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番外編②

レポンのスライムゼリー③

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 小一時間くらい経ったところでニクスの旅装も整い、川スライムを持ち帰るための道具なども用意ができたため出発することにした。
魔術師のニクス、剣士のセオドア、槍使いのケイジュという急拵えにしてはバランスのいい即席パーティーだ。
ニクスは魔術師用の灰色の長いローブに身を包んだ姿で改めて二人と握手をし、安全な旅を約束した。
扉を開けたとき、ずっと厨房で作業をしていたレグルスが慌てて追いかけてきて、ニクスに可愛らしい布の包みを渡した。

「はいこれ、お弁当。晩御飯に食べて。それから、セドリックとケイジュも、これ良かったらどうぞ。簡単なサンドイッチだけど、携帯食よりは美味しいと思うから」

レグルスはセドリックとケイジュにもそれぞれ木の皮で包装した包みを渡す。
それはまだほんのりと温かく、ほのかにパンの香りとベーコンの香りが漂っていた。

「わざわざありがとう。とても嬉しい。森の中だと火が熾せないから、晩飯をどうするか悩んでたんだ」

セオドアは嬉しそうに受け取り、ケイジュの分と一緒に背負っていた荷物の一番上にそっとしまう。
ケイジュは少しむず痒そうな顔をしつつ、少し会釈していた。

「よし、じゃあ行ってくる。明日の昼過ぎには帰ってこれるはずだ。後片付けよろしくな、ヨルク」

ニクスはヨルクの肩を叩き、ヨルクは真面目な顔で頷いている。

「ニクス、無理しないで無事に帰ってきてよ。セドリックもケイジュも、気を付けて」

レグルスはちょっと寂しそうに眉をしょんぼり下げて告げたあと、辛抱たまらなくなったようにニクスをがばっと抱き締めた。

「レグルス!おい、人居るから、」

ニクスは白い頬を赤く染めながらレグルスを引き剥がそうとしていたが、やがて諦めてレグルスを抱きしめ返し、何事かをレグルスの耳に囁いていた。
レグルスの尻尾が嬉しそうにぶんぶん揺れる。
獅子の尾の先端にびたびたと背中を叩かれているメルは、若干げんなりした顔になりながらもセオドアとケイジュに笑いかけた。

「いつもこんな感じなんです。ニクスさんがレグルスさんに良いところ見せようとして無茶するかもしれないので、何かあったときはお願いしますね。ケイジュさん」

盛大にゴロゴロと喉を鳴らしながら抱き締めあっているデカい猫2匹を見やったケイジュは、苦笑を浮かべてため息まじりに、善処しよう、とメルに答えていた。

 そうして見送られた3人は、まずヘレントスの乗り合い馬車の発着所に向かい、森の端行きの馬車に乗った。
もう昼過ぎなので冒険者の数は少ない。
のんびりと馬車に揺られながら、ニクスはセオドアとケイジュに布の袋を手渡し、どうやって川スライムを捕獲するかを説明した。
袋の内側には水を通さない特殊な加工がしてあり、網を使ってそっと川スライムを掬ったらそのまま袋に入れてしまって良いそうだ。
ある程度捕まえたら中を水魔法の水で満たし、まめに水を入れ替えながら持ち運ぶ。
スライムは身体の表面を消化液で覆っているため、長時間他のスライムと密着した状態だと弱ってしまうのだ。
袋を背負うための背負い籠もニクスが二人分持参していたので、それは荷物が少なく森歩きにも慣れているケイジュとニクスが持つことになった。
セオドアはやたらスライムに詳しいニクスを楽しそうに質問責めにし、住む場所によって味も食感も若干違うこと、しかし下処理を丁寧にすればどんなスライムでもある程度は食用にできることを聞き出す。
ニクスもここまでグイグイ来られると人見知りしている場合ではなくなるのか、案外セオドアとも打ち解けて話ができるようになっていた。
そうしてスライム談義が一通り終わった頃、ようやく馬車がヨナの大森林の端に到着する。

 馬車を下りたあとは、ひたすら森の中の細い道を奥へ奥へと進んでいった。
森の中はまだ冬の気配を残しており、日陰には雪も残っていた。
しかし冬眠から目覚めた在来生物たちがそこかしこでざわめいている気配はあり、セオドアはその生気の濃さに圧倒されて息を呑む。
普段から殻都と殻都を行き来し、森を通り抜ける機会も多いのだが、ヨナの大森林の雰囲気は他とは一線を画していた。
他の森では滅多に見かけないような大木がそこら中にあり、緑の匂いも濃く、うねるような生命力が空気中にも漂っている。
まだ森が浅いので道も比較的わかりやすく歩きやすいのだが、巨大な生き物の口の中を歩いているような気分だ。
まだ日も高いし、人がよく行き来するこの辺りにはあまり在来生物も出没しないと聞いていても、背中がぞわぞわと震える。
セオドアは落ち着かない気分を深呼吸で落ち着けようとした。

「……今日は特に在来生物の気配が濃いな……大丈夫か?」

セオドアを見守るために一番後ろを歩いていたケイジュは、穏やかな声で問いかける。
セオドアは汗ひとつかいていないケイジュを見て羨ましく思いながら、素直な感想を告げる。

「身体は平気なんだけど、気分が落ち着かないな……まるで、森全体が一つの大きな生き物のように感じる」

セオドアの呟きに、先頭を歩いていたニクスが振り返った。

「……それは、森竜の気配だろうな。おれも初めてこの森に入ったときは驚いた。セドリックの勘は間違ってないと思う。この森は、全てが森竜の手足であり、鱗であり、牙なんだ」

「……そう、なのか?」

ケイジュはその感覚がいまいちわからず、曖昧に相槌を打つ。
セオドアはニクスの言葉で、ようやく自分の感覚に名前をつけることができた。
これは、畏怖だ。
以前竜人と対峙したときにも感じた、大きな存在が目の前に立ちはだかっている感覚。
森の木や草や石に何故か気後れしてしまうのは、隅々にまで竜の気配が行き渡っているからなのだ。

「ケイジュは、どこの出身って言ってたっけ」

ニクスが尋ねると、ケイジュは訝しげにしながらも答えた。

「スラヤ村だ」

ニクスは、ああ、と声を漏らす。

「スラヤ村って、ヨナの大森林の近くの集落だったよな?」

「そうだが……」

「だったら、あんまりこの感覚は解らないかもしれない。ヨナの大森林の近くで生まれた人は、森竜の気配を感じにくいんだとさ。もともと森で生まれてるから、森竜も追い出そうとはしないんだろう。だけど、おれはリル・クーロ近くのノアド村出身だから、森竜にとっては余所者だ。余所者が自分の体の上で悪さをしないように、睨みを効かしているんだろう。だけど、この森では大抵のことは許される。自分の糧にするために生き物を殺しても、金のために木を切り倒しても、ゼリーを作るために川スライムを生け捕りにしてもな……だからあまり気にしなくていい。森竜の怒りに触れるのは相当難しいと思う。おもしろ半分で森に火をつけたりしない限り、森竜も見逃してくれる」

ニクスは身軽に岩を飛び越えながら、そんな話をした。
そして後続のセオドアに手を差し伸べ、岩の上に引っ張り上げながら続ける。

「ここから先は沢をひたすら登っていくことになる。足場悪いから、気を付けてくれよ」

「ああ。わかった」

セオドアは頷きつつ、深く感心した。
まだ若く、あまり人との会話にも慣れていない様子のニクスが、森に入ってからは頼もしく見える。
冒険者になってどれくらい経つのかセオドアは知らないが、岩の上から遠くを見据えている表情は、年下とは思えないほど落ち着いていた。
灰色のローブや手に持った重そうなメイスもよく見ればかなり年季が入っていて傷も多い。
ニクスは時折振り返ってセオドアが付いて来ているか確認しながら、猫科の獣人らしい軽やかな身のこなしで岩場を乗り越えた。
セオドアはニクスが示したルートから外れないように、慎重に沢を登っていく。

 セオドアはヨナの大森林には慣れていないが、険しい地形に慣れていないわけではない。
ニクスから森竜の話を聞いたあとは少し気分も落ち着いて、先に進むことだけに集中できたので順調だった。
時折休憩を挟みつつ、ひたすら沢を登ること数時間。
3人は目的地である川に到着する。
元々は川スライムの採取場所から少し離れた所で野営する予定だったのだが、翌日少しでも早くスライムを持ち帰れるように、清流が流れるすぐそばで一晩過ごすことにした。
登ってきた沢には水が流れている様子がほとんど見えなかったが、今は大きな岩の陰を流れる清水が確認できる。
ニクスによると、ここは雪解け直後や大雨の後などはかなり大きな川になるそうだ。
しかし平時はごくささやかな量の水が岩の下を流れていくだけで、あまり在来生物たちの水飲み場にも使われていないとのこと。
定期的に大量の水が流れるので泥や土が堆積することもない。
そのため、ここで採れる川スライムは泥抜きがほとんど必要ないので加工も楽なのだ。
もう辺りは薄暗くなり始めていたので、スライムの採取は明日の朝することにして、3人は野営の準備を始めた。
開けた場所は在来生物の通り道になっていることも多いので、少し脇に避けた所に荷物を下ろす。
ニクスはそのまま岩陰に腰を下ろして休憩し始めたが、ケイジュは地面に手をつくと魔法を行使した。
岩の間を縫うように蔓植物が伸びてきて、巨大な岩と岩の間に屋根のように葉を茂らせる。
地面も蔓植物が絡み合ってゴロゴロとした石を覆い尽くし、あっという間に蔓植物で出来た洞窟のようなシェルターが完成した。
ケイジュはまず自分が入って入念に点検すると、やっとセオドアを振り返った。

「一晩くらいならこれで保つだろう。セドリック、もう早めに休んでおけ」

セオドアはいつものことなので素直に頷いてシェルターの中に入っていったが、側で眺めていたニクスはぎょっとしていた。

「わ、わざわざ一晩過ごすためだけに、こんな立派なものを?ケイジュは木属性の魔法が得意なのか?」

ケイジュはサラリとやってのけたが、人が中に入れるほどの構造物を魔法で作るにはかなりの魔力が必要になる。
普通の冒険者なら魔力は温存するところだ。
ケイジュは首を横に振ってニクスの言葉を否定した。

「得意、というほどではない。まだ魔力に余裕があったから作っただけだ。少し狭いが、良かったらニクスも使ってくれ」

「……いや、おれは見張りをするからいい……けど、でもちょっと見るだけ見てもいいか?」

ニクスは尻尾を好奇心でぶるぶるさせながらシェルターの中を覗き込んだ。

「……しばらくはおれが見張りをしよう」

ケイジュはそう言い残して見晴らしのいい岩の上に登って行ってしまったので、ニクスはおそるおそる蔓の洞窟の中に潜り込んだ。
狭く見えたが、中は案外広い。
天井も低いし横になるのは厳しいかもしれないが、静かで暗くて落ち着く空間になっていた。
暗闇の中にぼうっと青白い光が灯り、それはセオドアの手によってランタンの中に入れられて天井に吊り下げられる。
光を放つ魔道具らしい。
明るくなった蔓の洞穴の中で、セオドアはすっかり安らいだ表情になっている。

「……テントで寝るより居心地良さそうだな」

ニクスは案外弾力のある床をぎしぎしと手で押してみながら呟いた。

「寒いときとか、足場が悪い時はこうやってケイジュが作ってくれるんだ」

セオドアは軽く言いながら、背負っていた荷物をおろして手足を伸ばしている。

「今晩キャンプするだけなのに、ケイジュは、えーと、気が利く?いや、過保護か?」

ニクスがふさわしい言葉が思いつかずにもごもご言っていると、セオドアは照れくさそうに笑った。

「まあ、過保護と言えば過保護だな。世界一優しくて頼りになる用心棒だよ」

ニクスはセオドアの迷いのない言葉にちょっとあてられて苦笑いしながら、壁に寄りかかって腰を下ろした。

「おれも少しだけここに居ていいか?しばらくしたらケイジュと見張りを代わるから」

「もちろん。今のうちに食事もとらないか?この灯りの魔道具、あんまり長くは使えないんだ」

「あ、うん」

ニクスはレグルスに持たされたお弁当のことを思い出し、腰に結びつけていた鞄から引っ張り出した。
レグルスがニクスの目の色に似ていると言って買ってきた花柄のかわいい青い布を解くと、中のサンドイッチは丁寧に紙袋で包装されていた。
おかげで登山をしてきた今でもほとんど形は崩れていない。
ニクスがつい嬉しくなって顔をほころばせると、セオドアの感嘆の声が聞こえてきた。

「美味そう……流石喫茶店の店主だけあって、レグルスは料理上手なんだな」

セオドアの手元にもレグルスが手渡したサンドイッチがある。
ちゃんとニクスとは違う具材で作ってあって、お手拭き用の紙までついていた。
ニクスのサンドイッチには、ニクスの好物ばかりが挟んであった。
肉厚のベーコンに、目玉焼き、チーズと全体的にジャンキーだ。
サンドイッチの横には小さい瓶が添えられていて、そこにはキャベツの酢漬けがぎっしり詰まっていた。
ニクスが野菜は野菜で別に食べたいと言っていたのを、レグルスはちゃんと覚えてくれていたようだ。
セオドアのサンドイッチはベーコンと炒り卵と茹でキャベツと、彩りも良い。
二人は山登りで消費した分を取り戻そうと、大きな口を空けてそれぞれのサンドイッチにかぶりついた。
大食漢のレグルスが作る料理は量も豪快で具材の切り方なんかも非常に男らしい。
しかし味付けに関しては繊細で、いつも味が優しい。
その辺りは本人の性格がよく出ている。
ニクスもセオドアも大満足で食べ終え、ぽつぽつと会話を続けた。

「セドリックは結構山歩きにも慣れてるんだな。運び屋って言うから、舗装された街道以外ははあまり通ったこと無いのかと思っていた」

「もうこの仕事を始めてから8年目だからな……多少は慣れたよ。ただ、今日ここまで付いてこれたのは、ニクスの道案内が的確だったからだ。もうここには何回も通ってるのか?」

「ここに来たのは2、3回くらいだ。一箇所のスライムを捕りすぎると川の環境が変わりそうだから、採取場所は毎回変えてる。この沢沿いはあまり在来生物が近寄ってこないから、戦いたくない時はここに来るんだ」

「そうなのか……気配は感じるのに全く在来生物の姿が見えないから不思議に思っていた」

「たぶん、ここは強い在来生物の通り道になっているんだと思う。機嫌を損ねたら大変だから、雑魚も寄ってこない」

「ってことは、おれたちも危ないんじゃないか?」

「反撃すればな。この森で力を持ってる在来生物のほとんどは、人間のことを小さい虫程度にしか思ってない。危害を加えてこないただの虫をわざわざ踏み潰すほど、奴らも暇じゃないよ」

ニクスは飄々と言ってのけた。
セオドアは、流石現役冒険者だな、と感心していたのだが、ニクスのこの感性はたった一人で森に挑んでいた時期に身に着けたものだ。
田舎生まれかつヨナの大森林から離れた所で生まれたニクスだからこそ、より客観的に森の状況を感じることができるのである。

「じゃあ、おれたちは一晩静かに息を潜めていれば良いんだな」

「ああ。それでいい。もしかしたら夜中に目が覚めるかもしれないけど、落ち着いて、急いで逃げ出したりしないでくれよ」

最後に忠告したニクスは、綺麗に弁当を包んでいた布を折りたたんで丁寧に鞄の中にしまってからごそごそと蔓の洞窟から這い出していく。

「ケイジュと見張りを交代してくる」

ニクスは気付かなかったが、セオドアは目の前でふわふわと揺れる太くてもこもこした尻尾に目を奪われて気の抜けた返事しか出来なかった。



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