常世の守り主  ―異説冥界神話談―

双子烏丸

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第壱章  ――霊峰

魔術師と、少女

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 ――――

 ……辺りには懐かしい光景が広がっている。
 青年の意識は現実を離れ、今は自身が生み出す、夢の世界にいた。
 旅を始めてからと言うものの、彼は眠りの中でさえ、夢に浸る楽しみさえ失った。
 あまりにも長いこと夢を知らなかった為、それこそ本当に夢か現実か分からずに、混乱する程。
 広く綺麗な庭園に、街一番の大貴族である両親の豪華な屋敷…………。それは昔、青年が捨て去り、自身でさえ記憶すらも残っていないだろうと思っていた、懐かしい思い出だ。


 青年――いや、青年と呼べる年ごろにさえなっていない、まだ十才程の幼い少年だった彼は、庭園の目立たない片隅に生えている、大木の涼しげな木陰でくつろいで読書をしていた。
 少年の両親は厳しく、名門貴族の名に恥じぬような技能とマナーを、常日頃から叩き込まれる日々。親からは立派な貴族である事を求められ、少年自身の考えや主張などは、無きに等しかった。
 内向的で大人しかった少年にとっては、この時だけは親からの支配から逃れられ、自分らしくいられたのだ。
 そして何より…………

「ふふっ、また此処で会いましたね、ルーフェさま」

 声がした方に目を向けると、粗末なメイド服を着た、少年と同年代の可憐な女の子がいた。


 ルーフェ…………それが青年の名前。長い間誰からも呼ばれることのなかった、懐かしい響きだった。
 そして、目の前の少女。三つ編みに結んだ茶髪の、少しそばかすがある頬に、くりっとした瞳の少女の笑顔。
 少年だったルーフェは、親に連れられて晩餐会や食事会と言った、上流階級の集まりに数多く出席した。そこに集まる女性は誰もが美しく着飾り、気品に溢れていたが、何の飾り気もなく心から見せる笑顔には、今まで見てきたどんな美女も敵わない。
 しかし夢だとしても、またこうして彼女の笑顔が見られるなんて、彼は思ってなかった。
 嗚呼――――エディア、もし現実に君の顔が見られ、触れることが出来るのなら、俺は――

 


 ――――

「…………エディア!」

 そう叫んだ瞬間、ルーフェは夢から目覚める。
 結局、あれは夢にすぎなかった…………。彼にはそれが、強く悲しく思えた。


 やがて悲しみが和らぐと、今更ながら自分がまだ生きていると気づいた。
 彼の体はベッドに横たえられ、あちこちに包帯が巻かれている。

「これは。……くうっ」

 ルーフェは少しでも動こうとした、その時、肉体に激痛が走った。
 少しでも手を動かそうとしたり、起き上がろうとしただけでも、強い痛みを感じる。
 痛みとはすなわち、生きている一番の証拠だ。


 彼がいるのは、質素な部屋の中。
 唯一の窓にうつる景色には、雪山の斜面らしきものが見えた。と言う事は、この家はハイテルペストの上に建てられているらしい。だが、吹雪は吹いておらず、雪一つ積もっていない。それどころか、地面の所々に草花が咲いているのが見られた。
 この山では常に雪が吹き荒れ、こうして雪も降らずに人が暮らせるような場所は、無かった筈だった。
 ルーフェは目覚める以前の記憶を辿る。


 彼はハイテルペストの遥か高みにまで登り、そこにある遺跡に辿りついた。そして…………、その神門を守る竜に倒された。
 どうやらあの後、何者かによって助けられ、ここに運び込まれたらしい。
 そこまで思い出すと、ルーフェはハッとして首元に触れた。
 首元には――何も掛けられていない。あのネックレスも、そして指輪も。

 ――指輪……が。あれは俺に残った、唯一大切なもの、なのに――

 おそらくあれは、ルーフェにとって、とても……そう、とても大切なもの、だったのだろう。
 それを失った深い悲しみに、彼が包まれていた時。
 部屋の扉が、ゆっくりと開く。




 
 ――――


 扉から現れたのは、謎の男性と若い少女の二人。
 男性は長いローブを身に纏い、整った顔に見せる穏やかな表情からは、さながら賢者のように高い教養と知性が感じられる。だが、その人物からは不思議な感じが漂っていた。実年齢は恐らく、白髪に染まった髪と、長年生きてきた人間の持つ雰囲気や物腰から、それなりに高齢と考えられた。しかし顔には皺が少なく若々しく、外見で言うならまだ三十代中頃に見えた。
 そしてその背中に隠れている少女の方は、男性とは逆に十七、八と思われる年齢以上に幼く感じられる。恐らくそれは普通以上に人生経験が乏しいからだと思われた。そのせいか、少女の様子は穢れを知らない純粋無垢なものであった。彼女のその透き通るような水色の髪と瞳、そしてやや色素の薄い白い肌に華奢な身体…………。少女はさながら、高級品の人形のように思える。




 ……実に不思議な、その雰囲気
 程度の差こそあるが、この二人は明らかに、普通の人間とは大きく異質であった。

「……無事そうで何よりだ。何しろ娘が、雪の中で倒れている君を発見してからの二日間、ずっと意識は無かったのだからね」

 そう話す男性の声は、落ち着いて深みがあり、彼の持つ知識が声によって表されるかのようだ。

「二日も…………俺は、眠っていたのか」

 半ば茫然とするかのように、ルーフェは呟いた。

「ああ。その上、傷も深かったからな、治療を行ったとは言え、こうして生きているのが不思議なくらいだ」

 彼は、男性に尋ねる。

「あの指輪は? 俺の近くに落ちてなかったか?」

 男性は首を横に振る。

「残念だが、指輪は見当たらなかった。君の剣なら、拾って来てあそこに置いてあるが」
 話しながら視線を向けた部屋の隅には、ルーフェの持つ剣が置かれていた。

「……そうか、なら…………」

 ルーフェは痛みを無視して、起き上がろうとする。

「何処に行くつもりだ? まさかそのボロボロの体で、外に出るつもりではあるまい?」

「助けてくれた事には感謝している。けど俺は、あれを探しに行かないと」

 こう言って無理に起き上がろうとする彼を、男性は優しく、そして力強く押しとどめた。

「あれが君にとって、大切な物だと言うのは分かった。だが、今は体を休める事だ」

 初めルーフェは抵抗したが、やがて無理だと悟ると、諦めてベッドに戻った。

「そうだ、それでいい。……賢明だな」

 男性は穏やかに微笑んだ。

「私はトリウス、まぁ所詮はこの山に閉じこもる、しがない魔術師さ。そしてこの子は、娘のラキサだ。我々は訳あって俗世間を離れ、ここで生活している身だ、ここにいる間は、我が家のように思ってくれて構わない。この家は見ての通り、外界からは隔たれているが、その快適さは私が保証しよう。指輪も君の代わりに、私たちが探しておこう。――ただし、指輪が戻ったら…………望みを諦めて、山を下りるがいい」

 ルーフェはこれを聞くと、鋭い目つきでトリウスを睨む。
 だが、それを意に介さずに、トリウスは更に続ける。

「君がハイテルペストに来たのも、冥界の入口を求め、失った人を取り戻すためだろう。確かに伝説通り、ここは現世と冥界が繋がる門が存在し、守り主である一匹の竜がそれを守っている。それは、君も知っているはずだ」

「…………」

「これまでにも、何人も君のような人間が、ここにやって来た。山にやられた物もいれば、竜に敗れたものもな。そもそも、死んだ人間を呼び戻すなど、自然に反する事――。ここに住んでからの私は、そうした人間を長いこと説得して来た。君だって…………例外ではない」

 そして、ようやく話し終わると、トリウスは部屋から出ようとする。

「……待て! 俺は、絶対に諦めるものか!」

 彼の背中に向けて、そうルーフェは言い放つ。

「私も、すぐには君が諦めるとは思っていない。……しかし無理をしようと考えない事だ。私が部屋に結界を張っているからな、君の力では外に出られまい。とにかく今は…………休む事に集中するといい」

 トリウスはこれを最後に、娘とともに部屋を去った。



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