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第5話 魔性の訪問者と、獣の噂
しおりを挟む煌(こう)が仕事に出かけ、紫苑がひとりで留守を預かる昼下がりのことだった。
完璧なセキュリティを誇るはずのペントハウスのチャイムが、唐突に鳴り響いた。
「……どちら様でしょうか?」
家政婦がインターホンに応対する声が聞こえる。しかし、次の瞬間、玄関の方からヒールの音が強引に廊下を叩く音が響いてきた。
「退(ど)きなさい。私が誰か忘れたの?」
「で、ですが六条様! 社長からは誰も入れるなと……」
「煌が私を拒むはずがないでしょう」
冷ややかだが、鼓膜に粘りつくような艶のある女性の声。
リビングの扉が荒々しく開かれる。
そこに立っていたのは、息を呑むような美女だった。
六条麗香(ろくじょう・れいか)。
三十代半ばだろうか。紫苑とは対照的な、深紅のルージュと身体のラインを強調したハイブランドのスーツ。その全身からは、濃厚な薔薇の香水と、隠しきれない苛立ちが立ち昇っていた。
「……あら。あなたが新しいペット?」
麗香の鋭い視線が、紫苑を頭のてっぺんからつま先まで、値踏みするように射抜いた。
蛇に見入られた蛙のように、紫苑は動けなくなる。
「は、はじめまして……藤村紫苑と、申します」
「紫苑……ふん、貧相な雑草のような名前ね」
麗香は鼻で笑うと、勝手知ったる様子でソファに腰を下ろし、長い脚を組んだ。
「単刀直入に聞くわ。あなた、煌と『した』の?」
あまりに直球な問いかけに、紫苑は顔を真っ赤にしてうつむく。
「い、いえ……そのようなことは……」
「……ふふ、そうでしょうね。やっぱり」
麗香は勝ち誇ったような、それでいてどこか同情するような歪んだ笑みを浮かべた。
「できるわけがないわ。そんな身体じゃ、煌を受け入れた瞬間に壊れてしまうもの」
紫苑の背筋に冷たいものが走る。
煌も同じことを言っていた。「壊れてしまう」と。
「あの人はね、人間じゃないのよ。皮を被った獣なの」
麗香は立ち上がり、紫苑の周りをゆっくりと歩き始めた。まるで獲物を追い詰めるように。
「顔も、財力も、家柄も完璧。でもね、神様は残酷よ。彼に、人間の女には到底受け止められない『凶器』を与えたんだから」
「きょう、き……?」
「ええ。私も試したわ。……でも、無理だった。あれは愛し合うための器官じゃない。女を貫き、引き裂くための暴力そのものよ」
麗香の声が低くなり、紫苑の耳元で呪いのように囁く。
「想像してごらんなさい。あなたのその小さな秘所に、常識外れの太さと長さを持つ杭が、容赦なく打ち込まれるところを。……快楽なんてないわ。あるのは激痛と、内臓を抉られるような恐怖だけ」
「や、やめて……!」
紫苑は耳を塞いだ。だが、麗香の言葉は脳裏に焼き付き、煌の優しい笑顔の裏にある「野獣」のイメージを増幅させる。
あの夜、煌が見せたギラついた瞳。下着の上から触れられた時の、異様な圧迫感。
すべてが繋がった気がした。
「可哀想に。煌はあなたを愛しているんじゃない。いつかその身体に、自分の欲望を叩きつけるための『使い捨ての鞘(さや)』として育てているだけなのよ」
麗香は満足げに紫苑の蒼白な顔を眺めると、玄関へと踵を返した。
「精々気をつけることね。溺愛という名の麻酔が切れた時、あなたは地獄を見るわ」
嵐のように去っていった麗香。
残されたのは、部屋に充満したキツイ香水の匂いと、紫苑の心に刻まれた深い恐怖心だけだった。
――ガチャリ。
それから数時間後。重厚なドアが開く音がした。
煌が帰宅したのだ。
「ただいま、紫苑。……いい子にしていたか?」
いつもなら安堵を覚えるその声に、今の紫苑は過剰に反応してしまった。
近づいてくる煌の足音。
彼が手を伸ばしてきた瞬間、紫苑は反射的に身をすくませ、後ずさりしてしまった。
「……ッ!」
「……紫苑?」
煌の手が空を切る。
その瞬間、煌の表情から温かみが消えた。
彼は鼻をひくつかせ、部屋に残る異質な香りに気づく。
「……薔薇の香り。麗香か」
煌の瞳が、凍てつくように細められた。
怯える紫苑を見て、彼がいない間に何が吹き込まれたのか、すべてを悟ったのだ。
「余計な真似を……」
低く唸る煌。
だが、彼はすぐに甘く危険な微笑みを貼り付け、逃げようとする紫苑の腰を強引に引き寄せた。
「何を怖がっている? 誰が何を言おうと、お前は俺のものだ」
密着した煌の下腹部には、確かな熱と硬度を持った質量が存在していた。
麗香の言葉が蘇る。
紫苑の身体は、煌への恋心と、本能的な生物としての恐怖の間で、激しく震え始めた。
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