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荒れ地の麦粥

1話

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 あくる日、おれは早朝にのそのそ起き出して、薄暗いうちから身支度を始めた。
ランプの光を頼りに顔を洗い、髭を剃り、髪を束ねる。
綿のシャツの上に飛竜の甲殻をつなぎ合わせて作った軽くて丈夫な軽鎧を着込み、下は革で補強されたズボン、靴は履きなれたブーツだ。
軽鎧の裏地とズボンの裾には、換金できそうな宝石や金細工をこっそり縫い付けておいた。
フード付きの外套は風を通さない厚手のもので、ポケットには精霊術の燃料となる魔石がいくつか入っているし、非常食の砂糖菓子とナッツ類も胸ポケットに入っている。
大きめのナイフを腰に下げ、非常時には包帯として使う大きめのハンカチをズボンのポケットにねじ込んで、最後に革手袋をはめれば旅装は完成だ。
リル・クーロに運ぶ荷物はすでに自動二輪車に乗せているし、テントや昨日買った薬や食料も一緒にくくりつけている。
ケイジュが乗る場所を確保したまま荷物を積むのは結構骨が折れたが、なんとか昨日やりきった。
あとは伝票やら通行証やら、細々したものを持って家を出るだけだ。
自動二輪車は階段の上にある貴族街には持ち込めないので、魔導具屋に預けている。
鍵は渡しておくから勝手に倉庫を開けて勝手に持って行けと、昨日預けたときに言われていた。
信用してくれるのは嬉しいが、そこそこ治安の悪いこの街でそんなことをしていいのかとも思う。
眠気を覚ますために熱いコーヒーを1杯だけ飲んで、持ち物を確認して家を出た。

 東の空が薄っすらと明るくなって、静寂に覆われた街を徐々に朝の色に染めていく。
貴族街を抜けると、昨日騒ぎすぎたらしい飲んだくれたちが道の端でごろ寝していたが、そんな風景も平和に見えるのだから朝の光は偉大だ。
あくびをかみ殺しつつ、まだ誰もいない魔導具屋の倉庫を開ける。
もう一度荷物に漏れがないか目を擦りつつ伝票を確認し、自動二輪車を押して通りに出た。
まだ人通りは少ないので自動二輪車のエンジンをかけてまたがった。
出発点となる北門は歩くと結構遠いのだ。
憲兵に見つからないように行けば平気だろう。
やがて人通りが増えてきた。
おれと同じく、北にある第三殻都ドルンゾーシェを目指す人たちだろう。
ドルンゾーシェは鉄の街だ。
鉄製品を買い付ける商人や、その護衛の冒険者がぞろぞろと列をなして歩いている。
街道が整備されているとはいえ、殻の外には集落も少なく、在来生物も襲ってくる。
老いも若きも、見るからに強そうな鬼人さえも、表情を引き締めて外の世界に挑んでいく様子は、いつも見ていても高揚する。
おれは自動二輪車を降りて、用心棒の姿を探した。
しばらくして、昨日と同じ灰色のローブを着たケイジュが、紙袋を抱えて歩み寄ってきた。
紙袋以外に荷物は肩にかけた革の袋一つだ。
旅慣れしているやつは身軽だな。

「おはよう。出発の準備はいいか?」

おれが声をかけると、まだだ、と予想外の言葉が返ってくる。
そしてケイジュは紙袋からベーコンとマッシュポテトが挟んである焼き立てのパンを取り出した。
そしてご丁寧にガラス瓶に入った飲み物まで手渡してくる。

「文明的な食事にまだお別れを言っていない。セドリックも食べるといい」

朝は眠くてついつい食事を後回しにしがちだが、こうして目の前に差し出されたら話は別だ。
昨日蒸しパンをおごったのがケイジュは気になっていたのかもしれない。
律儀な男だ。
おれは素直に礼を言ってパンと飲み物を受け取り、道の端に避けてそれを食べた。
飲み物はオレンジの果汁で、顎が痛くなるほど酸っぱかったが、目は覚める。
パンはしっとりと柔らかめで、胡椒とベーコンとポテトの相性は言うまでもない。
腹も満ちて、気力も十分だ。
ガラス瓶や紙袋は何かに使えるかもしれないから一応荷物の中に押し込んでおいた。
じゃあ行くか、と声をかけて北門をくぐる。
ここから先も、まだしばらくは殻の中だ。
ここに住む人間を養うための畑が、しばらく続いている。
しかしもう居住区ではないので自動二輪車に乗っても止められることはない。
おれは早速ケイジュを促して後ろに乗せると、エンジンをかけた。

「天気がいい日はできるだけ距離を稼いでおきたい。しばらくこのまま走るぜ」

「わかった」

商人の一団が物珍しそうに見てくるが、その脇をすり抜けて自動二輪車を走らせる。
速度はさほど出していないが、朝日に照らされる麦畑は美しく、爽快な気分になった。
歩く人々、馬車、それから馬に騎乗した身なりの良さそうな一団を順に追い越して、おれとケイジュは先頭に躍り出て真っ先に殻壁の手前までやってくる。
鳥が飛ぶよりも高いところまで続いているのではないかと思えるほどの、巨大な壁。
滑らかな質感で金属のような光沢があり白銀に輝いているが、金属のように錆びたりもしないし熱にも強い。
外に出るための穴は北側、東側、南側に合計3ヶ所あるが、それ以外の場所にはネズミ一匹通る穴さえ空いていない。
それが2000年以上昔から続いているのだからとんでもない話だ。
おれたちはこの壁に守られていながら、この壁が何で出来ているかも知らない。
大昔の人は知っていたかもしれないが、在来生物との生存競争に躍起になっている間に多くの知識は失われてしまったという。
この壁を見るたびに、おれは自分が何も知らないことを思い知らされる。
そしてたまらなく知りたくなる。
まだ知らない景色を、人々を、技術を、食い物を。
好奇心がおれの原動力だ。
壁の穴の手前では眠そうな憲兵が検問を行っている。
おれとケイジュは冒険者ギルドの身分証を見せてそこを通過すると、ついに殻の外に出た。
途端に、果ての見えない草原が眼前に広がった。
その真ん中を土色の街道が貫いている。
しばらくはこういう見晴らしのいい草原が続く。
大型の在来生物も少ないので比較的安全な道だ。
道沿いには小さいが集落もある。
おれは青草の匂いを胸いっぱいに吸い込んで、外の解放感に存分に浸っていたのだが、後ろに座るケイジュは静かだった。
見慣れた景色だからだろう。
それより自動二輪車の方が気になっているらしく、おれの手元を覗き込むような気配がしたり、もぞもぞと座り直したりしている。
それもしばらくすると落ち着いて、エンジン音だけが響く平和な時間が続いた。



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