30 / 173
秋月
しおりを挟む
灰色がかった盃に注がれた透明な酒に映し出された月を一瞥すると、琥珀はそれごと一息で喉の奥へ流し込んだ。
味を楽しむことも無く、ただ酔うためだけに体の奥へ落ちていくのが分かると、空になった盃に手酌でまた酒を注ぐ。
部屋の障子を開け放し、縁側との境に片膝を立てて座り、それに寄り掛かりながら独りで飲んでいる。
赤みがかった秋の月に、まだ傍に黒曜すらいなかった頃、隣にいた笑顔を思い出した。
いつでも笑っている、そんな女だった。
「三人ともやっと眠りました」
不意に襖が開き、すぐ近くまで来た幸成が苦笑いしながら口にした。
どうしても一緒に寝ると言って聞かなかった翡翠と蒼玉に連れられ、共に布団に入っていたのだ。
恐らく三人が眠るまでの間、ずっと歌を歌わされていたのだろう。
少し前まで僅かに風呂で聞いた声が耳に届いていた。
「…………お前は寝なかったのか……?」
「……はい」
「そうか……」
短く会話を交わし、琥珀はまた盃の中の酒を一気に飲み干した。
「……座れよ……お前もどうだ……?」
そう言って自分の隣を指で“トントン”と音を鳴らし庭を見つめたまま言葉を続けた。
最初から共に飲むつもりだったのか、徳利が何本か置かれた盆の上にもうひとつ盃が乗っているのが見える。
「……傷に障るか……?」
鼻を鳴らす様に笑いながら言ったその声が何故か物寂しげに感じ、先程琥珀が指で叩いた床に幸成は腰を下ろした。
「いえ……頂きます」
心地よい風が二人の髪を揺らし、雲ひとつない空の月が程よく明るさを灯している。
琥珀が注いでくれた酒の中の月を少しの間見つめてから、幸成はゆっくりと口の中へと流し込んだ。
そう酒を飲んだことは無いが、甘く香りの良いそれに唇の端が僅かに上がる。
「……美味しいです」
「………………そうか……」
それ以上何も言わない琥珀の視線を辿り、幸成も庭へ目を向けた。
庭の彼岸花が風に揺れ、月の光の下で遊んでいるように見える。
そしてその奥に揺れる金木犀が秋の夜風を甘く幸成の鼻腔へ届けた。
特に言葉を交わすわけでもないのに、それが心地好く少しづつ緊張が溶けていく。
そして盃の酒が終わると琥珀が注ぎ、幸成はそれをゆっくりと口へ運ぶ。
そんなことを何度か繰り返すと、琥珀が徐に口を開いた。
「お前は変わってるな」
「…………そうでしょうか?」
「ああ…………変わってる」
頬をほんのりと染め首を傾げる幸成へ向けられた顔が、少し呆れた様に、しかし優しく笑っている。
「……贄として差し出された先で、子供の面倒をみて、こうしてオレと酒を飲んでる……オレの姿を知りながら恐がるでもなきゃ怯えるでもねぇ……充分変わってるだろ」
「………………そう言われれば…………そうでしょうか……」
「それに……さっきのお前はまるで母親の様に見えた………」
「さっき?」
「蒼玉と翡翠を胸に抱いてた時だ。……何年も一緒にいるオレより余程親らしいと思ったよ…………蒼玉が人を恐がっているなんて……オレは思いもしなかった」
視線を庭へ戻し、ぽつりと吐いた言葉に琥珀は自嘲気味に笑った。
長い間生きてきて、一度たりとも『恐怖』というものを感じたことが無かった。
目の前で怯えられれば解る。
しかしそれが、怒りや憎しみの様に心に巣食うなどと思いもしていなかったのだ。
「…………俺は……子供の頃から周りの顔色ばかり窺って生きてきました……。どうすれば父に疎まれないか……兄に馬鹿にされないか……」
自分を卑下しているようにも恥じているようにも見える様に幸成は笑った。
「だから……人の顔色を窺うのが得意なだけです……」
「……父親に疎まれているのか?」
「…………女のフリをして、ここに……あなたの元に行くよう言ったのは…………父です」
風が幸成の髪を揺らし、悲しげな、それでいて穏やかな顔を曝け出す。
「俺は父の思うようになれなかった。剣を握っても……武術をしても……何をしてもダメなんです」
諦めた様に笑う幸成を琥珀の瞳が見つめた。
「……この通り……見た目も女みたいで…………それだけでも父を苛つかせてしまうから……」
「……それでもお前は逃げずにオレを討にきたんだろ?」
その言葉に幸成は目を丸く見開き、膝に置かれていた手をギュッときつく握りしめた。
琥珀にしたらなんてことの無い言葉だったのかもしれない。
しかしそれが胸を締め付けた。
喉の奥が熱くなり、幸成はそれを誤魔化す様にまた笑った。
「誰も本当に俺があなたを……山神を殺せるとは思っていません……」
自分は『山神退治』のキッカケに過ぎない。
最初から決まっていた事だ。
理解ってここに来ている。
この事が決まってから、何も感じなかった。
涙ひとつ流さなかった。
『一度くらい、役にたて』
そう冷たく言い捨てた父の言葉にも何も思わなかった。
──なのに…………今になってなんで…………
俯いた幸成の手を掴み、琥珀が強く胸に引き寄せた。
味を楽しむことも無く、ただ酔うためだけに体の奥へ落ちていくのが分かると、空になった盃に手酌でまた酒を注ぐ。
部屋の障子を開け放し、縁側との境に片膝を立てて座り、それに寄り掛かりながら独りで飲んでいる。
赤みがかった秋の月に、まだ傍に黒曜すらいなかった頃、隣にいた笑顔を思い出した。
いつでも笑っている、そんな女だった。
「三人ともやっと眠りました」
不意に襖が開き、すぐ近くまで来た幸成が苦笑いしながら口にした。
どうしても一緒に寝ると言って聞かなかった翡翠と蒼玉に連れられ、共に布団に入っていたのだ。
恐らく三人が眠るまでの間、ずっと歌を歌わされていたのだろう。
少し前まで僅かに風呂で聞いた声が耳に届いていた。
「…………お前は寝なかったのか……?」
「……はい」
「そうか……」
短く会話を交わし、琥珀はまた盃の中の酒を一気に飲み干した。
「……座れよ……お前もどうだ……?」
そう言って自分の隣を指で“トントン”と音を鳴らし庭を見つめたまま言葉を続けた。
最初から共に飲むつもりだったのか、徳利が何本か置かれた盆の上にもうひとつ盃が乗っているのが見える。
「……傷に障るか……?」
鼻を鳴らす様に笑いながら言ったその声が何故か物寂しげに感じ、先程琥珀が指で叩いた床に幸成は腰を下ろした。
「いえ……頂きます」
心地よい風が二人の髪を揺らし、雲ひとつない空の月が程よく明るさを灯している。
琥珀が注いでくれた酒の中の月を少しの間見つめてから、幸成はゆっくりと口の中へと流し込んだ。
そう酒を飲んだことは無いが、甘く香りの良いそれに唇の端が僅かに上がる。
「……美味しいです」
「………………そうか……」
それ以上何も言わない琥珀の視線を辿り、幸成も庭へ目を向けた。
庭の彼岸花が風に揺れ、月の光の下で遊んでいるように見える。
そしてその奥に揺れる金木犀が秋の夜風を甘く幸成の鼻腔へ届けた。
特に言葉を交わすわけでもないのに、それが心地好く少しづつ緊張が溶けていく。
そして盃の酒が終わると琥珀が注ぎ、幸成はそれをゆっくりと口へ運ぶ。
そんなことを何度か繰り返すと、琥珀が徐に口を開いた。
「お前は変わってるな」
「…………そうでしょうか?」
「ああ…………変わってる」
頬をほんのりと染め首を傾げる幸成へ向けられた顔が、少し呆れた様に、しかし優しく笑っている。
「……贄として差し出された先で、子供の面倒をみて、こうしてオレと酒を飲んでる……オレの姿を知りながら恐がるでもなきゃ怯えるでもねぇ……充分変わってるだろ」
「………………そう言われれば…………そうでしょうか……」
「それに……さっきのお前はまるで母親の様に見えた………」
「さっき?」
「蒼玉と翡翠を胸に抱いてた時だ。……何年も一緒にいるオレより余程親らしいと思ったよ…………蒼玉が人を恐がっているなんて……オレは思いもしなかった」
視線を庭へ戻し、ぽつりと吐いた言葉に琥珀は自嘲気味に笑った。
長い間生きてきて、一度たりとも『恐怖』というものを感じたことが無かった。
目の前で怯えられれば解る。
しかしそれが、怒りや憎しみの様に心に巣食うなどと思いもしていなかったのだ。
「…………俺は……子供の頃から周りの顔色ばかり窺って生きてきました……。どうすれば父に疎まれないか……兄に馬鹿にされないか……」
自分を卑下しているようにも恥じているようにも見える様に幸成は笑った。
「だから……人の顔色を窺うのが得意なだけです……」
「……父親に疎まれているのか?」
「…………女のフリをして、ここに……あなたの元に行くよう言ったのは…………父です」
風が幸成の髪を揺らし、悲しげな、それでいて穏やかな顔を曝け出す。
「俺は父の思うようになれなかった。剣を握っても……武術をしても……何をしてもダメなんです」
諦めた様に笑う幸成を琥珀の瞳が見つめた。
「……この通り……見た目も女みたいで…………それだけでも父を苛つかせてしまうから……」
「……それでもお前は逃げずにオレを討にきたんだろ?」
その言葉に幸成は目を丸く見開き、膝に置かれていた手をギュッときつく握りしめた。
琥珀にしたらなんてことの無い言葉だったのかもしれない。
しかしそれが胸を締め付けた。
喉の奥が熱くなり、幸成はそれを誤魔化す様にまた笑った。
「誰も本当に俺があなたを……山神を殺せるとは思っていません……」
自分は『山神退治』のキッカケに過ぎない。
最初から決まっていた事だ。
理解ってここに来ている。
この事が決まってから、何も感じなかった。
涙ひとつ流さなかった。
『一度くらい、役にたて』
そう冷たく言い捨てた父の言葉にも何も思わなかった。
──なのに…………今になってなんで…………
俯いた幸成の手を掴み、琥珀が強く胸に引き寄せた。
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる