不可侵領域

千木

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 それから幾度か、セイはレンに声を掛けては、共に任務をこなしていた。教会でも二人で話す機会が増え、時間が合えば中庭で昼食を共にしたりもするようになった。そんな二人を見た同僚たちは驚いたような顔をして、何やら噂話をしている。聞こえなくとも内容が大体理解できるだけに気分は良くなかったが、それさえどうでも良くなる程、セイにとって彼といる時間が心地よいものになっていった。
 しかしそれでもなお、セイはこの気持ちの変化に名前をつけられずにいた。単に経験がないこともさることながら、「自分が男性を好きになる筈がない」という無意識の思い込みから、選択肢を消してしまっているのだ。だから、じんわりとした熱と多幸感に内心翻弄されながら、柔らかな時を過ごしていた。
 石も時間の経過とともに溜まっていく。レンと組んでから、稼働範囲が大幅に広がったことで、より効率よく、一度に沢山の石を集めることが出来た。しかも彼はそれを必要としないから、二人分を実質一人占めしているのだ。換金しては貯蓄額を眺める。望む外の世界が近づくのを感じるのと同時に、そこにレンは居ないだろうことに少しの寂しさを覚え始めていた。


**

「神父様。昼食の後、街に行きませんか」

 そう言い出したはセイだった。中庭で軽食を口にしていたレンはその言葉に手を止める。目元は見えないが、おそらくきょとんとしているだろう。

「何か買い物?」
「特定の目的はありません。貴方に、何か必要なものがあれば買わせていただきたいのです」
「俺?どうして?」
「任務に付き合わせている上、石を全ていただいているのです。何かしら、少しでもお返しするべきだと思いまして。……それに、結局まだ上着も返していませんし」

 ずっと気にしていたことだった。レンは自分に何もかも与えてくれているのに、自分は何も返していない。利用しようとしていた当初には考えもしない思いがセイにはあった。そして、レンはセイの想定する答えを返す。

「気にしなくていいよ。俺が好きでやっていることだと言ったでしょう?それに、欲しいものと言っても特には……」

 その返事に、返す言葉は決まっている。

「では、私が貴方と行きたいのです。お時間をいただきたいのです」
「……」
「……いけませんか?」

 あ、目を丸くした。そう感じた。それから、困ったように笑う。そして、

「わかった。行こうか」
「ありがとうございます」

 こう言えば、レンは承諾をしてくれる。それをセイはわかって、にっこりと笑みを浮かべた。
 レンは自分のことより、他人のことを優先する。それは行動を共にしてわかったことだった。

「私、準備をして来ますね。次の鐘が鳴る頃に、正門で待ち合わせで良いでしょうか」
「いいよ。俺もその間に引き継ぎを済ませておくから」
「はい」

 そう言って、セイは中庭を去る。子供たちのはしゃぎ声が空に響いて吸い込まれていく。今日も晴天だ。

「……勘違いをしてしまうよ」

 ぽそりと呟いた声は、誰にも届かなかった。


**

 街はさほど大規模ではなく、店も疎だが、閑散というよりは物静かで品があると言えた。あまり段差もない道は、レンにも歩きやすいだろうが、任務とは違い、セイが少し前を歩いて進む。

「何処かに向かうの?」
「いえ。用が無いと来ないので、適当に見て回ろうと」
「そう。わかった」

 本屋、八百屋、雑貨屋。道なりに軽く見ていく。時間はあまり無いが、目的が無い二人の足取りはとてもゆっくりだ。生の果物の香りを打ち消す独特の香りに顔を上げれば、そこには薬屋があった。硝子の向こうに白衣を着た人間が見える。

「そう言えば、貴方の目は治らないのですか?」

 何気なく問い掛ける。生まれつきと言っていたが、病気であるならば治療の方法はないのだろうかと。レンは「どうだろう」と首を傾げる。

「確か、もっと都会に出れば、大きな病院があって……そこであればもしかしたら、とは聞いたことがある」
「そんな大切なこと、どうしてうろ覚えなのですか」
「だって、そんなお金は無いし、前も言ったけれど困ってはいないから……」

 要は、治す気がまるで無いらしい。はっきり治ると言われたわけではなさそうなのもあるだろうが、それでもセイには理解出来なかった。チャンスがあるならそこに向かうべきなのではないかと。しかし前にも聞いたが、彼は現状に妥協して生きている。人の生き様にとやかく口を出すのは不躾だが、そこだけが話すたびに引っ掛かり、あまり好きになれない部分だった。

「……うん?」

 レンが通りの向こうを見た。セイも釣られて同じ方向を見ると、色とりどりの美しい花々が見えた。認識すれば薬の強い匂いの中に、ほんのり花の香りを感じる。レンはその香りにいち早く気付いたのだろう。
 そうか、とセイは閃いて、レンの手を掴んだ。

「花屋です。行きましょう」
「あ、うん」

 不意の行動に、レンがたじろいだことにセイは気づかなかった。そのまま人気のない道を横切る。店の前まで来ると、花の匂いは一層強く、しかし柔らかく香り、鼻を掠めた。セイは植物に精通してはいないが、知っているものは幾つかある。教会は花壇が多いから、おそらくそこで得た知見だろう。

「貴方、好きでしょう?」
「え?」
「花。よく世話をしていますし」

 セイからはそう見えていたので、その通りに問い掛ける。しかし何故かレンは首を傾げて、何か考えているようだった。違ったのだろうかと思うより先に、レンはそっと目の前のガーベラに触れた。

「そうか……。俺は、花が好きだったのか」
「自覚がなかったのですか?」
「うん。けれど……そうだね。好きなんだと思う」
「そうですか」

 花を世話するレンの顔は、自分に向ける顔に似ていると、セイは感じていた。穏やかに、優しそうに微笑む。それだけなら普段と変わらないのだが、なんとなく、纏う雰囲気が柔らかくなるような気がしていた。
 見えていなければ水やりの程度も、肥料などの手入れも難しいだろうに、香りや触り心地などで補っているのか、毎日丁寧に世話をしている。それは好きゆえの努力なのではないのか。その推察は間違いではなかったと確信して、セイは笑う。
 目の前の彼は、やはりふんわりと微笑んでいるから。
 やがて店員が一人、懐っこい笑みを浮かべて店の奥から現れた。彼女に誘われ、店内を見て回る。視覚的に楽しめないのが勿体無いほど、数々の花が並んでいた。それでもレンは彼なりに楽しんでいるのか、色々な方向を向いては気になった花に寄っていく。まるでひらひらと移動する蝶のようだった。
 少しして、一つの花の前に立ち止まると、そっと指を添えた。白く、凛とした百合の花だった。

「気になりますか?」

 セイから店員のような言葉を投げかけると、レンは可笑そうに笑った。それから、「うん」と頷く。

「君のようじゃない?」
「私?」
「いい香りがする」
「……!」

 香り、と聞いてどきりとする。あれからその話をしてはいなかったが、薄くなってしまった自室の上着の匂いに、セイはまだ縋っていた。そしてその理由を掴めずにいたから。
 レンは店員を呼んで、百合を指差す。

「これは種かな。球根?」
「百合なので、球根ですね」
「そうか。これは百合なんだね。教会で育てたいのだけれど、在庫はあるかな」
「はい。お持ちしますね」

 店員はカウンターの後ろに戻ると、何分と経たない内にいくらかを袋に入れて、レンの手に持たせた。

「育てるのに困ったら、いつでもどうぞ」
「ありがとう。お代は、」
「あ、私がお支払いします」

 その為に来たのだから、と。レンは申し訳なさそうに、しかし甘んじるようにその場をセイに任せた。
 勘定を済ませて店から出る。少しだけ空に橙が滲み出し、ぼんやりとしたグラデーションがかかっていた。気のせいか、いつもより雲が多い。

「ありがとう。楽しかったよ」
「何よりでした。私も楽しかったです」

 ちらりと袋に目をやる。きっとこの球根は、上手くいくかはどうあれ、大切に育ててもらえるのだろう。話をしている内に、距離のない帰路はすぐに終わった。もう少し、と僅かに願った。けれど、明日もその次もあるのだ。きっとまた機会はあるだろう。
 正門をくぐる。中庭に人の気配はない。

「そういえば、セイ。前に俺に、香水の類の話をしていたよね」
「え、はい。まぁ……」
「俺も知りたかったんだ。君は何を使っているの?」
「え?」

 セイは立ち止まって振り向く。レンも止まった。包帯越しに、おそらく目線が交わっている。少しひんやりとした風が二人の間を通り過ぎた。

「私、何もつけていません」
「……。そうなの?」
「はい。石鹸も、教会内の共通のものですし……」
「そう。いい匂いがするから、てっきり」
「……」
「不思議だね。百合の香りに似ていた気がしたけれど、やはり違う」
「そう、ですか」

 今なら、言えるかもしれないと思った。ずっと不思議だった、匂いに惹かれたことを。レンもそうなら、何か理由があるのではないか?
 口を開いて、喉から出かけて、

「レン」

 低い声に遮られた。

「!……主任、」

 レンが明らかに狼狽えた。
 年老いた主任神父。大変上の立場の人間だ。しかしこの年齢で劣情を纏う瞳が気味悪く、セイは彼のことが得意ではなかった。もちろんそんな内心を表に出すことなく、仰々しく頭を下げる。そんな彼女を一瞥してから、レンの方を向いた。

「彼女は番か?」
「……。いいえ」
「ならば、うつつを抜かしているんじゃあない。最近は女を抱かずにのらりくらりと。何人の女を待たせていると思っているんだ」
「ーーー!!」

 視界が、灰色になった。レンが慌てて言葉を紡ぐ様が見えたが、動けない。金縛りにあったように、それなのに思考は止まらない。主任の言葉を認識してしまう。

「ッ、主任。その話は部屋で、」

 レンの制止を、主任はまるで聞かなかった。

「障害を持つお前を拾ってやったのは私だ。早く番を見つけ、上の位に立ってもらわなくては私の立場がない。わかっているだろう。前の通り、一回抱いて印が出るかだけ確認すれば良いのだ」
「主任、ですから、」

 吐き気がする。
 先ほどまで満たされていた心が、満たされていた分だけ圧迫される。苦しくてたまらない。
 間近の二人の声が、遠くに聞こえる。

「ーー」
「ーー!」

 心が、鼓膜の機能を拒絶した。
 わかっていた。わかっていた筈だ。彼も、此処の神父であること。男であること。番を積極的に探す立場であること。そんなことは、初めから。
 セイはゆらり、と後退る。それから、笑みを作る。
 にっこりと、いつも通りに。

「セ……、」
「貴重なお時間をいただいてしまい、申し訳ありませんでした。番探し、頑張ってください」

 その場にいたくなかった。けれど、弱みも動揺も見せたくなかった。踵を返して、寮へ向かう。レンに名前を呼びかけられた気がしたが、振り返ることなく、真っ直ぐ背筋を伸ばして。
 そうでなければ……。

「(泣いてしまいそうだ)」
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