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ナイエア島のシーフード

2話

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 港が近づいてくると、白い帆が張られた巨大な船が見えてきた。
木製の船だが、側面には巨大な車輪のようなものも見える。
帆船と外輪船が合体したかのような奇妙な船で、大きな白い帆は今にも出港しそうに風を受け止めてふくらんでいた。
そしてその船の上に、金髪をなびかせた男の姿があった。
あれは、間違いない。
パラディオ伯爵だ!
伯爵は見送りに来た民衆に笑顔で手を振っており、港は人でごった返していた。
その人だかりをかき分けながら、おれはケイジュに向かって叫ぶ。

「ケイジュ、あの船だ!」

「わかった、そのまま走れ!」

おれの指差した船を確認したケイジュは、ほとんど息を乱さないままそう言った。
しかし目の前には伯爵に熱心に手を振る観光客と市民の山。
みんな熱中しているので船に近づくまでに時間がかかりそうだ。
間に合うか!?
おれがケイジュを追い越すと、そのすぐ後にケイジュが珍しく大きな声を出した。

「道を開けろ!」

鼓膜がビリビリと震えるような声。
怒りを含んだ声色に、港を行き交っていた人々の動きが一斉に止まる。
出港する船を見物していた観光客たちも一斉におれたちを振り返り、そして不自然なほど従順に道を開けてくれた。
強張った表情には怯えが見て取れる。
ケイジュの怒声は珍しいけど、そんなに怯えるほどだろうか。
おれが不思議に思いながらも、目の前に出来た道を真っ直ぐに走り抜け、出港する船のすぐ近くに辿り着いた。
大きく息を吸い込み、船上の伯爵に向かって呼びかけた。

「パラディオ伯爵!私は運び屋です!重要な手紙を持っています!出港する前にどうか手紙を受け取ってください!」

不自然に真っ二つに割れた人の中に立っているおれは目立ったのだろう。
船上の伯爵がおれに気付いて、おれを覗き込むようにしゃがむ。

「悪いが出港は止められない!急ぐのであれば、君がこちらに来れば良いだろう!乗船を許可するから、登ってきたまえ!」

声は楽しそうに弾んでおり、若さと冒険心に溢れている。
その言葉のすぐ後に、おれの目の前にはしごが下ろされた。
すでに船は動き出していたが、飛びつけばぎりぎり届くだろう。
クソ、今まで外交官が失敗した理由がわかった!
それに、親父がおれに勝機を見出していた理由も。
礼儀を重んじて冷静な対談を望んでいたら、こんなハチャメチャな展開について行けるはずもない。
おれは一瞬の逡巡のあと、思い切って助走をつけ、船着場から跳躍した。
肩を船の側面に打ち付け、片足を海に突っ込みながらも何とかはしごに縋りつく。
そのまま急いで船上に登り、ケイジュを振り返った。
ケイジュはおれを見上げて頷くと、手を掲げて魔法を使った。
突如として水柱が立ち、それがみるみる凍りつく。
根本が細かったらしく、氷柱は船に向かって倒れ始めた。
ケイジュはその氷の柱を駆け上り、頂点で高く飛び上がると、あっさりとおれの横に着地した。
氷柱は船にぶつかる前に砕け散り、ぱらぱらと海の上に降り注いだ。
ケイジュがやることはいちいちカッコ良すぎる。
そんなことができるならおれもそうやって乗船したかった。
おれがちょっとした妬みと安堵を込めて溜息を吐くと、豪快な笑い声が聞こえてきた。

「まさか本当に乗船してくるとはな!なかなか見込みがある奴だ!」

おれは本来の目的を思い出し、急いで膝を折った。
ケイジュも派手な魔法を使ったとは思えないほどすぐに気配を消して、おれの斜め後ろに立って頭を垂れる。
おれたちが乗船してくる様子を見て慌てて伯爵を取り囲んでいた警護の騎士たちが後ろに引き、堂々とした若い男がおれたちに歩み寄った。
おれは膝を折ったまま、その男に告げる。

「お言葉に甘え、乗船させていただきました。私はポーター・セドリック。エドガー・リオ・イングラム様より、ネレウス・ココ・パラディオ様宛の手紙を預かって参りました」

「なるほど、今朝ギルド長から聞いていたが、今回の運び屋は少々毛色が違うようだな。その様子だと、手紙を受け取ってハイ終わり、ではなさそうだ」

パラディオ伯爵は面倒臭そうに呟く。

「ええ、お察しの通りです。対談の時間を設けて頂きたく存じます」

おれは顔を上げ、ようやくしっかりとパラディオ伯爵の顔を見た。
肩より少し下辺りまで伸ばした豊かな巻き毛の金髪と、張りがあって艶もある健康的な日に焼けた肌、くっきりした目鼻立ちに明るく輝く茶色の瞳。
年はおれとさほど変わらないだろう。
表情ははつらつとしていて、自信と好奇心に満ち溢れていた。
白いシャツを着崩して、胸元を大胆にはだけている様は野性的な魅力に溢れ、海賊の頭と言われても納得してしまいそうだ。
しかし、胸に埋まる核は、彼が間違いなく貴族であることを証明している。
核は南の海がそのまま石になったかのような、鮮やかな明るい青色だった。
おれを見返したパラディオ伯爵は、白い歯を見せてにっと笑う。

「わかった。セドリック殿の思い切りの良さに免じて、時間を作ろう。だが、今すぐは駄目だ。今からナイエア島に向かうからな。少しばかり航海に付き合ってもらうぞ!」

パラディオ伯爵は雄々しく宣言すると、船員たちに号令を出した。
一時停止していた船が再びゆっくりと動き出す。
風魔法が真っ白な帆をふくらませ、水魔法が船の側面のパドルを動かした。
乗っている船員たちは慣れた様子で魔法を行使し、急に乗り込んできたおれとケイジュを気にかけることもない。
パラディオ伯爵の趣味が航海というのはどうやら本当らしいな。

「ナイエア島に到着するまではしばらく手が離せないから、君らは好きに海でも眺めているといい。どこかにちゃんと掴まっておけよ!」

パラディオ伯爵は船が問題なく動いているのを確認すると、一人でさっさと船室に入ってしまった。
おれとケイジュがどうしたものかと顔を見合わせていると、パラディオ伯爵と入れ違いに船室から出てきた男が駆け寄ってきた。
光沢のある青灰色の髪が顔を半分ほど隠している、長身の男だった。

「ポーター・セドリックか?」

男は慌てたようにおれに話しかけた。
髪の隙間から見える目元は鋭くつり上がっており、開いた口からはギザギザした鋭い歯が見えている。
暗い赤色のシャツの上に革のベスト、ゆったりとしたズボンに年季の入ったブーツと、こちらもどことなく海賊っぽい出で立ちだ。
肘のあたりからは髪と同じ青灰色のヒレが突き出ていて、首にはエラらしき切れ込みが入っていた。
鱗は見当たらないが、おそらく魚人なのだろう。
しかし肌が白く、顔つきも豪快というよりは狡猾という感じなので、ちょっと身構えてしまった。

「ああ、そうだ。あなたは?」

おれが返事をすると、男は小さくため息をついた。

「……おれはギルド長だ。来てくれたということは、伝言は受け取ってくれたみたいだな」

「あなたが?」

おれは思わず驚いて聞き返していた。
ギルド長というのは大体引退した冒険者がなることが多いので、勝手に壮年の男を想像していた。しかし彼はおれともそんなに年が離れていないように見える。

「ああ、ヤト・イスルスだ。ネレウスとは幼馴染で、そのせいでギルド長なんていう役職を背負わされてる。今回も、わざわざ船の上まで来てもらって悪い……ネレウスは大人しく城の中に居てくれるような領主じゃなくてな」

普通、冒険者ギルドと領主というのは協力関係にありつつもそれなりに距離を保っているものだが、ユパ・ココではギルドと領主は親密な関係にあるらしい。
趣味が航海ともなれば冒険者の協力は必須なので、その関係だろうか。
おれが曖昧に相槌を打つと、ヤトは申し訳なさそうな顔でおれをのぞき込んできた。

「それで、例の手紙というのは持っているのか?」

おれは胸ポケットに大事にしまっていた手紙を取り出す。
濡れないように水を弾く布で包んでいたので、中身は無事だった。
手紙の封蝋を見せると、ヤトは険しい表情になる。

「間違いなく、イングラム家の家紋だ……ということは、相当大事なことがそこに書かれているはず、だな」

「詳しいことは話せないが、おれはイングラム公爵から直接手紙の配達を依頼された。以前にも何回かイングラム公爵から手紙が送られているはずだ。その手紙では十分にパラディオ伯爵を説得できなかったので、今度こそ真剣に対談して説得しろと言われている」

「……ああ、覚えてる……フォリオの外交官は何度か来たけど、ネレウスはあの調子でじっとしてないからかなり面会するまで時間がかかって、結局手紙のことについても、ネレウスは馬鹿な話だとかなんとか言ってまともに取り合おうとはしてなかった……。
今回はネレウスも君に興味があるみたいだし、ちゃんと話を聞いてくれるはずだ。申し訳ないけど、ちょっとネレウスの我儘に付き合ってくれるかい?
ナイエア島に到着したら時間も作れるし、それまで待っててほしい」

見た目の印象に反して、ヤトはごく真面目な青年のようだ。
そして日頃からパラディオ伯爵に振り回されているらしい。
自由過ぎる領主を、彼はギルド長という立場から支えているのだろう。
おれはヤトの気苦労を思いやり、にこやかに笑って頷いた。

「ここまで来たら島だろうと海だろうとついて行くさ」

ヤトは安心したようにほっと肩を落とすと、慌ててあたりを見回した。
船はいつの間にか港からかなり離れており、もう少しで殻壁の穴から外界へと出ていこうとしている。

「まずい、そろそろ動くからどこかに掴まってくれ!」

ヤトはそれだけ言い残すと慌てて船首の方に駆け出して行く。
魔法を使っていた船員たちも、いつの間にかほとんど船室に引っ込んでしまっている。
残った何人かはマストや柵にしがみついていた。
そして再び船室から現れたパラディオ伯爵が、船首に仁王立ちして楽しそうな声で呼びかけた。

「よぉし、みんな準備はいいか!?出港するぞ!」

「ネレウス!待て、今日は波も高いから少し控えめに、」

ネレウスの傍に駆け寄ったヤトが必死な様子で引き留めているが、ネレウスは気持ちよさそうに両手を広げて風を受け止めていた。

「なんだヤト、こんなに素晴らしい風が吹いてるのに我慢しろって言うのか?」

「今日は大事な客も乗ってるからちょっとは手加減しろ!」

「ハッハッハ!だからこそ全力で行かねばな!」

おれとケイジュは嫌な予感がして急いで一番近い手すりに掴まる。
その直後、体が吹き飛ばされてしまいそうな強風が船を襲った。

「精霊よ!今日も頼んだぞ!」

ネレウスの晴れやかな声と共に、大気がうねる。
まさか、船の動力に精霊術を使う気なのか!?
おれが半信半疑でネレウスを見ていると、凄まじい風を受けた帆がはち切れそうに張り詰め、側面のパドルも回る速度が上がる。
船は風と波に押されてぐんと加速した。
到底海の上とは思えないような速度で、船が大海原に飛び出した。




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