上 下
132 / 143
森人の果実酒

1話

しおりを挟む


 灰月4日、朝。
ケイジュの自宅にて。
昨日は、大変だった。
まだちょっと消化しきれていないことも多いけど、整理がてら録音しておこうと思う。

 ヴィンセントが帰ってきたから親父と話し合って次の仕事について聞こう、と昨日の朝までは軽く考えていた。
けど、実際の話し合いはとんでもないものになった。
ヴィンセントや親父だけでなく、西島の殻都の議長全員が呼び出され、そのお供として多くの重要人物も招集されていたのだ。
大鐘を破壊するためにいよいよ具体的な行動に移ることになり、おれにも新たな指令が下された。
今回の仕事はただ物を運んだり、話し合ったりするだけではない。
おれは、大鐘を破壊する実行役に選ばれてしまった。
言葉だけ聞くと、まるでおれが捨て駒として使われているように思えてくる。
だけど、東島の貴族にあまり顔が知られておらず、ある程度自由に移動ができ、更に王家の血を引く人間ともなると、おれしか居ない。
真剣に考えているとその重圧に押しつぶされてしまいそうになるけど、この不安はなんとか飲み込んでいくしか無いだろう。
それに、おれは単独で大鐘の破壊に挑むわけではない。
先に東島の殻都に潜入しているイングラム家の工作員、おれと一緒にオクタロアルへと渡るヴィンセントとアルビエフ伯爵、ドルンゾーシェからも技術者が派遣されると聞いている。
それだけの人間が、おれというただ一人のためにお膳立てするんだ。
失敗はできない。
ああ、だめだな。
まだちょっと身体が震える。

 話を変えよう。
昨夜、大急ぎで旅支度したおれとケイジュはフォリオ城に戻り、それからすぐに転移装置を使ってヘレントスに移動した。
ジーニー、デュラと一緒に。
ケイジュは再び転送酔いしてしまったので、おれがジーニーから次の予定を聞くことになった。
おれ以外に大鐘を破壊する実行役になりえる人物、ユリエ・ノア・スズカ。
彼女が作戦の協力者になってくれれば、一気に作戦の幅が広がる。
おれかユリエ嬢、どちらかが陽動役として動けばよりハカイムの警備を混乱させられるだろう。
彼女が常に行動を共にしている男、フランは竜人だ。
彼一人が味方に加わるだけでも大きく有利に傾く。
更に彼女経由で、第一殻都イルターノアの議長も味方に引き入れることができればなお良い。
東島に転送装置を使ってこっそりと傭兵を送り込みたいと、ジーニーは考えているようだ。
だけど、その全てはユリエ嬢を説得できなければ実現しない。
森の魔女としての彼女は、俗世を離れて静かに生きたがっているように見えた。
恋人の竜人も大鐘の効果に囚われてしまうとわかれば、もしかしたら協力してくれるかも知れないが……。
アエクオルのようにもともと純粋な人間を愛しているから何も変わらないと言われたら、説得する材料は殆どなくなってしまう。
今回彼女を説得できるかどうかは、ジーニーすらあまり期待していないようだった。
やはり、駆け落ちして静かに生きているだけの女性を、命の危機さえある作戦に引っ張り込むのは、時間をたっぷりかけて説得しても難しい。
あまつさえ、今回おれたちに与えられた時間は、灰月10日までのたった一週間。
灰月11日にはおれもオクタロアルへ船で渡ることになる。
とはいえ、何もせずに諦めるより、できるだけのことをして諦めるほうが良いのは明白。
まずは彼女に会って、荒野で病から救ってくれたことにお礼を伝えるべきだろう。

 肝心の彼女の居場所だけど、ジーニーが言うには現在彼女は森人の集落に身を寄せているとのこと。
以前、おれとケイジュもその集落の近くを通りかかったことがある。
容姿の美しい森人は警戒心も人一倍で、おれたちは集落に一歩も踏み入れることなく、すごすご退散することになった。
そんな森人たちと、森の魔女は親しくしているらしい。
なんていったって、フランは森竜の血を引く竜人。
森竜を信仰している森人にとっては尊い存在だ。
そしてほとんど俗世と関わりのない森人の集落は、ユリエ嬢にとっても居心地のいい場所だろう。
気まぐれに旅に出て小さな村々を訪れて薬を売る生活をしている彼女らも、雪深いヘレントスの冬には勝てず、今季はほとんど集落から出ずに生活しているらしい。
その集落までは、自動二輪車なら半日程度で辿り着ける距離だ。
今回、自動二輪車は改造のために工房に預けたままなので、ジーニーが用意する馬車に乗って移動することになる。
今日この後すぐにヘレントス城に殻壁の外へ出発するが、到着するのは夜中だろう。
集落から少し離れた所で夜を明かし、翌朝森人たちと接触してユリエ嬢との交渉に持ち込む。
だけど、あまり強引に話を進めたら森人たちの矢でぶっすり射られてしまうかも知れない。
ジーニーも同行してくれるので、その辺の交渉は百戦錬磨の議長にお任せすることにしよう。

 予定の確認が終わり、ケイジュの転移酔いが治まった所でヘレントス城を後にした。
そのまま屋台で麺料理を食べて夕食を済ませ、ケイジュの自宅に泊まることにした。
ジーニーは城の客間を用意すると言ってくれたのだが、おれとケイジュには、なにより落ち着ける場所が必要だった。
城の見慣れない部屋ではなく、物が山積みになっている倉庫のような部屋にたどり着いたとき、おれは真っ先にケイジュに抱きついた。
一日中気を張って、重い決断を迫られたから、もう限界だったんだ。
ケイジュは何も言わず、おれを抱きしめ返して、何度も何度も髪を撫でてくれた。
そのおかげで、やっとおれは思ったことをぽつぽつと言葉にすることが出来た。

大役を任されて、正直怖くて仕方ない。
だけど、親父や兄貴の言うとおり、おれが最も適している人間であることは解る。
だからなんとかやってみようとは思う。
だけど、こんなことにケイジュを巻き込んで申し訳なくて、ケイジュが怪我をしたらどうしよう、失敗してハカイムの警備兵に捕まったらどうしよう、と悪い想像が止まらない。

ケイジュはおれの言葉に相槌を打ちながら、ひとつひとつ丁寧に言葉を返してくれた。
どんな危険が待ち構えていようと、何が起きようと、側に居れるのならそれでいいと。
もし、万が一、福音が復活してしまっても、いまの愛情は変わらないと。
だから、本当に怖くなってしまったときは、逃げてしまっても良い、と。
おれはその言葉を聞いて、思わず涙ぐんでしまった。
情けないことに、安心してしまったんだ。
逃げる選択をしても、ケイジュは変わらず側に居る。
やっと、地面に足が着いたような感覚になった。
そして、改めて思った。
やっぱり、嫌だ。
ケイジュがおれに向ける愛情は、福音が復活しても変わらないかも知れない。
実は福音自体が不完全で、おれたちが何もしなくても勝手に失敗するかもしれない。
だけど、リューエル家が狙った通りに事が運んで、純粋な人間への服従心をケイジュに植え付けられてしまったら。
そんなこと、我慢できない。
ケイジュの心は、ケイジュ自身のものだ。
その心に触れられるのはおれだけでありたい。
たった一欠片でも、ケイジュの心を他の人に渡したくない。
そう告げると、ケイジュは嬉しそうに目を細めて、おれに口付けた。
それから、おれもセオドア以外を愛するなんて御免だ、と強気な笑みを浮かべてくれた。
そうしてやっと、与えられた役目を飲み込めた後は、二人で身を寄せ合って泥のように眠った。
それで今に至るわけだ。

 さて、そろそろおれも身支度を済ませないと。
また進展があったら記録を残すことにしよう。

 おれは録音を止めた。
身支度をすっかり終わらせたケイジュが、まだベッドに腰掛けたままのおれを見下ろす。

「まだ時間はある。もう少しゆっくりしていくか?」

「いや、早めに出発しよう。ちょっと待っててくれ」

おれは立ち上がり、洗面台に向かう。
キンキンに冷えた水で顔を洗い、小さな鏡の中の自分と睨み合った。
どんなに先のことを考えても、時間は淀み無く流れる。
だったら、行動に移す方がいい。
まずは、森人に出会っても不審に思われないよう、寝癖を直すことからだな。
髪を撫で付け紐でくくり、軽鎧と外套を着込む。
今回は自動二輪車を使えないので、おれの荷物もできるだけ減らしてきた。
大きめの肩掛け鞄に録音水晶板をしまい、最後にリル・クーロで買った襟巻を巻く。
腹ごしらえは馬車に乗ってからでも良いだろう。
旅装が整ったおれを、ケイジュが後ろから抱き締めてきた。

「……逃げる、つもりはないんだな……」

おれの胸を締め付ける腕からは、激励というより、未練が感じられた。
おれはその腕に自分の手を重ねて俯く。

「……逃げるのは、やるだけやってみてからでも遅くない」

おれの言葉に、ケイジュが、ふ、と笑う息遣いが聞こえた。

「……ああ……わかった……おれも、覚悟を決めよう」

ケイジュの腕が緩み、顎を優しく持ち上げられる。
振り向きざまにケイジュに口付けられて、その温かさに目を閉じる。
ケイジュは名残惜しそうに下唇をやわく食んでから顔を離した。

「……セオドアのことは、おれが守る。セオドアは目標に向かってただ進めばいい。きっと、おれたちならやり遂げられる」

ケイジュの口元には力強い笑みがあった。
夜空色の瞳も、一直線におれを見つめている。

「…………ありがとう」

頭の中には色々な言葉が浮かんできたけど、結局口に出せたのはそれだけだった。
けど、きっとそれだけで充分だ。
おれは最後にもう一度だけケイジュを抱き締め、しっかりとその熱を自分の身体で覚えてから、いよいよ扉を開けた。

 さあ、行こう。
新しい旅が始まる。
この旅が終わるとき、エレグノアは大きな転換期を迎える。
幾つもに枝分かれした未来、その中でも一番おれたちにとって幸福な未来を、おれは自分の力で掴みとってみせる。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

男前生徒会長は非処女になりたい。

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:630

フェロ紋なんてクソくらえ

BL / 完結 24h.ポイント:931pt お気に入り:389

お隣さんは〇〇〇だから

BL / 連載中 24h.ポイント:555pt お気に入り:9

鏡に映った俺と彼

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:15

セカンドライフは魔皇の花嫁

BL / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:2,519

下級兵士は皇帝陛下に寵愛される

BL / 連載中 24h.ポイント:284pt お気に入り:2,706

俺の幸せの為に

BL / 連載中 24h.ポイント:4,381pt お気に入り:215

蛍光グリーンにひかる

BL / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:24

俺様王様の世話係

BL / 連載中 24h.ポイント:390pt お気に入り:26

処理中です...