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第十話
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何を見つめているのだろう、とその視線の先を見ると、少し離れた放牧場の土道で、一頭の鞍をつけた白馬の手綱を調教師が引いていた。どこかで役目を終え、厩舎の馬房に戻されるところなのだろう。
貴族の多くは白馬を好む。芦毛や栗毛もいなくはないが、やはりイメージ的に白馬は高級で、見栄えがいい。大した馬でなくとも、その白い毛色だけで高く見積もられる。ヴェルグラ侯爵家や縁のある厩舎、牧場にも一定数白馬は飼われていて、雑なブリードで売れる毛色を出すような悪徳調教師とは一線を画し、高級将校の軍馬としても通用する良血統を維持しているのだ。
忠次はうっとりと白馬を眺めていた。その横顔は言わなくても分かる、あの馬に一目惚れしたのだろう。
そういうものなのか、と忠次の意外な一面に感心していたところ、忠次はふと、独り言をつぶやいた。
「馬がこっちを窺ってる」
「え、そうなの?」
私と大兄様は手綱を引かれる白馬に再度視線を戻す。すると、確かに白馬はこちらを見ていた。いつもと違う、見たことのない格好の小さな人間たちが放牧場にいるから、興味津々なのだろう。
すかさず、大兄様が忠次へ尋ねた。
「馬に、ご興味が?」
「えェ、一度乗ってみたかったので」
「なるほど! では、あの馬は大人しいので、連れてきましょう!」
ここから一旦離れるための言い訳だな、と私は見抜いたが、知らんぷりした。大兄様は素早く調教師と白馬を追いかけていく。
私と二人きりになったところで、忠次は小声で珍しくはしゃいでいた。
「姐さん、馬! 立派な鞍ァつけた馬がいやすよ!」
「うちは厩舎もあるし、たくさんいるけど」
「どうして黙ってらっしゃったんです! あっしァ、昔っから馬に乗ってみたかったんですよ! お嬢の家の馬は乗れそうになかったんで我慢してたんですがね!」
「あ、そう……気をつけてね!? ベルに何かあったら」
「大丈夫ですって!」
そう言うなり、忠次は大兄様を走って追いかけていく。大股で走らないかぎり、とりあえずいいとしよう。私もゆっくり革靴で伸びかけの若草を踏み、後を追いかける。
すでに調教師から手綱を受け取った大兄様は、白馬に飛びついていく忠次——小柄なベルの体では、体高の高い馬の鞍に跨るのは至難の業だ——を咄嗟に支えていた。大兄様は三人の弟と歳の離れた一人の妹の面倒を見てきた長男として、無意識に世話を焼いているのだろう。
「お、おお? 鐙に、足が届かない」
「失礼、持ち上げましょう」
「お願いし……ます」
忠次が足を上げたまま、後ろから両脇を持ち上げられて鐙にようやく靴を滑り込ませる。そのまま踏ん張って、やっと白馬の背に跨ることができた。
いわゆる貴婦人の乗馬法である横乗りではなく、エプロンドレスで馬に跨ったのだ。当然、大兄様と調教師は驚く。しかし、あまりにも嬉しそうな忠次の様子に、「はしたない」「やめなさい」という声は出なかった。今更横乗り用の鞍を持ってくるのも厄介だし、ほら。
私は感極まっている忠次へ、自覚を促すためにも声をかける。
「ベル、どう?」
貴族の多くは白馬を好む。芦毛や栗毛もいなくはないが、やはりイメージ的に白馬は高級で、見栄えがいい。大した馬でなくとも、その白い毛色だけで高く見積もられる。ヴェルグラ侯爵家や縁のある厩舎、牧場にも一定数白馬は飼われていて、雑なブリードで売れる毛色を出すような悪徳調教師とは一線を画し、高級将校の軍馬としても通用する良血統を維持しているのだ。
忠次はうっとりと白馬を眺めていた。その横顔は言わなくても分かる、あの馬に一目惚れしたのだろう。
そういうものなのか、と忠次の意外な一面に感心していたところ、忠次はふと、独り言をつぶやいた。
「馬がこっちを窺ってる」
「え、そうなの?」
私と大兄様は手綱を引かれる白馬に再度視線を戻す。すると、確かに白馬はこちらを見ていた。いつもと違う、見たことのない格好の小さな人間たちが放牧場にいるから、興味津々なのだろう。
すかさず、大兄様が忠次へ尋ねた。
「馬に、ご興味が?」
「えェ、一度乗ってみたかったので」
「なるほど! では、あの馬は大人しいので、連れてきましょう!」
ここから一旦離れるための言い訳だな、と私は見抜いたが、知らんぷりした。大兄様は素早く調教師と白馬を追いかけていく。
私と二人きりになったところで、忠次は小声で珍しくはしゃいでいた。
「姐さん、馬! 立派な鞍ァつけた馬がいやすよ!」
「うちは厩舎もあるし、たくさんいるけど」
「どうして黙ってらっしゃったんです! あっしァ、昔っから馬に乗ってみたかったんですよ! お嬢の家の馬は乗れそうになかったんで我慢してたんですがね!」
「あ、そう……気をつけてね!? ベルに何かあったら」
「大丈夫ですって!」
そう言うなり、忠次は大兄様を走って追いかけていく。大股で走らないかぎり、とりあえずいいとしよう。私もゆっくり革靴で伸びかけの若草を踏み、後を追いかける。
すでに調教師から手綱を受け取った大兄様は、白馬に飛びついていく忠次——小柄なベルの体では、体高の高い馬の鞍に跨るのは至難の業だ——を咄嗟に支えていた。大兄様は三人の弟と歳の離れた一人の妹の面倒を見てきた長男として、無意識に世話を焼いているのだろう。
「お、おお? 鐙に、足が届かない」
「失礼、持ち上げましょう」
「お願いし……ます」
忠次が足を上げたまま、後ろから両脇を持ち上げられて鐙にようやく靴を滑り込ませる。そのまま踏ん張って、やっと白馬の背に跨ることができた。
いわゆる貴婦人の乗馬法である横乗りではなく、エプロンドレスで馬に跨ったのだ。当然、大兄様と調教師は驚く。しかし、あまりにも嬉しそうな忠次の様子に、「はしたない」「やめなさい」という声は出なかった。今更横乗り用の鞍を持ってくるのも厄介だし、ほら。
私は感極まっている忠次へ、自覚を促すためにも声をかける。
「ベル、どう?」
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