常世の守り主  ―異説冥界神話談―

双子烏丸

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第伍章 冥界

後ろは、見ずに……

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《よく言った、人間よ。では…………君に本当の、最後の試練を用意しよう》

 すると、ルーフェの目の前の空間に、人一人がくぐれる程の裂け目が開いた。
 その先は漆黒の闇に覆われ、先に何があるか分からない。

《裂け目をくぐり、真っすぐ進めば、現世へとたどり着く。そこまで君は、歩いて向かうがいい。君の愛した人間も、もちろん一緒に》

 ルーフェは、裂け目の先に広がる、深い闇を見据える。
 この先を進めば、エディアと共に、現世へと戻れる――。そう考えるだけでも、ルーフェは安堵と喜びに満ちた。

《だが、無事に現世へとたどり着くまで…………決して後ろを振り向いてはいけない。それが、私が君に与える――最終試練さ
 さぁ前に進むといい、後ろを振り向かず、自らの願いへと!》

 冥王の言葉に見送られ、ルーフェは闇が広がる裂け目に――足を進める。
 ルーフェは裂け目をくぐった。それと同時に裂け目は閉じ……そして消えた。
 

 
 ――――
 裂け目をくぐると、ルーフェは先ほどの広場へと戻っていた。 
 外は相変わらずの闇景色、冥界の後であると、その寂寥さが更に際立つ。
 現世へと戻るには、来た道を戻るだけで良い。
 …………後ろは絶対に、振り向かずに。


 光の階段は、同じ場所に存在していた。
 ルーフェは階段へと進み、一歩、また一歩と階段を下りて行く。
 目の前には、さながら奈落の底へと降りてゆくかのような、漆黒の中ぽつりと続く、虚空に浮かぶ白い光の階段。
 階段を降りる度、足音が辺りに響く。
 コツコツ、コツコツと…………ルーフェ一人の足音が、この空間唯一の音として、ただ寂しく響き渡る。
 人の気配もない。ここにいるのは彼だけのようだ。
 
――冥王は後ろを振り向くなと言ったが、一体どうしてだ? この場所にいるのは、俺一人のはず――

 そう思っていた、まさにその時だった。



 いきなり、背後に何かの気配を感じた。だがそれは、人の物とは思えない程に弱弱しく、本当に存在しているのかどうかすら、正直怪しい気配。
 そして、ルーフェの足音に交じり、ペタペタと別の足音が聞こえ出した。
 一体誰の足音か……そう考えていた彼は、冥王のある言葉を思い出す

『――裂け目をくぐり、真っすぐ進めば、現世へとたどり着く。そこまで君は、歩いて向かうがいい。君の愛した人間も、もちろん一緒に――』

 ――もしかして、後ろにいるのは……エディアか――

 ルーフェはこう考えた途端、反射的に後ろを振り向きたくなった。
 それでも衝動を抑え、冥王の警告を守った。
 後ろに何かの存在を感じながら、彼は下へと降り続ける。
 決して、後ろを振り向いてはいけない――冥王はそう言った。
 それが……最後の試練だとも。


 初めは、何のことはない試練だとルーフェは考えていた。
 しかし、今自分の後ろにエディアがいるかもしれない。
 長い間、ずっと求めていた愛する人が、すぐ傍にいる…………。そう考えるだけでも、後ろを振り向きたくて堪らなかった。
 
 ――もし彼女がいるのなら、今すぐにでも顔を見たい、そしてその身体に触れ、言葉を交わしたい――

「……後ろにいるのか、エディア?」

 ルーフェは前を向いたまま、後ろにいるであろう存在に話しかけた。
 だが返事はない。

「なぁ、いるなら……返事をしてくれ。――――お願いだ」

 その哀願に近い、彼の言葉。それにすら、返事が返って来ることはなかった。

「……エディア」

 彼女かもしれない存在がいるかもしれない、それなのに、何の反応を見せない。ルーフェにとっては、身に裂かれる程に辛かった。
 絶対に振り向く事は許されない。
 しかし知りたい、感じたい、エディアの存在を、すぐにでも…………。
 この二つの葛藤は、恐ろしいまでにルーフェを苦しめた。
 なのに――――今歩くこの道は、どうしようもなく長い。
 
 彼の精神が苦悩に苛まれていたその瞬間、更に様子が一変した。
 後ろから聞こえる足音が、突然変わった。それはペタペタとした柔らかいものでなく、ガサッ、ガサッとかさついた音。
 そして、それとともに漂う、妙な悪臭。
 匂いを嗅ぎ取った瞬間、ルーフェはその正体を知った。

「…………っつ!」

 以前にも嗅いだ覚えがある――その匂い。
 それをよく知っている彼は、大きくよろめいて顔を歪めた。
 匂いの正体は、肉の焦げた匂い。…………それも、人肉の焼けた。
 鼻に入る悪臭は、嫌でもルーフェの脳裏に、あの記憶を思い起こさせる。
 辛い記憶、非業の死を遂げたエディアとの、最後の記憶。
 
 ――駄目だ、見てはいけないと分かっている。けど、後ろには彼女が……エディアがいるんだ。例え、どんな姿であっても――

 歩く度に忍耐がすり減り、次第に限界へと近づいて行く。
 それでも終わる気配のない、長い道のり。
 そして限界が訪れた。
 
 ――せめて、ほんの少しだけなら――

 ついに耐え切れず、ルーフェはゆっくりと…………後ろを振り向く。
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