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魔女の薬湯

2話

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 クテノフォアがあらかた空に飛んでいったあと、船の行き先に島の影が見え始めた。
ついに目的地の対岸が見えてきたのだ。風向きが良ければ、到着まであと二、三時間といったところだろうか。
流石に体が冷えてきたので船室に戻り、もう少し休んでおくことにする。
もう眠気はなかったのだが、思ったより体力を消耗していたので体が重く感じる。
到着が近くなってくると、同じ部屋で過ごしていた商人の一団も目を覚まし、慌ただしく出発の準備を始めた。
昨夜在来生物の襲撃に遭った時は、我々商人ができることは大人しくしていることだけだと言い切って二度寝していた強者達だ。
おれとケイジュはもう出発の準備を終えていたので、元気のいい若者たちが身支度に駆け回る様子を眺めて暇をつぶした。
やがて、船乗りたちの威勢のいい掛け声も聞こえてくる。
いよいよ着港するらしい。
おれたちも持ち物の確認をして、甲板に出ることにした。
すっかり明るくなった甲板からは、港町ブリベスタの様子が見えた。
エンムコルンと同じくらいの規模の港町だったが、屋根の形状が南とは違う。
独特な尖った屋根が連なっている。
傾斜をつけて、雪が積もらないようになっているのだろう。
屋根の色はどこも黒に近いほどの深緑色で統一感があり、まさしく雪国の街という雰囲気だ。
気温もかなり低くなっている。
フォリオではこの時期も汗ばむくらい暑いのに、ここでは上着を着ていないと寒い。
おれたちは列をなす客に混じって船を降り、貨物室に預けていた自動二輪車を受け取った。
半日ぶりに硬い地面を踏みしめ、おれはほっと息を吐く。
揺れない地面は最高だ。
まだ頭がくらくらしているが、じきに治まるだろう。

 港町を出る前に、食事をしていくことにした。
船の上ではまともに食事ができなかったので、なにか腹に入れておかないと力が出ない。
船乗りたちが多く集まる定食屋に立ち寄り、白身魚のムニエルを注文した。
物珍しい料理は他にもあったのだが、まだ胃が本調子じゃないので自重することにした。
しかし港町だけあって魚が抜群に美味い。
おれは食べても吐き気がこみ上げないことに感謝しつつ、いつもより控えめな量ではあるが完食した。
ケイジュは全く船酔いはしない質らしく、美味そうにイカや貝がふんだんに使われたピラフと、魚のトマト煮込みをモリモリ平らげていた。
食事のついでに、隣の席に座った船乗りや店の給仕に森の魔女について聞いてみたのだが、朗報があった。
店の店主によると、この店で見かけたことがあるらしいのだ。
船に乗ったのか、もしくは単に立ち寄っただけなのかはわからないが、珍しい髪色だったので覚えていたらしい。
見かけたのは一週間前のことで、一人ではなく背の高い男も一緒に居たという。
おれと同じように用心棒を雇ったのだろうか。
確実に追いついている。
この調子なら行き違いになることなくリル・クーロで遭遇できるかもしれない。
自動二輪車の速度を考えれば街道の途中で出会える可能性もある。
おれは居ても立ってもいられず、すぐに出発することにした。
ケイジュはもう少し体力を回復させてから出るべきだと言っていたが、なんとか押し切って港町を後にする。
船では醜態を晒したが、陸に上がったのだからもう大丈夫だ。
それになんだかんだ時間も昼に差し掛かっている。
今夜このまま港町に留まったらかなりの遅れが出てしまう。

 しばらくは海岸線に沿って街道が続く。
冬になる前にリル・クーロに行きたいと思う人は多いのか、それなりに人通りも多い。
しかし海風はかなり強く、自動二輪車でもうまく前に進めないような風が吹くこともあった。
海岸沿いの地面は岩が多く、背の低い草が延々と茂っているだけだ。
風よけになるものがないのでなんとか耐えて進むしかない。
朝はあんなに晴れていたのに、昼過ぎには重い灰色の雲が立ち込めるようになっていた。
曇り空と強風、そして荒ぶる北の海。
ヘレントスを発ってからずっと豊かな森の風景に慣れていたので、より寒々しい風景に思える。
思ったように距離を稼げないまま日が暮れ始め、おれたちは街道添いの岩場でテントを張ることにした。
大きな岩を風よけにして、火をおこし、食事を作る。
エンムコルンで手に入れた魚の干物を使って出汁をとり、スープを作った。
途中風で焚き火の炎が消えそうになるので苦労したが、なんとか温かい食事にありつく。
長期間風にさらして旨味を凝縮させたというエンムコルンの干物は、身はぼそぼそして美味しくないがいい出汁がひける。
魚の出汁には米のほうが合うので、残った汁に一緒に買っておいた干し飯をいれてふやかし、行儀は悪いが器に口をつけてすすった。
冷えた体にようやく熱が巡り、おれは白い息を吐き出す。
夜になると更に気温が下がる。
ケイジュは慣れた様子だったが、おれはこんなに寒いとは思っていなかったのでちょっと後悔していた。
外套は温かいし、自動二輪車に乗っていれば背中側はケイジュの体温もあって温かいのだが、外気にさらされる顔や首元が寒くて仕方ない。
リル・クーロに着いたら温かい襟巻きと、もっと分厚い手袋を買おう。
それから、森の魔女について聞き込みして、ギルドに依頼して貴族と繋いでもらって……とにかく、早く、たどり着かないと。

「大丈夫か?」

思考に沈んでいると、急に声をかけられてちょっと体が跳ねた。
ケイジュがおれをじっと見ている。
焚き火に照らされたケイジュの表情は曇っている。
今朝、船の上で見た夜明け近くの夜空と同じ、深くて澄んだ青色の瞳がおれを心配そうに見つめていた。
おれは意識して明るく笑い声をあげた。

「はは、心配しすぎだ、ケイジュ。船酔いも治まったし、体もあったまったし、体調は良いぜ」

ケイジュは納得していないように口をへの字にして、おれの頭の先から指先までを目で追った。

「……なら、良いんだが……自動二輪車に乗っているとき、ずっとセオドアは風を真正面から受けていただろう?相当体力を消耗しているはずだ。おれも運転できれば良いんだが……」

「確かに顔とか手先は冷えるけど、背中は温かいし大丈夫だ。それにもう少し進めば海岸線からも離れていく。風も弱まるだろう」

おれの言葉にケイジュはまだなにか言いたげにしていた。
おれはようやく思い当たり、ちょっと体の向きを変えた。

「精気ももらってくれて構わない。今いけそうか?」

ケイジュはおれの言葉にきっぱりと首を横に振った。

「駄目だ」

そうして言われるのは初めてだったので思わず動揺する。
どうして、ヘレントスでは問題なく吸精できたはず。
まさかおれの想いに気付いていたのか?
それで魅力の影響を疑ってるのか?
ケイジュの能力では好意の有無はわかっても友情か恋心かはわからないという予想は外れていたのか?
それとも、おれの罪悪感が好意を邪魔して上手く吸精できないのか?
気付いたときには、おれは縋るようにケイジュを見つめてしまっていた。
ケイジュは一瞬苦しげに眉を寄せた。
おれが絶望する前に、ケイジュは穏やかに子供に言い聞かせるように言った。

「今はやめておく。セオドア、やはりおれの目には体調が万全のようには見えない。心配だから、少しでも体力を温存してすぐに休むべきだ」

おれはいつのまにかガチガチに緊張していた肩から力を抜いた。
おれの、体調を気遣ってくれたのか。
自分でも驚くぐらいほっとしてしまった。
こんなことでいちいち動揺していたら身がもたないとわかっているのに、ケイジュのふとした表情や言葉に心を乱されっぱなしだ。
おれは小さくため息をついて、わかった、と頷く。
いつもどおりケイジュが寝ずの番をしてくれると言うので、おれは白湯を飲んでからすぐにテントの中に潜り込んだ。
体がずっしりと重く感じ、やっぱり疲れてたのか、と思うと同時におれの意識は遠のいていった。

 翌朝、おれは寒気を覚えて目を覚ました。
やはりかなり冷え込んでいるらしい。
依然強風が吹いており、テントの中にも隙間風が吹き込んでいる。
北国行くときは冬用のテントも必要だな。
おれはグシャグシャになった髪を手ぐしでなんとか後ろになでつけると、紐でくくる。
かなり伸びてきたし、そろそろ散髪にも行かないとな。
背中を這いのぼる寒気と、目の奥の鈍痛は気づかなかったことにする。
テントから出ると、様子を見に来たらしいケイジュと鉢合わせた。

「お、おはよう」

「おはよう。まだ少し顔色が悪いな……ほら、身体を温めろ」

ケイジュは朝から火をおこして湯を沸かしていたらしい。
お湯で濡らしたハンカチを渡してきた。
そのまま焚き火の前に誘導され、そこにいろと指示がある。
おれは申し訳なくなりながらも、ありがたく温かいハンカチで顔を拭い、手を温める。
おれがおとなしく火にあたっているとケイジュはマグカップにお湯を注ぎ、外套の中から小さいなにかを取り出すとおれに手渡してきた。
おれは手のひらに置かれたものを見る。
薄茶色の薬包紙だ。

「身体を温める効果がある薬草だ。少しは効果があるかもしれないから飲んでおけ。十分身体が温まってから出発しよう」

おれは傷薬や消毒薬しか持ってきていなかったので、ちょっと反省した。
遠くまで行くときは当然体調を崩すこともあるだろうから、ちゃんと備えておくべきだった。
おれは刺激的な匂いのするその薬草を白湯で流し込み、口直しにナッツと砂糖菓子を食べた。
おかげで寝ぼけていた頭に血が巡って、お腹の中もポカポカと温まってくる。
これが薬草の効果か。
おれがそうしているうちにケイジュがテントを片付けてくれたらしい。
自動二輪車に荷物をくくりつけていく。

「悪いな、ケイジュ……雑用をやらせちまって」

「気にするな。自動二輪車に乗っている間おれは何もしていないんだから、これぐらいさせてくれ」

ケイジュはテキパキと鍋やマグカップなども片付け、あっという間に焚き火の始末をすれば出発できるように準備が整った。

「うん。さっきよりも顔色は良くなったな」

ケイジュは真面目な顔で頷き、おれの隣に腰を下ろして地図を見せてきた。
ケイジュの手製の地図だ。
冒険者にとっては最大の秘密と言えるそれを惜しむことなく広げ、指で場所を指し示す。

「今いるのはここだ。それでこれが街道」

ケイジュの地図は性格がよく現れており、几帳面で地形もわかりやすい。
しかし字だけはかなり乱雑に書き崩しており、おれでも読み取るのは難しい。

「本当なら体調の回復を待ちたいところだが、こんな荒野では余計悪くなるだけだ。だが、この街道沿いには集落が少ない。それで、選択肢は二つだ。
一つは、ブリベスタに戻る。今のうちに出れば昼過ぎには着くだろう。それなりに大きな街だから医者も薬屋もある。おれとしては戻って欲しいが……もう一つの選択肢は、この先の、この集落。少し街道からは外れるが、今日一日走ることができれば夕方にはたどり着ける。
少し無理をするが、先には進める。どうする?」

おれの持っている地図には集落の情報はなかったので、おそらく最近できた村なのだろう。
おれの答えは決まっている。

「先に進もう。仕事の期限もあるし、薬草のおかげで調子も良くなった。一日くらい大丈夫だ」

ケイジュは少し残念そうな顔をしたけど、異を唱えることはしなかった。
きっとおれの答えは予想できていたのだろう。
おれは立ち上がり、尻の土埃を叩き落とす。

「じゃあ、そろそろ行こう」

ケイジュも地図をしまって立ち上がる。
おれたちは火の始末をして、村を目指して出発した。

 午前中は、かなり調子よく距離を稼ぐことができた。
昨日は向かい風だったが、今日は追い風だ。
速度も出るし、寒気もさほど感じない。
この調子なら村まで辿り着けそうだと、おれは安心した。
しかし、昼頃に差し掛かると状況は一変した。
ずっと曇り空だったが、ついに雨が降り出したのだ。
雨が降るかもしれないとケイジュは予想していたのだが、土砂降りになるとは予想外だった。
あっという間にずぶ濡れになり、おれの体調はみるみる悪化した。
ハンドルを握ることさえも難しいような寒気が襲い、頭の中が朦朧とし始める。
運が悪いことに道の状態も最悪で、おれはついに自動二輪車ごと転倒してしまった。
速度もさほど出していなかったし、小さな石につまずいただけなので大きな被害はなかったが、身体に力が入らない。
自動二輪車を起こそうとするおれを、ケイジュが後ろから抱きとめた。

「もう進むのは無理だ!一度自動二輪車を置いて、避難するぞ!」

激しい雨音の中で、ケイジュが叫ぶのが聞こえた。
流石におれも強がることができず、自動二輪車から手を離す。

「……トランクだけ持って、雨をしのげる場所をさがそう……悪い、ケイジュ」

おれは貴重品と配達する荷物が入ったトランクを自動二輪車から取り外そうとしたが、かじかんだ手が動かない。
結局、ケイジュがトランクを取り外し、おれの肩を支えるように歩き出した。
雨で視界が悪い。
木立か、岩か、ちょっとした穴でもいいから、とにかく雨をしのげる場所を見つけないと。
頭が割れそうなくらい痛い。
身体が熱を発しているのがわかるのに、寒くて仕方ない。
それでもしばらくはなんとか歩けていたが、限界は案外すぐに来た。
視界が暗くなる。
駄目だ、意識が……






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