神殺しの花嫁

海花

文字の大きさ
108 / 173

・・・

しおりを挟む
あの夜……確かに幸成の身体から白姫の匂いが届き、いつもと様子も違った。
今思えば、離れるつもりだったのだと解る。
だから「心だけは……」そう言ったのだ。

「さすがに堪えたんじゃない?……自分の耳元で甘く囁く男の口が、以前自分の子供を喰──」

「──白姫ッ!……それ以上言ってみろ…………二度と余計な事言えねぇ様に身体ごと切り刻んでやるからな」

白姫の言葉を打ち消すように、紫黒の声が響いた。
先程までの感情剥き出しの声とは違う。
腹の奥底からの怒りが体を這う様に伝わり、白姫の身体がビクリと震えた。
子供達にさえそれが伝わったのか、三人共が琥珀の身体にしがみついた。
その肌から、紫黒の声にも、この場の雰囲気にも、そして何より幸成が突然消えたことへの不安が伝わってくる。
琥珀はずっと庭に向けていた視線を三人に向けると、一人づつ、安心させるように頭を撫で立ち上がった。

「───どこ行くの!?」

翡翠の手が琥珀の着物を強く握る。

「幸成を連れ戻してくる。───心配するな……。必ずオレが連れて帰ってくるから」

不安に揺れる翡翠の瞳を見つめると、そう言って再び三人の頭を撫で、もう一度翡翠を見つめた。

「お前は一番の兄ちゃんなんだから、大丈夫だな?」

今にも泣きそうな顔が唇を噛み締め、大きく頷くと、涙を堪え握りしめていた手を離した。

「───連れ戻すって……お前が嫌で逃げ出したんだったらどうするの?……薬まで使ってさ。お前の顔なんか二度と見たくないって思ってるかもね」

その様子を見ていた白姫が意地悪く笑った。

「……それどころか………お前に惚れたと思わせて……やっぱり目的はだったのかもね……。彼が“何の為”にお前の元に来たか……知らない訳じゃ無いだろ……?」

嘲る様に笑った顔に、本人にすら気付かない程度の影が射した。

思ったよりずっと上手く事が運んでいる。
それを夢にまで見ていた筈だ。
愛しい者を奪われた苦しみを、もう一度琥珀に味合わせたい。
その苦しみの為に自分がした事を思い知らせたい────。

しかし何故か、白姫の胸は晴れなかった。
あの苛つく程素直な人間のせいで、胸の中に重い霧が掛かっている様に晴れないのだ。

「…………それならそれで幸成の口から聞くまでだ。それにあいつは───平気で嘘を吐くような、そんな卑怯者じゃねぇ」

振り返る事無く言った背中が狼の姿に変わると、瞬きする間も無く姿を消した。
既にいなくなった背中から目を逸らせずに、白姫は自分の着物の袖を無意識に握っていた。

「…………今更……もう遅いんだよ…………」

吐息のように吐いた、呟くよりもまだ小さな声に、誰一人として気付く者はいなかった。




足の下のぬかるんだ土が“ズルッ”という音と共に崩れ、黒川は一昨々日の雨で湿っている草の上に転ぶ様に膝を着いた。
歩き慣れない獣道に思わず溜息が漏れる。
一昨日から幸成が言っていた『琥珀』を探し、祭りの夜、籠を置いていく場所からかなり山奥にまで足を踏み入れていた。

しかし本当にこちらの方角で合っているのかも分からない。
ただ当ても無く探すしかないのにも関わらず、屋敷を留守に出来る時間も限られている。
正成や、まして誠一郎に気付かれる事になれば、幸成を救う手立てが無くなるだけに気ばかりが焦った。

一昨々日幸成が戻った夜に顔を見てから、誠一郎の部屋に入ることも儘ならず、幸成が無事なのかどうなのかすら分からないのだ。
正成の許しを得ているのを良い事に、誠一郎すら部屋から殆ど出てこないばかりか、怪しげな使いの者が誠一郎を訪ねてきていることさえあった。

「───琥珀殿ーッ!!」

本当にいるのかも分からない名前を、黒川は息の続く限り叫んだ。
この三日この名を何度叫んだか分からない。

───やはり届かないのか…………

しかし諦めかけたその時、突然目の前に“狼”と見える獣が姿を現せた。
過去見たことのある“狼”より一回り以上大きいと思われる獣が、僅かに牙を見せながら、のそりのそりと近付いて来る。
そしてゴクリと唾を飲み込んだ黒川のすぐ目の前まで近付くと

『……何故その名を知ってる……』

紅い口が開き、人の言葉を吐いた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

野球部のマネージャーの僕

守 秀斗
BL
僕は高校の野球部のマネージャーをしている。そして、お目当ては島谷先輩。でも、告白しようか迷っていたところ、ある日、他の部員の石川先輩に押し倒されてしまったんだけど……。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

処理中です...