薬の十造

雨田ゴム長

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冬の土竜

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楓は嬉しかった、十造が、いつもの十造になっていた
聴こえ無くとも解る、楓を呼ぶ声が、その時の風に張りがある
十造は、楓に毒の材料を粉薬にする事、明日から三~四日三河へ偵察に行く事を伝え、粉薬の作り方を教え始めた

楓は、毒薬の種類がこんなにも多いとは、知らなかった
しかも、未だほんの一部だと言う、それも、使い方次第では、薬にもなると言う
現に楓が助かったのは、猛毒の鳥兜を十造が薄めて飲ませたからだ

其にしても、身近な野草ばかり、知って居るものが殆んどだった
蘇鉄、福寿草、青梅、鈴蘭、知らないものが無いくらいなのには驚いた

「良いか楓、作るのは簡単よ、扱い方が難しいのだ、これらを吸い込みでもしようものならば、お前の針と同じく、十中八九死にいたる、確実にな
良いな、準備と片付けが八割九割、作るのは、そのおまけと思うのだ」

楓はしつこい程に、注意を与える十造に驚いた
余程危険な作業なのだ、その証拠に、楓が注意された事を十造は、紙に書き出した
最後に十造は

「此度の仕事は、三人とも役割りが違う、一人でどれだけ、落ち着いてこなすかに、かかっておるのだ
儂は、ここでの楓の仕事に、早さは求めておらぬ、確実に行う事がすべてよ」

取り敢えずの作業を、楓に託し、十造は急ぎ三河へと向かう
信玄の軍勢をこの目で確かめたかったのだ
浜松を過ぎ、掛川から北東方向へ進んで行くと、騎馬武者や足軽達と、すれ違う様になってきた
そのうち咎めだてされぬよう、街道からそれて山に入る
山に入っても、街道の方から、地響きの様な音が、絶えず聞こえてくる
ここで、十造は考え方を変えた、この先隠れながら進んでも、信玄が近くなればなるほど、必ず忍狩りに会う、楓を伴っても居ない、武田方の忍はともかく、真田衆に出くわすと、助からないであろう
ここは、薬売りとして、街道に出た方が得策であろうな

「薬の御用は御座いませぬか」
時々やる気のない、掛け声を発しながら北上して行く
鎧武者とすれ違うのだが
未だ甲州訛りは聞かれない、かなりの人数と、すれ違うたが、未だ先なのか
赤備えの部隊が通り過ぎ、暫くしてから
「薬屋退かぬか、失せろ」
厳しい叱責が飛んできた
『お、やっと甲州訛りだ、
どおれ、出てこい、信玄』

十造は、街道わきに跪き
信玄が来るのを待った
やがて、黒い漆塗りの輿が、日に輝いて賑々しく、十造の前を通り過ぎて行った
その後を、騎馬隊が通り過ぎる
『読み間違えたかのう、儂の目指すものが、なかなか来ないわ
おや、もしや、此ではないのか、違いない、ワハハ八八、遅いぞ、早よせんか』

今、十造の目の前を通り過ぎておるのは、恐らく信玄専属の医者が乗って居る輿、担ぎ手と足軽が三人ほど、付き添うだけである
その後ろに、背の低い、おなごの様な若者が、軽そうな背負子を、背負って付いて来る
『なる程の、あの中か』
それだけを、確かめると十造は、怪しまれぬよう、来た道を、ゆっくりと戻り出した
先頭を通り越して、ある寺が見えて来た、日没まで後少し、多分、信玄はここに、宿泊するはず
十造は、寺を見渡せる高い杉の木へ登って、武田の大軍が到着するのを待った、ここだと遠すぎて、忍狩りにあう恐れは無さそうだ

来た、ここからでも、具足の音やら、馬の嘶き、砂ぼこり、目にも、耳にも、大集団が近付いてくるのが解る

さて思った通り、立派な輿が寺へと入って来た、その後、警護の武者、そして、最後は医者の輿

『良し、大体予想した通りよ』

素早く杉の木から降りた十造は、浜松まで急ぎ引き返した、そこで、三郎と待ち合わせた、三郎の兄一郎の家に向かった

「十造殿、いかがでしたかな」

「大集団の割には、移動が早いの
儂らも作業を早うせんと、追い越されるかもしれぬの
で、問題は、予定の日にちよ、ふーむ、ぎりぎり五日後、浜松を過ぎると、尾張までも追いかけねばならぬ、それだと国人達は、武田についてしまおうな
良し三郎、寺の場所は今から五日後で検討を付けてくれ、外れた時の替えを、もうひとつ選んで同じ様にな、手配は大丈夫かの」

「そりゃもう、徳川の存亡がかかっておりますから」

「では、儂は甲賀に戻る、三郎くれぐれもぬかるな」

「は、お気をつけて、後はお任せあれ」

足音で解った、十造が帰って来た、楓は言われた仕事を全て終わらせていた

「おう、楓ご苦労じゃったのう、身体は無事であったか、何処も何ともないか
早速だが出立するぞ、準備は良いか
なんだ、うまそうな匂いだの
飯があるか、そうか、食べてから行くか
お前は食べたか」

十造が此までにない程充実している、こんなにも汚れて帰って来たのに
きっと、飲まず食わずで動いていたのだろう
十造の本来の姿は、きっとこうなのだ、楓が加わってから、気を使っていたに違いない
楓は旅支度を終えていたので、飯を食べている十造の、顔やら、頭やらを拭いてやる

「よっしゃ、楓でかけようず、構わん洗い物など水にでも浸けておけ
お前の薬は何処かの
ふーん、此かそうか
楓、此度は、石弓は持って来たのか
何、持ってきたか、よしよし
おっと、いかん、いかん、これも忘れずにな、秘密の薬よ」

浜松に着いた十造と楓は、三郎と話合いを持った

「これが三人最後の話し合いぞ、三郎先ず、信玄の動きをたのむ」

「はい、甲斐の軍勢未だ衰えを知らず、近隣の国人達を飲み込み、勢力を増すばかり、本日は川向になります、一言坂辺りで徳川方と会戦するはず
流石に浜松の近くまで来て、何もせずでは、残り少ない、味方の士気にも関わります
織田の援軍三千は、未だ動きませぬ、徳川方に対する監視の意味もあるかと思われ、、、」

十造は、三郎の話を竹柵に書いて、楓に見せて居る
三郎に手で続けよと促す

「恐らくは、信玄は大軍を率いて、浜松の近くを通るでしょう、しかし堅城の浜松城は、信玄と言えども落とすには、これまでの、土塁だの砦の様には行きません
ここでの戦に、消耗していては、織田との会戦も不利になります
徳川方が一度仕掛けて、終ると思うのです
我らの計略を行うには、この辺りが最適かと、
そこで十造殿から、言われておりました、寺を探したところ、法恩寺が武田方に、選ばれるのではないかと思います
この寺は甲斐からの、僧正が開山したとか、そして、その兄弟は、恵林寺の関係者だとか、、、
もうひとつ大正寺は、同じく甲斐の系統ですが、報恩寺程に広くはありません
そして、これら二ヶ所には、十造殿の注文通りに、手配がおわりました」

「ようやってくれたの、さて、楓であるが、慣れない毒薬の調合を一人でようやってくれたわ
そして、三人それぞれの準備が整うた、本番に入るぞ
これから、三人で法恩寺へ向こうて、儂は寺に潜む 三郎と楓は、高い木か、山に潜み、相手が寺の離れに現れたら、楓が石弓で儂に合図を送る、
儂が中に入り工作する
見つからなければ、又潜む
そうして、武田の軍勢が出払うのを待って、寺を離れる
行動は全て夜遅くにな、
他に何かあろうか」

「もしも、の、時は、、、」

「知れたこと、爆薬でも火矢でも良い、信玄を無き者にせよ
それと、三郎解っておろうの、捕まる位なら先ず楓を先に、、、」

三郎も真顔で頷く
捕らえられたくノ一は、敵の、格好な娯楽の対象なのだ

「楓、合図の弓矢は、矢尻無しでな、何しろ今度狙うのは、本物の十造ぞ」

楓は、その話が通じると、三郎を殺しの目で睨む

「おわー、十造殿堪忍です、何ゆえここで、その話を」

「ワハハ八八、さあ、参ろう、儂らの出陣ぞ」

寺には夕方に着いた

「其では今から行くわい、まだ、誰も居らぬうちにな」

三人は、寺の近くまで来て、様子を伺う

「まあ、言うても、二日前の昼ですからな、こんなもの、なのですかね」

「うむ、捗って良いわ、楓、薬を出してくれ」

背負子を下ろした十造は、もっと小さな、麻で出来た巾着のような袋に入れてゆく

「何やら、砂ぼこりが近付いて来ます
恐らくは、武田の斥候かと」

十造は毒薬の確認から、一瞬目を離し、三郎の言った方向を見た

「未だ少し間があるの、養生丸も水もある、良し、二人とも、三日後に会おうぞ」

十造は、寺の離れの縁の下を目指した
そこは三郎が前もって、密かに穴を掘り、横長の棺桶のような、木製の箱を埋めてあった、中に寝そべって、信玄の専門医が来るのを待つのだ、そして、屋内へと忍び込み、信玄の薬を全て毒薬に変える、本物の薬と同じ色ではないと、直ぐに露見してしまう、だから楓に様々な色の毒薬をつくらせたのだ

十造が寺の離れに到着する頃、楓が三郎の肩を叩いた

「む、どうした楓」

楓が毒薬の竹筒を二つ持っていた

「いかん、十造殿も儂も、
さっきの斥候の話で、作業が飛んでしまったのだ」

どう考えても、これを届けるのは、楓しかいない、三郎は、全体を見て判断や、事の顛末を、話さなければならない役目もある
三郎が、行けと言うのと同時に、楓は十造の元へと走った

十造が気配で、振り返ると楓が、毒薬を持って縁の下へと、滑り込んだ

「おう、儂としたことが、、、
おっと、いかん、入れ」

武田の斥候が法恩寺の境内へ入って来てしまったのだ

十造と楓は、棺桶のような木箱に隠れながら、ゆっくりと、慎重に上蓋を閉め始めた
蓋の色は土と同じ色にしてあり、途中までは、自分達で土をかけ、中に潜んだ

三郎は、突然に石弓の係りが、回って来たことに驚いていた
しかし、三郎も、落ち着いたもので、現場仕事なんてこんなもんよと、焦りはなかった
其に十造殿なら、何のこれしき、問題ないわ

十造と楓は、狭い棺桶のなかで、抱き合っていた
後二日この中で二人一緒なのだ、さて、楓に小便袋をどう伝えよう
豚の胃袋を持って来て居るのだが
伝えようが見付からない

楓の背中に、指文字で、はい、と、否の合図を教え、指文字で、なんとか
意思が通じる事を確認した
十造は考えを巡らした、もしや、進軍が早まったのか、だとしたら今さっきが、最後の忍び込む、機会だったやも知れぬ
楓の背中に、"見張れ"と書く
楓は棺桶の縁に頭を付けて集中する
十造も耳を付けて探り出す
三郎は、砂ぼこりが未だかなり遠くではあるが、立ち上って居るのを見て今夜信玄が、寺に入ると読んだ
すると、みるみるうちに戦仕立ての武士達で、街道が、埋め付くされてゆく
「むう、どうやら、忍び込む最後の機会に、間に合うたようじゃ
狭い穴ではあるが、楓が加わって、助けにもなろう
まさに、災い転じて福と成す、であれば良いがのう」

十造と楓が、穴に忍び込んでから、僅な間に、物凄い地響きが、身体全体に伝わる、大軍と教え無くとも、それと知れる

「ふむ、この後は騎馬隊か、そして、少しづつ静かになり、信玄の輿が到着する、又武者が来て、終いに医者が来る、どうかな、儂の見立ては」
大体合っていそうだ、やはり、行列を直接見ておいてよかったのだ

楓は集中していた、自分達の潜んでいる、法恩寺の離れに、何人入るのか、そして、人の出入りはどうか
十造には、その内この建物の出入りが忙しくなるが、儂らが外へ出た時の、人数を探れと言われていた
夜になると、多分二人になる筈だと

十造は、音から時間を予想して、皆が寝静まるのを待っていた、まだ喧騒は続くであろう、その後少し静かになる、晩飯のためだ、そして、もっと静まり返る、皆が寝るためだ、それを待っていた

楓が合図をする、十造の胸に、今離れに、一人入って、二人出て行った、と指で知らせた

『先ほどから、静けさが続いておる、頃合いとしては、飯と休息、ここに居るものは、その殆んどが役目を持つ侍大将、何処の刻限で、戦評議をする、その前に信玄は、食後の薬と、医者の見立てを済ませる、、、と、今この辺り、近習が医者を迎えに来て、医者と其奴が出て行った、離れには、医者の荷物持ち、一人が残った
次は、見立てが終わった医者が戻って来る』

ところが、騎馬や足音が響き始めた
『おお、そうか、大軍であれば、軍議も大人数、すると時間も未だかかるの』

楓は、身動きが取れない棺桶の様な中で、十造の胸に両手をあてて、折笠なっていた、先程から、十造が一人ごとを言っている時も、手に十造の言葉を感じていた
通じる言葉が有ると、十造に、"はい"を送って居たのだが、感じて貰えて無い様だ

『良し恐らく、この騎馬隊が帰って行ったら
三郎からの連絡もある筈よ、のう、楓』

楓がすかさず、"はい"を知らせた

「おろ っ、楓、お前そうか、儂の胸の振動で解るのか、ああ、そうか、風の音を感じるのと同じ理屈か」

"はい"
言葉を組み立てて、文章にするのに、時間がかかるのだろう、少し間が空くが、発見でもあった

十造は調子に乗って

「では、これは解るまい、楓、お前結構胸が大きいの」

少し間が空いて、十造は、胸をつねられた

「あたたた、解った解った、もう言わぬ、おー痛て」

そうこう、するうちに、騎馬の音や具足の音が遠ざかって行った

十造は、楓が、十造の胸に、手を当てたままで居ることを、感じながら、話し出した

「多分、もうすぐ三郎の合図があるやも知れぬ
良いか、儂ら二人は、長い間、同じ姿勢のままよ、いきなり飛び出すな、ゆっくり、じっくり、蓋を空け、出てくるのだ、わざとに、緩利とな、時間は有るのだ、何時もの身体になるまで、焦るでないぞ」

今度は、直ぐに"はい"が来た

カン、乾いた音が聞こえた、三郎が放った矢が棺桶の蓋に当たったのだ

楓に合図を送り、二人はゆっくりと、外へ出た、抱き合っていた二人は、冬の冷気が身に染みた
身体が強ばって、十造の言う通り、少しの間身体をほぐす必要があった
十造が楓の肩を叩く、行動を始めるのだ

夜目が利く忍が、もっと暗い場所から出たのだ、月もないのに、全てが明るい、予定では、又戻るのだ、穴を来た通りに戻して、先ず楓が離れの階段と正反対に行く、十造は全ての足跡、痕跡を消しながら、後ずさりで楓に追い付き踞る、十造を踏台にして、楓が離れの縁側廊下に登り、草鞋を脱いで懐に入れる、先行して建物の偵察に出た、十造は、廊下に登ると、建物内部の偵察を始める、雨戸が閉めてある、入り口は正面のみ
思った通り、ここは誰も警戒しないのだ
楓と合流し、屋根も天井も、何も無しだ、楓が見張り、十造が正面入り口から進入して行く
中は灯りが点っているが人はいない、襖でしきってあるので、おそらく楓の計算が正しいと、二人が奥にいる筈
楓も、空かさず忍び込む、十造は楓に、作業を始めるように伝える
それは、薬と毒薬のすり替え、十造は色が同じならば全部すり替えよと伝えた、そして、薬包紙の中身も時間があれば、全て替えると伝えてある、楓は早速作業を始めた

十造は、こっちの仕上げにかかる、四枚襖の右端を、慎重に静かにほんの少し開ける
そこには、十造が想像した通りの、いやそれ以上の光景が、薄明かりの中にあった
裸の男女が絡んでいた
男の顔の上に、女が股がり、女が自分の尻を前後に動かしていた
なんと、前に見た若い荷物持ちは、女だった、胸も尻も薄くはあったが、紛れもなく女が荷物持ちだったのだ

医者は恍惚の笑みを浮かべながら、女の股を舐めまわしていた、顔が女の体液で、ヌメヌメと照らされている、女も喘ぎながら、医者の人並み外れた長大な物を、扱きながら、舐めまわしていた

十造は持って来た荷物から、煙管を出し、次に茶色い、松脂の様な、小さな塊を、煙管の先に詰める
その煙管の先を、灯明に炙り出すと白い煙が出て来た
その煙を、絡みついている二人の方へ吹き掛けて行く
激しく動く二人は煙をどんどん吸い込んで、表情か虚ろになり始めた
医者は、緩慢な動作で、体制を替えると、女を仰向けにして、長大な物を女の中へゆっくりと埋め込んだ、女は全身で医者にしがみつく
煙の正体は、阿片と大麻の液を煮詰め乾燥させたものだ
当分二人は忘我の心地

十包位の薬を、全て新しく毒薬にすり替え、楓の替えた薬も確認し終えた
後は、医者が診察に使っている、通い箱の中にある薬を替えるだけ
それは、楓に任して、先ず奥の部屋を覗く、既に抱き合ったまま、ぐったりと寝そべっていた
医者は未だ萎えては居なかった

「明日の朝の見立てには間に合う筈よ」

楓の作業も、後は医者の通い箱のみだ
十造は、今いる部屋の畳を一枚はずし、野地板も一枚外した、下を覗くと二人が潜んでいた穴の近くだ
楓が作業終わりの合図を出した、十造が、楓に降りよと伝えると、しなやかな身のこなしで、床下へと消えた、先に二度目の、穴ぐら入りの準備をする、十造は楓が出て行った後、野地板と畳を元に戻し、入った戸口から外へ出た、そして、今度は、正面の階段脇から地面に降りて、楓がいる縁の下へと辿り着く
来た時と同じ作業で、穴ぐらの棺桶へと、二人は戻った

三郎は、二人が穴ぐらへと戻るのを、確認してから、静かに、しかし、大きく息をはいた

十造一人だと、きっと朝まで、作業にかかっていたことだろう
正に怪我の功名、このまま上手く行きたいものよ
離れでの作業が終れば、あとは、抜け出す機会を待つだけだ
夜明けが、待ち通しい三郎であった

穴ぐらの中の二人は、流石に疲れていた、十造にかかる、楓の重みが明らかに、重く感じられた
十造は、朝までは動きが無い筈、休めと伝える、儂も休むと目を閉じる

朝まだ、薄暗くはあったが、三郎は、寺の周囲を見渡し、その目を疑った
寺を囲んで周囲は、完全武装の、将兵によって埋め付くされていた

この有り様では、寺には鼠一匹入れぬし、蟻一匹出ては行けぬ

我らは、たまさか運が良かっただけで、少し遅れをとれば、全ての努力が水の泡であった

作業成功の目安は、朝、医者が離れから出て、信玄の処に、見立てに、行くかどうかにかかっている
其はおそらく、朝餉前
三郎は、固唾を飲んで見守っている

一方、穴ぐらの中でも
少しの間、微睡んでいた二人も、神経を尖らせ始める

「先ず、朝飯前に、信玄の小姓が、医者を迎えに来る、医者が帰って来る、朝飯が始まる、朝の軍議が始まる、全軍移動始め、医者やその他の、小間使い達の移動となると、楓、後二刻から一刻半て処の辛抱よ」
楓は、十造の胸に両手と頭を横にして聞いていた
"はい"の合図と同時に、十造の胸に「ンッ」と響いた

「おー伝わる伝わるぞ楓、はいじゃの、では、否はどうか」

「ンンっ」

「成る程、良いな」

初めて胸に響く楓の声は、十造を感動させた

おそらく普段でも声は出せるのだろうが、音の大、小が調整できない為に、出さないのだろう
そんな事を考えている間に、楓が合図を出した
離れに、一人入って、二人出た

「予想通りよ、この後、信玄を見立てた医者が、一人で帰ってくるわ
そしてのう、楓、それは、儂らの仕事がある程度上手く行った証拠よ」

「ンッ(はい)」

医者が帰って来た、其からは、馬蹄と集団の足音が、全ての音を掻き消した
大地を揺るがす轟きは暫く続いた
「信玄の威光は、正に地下に居っても、響きわたるのう」

漸くその音が、途切れ途切れになり、一旦静まり返った、そして、また大音響が轟き出す
「今のはおそらく信玄の出陣よ、それを供廻りと、近習が追いかけ、最後の警備と、残り、、、」

楓が、二人出ると伝える、医者は、最後の方であった事を、考えると、武田の軍は、西へと進軍を開始したのだ

「楓、三郎の合図が間も無く、来る筈じゃ」

楓が十造を、手で遮った、離れに一人、忍と十造の胸に、指で書いた
三郎が合図を送ろうと寺の離れに、目をやった瞬間に、一人が、す早い動きで離れの中に入った、どう見ても忍
「はて、何の探りであろう、合図はしても良いのだが」
誰もいない筈の、離れに忍が、何の用だろうか

三郎は、あの二人ならば、何とか出来るであろう、多分気づいている筈
「おう、そうじゃ、知らせて儂も、駆けつければ良いのよ」

カン、知らせが来た、良し、取り敢えず出るとしよう、儂が正面から行く、楓は影になれ、三郎も、きっと来るでの

そっと、地上に出ると、素早く階段を登り出す、相手が外へ出ようとするのと、十造が戸を開けるのが、同時だったらしく、二人は反対方向へ飛び退いた

しかし、雨戸は閉じたまま、取り敢えずの逃げ場はここだけである

男は短刀を手にして、十造に突撃してきた
これを紙一重で躱して、十造が足をかける、男は前方につんのめり、顎を突き出す形になった、そこを逃さず楓が、半月刀の柄の方で、男の顎を突き上げた、男の意識はそこで途切れた
転がっている男の身体を調べると、小さな文持っていた
『信玄、病身ながら、未だ健在、浜松を通り、更に西上す』
女の字であった

三郎が追い付いて、三人は再会した
三郎に文を渡し、意見を聞いてみる

「そうですな、徳川や織田ですと、今更欲しくは無い知らせでしょう中身が旧すぎます、さすれば、京都、毛利、上杉、北条このあたり、とみますが
中でも上杉は、信玄の上洛に合わせて、一揆が発生しましたから
こやつは、上杉の手のものかと」

「成る程、上杉とすれば、一揆をどの程度まで扱えば良いか、決めることが出来るのか」

「そうですな、今しばらく辛抱しておれば、疲弊しておらぬは、上杉のみとなりましょう」

「然らば、儂らと、この文の主は、組む事も可能であろう三郎よ」

「ええ、しかしながら、当人の心当たりがありますか」

「うむ、昨夜この離れに、出入りしたのは、何人だったか三郎は、覚えておるか」

「はい、医者、付き人、呼びに来る小姓です、ただ小姓は都度、人が変わってはおりました
この中に女などおりませぬが」

「ところが居るのよ、医者の付き人が、女だったわ」

「話しが長くなりましょう、そろそろ、元のばしょへ、、、この者はいかがしましょう」

「いかんいかん、そうじゃの、こやつは、文を返して、縁の下にでも放っておこう」

三人は、荷物の有る場所まで移動し、十造と三郎は、話し合いを続けた

「信玄の容態を、探るのはわかるのですが、その女が、我々に教えて、何の徳がありますか」

「うむ、実はな毒の量は、薬包紙にある分で十分よ、仮に信玄が亡くなったとして、薬を疑われたなら露見する、あの毒薬の壺と薬包紙の薬が、また本物になって居たら、だれもが信玄の病死と見なす、上杉も恨みを買わず、あのくノ一も助かろう、どうじゃ」

「成る程、策士ですな、其で宜しいかと思われます
私は、今日までの事、十造殿のこれからの計略を、一郎兄へ伝える為に浜松へと向かいます
十造殿、少し休まれては、楓もそうですが」

「むう、じゃが、先程の話の通りにやるには、甲州勢に追い付かねば、其に信玄の容態も知りたいし
おう、三郎、儂の仕掛けを話すのを忘れて居った」

「これは、私もうっかり」

「信玄が、今日の朝あの毒薬を飲んでおれば、信玄は先ず元気になる、おそらく、浜松の城辺りでは、皆が喜ぶ程に元気よ、何しろ薬には、ほんの僅に阿片が混ぜてある、蝋燭の最後が、残り全てを燃やし尽くす様に、信玄も阿片によって、最後の体力を燃やし尽くす、それから、干し草のように、日に日に枯れ果てて行く、後二回程飲めば回復は無い
浜松を過ぎた辺りで、夜分から寝たきり、その頃から、床に伏せ起きるのも難儀、武田の進軍が、いきなり遅くなったなら、信玄が危うい証拠よ」

「わかりました、何れにしても、信玄の病状がわかるに、越したことは、有りませぬからな」

「そして、今一つ、そのくノ一が、助けを求めたならば、徳川方が、これを受け入れてもらえるものかの」

「一郎兄に伝えて良き計らいにしますれば」

「よし、儂らは、武田を追って行く、三郎気をつけてな」

「は、十造殿こそ、お気をつけて、楓を宜しくお願い致します」

十造達と三郎が、ここで別れた

楓に大まかに、説明をして、二人は武田の軍勢を追いかけた

武田の軍を追うのは容易い事であった
砂塵が立ち上がっているところを目指して、歩いて行くだけで良いのだ

女は、驚いて振替ろうとした時、首筋に何かが触れた
反射的に振り返ろうとしたら、頭の上から声が声が聞こえた
草やぶに隠れて、用を足し終わり、立ち上がりかけた時であった

「済まぬの、そちらが何もしなければ、此方も何もしない
恥ずかしがらずともよい、夕べは、報恩寺の離れで、もっと凄い物を見させて貰ったでな
ゆっくり立ち上がり、振り返るのだ」

楓が素早く消えた、此方の全てを、見せる必要は無い

女は悟った、あそこの離れに進入出きるのならば、何をしても無駄であろう事を

「目的はなんだい、あそこに入る事が出きるんなら、話し会わないで、自分達でやんなよ」

十造が三郎と話し合った内容である、毒と薬の入れ換えをするように話をしてみた

「ふーん、まあ確かに、信玄が亡くなれば真っ先に疑われるのは、あの変態医者だからね、いいよ、でもそれだけなのかい」

「いや、連絡の文がみつかれば、医者だけでは済むまい、当然、越後の仕業となろうが」

「ふん、何もかも、お見通しってかい
さあ、時間が無いよ、早くしな」

「儂は十造、お前の名は」

「八つ目」

矢張、こやつは上杉の名を出しても、否定せぬな
十造は、上杉方と思われる、くノ一八つ目に、取り換える本物の薬を手渡すと、八つ目は、さっさと自分の持ち場である、医者の小間使いに、戻って行った

十造が楓に、身振り手振りで、伝える

「楓、儂らの仕事は、既に終わった、後は、戦の進む方向が、儂らの帰る向きなのだ
武田の軍勢を追いながら、帰ろうと思うのだが」

二人は物見遊山的な、感じで武田の進軍に付いて行く

目まぐるしく時が過ぎ、気が付けば、冬の寒さを、感じる季節になっていた













































































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