラル系のものは合わないとリラックスできないどころか頭痛がしてくるから、仄かなフルーツの香りは無難なのだそうだ。
 ヘザーはヒューイに身体を寄せて、彼の香りをくんくんと嗅ぐ。
「貴方も、いつもと違う匂いがする」
「ああ。入浴の際は、この別荘に用意されていた石鹸を使った」
「なんだろう、これも、いい香り」
 リンゴと似ているけれど、でもちょっと違うような。
「……カモミール、だと思う」
「へえー」
「君は僕と違う香りがする……桃か?」
 子爵婦人の計らいであろう、女性が使用する浴室には様々な香りの石鹸が揃えてあった。ヘザーは甘くて美味しそうな匂いのするものを使った。
「うん」
 なんだか食べ物の香りばかり選んでしまった。やっぱり子供っぽかっただろうか……だが身体をくっつけて座り、互いの香りを嗅ぐために顔を寄せあって……さっそくいい雰囲気ではないか!
 ヒューイの手がヘザーの肩にかかり、もう片方の手は顎に添えられた。
 もう何度も身体を重ねているが、はじまりの瞬間、この恍惚感と高揚感はヘザーの中ではちっとも色褪せることがない。うっとりと瞳を閉じようとして、今夜の──ヘザーが勝手に決めた──テーマを思い出す。

「あ……や、やめてえ。」

 それは、自分でもびっくりするほどの棒読み口調だった。
 ヒューイもまた、棒読みに驚いたのか、それともヘザーが拒否したことに驚いたのか、少しだけ目を見開く。それからすぐに手を離して身体を引いた。

「え……えっ。な、なんでやめちゃうのっ?」
「君が言ったのではないか」
「え? えっと、あれは、勢いっていうか、言葉のあやっていうか、えーと……えへへ」
 ヒューイは半目になってこちらを見ていたが、ヘザーは笑ってごまかし、さらにごまかす様に彼に身体をくっつけた。
 彼も気を取り直したのか、もう一度ヘザーの頬に手をかけた。

 はじめは軽い口づけが続く。やがてそれが深いものに変わって、ヒューイの手がヘザーの頬から首筋におりて、うなじに回って、後頭部を引き寄せるようにした。
 ヘザーがヒューイの背中に腕を回したとき、彼が少し体重をかけてきて、ヘザーをそのまま長椅子に横たえようとした。

「あ、い、いけない……だめえ。」

 また驚くほどの棒読みで口にしてしまい、ヒューイの動きも一瞬止まる。
「あ。違うの。そうじゃなくて」
 焦ってヒューイを引き寄せたが、彼の手がガウンの合わせ目に入り込もうとしたとき、
「あん。そんな……だめえ。やめてえ。」
「……どっちなんだ!」
 ヘザーのどっちつかずの態度に、とうとうヒューイがイライラとし始めた。
 彼はヘザーから離れて立ち上がる。そして長椅子にひっくり返った状態のヘザーを見下ろした。
「さっきから、何なのだ。その妙な口調は!」
「だめじゃないの。続けてほしいの」
「続けると、君はまたやめろと言うではないか」
「そこを、続けてほしいのよ」
 なぜヒューイは分かってくれないのだ。「ダメじゃないダメ」「やめてほしくないやめて」があることを!

「普通、やめろと言われたらやめるだろう。嫌がる相手に無理強いするのは暴力と同じだ」
「そ、そこを無理強いしてほしいのよう!」
 ぐいぐい迫って来て、ヘザーがもったいぶってるところを無理やり奪ってほしいんだよう! ヒューイにソフトレイプされてみたいんだよう!!
「なっ……」
 ひっくり返ったまま自分の要求を口にしてじたばたと暴れると、ヒューイは絶句してヘザーを見下ろしていた。顔は青ざめ、唇を震わせている。
 彼のこの表情、あの時とそっくりだ。
 出会ったばかりの時、目の前で自慰を始めたヘザーを見下ろしていた表情と。
 ヘザーは「変態」と詰られることを覚悟した。
 しかし、ヒューイは全く別のことを考えていたようだ。

「そんな事、どこで覚えてきたんだ……!」
「え?」
「誰に吹き込まれた」
「え? いや、ええと……」
「この別荘の招待客か? 婦人同士でそういう会話になったのか?」
 シンシアの持っていた本に影響されたのは確かだが、別にシンシア本人から吹き込まれた訳ではない。
「それとも男か? 君は、他の男とそういう会話をしたのか?」
「えっ。ち、違う!」
 ヘザーは慌てて起き上がった。

 下ネタでの雑談なんて、よくあることなのかもしれないけれど、ヒューイとのベッドでのあれこれを進んで話したくはない。「ヒューイはベッドでも色っぽくてカッコいいんだから!」と触れて回りたくて仕方ない時もあるが、他の人に「ベッドでも色っぽくてカッコいいヒューイ」を想像されたくはなかった。
 それに、ヒューイが自分以外の女性と猥談を行う姿……あり得ないことではあるが、その姿を思い浮かべるとなんだか嫌な気持ちになる。
 他者との会話から様々な趣向を取り入れたうえで、パートナーと試す人もいるのだろうが──自分はともかくとして──ヒューイがそれをよしとする性質だとは思えなかった。

「誰かに言われた訳じゃないの。これ……」
 ヘザーはトランクを開けて件の本を引っ張り出した。
「……本?」
「うん。シンシア様が持って来てて」
 彼女の名誉のために、シンシアがこれを入手するに至った経緯、そしてこの別荘に持ち込んだ理由を付け加えておいた。
「ふうん……」
 ヒューイは本を受け取ると、それをぱらぱらと捲り始める。

 彼は読むのが速い。
 ページに目を走らせながら、話の流れをつかむポイントとなる単語を拾って先へ先へと読み進めているようだ。
 ヘザーは怒られた子供のように肩を落としてヒューイの前に突っ立っていたが、彼は時折本から顔を上げてヘザーをちらりと見る。
 しばらくはしんとした部屋の中で、ヒューイが紙を捲る音だけが響いていた。

 本を半分ほど捲った辺りで彼がまた顔を上げた。
「君は……こういう事がしたかったのか?」
「う、うん。ちょっと……」
 ちょっとって言うか、かなり。すごく。
「僕は茶番を演じるのは御免だ」
「そ、そうだよねえ……」

 ヒューイは再び真顔でページを捲りだす。
「君は、縛り上げられたうえで尻を叩かれたいなどと、本気で思っているのか?」
「えっ?」
「鞭で打たれて肌に熱い蝋を垂らされたいなどと、本気で思っているのか?」
「ええっ?」
 緊縛のところはちらっと読んだが、尻を叩かれているのや鞭打ちのところは知らなかった。そんなことまでやってる本だったのか。
 ちなみにヘザーにそういう趣味はない。が、ヒューイがどうしてもやりたいって言ったら、許しちゃうかも……。
「僕は御免こうむる!」
「やっぱ、そうだよね」

 彼はさらにページを捲り、今度は眉間に皺を寄せた。
「鼻にフックを引っかけられた挙句豚と罵られて、君は嬉しいのか?」
「うえぇえ!? 何それ!!」
「こっちが聞きたい!」
 ヒューイの差し出した本を見ると、その部分の挿絵がついていた。
 性的な場に持ち込む行為とはとても思えなくて、ヘザーは笑ってしまった。
「あははは! なにこれ!」
「この本に書いてあることの大半は、僕には理解不能だ」
 彼は腕を組んで大きなため息を吐き、窓のある辺りをじっと見ながら何かを考えている。

 そんなヒューイを見ていたら、ヘザーの笑いも引っ込んでしまった。
 彼は大いに呆れているのだ。しかも今はムードも何もない。多分このまま自分の部屋に帰ってしまうのではないか。
 さすがにもうヘザーも無理やり襲ってくれとか、無理やりじゃなくてもいいから普通にエッチしたいとか言えるような状況──というか立場──ではないという自覚があった。
 ただ、こんな空気のまま別々に眠るのは少し不安だ。今の気分はハッピーとは程遠いのだから。
 こうなってしまっては、仄かなリンゴの香りもなんだか虚しい。

「ヘザー」
 彼は先ほどから同じポーズで、厳しい顔つきのままヘザーに告げた。
「……僕たちは夫婦になる予定だ」
「う、うん……」
 こんな変態とはやっぱり結婚できないと言われる気がして、ヘザーはびくっとする。
「これは、一般の人間関係にも言えることだが。夫婦になる以上、相手に敬意を払うことは大切だ。自分の欲求を一方的に押し付けたりしてはいけない」
「はい……」
 ヘザーはがっくりと項垂れたが、逆にヒューイは組んだ腕を解き、ヘザーの方へ身体を向けた。
「だが、これから長い時間を共に過ごすにあたって、調和も重要だと僕は考えている」
「ちょ、調和……」
「うむ」
 ヒューイはくそ真面目な顔で頷いた。
「君の要望を、まともに取り合うこともせずに却下するつもりもないという事だ。考慮はする」
「……?」
「ガウンを脱いで寝台に上がりたまえ」
「え……」
 これはエッチするという事でいいのだろうか。しかし、ヒューイの態度はまったく「これからセックスする人」に見えないのだが?
 ヘザーが躊躇っていると、先にヒューイが上着を脱いだ。さらに、ポケットから避妊薬の瓶をしっかりと取り出す。それを確認したヘザーは、頭の中を疑問符でいっぱいにしたままガウンを脱いで、寝台へ上がった。
 ヒューイがこちらへ近づいてくる。
「僕は妙な演技は御免だ。しかし、行為が始まったら芝居を打つ余裕なんてないだろう?」
「ん? う、うん……」
「芝居抜きでも『許して』くらいなら言わせてみせる」
「……!」
 ヘザーの頭の中の疑問符が、一瞬ですべてハートマークになった。

 ヒューイが寝台に片方の膝を乗せた。彼は自分の首元のスカーフに指を掛け、ひと息に解く。そして凄むように言った。
「歩けなくなっても、文句は言うなよ」
「!!!!!!」
 ヒューイが超やる気になってる……!
 う、嬉しいっ。歩けなくなるくらい、いっぱいされたいっっ。
 たぶん、今の自分は目もハートマークになっていることだろう。


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