不可侵領域

千木

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手術室の扉の前、廊下に設置された椅子に座って、セイは息を吐く。心配が無いわけではないが、ここまで来たらなるようにしかならない。無事を祈って、気を負いすぎないように、ただ彼を待つ。
 昨日は本当にてんやわんやだった。朝早くにノノに叩き起こされ、レンと一緒に風呂場へと押し込まれた。物音を立てないよう、手早くシャワーを済ませて、持ってきていた服を鞄から取り出し、ぐしゃぐしゃの衣服を代わりにしまう。その間にノノはしっかりとベッドを元通りにして、汚れたシーツをリネンカートに突っ込んでいた。それから慣れた手つきでユニットバスの掃除をし始め、拭き取りまで完璧に終わらせると、再び此処で面会時間まで待っているようにと言った。

『ノノさん、あの、』
『あとで聞きます。……すっきりした顔してるじゃないっすか。良いんすよ、それで』

 提案した時と同じようににんまりと笑って、彼女は忙しなく出て行った。
 それから面会時間から少し経ち、そっと病室に戻ると同時に、タイミング良く医師がドアをノックした。びくりと肩が震えたが、平静を装って返事をする。

『あれ、奥さん早いね?』
『おはようございます。今日は、早く起きてしまったので』
『そう。でもちょうど良かった。手術なんだけど、明日になって……』

 早急な予定に、レンと顔を見合わせた。医師はその理由については何も言わなかったが、もしかしたら主任が痺れを切らして連絡をよこしたのかもしれない。
 それからあれよあれよと執刀医を紹介され、細かい説明がされた。勝手に医師=執刀医だと思っていたから少し驚いたが、今回はレンもしっかりと聞いているようだった。明日が手術であるなら尚更と、怠い身体のまま面会時間ぎりぎりまで一緒にいた結果、帰宅して洗濯物を片付けた途端、糸が切れたように眠ってしまった。あの粗末な布団で熟睡出来たのは初めてかもしれない。おかげで、大事な手術前だと変に気負わず、万全な状態でレンを見送ることが出来た。

「(きっと、大丈夫。それより、これからのことをーー)」

 術後の経過観察に数日あるとしても、それから先のことに思いを馳せる。あと、約三か月。もしかしたら入院日数が想定以上に長かったから、この期間を削ってくるかもしれない。読み聞かせのバイトと内職の掛け持ちでだいぶ手持ちは増えたが、十分かと言われれば不安はある。少なくとも援助なく大都市に居続けることは出来ない。
 両親の墓のこともあるし、とりあえずは元の街に戻ろうか?教会には戻れなくとも、街そのものから排除されるわけではない。とにかく、レンが戻って来なければ何も決めることは出来ないが……。

「やっほ、難しい顔してますね」
「ノノさん」

 不意に顔を覗かれて、意識を戻す。ノノは隣に座り、持っていたカルテを横に置いた。

「ノノさん、あの、昨日は……」
「謝るんなら、聞きませんよ?」
「……。いえ、ありがとうございました」
「ふふー。良いんすよ」

 満足そうに笑うノノにつられて、セイも笑う。それから手術室の閉め切られた扉を見やった。手術中のライトが点灯している。目の手術としては規格外な時間を要するということで、きっとまだまだ時間がかかるだろう。

「心配っすか?」
「はい。でも、信じて待つことしか出来ませんから」
「やっぱ健気な良い奥さんっすねぇ。とはいえ、当分終わんないと思いますよ」
「そうですね……」

 彼のために、何か出来るだろうか。少しでも内職を進めておこうか?少し考えて、セイは思いついたようにノノに問いかけた。

「ノノさん。近くに花屋はありませんか?」
「あるっすよ。ちょっと歩くけど……行くならついていくっす」
「えっ、でも」
「相変わらずボランティアタイムなもんで。昼飯も食べたいし、ね?ね?」
「……ふふ、わかりました」

 ノノにその意図があるかはわからないが、一人でずっと此処にいては変に考え込んでしまいそうだったから、セイにとってはありがたかった。それに、確かにお腹が空いている。ノノはこれを置いて来るから、とカルテを指差して立ち上がり、軽い足取りで立ち去った。待っていれば、すぐ来るだろう。
 もう一度、扉の向こうの彼を想う。

「貴方が好きな花、置いてあったら喜ぶでしょうか」

ーー。

 カフェで昼食を済ませて、花屋に行き、その帰り。百合の花束は、腕の中でふんわりと香る。

「花、好きなんすね」
「私ではなくて、彼がですよ」
「あぁ……そういえば、花瓶の花を替えるたびに、これは何の花?って聞いてきたっすね」

 確かに、病室にはいつも何かしらの花が飾られていた。レンが好きだからではなく、この病院はそこかしこに花が飾ってあるから、そういう指針でもあるのだろう。……そういえば、レンからノノのことをあまり聞かない。ちらりと彼女に目を向ける。

「神父様と話す機会、だいぶあったでしょう?何か言っていましたか?」
「え?旦那さんと話すことなんて、大抵奥さんのことっすよ。とどのつまり、惚気っす」
「えっ」
「こうしていられるのは彼女のお陰だとか、甘えているばかりだけどこれから返していきたいだとか、そんなん」
「……あ、あの、もう良いです」
「あーあと、匂いが好きって旦那さんも言ってたな。ずっと好きになるばっかりで~って。だから番じゃないかと思ったんすけどね」
「もう良いですったら」
「……あれ、照れてます?」
「……」
「あはは、愛されてるんすねぇ」

 けらけらと笑われて、ぷいと目を逸らす。彼が、他者にそんなことを。自分もノノにはだいぶ話しているから人のことは言えないが、気恥ずかしくてたまらない。しかし素直に喜んでいる内心が、隠しきれずに頬に灯る紅になって現れていた。
 病院に戻ると、普段中庭にいる子供たちが数人入り口付近に立っていて、セイを見るなりきらきらした目を向けて駆けて来た。

「お姉ちゃん、また本読んで!」
「待て待て、ガキども。今日この人は……」

 ノノが断ってくれるのを制して、子供たちの頭を撫でる。こんなに待ち望んでくれるのに、無下にするわけにはいかない。少なくとも、彼ならきっと。

「良いですよ。時間はまだありますから」
「やったー!行こ!」

 子供たちに引っ張られながら、セイは振り返る。

「すみません、この花、病室に飾っておいてもらえますか?」
「わかりました。むしろすいません」
「いいえ」

 花束をノノに託して、中庭へと向かう。子供たちが持ってくる絵本の内容は多種多様で、どれも見たことはなかった。時に優しく、時に明るく、時に少しだけ怖い物語。それらは子供向けであるものの、時々ふと考えさせられることもある。だからお金を貰えるのとは別にしても、それなり有意義な時間だった。
 定位置のベンチに座り、本を受け取って言葉を紡ぐ。一冊読み終わるのに大した時間はかからない。数冊読んでから、見守り役の看護師たちに連れられて病院内に戻る子供たちの背を見届けて、セイも立ち上がった。皆満足そうに笑っていて良かった、そう思いながら。

「(そろそろ、予定時間になる)」

 病院の外壁にある大きな時計を見上げる。視界に二階のベランダに看護師の姿が映った。植木鉢を移動させているのだろうか。外套の前を摘んで、病院内に入ろうとした、刹那。
 頭上から小さく悲鳴が上がった。見上げると、小さな影。落下物。その下に、しゃがんで花壇を見つめる小さな子ども。

「危ないッーー…!」

 思考より先に身体が動く。咄嗟に踏み出して、ぐっと手を伸ばすと、子どもに覆い被さる。カンマ数秒後、ガシャン、という音が響いて、鈍痛が背中に走った。周囲の人間がざわつき出すが、大した痛みではない。それより、とセイは顔を上げた。子どもはきょとんとしている。怪我の一つも無いとわかれば、安堵に息を吐いた。
 足元に目をやる。プラスチック製の植木鉢が無残な姿となっていた。中の土も軽く、見た目よりダメージは無かったが、子どもとなれば話が違ったかもしれない。ほっと胸を撫で下ろしていると、血相変えた看護師たちが走り寄って来た。先ほど二階から見えた看護師が涙目になって謝ってくるのを宥め、大したことはないと伝える。子どもを看護師が連れて行くのを見送っていると、背後から医師の声がした。

「セイさん!植木鉢が当たったって……!」
「私は大丈夫ですよ。服が汚れたくらいで……」
「駄目。痣一つでも、念のため診せて」
「ですが、」
「病院側の不手際だから、もちろんお金は貰わない。それに、旦那さんに顔向け出来ないよ。だから、お願い」

 真剣な顔でそう言う医師に、それでも大丈夫だと突っぱねる必要は感じなかった。少し戸惑いながら承諾し、医師と一緒に病院内に入る。じんじんと痛むが、歩けているのだがら骨に異常は無いと思うのだが。
 診療室に行くと、診察の準備をしていたらしいノノが目を丸くした。彼女に要点のみ説明して、医師はセイを丸椅子に座るよう促す。それに、素直に従った。

「まったく、あのおっちょこちょい……!最悪大惨事っすよ、もう」
「彼女も故意では無いにしろ、手入れ場所とかを改めなくちゃね……。本当にごめんね」
「いいえ、私は別に……」
「駄目っすよ!大事な奥さん傷物にしたなんて、まじで旦那さんに合わせる顔が無いっす。ほら、見せて見せて」
「傷物って、そんな大袈裟な……」

 半ば無理矢理服を脱がされる。セイは苦笑しつつ、とりあえずされるがまま自分でも服を捲った。空気に触れた背中がふるりと震える。

「……、」
「どうですか?」
「………」
「……あの?」

 背中を見ている筈の二人から応答が無い。首だけで振り向くと、何故だか二人して同じように驚愕を顔に浮かべ、硬直していた。
 自覚が無いだけで、それほど酷い怪我でもしたのだろうか。血の流れる感触さえ無いのだが……もう一度声を掛けると、我に返ったのか医師が「ごめんね」と笑いかけてくれた。しかし、その笑みにも戸惑いが隠しきれていない。

「驚いたな。いくら低い位置からとはいっても、ちょっとの擦り傷で済んでる」
「そうですか。なら良かったですけど……」
「……一応、写真を撮らせてね。骨に異常があったら大変だから」
「あ、はい」

 あまりの軽傷に驚いたのだろうか。それにしたって、二人の様子はおかしい。首を傾げながら服を戻して、レントゲンの準備をすると奥へ行った二人を待った。

「……センセ、あれって、」
「うん。確認する」

 二人の会話は聞こえない。
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