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森人の果実酒

7話

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 新しく設営した野営地は、森の中にあった。
冬でも葉を落とさない針葉樹が立ち並ぶ、薄暗い森だ。
テントが雪に埋もれることはなさそうだし、風の冷たさからも逃れることが出来る。
イスト村は夕暮れ前にもう一度訪問することにして、おれとケイジュはジーニーと共に森の中を流れる沢を散策することになった。
今晩の食料となる在来生物を探すためだ。
ジーニーは雪と氷で滑りやすくなっている岩の上をひょいひょいと身軽に渡り歩きながら、岩と岩の間に木の棒を突っ込んでいる。
水辺に住むオステガやラケルタは、冬の間そういう場所に入り込んでじっとしていることが多いらしい。
おれもジーニーに倣って手頃な棒を拾い、岩陰を突きながら歩く。
たまに柔らかい感触があって、見つけたか、と思ってもただの川スライムだったりしてなかなか目当ての獲物には出会えない。
そうして時間が過ぎ、昼近くなってきたところでジーニーが一匹のオステガを見つけた。
棒を使って岩の下から追い出したそれはぬめぬめとした黒褐色の皮膚を持っており、サンショウウオのような姿をしている。
でも、足がやたらたくさん生えているし、子供くらいなら川の中に引きずり込めそうなデカさだ。
やっぱり殻の中の生き物とは違うな。
木の棒に噛み付いたオステガを、ジーニーは器用に岸辺の方に誘い出し、後頭部あたりに使い込まれたナイフを素早く突き刺した。
オステガは暴れたが、しばらくするとぐったりと動かなくなる。
それを三人がかりで岩の上に引っ張り上げ、素早く血抜きをした。
オステガはちゃんと血抜きをしないと肉が生臭くなって食べにくいらしい。
駅弁に入っていたオステガの肉は美味いサンドイッチになっていたけど、香辛料を活用して臭みを消していたんだろう。
オステガの巨体をそのまま持ち帰るのは大変なので、その場で解体することになった。
食べられない分厚い皮膚や骨や内臓は、ケイジュが魔法で地面に埋める。
血の匂いで冬眠中の在来生物を刺激しないためだそうだ。
そうしてすっかり質量が減って食肉らしくなったオステガを三人で分担して担ぎ、野営地に戻る。
オステガを捕る時に手も足先も濡れてしまったので、野営地に帰り着く頃には感覚がないほど冷え切ってしまった。
おれはその時点で結構疲れてしまっていたけど、ジーニーは拠点に戻ってからも元気だ。
大物を仕留めたことをデュラやフットマンたちに自慢し、脂の乗ったオステガの肉を見せびらかしている。
おれと一緒に焚き火で服を乾かしていたケイジュはその様子を感心したように目で追っていた。
確かに、本当に貴族とは思えない体力だ。
オステガを仕留めた手際もケイジュと同じくらい手慣れていたし、一度体得した技術というのはそう簡単に忘れないものなんだな。

 焚き火で暖を取りつつ、時間が過ぎるのを待つ。
濡れた服も乾き、やることがなくて再び焦りを思い出し始めた頃。
隣で原動機付槍斧の手入れをしていたケイジュが急に顔を上げた。
そのまま森の奥の方に鋭い視線を向けるので、おれもつられてそちらを向く。

「ケイジュ、なにか、いたか?」

声を潜めて尋ねるとケイジュは片手をあげておれを制し、集中した表情で森の奥をにらみ続ける。
すると、かすかな物音がおれにも聞き取れた。
カチン、カチン、と石を打ち鳴らすような硬質な音。
それからかさかさと落ち葉を踏む音。

「ラシーネだ……何かを追っているようだな」

ラシーネ……ドルトス鉄道で一度だけ遭遇したことのある在来生物だ。
強靭な顎を持つ蜘蛛のような在来生物で、普段は単独行動をする在来生物だが冬前には群れで狩りを行うこともある。
大型犬くらいの大きさで単体ではさほど脅威ではないが、群れに囲まれて糸で拘束されたらまず助からない。
このカチカチという音はラシーネが顎を打ち鳴らす音だ。
これで仲間に合図を送っているらしい。
だけど、妙だ。

「もう、雪も積もっているのに、まだ狩りを?」

おれがケイジュに耳打ちすると、ケイジュは眉間にシワを寄せた。

「……ラシーネは比較的寒さに強いから、ありえないことではない。だが、かなり珍しいことだ」

ケイジュは音もなく原動機付槍斧を組み立て直し、ゆっくりと立ち上がった。
先程よりも音が近付いてきている。
そこに、デュラも近寄ってきた。
デュラもケイジュと同じ方向に目を向けつつ、手に持った弩に矢を装填している。

「ケイジュ、どうやら、何かがラシーネに追われているようです。しかもこちらに近付いてきている。迎撃できますか?」

デュラの声色は落ち着いていたが、表情は険しい。
おれは急いで周りを見渡した。
ジーニーは?

「伯爵様には馬車の中に避難していただいています。ラシーネごときに遅れを取るようなお方ではありませんが、念の為です」

おれの視線に気付いたデュラが先回りして答える。
フットマンたちも馬車の周りに居るので大丈夫だろう。

「幸い数は多くないようだ。おれが前に出る。セオドア、いざとなったら精霊術を使え。ラシーネの糸は強靭だが、熱には弱い。糸に絡め取られても、慌てずに焚き火の炎で焼き切るんだ」

「わかった」

おれは頷き、剣の柄に手を伸ばす。
その間にもカチカチという音はだんだん大きくなっていく。
そして、薄暗い木々の間を縫うように走る黒い影が見えてきた。
ラシーネだけじゃない。
あれは、人か?!
焦げ茶色の布をまとった小さな人影が、ラシーネの猛攻から必死に逃げている。
おれが思わず足を踏み出しそうになった瞬間、ケイジュが先に走り出した。
暗い針葉樹の森の中、原動機付槍斧に込められた魔力が流星のように尾を引いて輝く。
小さな人影を追っていたラシーネはその光に次々反応し、ケイジュの前に躍り出た。
黒い毛に覆われた8本の足を広げてケイジュを威嚇し、2本の鎌のような顎がケイジュの首を狙う。
しかし、その鋭い切っ先がケイジュを捕らえる前に、原動機付槍斧の横薙ぎがラシーネを一閃した。
ケイジュは続けて槍斧を派手に振り回す。
注目を自分に集めるためなのだろう。
それに釣られたラシーネが次々と標的を変更してケイジュに群がっていく。
エンジンが駆動する轟音が響くたびに、ラシーネの体がいとも簡単に切断され、宙を舞う様子がなんとか見て取れた。
突如現れた強敵に、ラシーネたちは忙しなく顎を打ち鳴らしている。
ラシーネの群れに追われていた小さな人影は、おれたちが囲んでいた焚き火に気付いて、こちらに方向転換した。
足は動くようだが、腕には白い糸が帯のように巻き付いている。
手足はほっそりしていて、長い金髪が焦げ茶色のローブからはみ出しているのが見えた。
どうやら少女のようだ。
手にはしっかり弓が握られていたが、動きを封じられて反撃できないらしい。
その時、少女の足がもつれた。
おれたちの手前で転び、一匹のラシーネが嬉々として少女に迫る。
おれは焚き火の端でくすぶっている枝を拾い、そのラシーネに投げつけた。
煙に一瞬たじろいだラシーネは、標的をおれに変更して顎を打ち鳴らす。
その恐ろしい黒い顎の間に、一本の矢が突き刺さった。
ラシーネは毛むくじゃらの足を振り上げて仰け反る。

「とどめを!援護します!」

矢を放ったのはデュラだ。
おれは剣を抜き、駆け出した。
ラシーネが悶絶している間に懐に入り込み、黒い複眼めがけて剣を突き立てる。
一撃で命を絶つことはできず、ラシーネが狂ったように足をばたつかせた。
おれは剣を突き刺したままその場を離脱する。
ラシーネはその場をよろよろと動き回った後、ぐったりと地面に伏して動かなくなった。
その後もケイジュの方から逃げてきたラシーネが何匹か襲いかかってきたが、デュラの正確な援護のおかげで、おれが火のついた枝を振り回すだけでなんとか撃退できた。
生き残ったラシーネは這々の体で森に逃げ帰り、いつの間にか静寂が戻ってきていた。
ケイジュの方も無事に撃退できたようで、普段どおりの足取りでこちらに戻ってきている。
よかった、大きな怪我はないみたいだ。
おれはラシーネに突き刺したままだった剣を抜き、倒れ込んで動けなくなっている少女を振り返った。
転んだ時に纏っていた茶色のローブが脱げ、顔があらわになっている。
淡い色の金髪に白い肌、空色の大きな瞳、尖った耳。
顔出ちは美しいが、今は土埃で汚れてしまっていた。
彼女は肩で息をしながら、なんとかラシーネの糸を解こうと藻掻いている。
まさか、森人か?

「君、怪我はありませんか?」

デュラが歩み寄ろうとするが、彼女は手負いの獣のように地面を這って威嚇した。

「近付くな!」

恐怖で気が立っているようだ。
おれはとりあえずしゃがんで、離れたまま声をかける。

「はじめまして!おれは運び屋のセドリックだ!君は?」

「は!?なんなの急に!?」

急な挨拶に少女は目を白黒させ、おれの方を向いた。
よし、関心を引けたようだ。
このまま会話を続けて、気持ちを落ち着けてもらおう。
おれはなるべく困った顔に見えるように眉を下げ、声をかけ続ける。

「初対面の挨拶だよ。名乗るなら自分からって言うだろう?」

「森人の私がよそ者に名乗るわけないでしょ!」

やっぱり森人か。
集落が近くにあるんだからここに居ても不思議ではないけど、こんな少女がたった一人で森に入るなんて。
いや、森人だから幼く見えても年齢はおれより上かもしれないが。

「そうか、じゃあ、君のことはなんて呼べばいい?」

「なんでそんなこと教えなきゃいけないのよ!?それより助けてよ!」

少女はようやく助けを求めることを思い出したらしい。
強気な口調に、おれは苦笑した。

「えーと、森人は弓の名手だと聞いてる。おれじゃあ太刀打ちできない。助けた途端その矢で額に穴を開けられるのは御免だ。攻撃しないでくれるかい?」

「しないわよ!だからこの糸をなんとかして!」

「わかった。少しじっとしててくれ」

おれは焚き火ににじり寄った。
薪の端を炙り、小さく炎が出始めたところで少女に近づける。
火が肌に触れないよう、腕を拘束している糸を慎重に焼き切り、少女の片腕を解放した。

「あとは自分でやったほうがよさそうだ」

おれは薪を少女に手渡した。
彼女はバツの悪そうな顔で手早く腕や肩周りにへばりついていた糸くずを焼き、振り払っていく。
すぐに自由を取り戻した少女は、警戒心をむき出しにしたままおれをじろりと睨みつけた。

「……助かったわ。ラシーネも、追い払ってくれてありがとう」

やっと平静を取り戻した少女は、不本意そうに礼を言った。

「おれは自分の身を守っただけだよ。お礼を言うなら、あっちの二人に言ってくれ」

おれが促すと、少女は糸をはたき落としつつ立ち上がって、デュラとケイジュにむかって優美に一礼した。

「助けていただき、ありがとうございました」

その動きは貴族の一礼に似ているようにも見えた。
少女はこれでいいでしょと言わんばかりにおれの方を見て、ふんと鼻を鳴らしている。

「君はどうしてラシーネに追われていたんだ?」

おれが質問すると、少女は悔しそうな押し殺した声で答えた。

「最近ラシーネの群れが冬眠もせずにうろついているから、様子を見に来ていたの。そしたら気付かれて……今日は、油断していたわ。あんなところに巣を作っているなんて……」

少女の弓を持つ手がかすかに震えている。
強気に振る舞ってはいるけど、まだ恐怖を拭いきれていないようだ。

「……そうか。とにかく助けられてよかった。君はイスト村の森人?良かったら近くまで送ろうか?」

おれが提案すると、少女は眉を吊り上げた。

「結構よ!帰り道くらいわかるわ!」

「なら、いいけど……」

少女は焦げ茶色のローブで再び顔を隠し、最後にもう一度おれに一礼する。

「……恩は忘れません。いつか必ず返します」

まるで脅すような低い声で囁いた彼女は、そのままシャキシャキと元気よく歩き去った。
よかった、怪我もなさそうだ。
木立の間に消えていった彼女の背中を見送って、おれはようやくケイジュに歩み寄る。

「ケイジュ、怪我はしてないか?」

ケイジュは少し離れたところから少女の様子を眺めていたが、まだちょっとあっけにとられた顔をしていた。
その肩に何本かラシーネの糸がまとわりついていたので、それを摘んで取り除く。
被害といえばそれくらいみたいだ。

「あんなに若い森人でも、もうしっかり森人なんだな……気位の高さは生まれつきか」

ケイジュは半ば感心したように呟き、それからはっと我に返っておれの手を取る。

「セオドアも怪我していないか?火傷は?」

「大丈夫、手袋してたから。傷一つ無い」

「……良かった」

「いやあ、本当に良かった」

手を取り合うおれたちの間に割って入ったのは、いつの間にか馬車の中から出てきたジーニーだ。
おれは目を細める。

「ああ、ジーニー。あなたも無事でよかった。それに、イスト村の若い森人を在来生物から救い、恩を作ることが出来た」

おれがわざとらしく状況を説明しても、ジーニーは穏やかな笑みを崩さない。

「まさか、偶然、イスト村の住人が逃げ込んでくるなんてね。私も驚いたよ」

おれは確信する。
先程の騒動は、やっぱりジーニーがなにか仕組んでいたんだ。
じゃないと、たまたま森人と遭遇して救出するなんて都合のいい出来事が起こるはずもない。
昨日、馬車の中で言っていた策とは、このことだったのか?
魔獣使いか何かを雇って森人を襲わせ、おれたちに助けさせたのか?
もしそうなら、身勝手すぎる。
おれたちが森人の集落に入り込むために無関係な少女を巻き込むなんて。
もし彼女がここまで逃げ延びる事ができなかったら、おれたちが彼女を助けられなかったら、いったいどうするつもりだったんだ。
おれがジーニーとデュラを睨むと、彼らは涼しい顔でおれを見つめ返してきた。

「セオドア君、私は言ったはずだよ。どんなことでもやる、と」

ジーニーの声の穏やかさに、背筋が凍る。

「……目的のためなら、人の命も弄んで良いと?」

おれがそれでも言い返すと、ジーニーは笑みを深くした。

「私は、誓って、命を弄んでなどいないよ。この出来事は起きるべくして起きた。彼女が無事に村に帰ることも含めて、全てが必然だ」

黄金の瞳がおれを見る。
冷徹な鋭い視線に、おれは息を止める。

「若い君には受け入れがたいかも知れない。でもね、セオドア君。誠実さや優しさだけで、全てを解決することなんてできない。特に、時間に余裕のない我々は、あらゆる手を使って物事を前に進める必要があるんだよ」

幼い子供に言い聞かせるような口調だったが、声は低く重い。
おれは口を開きかけて、結局何も言葉にできずに俯いた。
森人の信頼を得るための策を他に思いつけなかったおれは、ジーニーを批判することもできない。

「……さあ、セオドア君。ここで挫けている場合じゃないよ。我々の目標はユリエ嬢を説得し、作戦に引き込むことだ。まずはそれに集中しようじゃないか」

ジーニーはおれの肩を叩き、野営地の周りに散らばったラシーネの死骸を一箇所に集め始めた。

「このままにしておくと夜に余計なものを呼び寄せてしまうかもしれない。とりあえず、掃除をしようか」

ジーニーはすっかり元の調子で軽く呼びかけていた。
結局、ジーニーがどんな手を使ったのかは、よくわからないままだ。
だけど、はっきりしたこともある。
ジーニーが敵でなくて、本当に良かった。




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