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第肆章 決戦

やはり……それでも

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 ――――

 ルーフェは爆風に吹き飛ばされ、地面へと落ちた。
 身体は殆ど動かせず、ただ横たわる彼。
 最早、その力は無いに等しい。
 辛うじて顔を上げれば、そこには遥か高くから見下ろす、竜の頭が見えた。
 その眼光は鋭く、竜には最早、彼を見逃す意思はないと分かる。
 身体に受けた傷の報いと、一度ならず二度までも歯向かって来た愚かさ……、常世の守り主である竜にとって、それは許されざる事だった。


 竜は動けず無力なルーフェを、虫のように踏み潰そうと、前足を伸ばす。
 彼を覆う影は次第に大きくなり、巨木のような前足が迫る。
 
 ――俺はもう終わりか。これでやっと、エディアに会える。……けどすまない…………君を生き返らせてあげられなくて――

 何としてでも、ルーフェは愛する人を生き返らせたかった。 
 しかし、彼がここで命を落とせば、それも叶わないのだろう。

 ――そしてラキサ、俺の我儘で、また悲しい思いをさせてしまったな――

 彼女もまた、本当は誰も傷つけたくない、やさしい少女だった。
 ルーフェの命を奪ったとすれば、きっと彼女も深く傷つくだろう。

 ――ああ、本当に……すまない、二人とも――
 
 ルーフェは死を覚悟し、その瞼を閉じた。



 だが彼が覚悟した死の瞬間……、それはまだ訪れない。
 ルーフェはうっすらと目を開ると、その頬に何かが滴り落ちた。
 何とか手を動かし、彼は頬に付いたものを拭い取る。
 それは、水色の生暖かい液体――竜の流した血であった。
 一体どうして? ルーフェは再び上を見上げた。
 上にあったのは、自分を踏み潰さんとする巨大な足。だがそれは踏み潰す寸前で止まっていた。
 ルーフェは竜を見て驚く。
 しかしそれは、自分を踏み潰さなかったからではない。
 

 竜は自らの足に強く噛みつき、深い傷口からは血を流していた。
 額の紫水晶も輝きは弱まり、竜の瞳も紫色から……元のラキサと同じ、水色に変わっていた。
 
 ――まさか、ラキサの自我が、まだ残って――

 そう、常世の守り主としての意思より、今彼女自身の自我が、戻っていたのだ。
 その光景はまるで、相反する二つの意思が一つの身体の中で対抗しているかのよう……。
 自身の足に牙を立てる竜の表情は、あまりにも辛く、苦痛に満ちた表情をしている。


 それは決して傷のせいだけではない。常世の守り主としての意に反してまで、自身の行動を止めようとする別の意思が、相当な無理をしてまで、その動きを押しとどめているからである。
 ルーフェを守ろうとする、ラキサの想い。
 
 ――今のうちに、早く逃げて――

 竜の瞳は、そう語っているかのようだ。



 そう……、戦いの中で葛藤していたのはルーフェだけではなかったのだ。
 何とか力をふり絞り、ルーフェは立ち上がって、竜から遠く離れた。
 だが同時に、ラキサの自我にも、とうとう限界が訪れた。
 額の紫水晶は再び強く輝き、瞳の色も紫色へと戻る。
 ――その意思は、再び常世の守り主の、支配下へと置かれた。
 竜の葛藤は切れ、甲高い咆哮、激しい衝撃音とともに、足は先ほど彼がいた場所へと振り下ろされた。
 そして竜はルーフェを見て、唸り声を上げる。それは侵入者を容赦なく排除する、強い意志の表明だ。
 しかし――あの竜は、常世の守り主であると同時に、ラキサなのだ。ルーフェは分かっていた、はずだった。
 例え姿も、その中身も別の物へと入れ替わっても、彼女は彼女だ。

 ――やはり彼女は、倒すわけにはいかない!――

 無論、エディアを生き返らせる望みは諦めていない。だけど、その願いの為にラキサを犠牲にするなど……。
 やはりルーフェには、出来なかった。
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