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第三章

存在界や人間を知りたいっ!

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「アーベル様、ご一緒させていただけますか?」
「ニーナか。勿論。行き先は『ケルークス』でいいのかい?」
 研修から二日後、私が出勤のために家を出ようとしたところ、ニーナに呼び止められた。

「はい。ユーリ様から呼ばれておりまして……」
 となると、店員ピアやクアンへの指導か何かだろうか。
「わかった。じゃあ行こうか」
「はい」
 ニーナが手をすっと差し出してきたので、私は彼女の手を取った。
 旅行以降は遠慮する部分が減ってきたので、いい傾向だと思う。

「アーベル、気を付けてねぇ」
「アーベルさん、行ってらっしゃい」
「アーベルさま、戻ったらゲームに付き合ってください」
 メラニー、カーリン、リーゼに見送られて私とニーナは家を出た。

「?? 何か騒がしいですね」
「というか客が多いのか? いや、あれは存在界に行っているメンバーだな……」
「ケルークス」の近くに着くと、窓越しに多くの精霊が集まっているのが見えた。
 存在界に行っているバネッサ、イサベルの姿が見える。
 知らない顔もいるが、立って店内をうろちょろしているので、客ではないと思う。

「こんにちは、一体何があったんだ?」
「あ、アーベル。ニーナも来てくれたのね。存在界組がアイリスに相談があるって集まっているのよ。騒がしくてゴメン」
「??」
 店長のユーリがこちらに来て事情を説明してくれた。
 待遇改善の要求とかだろうか?

「ニーナはピアから話を聞いて。良かったら協力してほしいのだけど……」
「ユーリ様、承知しました。アーベル様、私は厨房に向かいます。また後程」
 ニーナが厨房へと行ったところで、私は店内を見回して空席を探す。
 いつものカウンター席には知らない顔の精霊が座っているので、代わりの席が必要になったからだ。

「アーベル、来ているのならちょっと来てくれない?」
 奥の方の席からアイリスの声が聞こえてきた。
 ただ、その周囲には大勢の精霊が集まっているため、アイリスの姿は見えない。

「アーベルか。ちょうどよかったぞ」
 精霊たちをかき分けてアイリスのところへ移動すると、ワルターに声をかけられた
 地の精霊クロノスである彼も存在界で活動するメンバーだ。

「一体何が起きたのです? 警察あたりが相談客の妨害でも始めたのですか?」
「いや、そんな切羽詰まった状況ではない。ここに来ている者たちも見つかるようなヘマはしておらんしな」
 ワルターが違う違うと手を横に振った。確かに緊迫したという言葉からは程遠い状況に見える。
「アーベル、この前相談員向けに研修があったじゃない。それを聞いた存在界のメンバーが自分たちにも存在界のことを知るために研修を受けたい、って言っているのよ」
 そう言いながらアイリスは意味ありげな視線をチラチラと私に向けた。
 私も研修を受けた一人だし、研修を受けたいという要求を出しているのはほぼ全員が日本に行っているのだろう。
 要するに人間時代は日本人だった私に講師役をやれというのだ。

「存在界のことって言われても範囲が広すぎますよ。何を知りたいかわからないと講師役の適任者もわからないじゃないですか」
 口に出して要求もされていない状況でアイリスの思惑通りにことを進めるのも癪なので、敢えて突き放してみる。

「アーベル、そんな難しいことを聞こうというのではない。人間と接しているときに、我々が予想もしていない反応をされることがよくあってな。そういうときにどうしたらいいのか教えて欲しい、ってだけだ」
 アイリスの代わりにワルターが答えた。

「他の人間が何を考えているかを読むなんて、人間にも難しいですよ」
「まあ、それはそうだけどな。同じ種類同士なら考えもわかるんじゃないかと思うワケだ。そう言えばアーベルはもと日本人、だったな」
 ワルターの言葉に猛烈に嫌な予感がしてきた。どう考えてもこれは私が対応しろと言っているのに等しい。
 今、「ケルークス」の店内にいるもと日本人は私と店長のユーリだけだ。
 そのうち、先日研修を受けた相談員は私だけである。

「アーベルにしか頼めないのよ。だから、存在界に行っているメンバーの質問に答えてあげて。ね! ね! お願い!」
 アイリスが両手を合わせて拝むポーズをしてみせた。
 まあ、仕方ないか。私がどの程度答えられるかわからないが、ゴネていても先に進まないのは事実だ。

「あー、わかりましたよ! 講義なら準備が必要ですけど、質問なら答えられる範囲で答えますよ!」
 半ば自棄だが、そうでも言っておかないとこの場が治まりそうにもない。

「質問に答えている間は、相談を受けているのと同じ扱いにするから!」
 アイリスがそう付け加えてきた。相談を受けている間は追加報酬が出るから、その分はパートナーたちに何か買うことにしよう。

 質問があるという精霊たちがテーブルと椅子を並べなおして、即席の教室を作った。
 私は何故かアイリスの隣に座らされて、質問に答えることになった。

「じゃ、アーベルに質問があるのは誰? 手を挙げて!」
 アイリスの合図にぱっぱっぱっとあちこちで手が挙がった。
 私一人で答えられるのか猛烈に不安になってきた。

「じゃ、そこね」
 アイリスが一体の女性型精霊を指名した。顔は見たことがある気がするが、名前がわからない。

「仕事でやり方を書いたマニュアルをもらったのだけど、そこに書いてないことを職場の人に聞いたら『行間を読め』って当たり前のように怒られたの。これってどうすればよかったの?」
 ……最初からぶっこんでくれたか……マニュアルの実物を見ていないからわからないが、これってマニュアルの不備じゃないのか?

「……」
 皆の視線が私に集まった。下手な答えはできないが、私にだって正解を出せる自信はない。

「マニュアルを見たけど何をすればいいかわからなかった、ということでいいかな?」
 時間稼ぎのために確認する。我ながら姑息だ。
「うん。そうだよ」

「……なら、君のやったことは間違っていない。怒られたのは聞いた相手が責任を取らされたくなかったからだと思う。仕事をする人が理解できないマニュアルは問題があるからね」
 私は思うところを正直に答えた。精霊相手にごまかすのは難しいし、気が引ける。

「責任を取らされるのってどれだけ嫌なことなのですか? 仕事とかではよく責任取れって言葉が飛んでいますけど」
 質問を投げてきたメンバーの職場は相当環境が悪い気がするな……実際に見た訳じゃないから判断は保留するが。

「うーん、責任を認めてしまうと、本来被るべき責任だけじゃなくて関係ないものまで押し付けられることが多いのだと思う。嫌な言い方だけど、責任を取らせる生贄は常に求められているし、取らせるべき責任はそこら辺にゴロゴロ転がっているのじゃないかな」
 我ながらきつい言い方になってしまったが、ある程度実態を言い表せているのではないかと思う。
 私が精霊界へ移住する際、存在界に未練が無かったのもこうしたことが原因の一つであった。

「何かイヤな感じだけど、何となくどんなことだかわかってスッキリしたかな。ありがとう」
 どうやら最初の質問は乗り切ったらしい。
 しかし、こんなのがいくつも続けてきたら、私も答えられるかどうかわからない。

「次だが、仕事の結果を競わせるのは何故だ? 無用な争いを起こしても良いことはないと思うのだが」
 今度は男性型の精霊からだ。
 精霊は競争や争いごとが苦手だから、こういう環境は辛いだろうと思う。
 念のため彼の仕事を聞いてみると、工場で何かの部品の加工をやっているらしい。
 彼が言う「仕事の結果を競う」のは、加工速度と、職場を良くするための改善提案の数らしい。

「『良い競争』があると信じている人間が少なくないからだと思う。そのおかげで利益を享受できた人間は少なくないと思うけど……精霊界に必要なものだとは思わない、って答えになっているだろうか?」
 精霊と人間の感覚の違いに関する部分なので、答え方が難しい。
 ただ、人間を造ったのは精霊なのだから、人間の性質はある程度理解していてほしいのだが……

「人間がそう造られている、ということか。自分は中期の精霊だから生き物を造ることには関わっておらんのでよくわからないが」
 そうだった。この前の研修で生き物を造ったのは原初の精霊や一部の初期の精霊と説明を受けたばかりだった。
 質問者はノッカーという金属を司る精霊らしい。聞いたことのない種類だ。
 私は精霊についての勉強不足を痛感せざるを得なかった。

 その後も精霊たちから次々に質問が投げかけられた。
 気付いたのは、人間と精霊との感覚の違いの大きさだ。
 あくまで精霊たちの話なので正しいかどうかは判断しかねるのだが、私が人間時代に暮らしていた日本社会の感覚は精霊の感覚との乖離が著しく大きいそうだ。
 その反動かどうかはわからないが、移住に興味を持っている人間の数は他の国よりも多いらしい。

 今回質問している精霊たちは人間との感覚の差に疑問を持ちながらもそれを楽しんでいるように思われた。
 それなら救いがあるのだが……

「何か堅苦しいなあ。お茶かお酒でも飲みながらワイワイやらないかい? そっちの方がアーベルがたくさんの質問に答えられると思うんだ」
 頬に絆創膏を貼ったくすんだ金髪の女性が立ち上がって周囲を見回しながら言った。
 光の精霊エインセルのイサベルだ。存在界に行っているメンバーの中では私がもっともよく知る精霊かもしれない。

「……飲んだら答えがおざなりになるかも知れないぞ」
 魂霊は酒に酔わないが、念のためイサベルには警告しておく。

「一緒に仕事をしている人間から聞いたけど、人間ってお酒を飲まないと本性をさらけ出せないんでしょう? 私たち精霊が魂霊相手じゃないと本性をさらけ出せないのと同じだよね?」
 知らない女性型の精霊がとんでもないことを言ってきた。
 何か存在界で人間に関する間違った知識を覚えていないかと心配になってくる。

「アーベル、いいわよ。この感じなら気楽にやったほうが早く終わりそうだから」
 所長のアイリスがそう決めてしまったので、酒を飲みながら続きをやる羽目になった。
 ……これ、既に研修じゃないよな?
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