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ドルンゾーシェの徹宵麺

6話(ケイジュ視点)

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 おれはセドリックが寝入るのを見届けて、ゆっくりと立ち上がった。
ドルンゾーシェの朝は冷える。布団も被らずに寝ていたら風邪を引くだろう。
とはいえ、セドリックを起こすつもりだったのに、まさか子供のように抱きかかえて布団を被せてやるはめになるとは思わなかった。
久々に他人の身体にしっかりと触ったが、思ったほどの嫌悪感はなかった。
今まで、厄介な体質もあって、人に触ることも、触られることも嫌いだった。
人に触れると、自分が嫌悪する淫魔そのものになった気がしてしまうのだ。
実際には触れただけでは魅了状態にはならないし、おれが過剰に気にしているだけなのかもしれない。
それでも、おれが相手の意思を歪めてしまった出来事を思い出してしまい、寒気が走る。
おれは両手を見下ろした。
手のひらには柔らかくて温かい肌の感触がまだ残っているような気がする。

 セドリック。
おれの雇い主で、純粋な人間の運び屋。
純粋な人間がいるというのは聞いていたが、半分くらいはお伽噺の中の人物のように感じていた。
しかし実際こうして会ってみて、一緒に仕事をしてみたら、セドリックはごく普通の青年だった。
ごく普通、にしては多少好奇心が強すぎるきらいがあるが、それでも美味そうに飯を食い、こうして気持ちよさそうに寝ているところを見ると、噂に聞くほど悪辣な人種だとは思えない。
結局、人種や立場ではなく、中身を見ないと人間の本質はわからないということだろう。
さっきも、セドリックは寝惚けておれに謝ってきた。
セドリックという偽名を使っていることに関してだ。
冒険者をしていたら偽名を使っている奴なんて珍しくない。
旧人類とかいう珍しい人種なら隠して当然とも言える。
それなのに、セドリックはそれを負い目に感じている。
人が良すぎる所は欠点かもしれないな。
本人は言われたくないだろうが、そういう所に育ちの良さがうかがえる。
セドリックと話していると、言葉尻やちょっとした言葉選びに、貴族への嫌悪が見えるときがある。
おれが知らない、上流階級の闇を見てきたのだろう。
だから殻都を飛び出して運び屋なんかしている。
普通のお坊ちゃんであれば1年も保たずに在来生物に食われて死んでいただろうが、セドリックは5年は生き延びているのだから大したものだ。
セドリックは外で生きていくには多少警戒心に欠けるが、己の力を過信せずに逃げることに専念していたのが功を奏したのだと思う。
おれのことをもう少し警戒したほうがいいのではと、思うときもあるが……実際、おれにセドリックを害そうという気はないのだから、問題はないか。

 しかし、精気をもらってくれと言われたときは流石に度肝を抜かれた。
おれの部下たちでさえ、精気を吸われることには最初抵抗があったし、慣れてきても表情には自己犠牲の色があった。
精気を吸い取る行為というのは、弱い魅了の魔法をかけることと同義で、何回も繰り返していればいずれ洗脳状態になる。
それを部下たちは知っていた。
それでもなお、あいつらは口癖のように言っていた。
おれたちはどうなってもいいから、団長の力になりたい、と。
そこまで言ってくれる部下を持って、おれは幸せ者なのだろう。
けれど、おれは絶望してもいた。
おれは、誰のこともどうにもしたくないから強くなろうとしたのに、結局誰かの道を歪めることしかできないと、突きつけられた気がした。
戦いの場に身を置けば、誰かの自由意志を歪めることなく、生きていけると思っていたのに。
それなのに、おれはまた失敗した。
必死にその失敗から目をそらして逃げてきたフォリオで、セドリックに出会ったのだ。
僥倖だと思った。
セドリックには魔力がないから魅了が効かない。
数日ぶりに深く息を吸えたような心地だった。
そうして旅が始まった初日の夜のことだ。
精気をもらってくれと頼まれたのは。
しかも、セドリックには純粋な好奇心しかなかった。
自己犠牲でもなく、蔑みでもなく、単純に興味があるからやってみてほしいと。
おれが精気のことでどれだけ悩んできたか知りもしないで呑気に言うなと、怒鳴り散らしたくもあったし、セドリックと居れば今までの悩みからも解放されるのか、と泣き出したくもあった。
セドリックはその後慌てて、おれの自由意志を尊重すると付け加えた。
おれはその言葉を聞いて、急に、おかしくなって笑った。
そうだ。おれにも自由がある。
信念を曲げて、淫魔らしく人を誑し込んで生きてもいい。
信念を曲げず、人と付かず離れずで一生放浪して終えてもいい。
もしくは、もうこの不条理な生に見切りをつけて自死したってよかったのだ。
セドリックはそこにもう一つの道を提示してくれた。
魅了の効かない相手から精気を得るという道を。
おれはその提案に乗った。
正直、精気に飢えていたので有り難い話だった。
新しい体験に昂るセドリックの精気は、これまでの人生でもっとも甘美に感じた。
暗い穴ぐらからようやく外に出て、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだような、そんな感覚だった。
それでうっかり精気を吸いすぎて、セドリックはすぐに眠りに落ちてしまった。
その寝顔を見て、おれは決意した。
この世に絶対はない。
おれの身体に流れる悪魔の血が、魅了が効かないはずのセドリックにも何らかの影響を及ぼす日が来るかもしれない。
何よりも自由に憧れ、いつも驚きと楽しさを世界に見出すこの男を、おれ個人に縛り付ける忌々しい魔法が発動するかもしれない。
そしたら、おれはセドリックから離れる。
そして、また各地を転々として戦いの中に身を投じる生活に戻る。
一度人との関わりと気配に慣れたあとの孤独は、きっと辛いだろう。
それでも、賭けてみようと思った。
おれはこの男となら普通の人間らしい生活ができるかもしれないのだ。
もし、上手く行かなかったら、その時はその時でおれの自由意志に従って生きるだけだ。

 あれから、セドリックの様子に異常はない。
吸精による影響はまだまだこれからきちんと観察していかないとわからないが、今の所大丈夫そうだ。
おかげでおれの体調もすこぶる良い。
村で親に精気を分け与えられていたころと同じくらい身体が軽く、気分もいい。
人の精気にも個人差があって、酷くまずく感じたり美味しく感じたりするのだが、セドリックの精気はまさにおれの好みの味だったのも運が良かった。
運を使い果たしてしまったんじゃないかと思うくらい順調だ。
おれはすやすやと無防備な寝顔を晒しているセドリックを見下ろす。
その肩が布団からはみ出していたので、しっかりと布団をかけ直した。
これだけ信頼してくれているのだから、きっとセドリックもおれのことを嫌ってはいないはずだ。
長く友人として付き合っていければ、おれの人生にとってもこれ以上良いことはない。
魅了が効かないという体質を抜きにしても、セドリックは退屈しない男だ。
きっと明日からも楽しい旅が待っている。
おれはセドリックの身体を布団の上からぽんぽんと叩き、自分のベッドに潜り込んだ。



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