どこまでも醜い私は、ある日黒髪の少年を手に入れた

布施鉱平

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終章

狂戦士

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「アレックス、腹には一撃も貰うなよ。あと、できるだけ殺すな」

「おれのことより、自分の心配をしろリディア! あと、いちおう手加減はするけど、それで死んでもおれはしらん!」

「それでいい。マリアは、アレックスに殴られて死にそうなヤツがいたら、死なない程度に回復してやれ」

「わかりました」

 交渉が決裂し、戦端が開かれた直後。
 短い会話を交わすと、三人はそれぞれに行動を開始した。

 アレックスはその場で敵陣右翼に身体を向け、リディアは左翼に向けて歩を進め、マリアベルはアレックスの後方に待機する。

「すー……っ」

 アレックスは、目の前に群がる黒騎士たちを前に、深く息を吸い込んだ。

 身体の中に、熱いものが煮え滾っていた。
 
 心臓の辺りから生まれたそれは、血管を通って全身を駆け巡り、体中の毛という毛を逆立て、ミシミシ軋む音を立てながら筋肉を隆起させる。

 ────怒りだ。

 激しい怒りが全身に満ちあふれ、敵を引き裂けと訴えてくる。

 それでもなお、アレックスが以前とは違い理性を失っていないのは、身体の中にあるもう一つの熱のおかげだろう。
 暖かな命の熱が、アレックスを獣ではなく、人に押し留めていた。

「フー……ッ!」

 炎のように熱い息を吐き出し、アレックスはその大きな背中をやや丸める。
 そして、身体の横に下げた両手の平を前に向けると、軽く指を折り曲げた。

 アレックスが、本気で戦う時の体勢スタイルだ。
 
 つがいを奪われ、胸には憤怒を、はらには子を宿した母虎が、愚かな狩人たちに向かってゆっくりと歩き出した。




 ◇


「落ち着けッ! どれだけ強かろうと相手は獣人だッ! 対処法は変わらんッ! 盾持ちは前に、弓兵と魔術師は後方から狙いをつけろッ!」

 黒騎士十番隊の隊長であり、六~十番隊の全権指揮を担うタバサは、動きの鈍い部下たちに喝を入れつつ指示を飛ばす。
 
 が、そう言う彼女自身、体の震えや冷や汗を止めることは出来なかった。

(敵意を向けられただけでこれか……化け物め……っ)

 その原因はもちろん、こちらに向かってゆっくりと歩を進めてくる獣人────虎人フゥ族の先祖返りであるアレックスの、尋常ならざる威圧感の為だ。

 並の人間であれば────いや、どれだけ鍛えていようとも、人間という種族であれば否応なしに感じ取ってしまう、生物としての『格』の違い。

 保有する魔力が極端に低いという欠点こそあるものの、肉体の性能に関しては、決して越えられぬ壁が人と獣人の間には存在している。

 膂力、速さ、五感の鋭さ、勘の良さ、どれを取っても獣人は人を凌駕する。

 特に、その身体能力の高さを生かせる近接戦に置いては、達人級の使い手が優れた武具で身を固めて、ようやく互角といったところだ。

 それでも人は常に、獣人に対して上の立場を保ち続けてきた。
 
 理由は二つある。
 まずは、種族としての協調性だろう。

 人はいざとなれば『国』という一つの大きなくくりでまとまることが出来るが、獣人はそうではない。

 獣人は狼人ロゥ族、虎人フゥ族、猪人ボァ族など、それぞれ動物の特徴を受け継ぐ氏族ごとに纏まっており、風習や性質なども全く異なっている。
 
 なんなら、他氏族の獣人同士で生息地ナワバリを争い合うことも珍しくはない。 

 一応、獣人の『国』とされている地域はいくつか存在しているが、それはあくまでも獣人たちの多く生息している地を、人が便宜上そう呼んでいるだけのこと。

 その為、複数の氏族が連合して人間に立ち向かう、というような事態にはなかなかならず、人間側からすれば各個撃破すればいいうえに、増援もさほど気にしなくていいという、戦争をする相手としては非常に戦い易い種族なのだ。

 しかし、この二つの種族の優劣を決定づけたのは、やはり魔術の開発と発展によるものが最も大きいだろう。

 獣人はその保有する魔力量の少なさから、攻撃的な魔術を扱うことが出来ない。

 だが、それに対して人は戦いに魔術を組み込むことによって、遠距離から一方的な攻撃を仕掛けることが出来る。
 
 戦いの距離が、人と獣人の趨勢すうせいを決したのだ。

 その戦術は今もなお有効であり、くつがえされたことはない。

 獣人は確かに人の数倍も頑強であり、動きも速い。
 だが、言ってしまえばそれだけなのだ。

 生物である以上、炎が迫ってくれば怯むし、雷を浴びれば動きが止まる。

 その隙を狙って弓を射るなり、槍で突くなりすれば、獣人を倒す事はさほど難しい事では無かった。

 もちろん、例外はある。
 同じ黒騎士隊に所属するレアンは、獣人としても戦士としても最高峰の能力を持つ武人だ。

 その実力は、他の黒騎士全員と互するほどである。

 しかし、度重なる訓練によって、タバサの率いる六~十番隊は、実戦を想定した模擬戦での勝率を四割に上げるまで成長をしていた。

 今目の前にいるアレックスという獣人は、確かに強いのだろう。

 個として戦いを挑めば、この場にいる誰であろうとも瞬殺されるのは目に見えている。

 だが、彼女たちは『騎士』であり『隊』なのだ。

 集団戦闘において、自分たちに勝る者はまずいないと自負していたし、そう言えるだけの修練を重ねてきてもいた。

 だから今回も勝てる。
 そう、確信していた。


 ────ドンッ、という重低音とともに、前方にいた盾持ちの部下が消え、その代わりその場所に、拳を突き出した体勢のアレックスが現われるまでは。


「……はっ?」


 タバサは、戦いの最中である事も忘れ、思わず間の抜けた声を上げた。

 何が起こったのか理解できず、つかの間、思考が停止したのだ。
 
 タバサは確かに、アレックスから目を離さなかった。
 一瞬たりともだ。

 レアンとの訓練から、先祖返りの獣人の速度が馬鹿げていることは理解しており、十分に警戒していたのだから当たり前だろう。
 
 だがそれでいてなお、アレックスの動きを目で追えなかった。

 戦いの中で、相手の剣が目で追えない、というならまだ分かる。
 近い距離であるほど、人の目で速い動きを捉えるのは難しくなるからだ。

 しかし、十数歩先にいる相手の、しかも体全体の動きを追えないなどというのは、デタラメにも程がある。

 それはアレックスの移動速度が、達人の剣速にも等しいということを示しているのだから。

「……っ、囲めぇっ!」

 一瞬の自失から我に返ったタバサは、すぐさま指示を飛ばした。

 混乱や驚愕はまだ心の大部分を支配しているが、長年の戦いで培った騎士としての経験が、それを可能にした。

 実際、その指示は現在の状況を考えると、最も適切なものだったと言えるだろう。

 吹き飛ばされた仲間がいた場所に、入れ替わるように現われたアレックスの距離は近すぎて、弓や魔術は仲間の体が盾となり、当たらない。

 かといって、陣形を維持したまま距離を取ろうとするのも愚策だ。

 あの短距離転移にも等しい移動速度を考えれば、アレックスにとって目に見える範囲など、手を伸ばせば届く距離と何ら変りはないだろう。

 また、密集して押し潰す、という手段もとれない。

 部下が吹き飛ばされた、先ほどの攻撃。
 音とアレックスの体勢から察するに、拳による殴打を盾に打ち込んだのだと考えられる。

 だが、その飛ばされた盾持ちの部下は、竜の尾撃にも耐えたという実績を持つ猛者だった。
 それが、何の抵抗も出来ずに吹き飛ばされた。

 あまりの速さに、衝撃を逸らす暇が無かった、というのはあるだろう。

 しかしそれを考慮に入れても、金属製の全身鎧を身に纏い、同じく金属製の大盾を構えた人間を宙に舞わせた攻撃力は、破城槌はじょうついと同程度にはあると見ていい。

 そんなものを前に密集するなど、どうぞなぎ倒してくださいと言っているようなものだ。

 であれば、あとは包囲して前面にいる者は囮と防御に徹し、側面と背後にいる者が攻撃をするという、単純な包囲攻撃しか手段は残されていない。

 一瞬でこれだけの事を判断し、最善の判断を下せたタバサは、騎士として、指揮官として、非常に優秀だと言える。


 ……だがそれは、あくまでも相手が予測の範囲内に収まる存在であれば、の話だ。


 タバサの指示で、素早くアレックスを取り囲んだ黒騎士たちは、すぐさま攻撃に出た。

「はぁあああっ!」

「おぉおおおっ!」

 アレックスの前面に位置する二名が雄叫びを上げながら注意を引き、後ろから別の二名が無言で剣を突き込む。

 しかし、
 
「がっ……!」

「ぐはっ!」

 その剣がアレックスに届くことはなく、逆に凄まじい勢いで左右になぎ倒されてしまった。
 アレックスが、依然として振り向いていないにも関わらずだ。

「なにが……っ」

 と言いかけて、タバサは気づいた。
 
 先祖返りである事を象徴するアレックスの尻尾が、いつの間にか地面すれすれの位置から上昇し、人の頭くらいの高さまで上がっていることを。

「まさか……尻尾で殴り倒したとでもいうのか!?」

 倒れた二人を見れば、頭部に装備した金属製の兜が棒状に陥没しているのが見えた。
 その形は、アレックスの尻尾の形状に、ぴったりと当てはまっている。

 目の前で繰り広げられた光景に、タバサは愕然とした。
 せざるを得なかった。

 つまりアレックスという獣人は、訓練を積んだ騎士でも視認不可能な速さで移動し、破城槌レベルの攻撃力を有し、背後からの意表を突いた奇襲も野生の本能的な何かによって察知して、鋼の棍棒じみた強度を誇る尻尾で迎撃してくる、ということだからだ。

「ば、化け物……っ!」
 
 自らが指揮官である事も忘れ、一人の人間として、タバサは恐怖の籠もった声を漏らした。

 その声に反応し、アレックスがタバサに顔を向ける。

「……いや、おれは化け物じゃねぇ」

 言いながら、手近な人間をひとり殴り飛ばし、アレックスは一歩、タバサに近づく。

「前はそうだったかもしれないが……今のおれは、無敵で最強なお母さん・・・・だ」

 一歩、また一歩。

 牙を剥き出しにした、獰猛な表情のアレックスがタバサへと近づくたびに、部下の黒騎士たちが地面になぎ倒され、視界の外まで殴り飛ばされていく。


 ────【狂戦士アレックス】


 まさに、その二つ名にふさわしい暴威の体現者。

「あ……あ……」

 もはや、タバサに部下へ指示を飛ばすだけの余裕は残されていなかった。

 意味もなく口から音を漏らしながら、『なぜだ』という思いだけが頭の中で反響する。

 自分たちは、獣人に対する戦闘訓練を積んできた。
 しかも、単独A級という肩書きをもつ、名実ともに世界最強の獣人であるレアンを相手に。

 それなのになぜ、こうも一方的に蹂躙されているのか……

「あ……」
 
 ふと、決して認めたくない考えが、頭を過った。

 自分たちは、確かに訓練を積んできた。
 レアンを相手にして、四割の勝率を上げられるほど研鑽を重ねてきた。


 ……しかしその時、レアンは果たして本気で戦ってくれていたのだろうか。


 もしかしたら、自分たちにとっては実戦を想定した本気の戦いでも、レアンにとっては文字通りただの『訓練』に過ぎなかったのでは…… 
 
「じゃあな」

「あ…………がっ!!」

 考えが纏まる前に、タバサはアレックスの拳を胸に受け、宙を舞っていた。

 誇りである黒い鎧は拳の形に陥没し、そこから伝わってきた衝撃は人が耐えられる限界を優に超えていた。

 遠のく意識の中、何か暖かいものが体に浸透してきた気がしたが、それがなんであるのかを認識する前に、タバサは地面に激突し、全ての思考を手放した。

 自分に向かって短杖ワンドを向ける、青い髪の女の姿をタバサが認識することは、最後までなかったのだった。
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