78 / 90
終章
狂戦士
しおりを挟む
「アレックス、腹には一撃も貰うなよ。あと、できるだけ殺すな」
「おれのことより、自分の心配をしろリディア! あと、いちおう手加減はするけど、それで死んでもおれはしらん!」
「それでいい。マリアは、アレックスに殴られて死にそうなヤツがいたら、死なない程度に回復してやれ」
「わかりました」
交渉が決裂し、戦端が開かれた直後。
短い会話を交わすと、三人はそれぞれに行動を開始した。
アレックスはその場で敵陣右翼に身体を向け、リディアは左翼に向けて歩を進め、マリアベルはアレックスの後方に待機する。
「すー……っ」
アレックスは、目の前に群がる黒騎士たちを前に、深く息を吸い込んだ。
身体の中に、熱いものが煮え滾っていた。
心臓の辺りから生まれたそれは、血管を通って全身を駆け巡り、体中の毛という毛を逆立て、ミシミシ軋む音を立てながら筋肉を隆起させる。
────怒りだ。
激しい怒りが全身に満ちあふれ、敵を引き裂けと訴えてくる。
それでもなお、アレックスが以前とは違い理性を失っていないのは、身体の中にあるもう一つの熱のおかげだろう。
暖かな命の熱が、アレックスを獣ではなく、人に押し留めていた。
「フー……ッ!」
炎のように熱い息を吐き出し、アレックスはその大きな背中をやや丸める。
そして、身体の横に下げた両手の平を前に向けると、軽く指を折り曲げた。
アレックスが、本気で戦う時の体勢だ。
番いを奪われ、胸には憤怒を、胎には子を宿した母虎が、愚かな狩人たちに向かってゆっくりと歩き出した。
◇
「落ち着けッ! どれだけ強かろうと相手は獣人だッ! 対処法は変わらんッ! 盾持ちは前に、弓兵と魔術師は後方から狙いをつけろッ!」
黒騎士十番隊の隊長であり、六~十番隊の全権指揮を担うタバサは、動きの鈍い部下たちに喝を入れつつ指示を飛ばす。
が、そう言う彼女自身、体の震えや冷や汗を止めることは出来なかった。
(敵意を向けられただけでこれか……化け物め……っ)
その原因はもちろん、こちらに向かってゆっくりと歩を進めてくる獣人────虎人族の先祖返りであるアレックスの、尋常ならざる威圧感の為だ。
並の人間であれば────いや、どれだけ鍛えていようとも、人間という種族であれば否応なしに感じ取ってしまう、生物としての『格』の違い。
保有する魔力が極端に低いという欠点こそあるものの、肉体の性能に関しては、決して越えられぬ壁が人と獣人の間には存在している。
膂力、速さ、五感の鋭さ、勘の良さ、どれを取っても獣人は人を凌駕する。
特に、その身体能力の高さを生かせる近接戦に置いては、達人級の使い手が優れた武具で身を固めて、ようやく互角といったところだ。
それでも人は常に、獣人に対して上の立場を保ち続けてきた。
理由は二つある。
まずは、種族としての協調性だろう。
人はいざとなれば『国』という一つの大きな括りで纏まることが出来るが、獣人はそうではない。
獣人は狼人族、虎人族、猪人族など、それぞれ動物の特徴を受け継ぐ氏族ごとに纏まっており、風習や性質なども全く異なっている。
なんなら、他氏族の獣人同士で生息地を争い合うことも珍しくはない。
一応、獣人の『国』とされている地域はいくつか存在しているが、それはあくまでも獣人たちの多く生息している地を、人が便宜上そう呼んでいるだけのこと。
その為、複数の氏族が連合して人間に立ち向かう、というような事態にはなかなかならず、人間側からすれば各個撃破すればいいうえに、増援もさほど気にしなくていいという、戦争をする相手としては非常に戦い易い種族なのだ。
しかし、この二つの種族の優劣を決定づけたのは、やはり魔術の開発と発展によるものが最も大きいだろう。
獣人はその保有する魔力量の少なさから、攻撃的な魔術を扱うことが出来ない。
だが、それに対して人は戦いに魔術を組み込むことによって、遠距離から一方的な攻撃を仕掛けることが出来る。
戦いの距離が、人と獣人の趨勢を決したのだ。
その戦術は今もなお有効であり、覆されたことはない。
獣人は確かに人の数倍も頑強であり、動きも速い。
だが、言ってしまえばそれだけなのだ。
生物である以上、炎が迫ってくれば怯むし、雷を浴びれば動きが止まる。
その隙を狙って弓を射るなり、槍で突くなりすれば、獣人を倒す事はさほど難しい事では無かった。
もちろん、例外はある。
同じ黒騎士隊に所属するレアンは、獣人としても戦士としても最高峰の能力を持つ武人だ。
その実力は、他の黒騎士全員と互するほどである。
しかし、度重なる訓練によって、タバサの率いる六~十番隊は、実戦を想定した模擬戦での勝率を四割に上げるまで成長をしていた。
今目の前にいるアレックスという獣人は、確かに強いのだろう。
個として戦いを挑めば、この場にいる誰であろうとも瞬殺されるのは目に見えている。
だが、彼女たちは『騎士』であり『隊』なのだ。
集団戦闘において、自分たちに勝る者はまずいないと自負していたし、そう言えるだけの修練を重ねてきてもいた。
だから今回も勝てる。
そう、確信していた。
────ドンッ、という重低音とともに、前方にいた盾持ちの部下が消え、その代わりその場所に、拳を突き出した体勢のアレックスが現われるまでは。
「……はっ?」
タバサは、戦いの最中である事も忘れ、思わず間の抜けた声を上げた。
何が起こったのか理解できず、つかの間、思考が停止したのだ。
タバサは確かに、アレックスから目を離さなかった。
一瞬たりともだ。
レアンとの訓練から、先祖返りの獣人の速度が馬鹿げていることは理解しており、十分に警戒していたのだから当たり前だろう。
だがそれでいてなお、アレックスの動きを目で追えなかった。
戦いの中で、相手の剣が目で追えない、というならまだ分かる。
近い距離であるほど、人の目で速い動きを捉えるのは難しくなるからだ。
しかし、十数歩先にいる相手の、しかも体全体の動きを追えないなどというのは、デタラメにも程がある。
それはアレックスの移動速度が、達人の剣速にも等しいということを示しているのだから。
「……っ、囲めぇっ!」
一瞬の自失から我に返ったタバサは、すぐさま指示を飛ばした。
混乱や驚愕はまだ心の大部分を支配しているが、長年の戦いで培った騎士としての経験が、それを可能にした。
実際、その指示は現在の状況を考えると、最も適切なものだったと言えるだろう。
吹き飛ばされた仲間がいた場所に、入れ替わるように現われたアレックスの距離は近すぎて、弓や魔術は仲間の体が盾となり、当たらない。
かといって、陣形を維持したまま距離を取ろうとするのも愚策だ。
あの短距離転移にも等しい移動速度を考えれば、アレックスにとって目に見える範囲など、手を伸ばせば届く距離と何ら変りはないだろう。
また、密集して押し潰す、という手段もとれない。
部下が吹き飛ばされた、先ほどの攻撃。
音とアレックスの体勢から察するに、拳による殴打を盾に打ち込んだのだと考えられる。
だが、その飛ばされた盾持ちの部下は、竜の尾撃にも耐えたという実績を持つ猛者だった。
それが、何の抵抗も出来ずに吹き飛ばされた。
あまりの速さに、衝撃を逸らす暇が無かった、というのはあるだろう。
しかしそれを考慮に入れても、金属製の全身鎧を身に纏い、同じく金属製の大盾を構えた人間を宙に舞わせた攻撃力は、破城槌と同程度にはあると見ていい。
そんなものを前に密集するなど、どうぞなぎ倒してくださいと言っているようなものだ。
であれば、あとは包囲して前面にいる者は囮と防御に徹し、側面と背後にいる者が攻撃をするという、単純な包囲攻撃しか手段は残されていない。
一瞬でこれだけの事を判断し、最善の判断を下せたタバサは、騎士として、指揮官として、非常に優秀だと言える。
……だがそれは、あくまでも相手が予測の範囲内に収まる存在であれば、の話だ。
タバサの指示で、素早くアレックスを取り囲んだ黒騎士たちは、すぐさま攻撃に出た。
「はぁあああっ!」
「おぉおおおっ!」
アレックスの前面に位置する二名が雄叫びを上げながら注意を引き、後ろから別の二名が無言で剣を突き込む。
しかし、
「がっ……!」
「ぐはっ!」
その剣がアレックスに届くことはなく、逆に凄まじい勢いで左右になぎ倒されてしまった。
アレックスが、依然として振り向いていないにも関わらずだ。
「なにが……っ」
と言いかけて、タバサは気づいた。
先祖返りである事を象徴するアレックスの尻尾が、いつの間にか地面すれすれの位置から上昇し、人の頭くらいの高さまで上がっていることを。
「まさか……尻尾で殴り倒したとでもいうのか!?」
倒れた二人を見れば、頭部に装備した金属製の兜が棒状に陥没しているのが見えた。
その形は、アレックスの尻尾の形状に、ぴったりと当てはまっている。
目の前で繰り広げられた光景に、タバサは愕然とした。
せざるを得なかった。
つまりアレックスという獣人は、訓練を積んだ騎士でも視認不可能な速さで移動し、破城槌レベルの攻撃力を有し、背後からの意表を突いた奇襲も野生の本能的な何かによって察知して、鋼の棍棒じみた強度を誇る尻尾で迎撃してくる、ということだからだ。
「ば、化け物……っ!」
自らが指揮官である事も忘れ、一人の人間として、タバサは恐怖の籠もった声を漏らした。
その声に反応し、アレックスがタバサに顔を向ける。
「……いや、おれは化け物じゃねぇ」
言いながら、手近な人間をひとり殴り飛ばし、アレックスは一歩、タバサに近づく。
「前はそうだったかもしれないが……今のおれは、無敵で最強なお母さんだ」
一歩、また一歩。
牙を剥き出しにした、獰猛な表情のアレックスがタバサへと近づくたびに、部下の黒騎士たちが地面になぎ倒され、視界の外まで殴り飛ばされていく。
────【狂戦士アレックス】
まさに、その二つ名にふさわしい暴威の体現者。
「あ……あ……」
もはや、タバサに部下へ指示を飛ばすだけの余裕は残されていなかった。
意味もなく口から音を漏らしながら、『なぜだ』という思いだけが頭の中で反響する。
自分たちは、獣人に対する戦闘訓練を積んできた。
しかも、単独A級という肩書きをもつ、名実ともに世界最強の獣人であるレアンを相手に。
それなのになぜ、こうも一方的に蹂躙されているのか……
「あ……」
ふと、決して認めたくない考えが、頭を過った。
自分たちは、確かに訓練を積んできた。
レアンを相手にして、四割の勝率を上げられるほど研鑽を重ねてきた。
……しかしその時、レアンは果たして本気で戦ってくれていたのだろうか。
もしかしたら、自分たちにとっては実戦を想定した本気の戦いでも、レアンにとっては文字通りただの『訓練』に過ぎなかったのでは……
「じゃあな」
「あ…………がっ!!」
考えが纏まる前に、タバサはアレックスの拳を胸に受け、宙を舞っていた。
誇りである黒い鎧は拳の形に陥没し、そこから伝わってきた衝撃は人が耐えられる限界を優に超えていた。
遠のく意識の中、何か暖かいものが体に浸透してきた気がしたが、それがなんであるのかを認識する前に、タバサは地面に激突し、全ての思考を手放した。
自分に向かって短杖を向ける、青い髪の女の姿をタバサが認識することは、最後までなかったのだった。
「おれのことより、自分の心配をしろリディア! あと、いちおう手加減はするけど、それで死んでもおれはしらん!」
「それでいい。マリアは、アレックスに殴られて死にそうなヤツがいたら、死なない程度に回復してやれ」
「わかりました」
交渉が決裂し、戦端が開かれた直後。
短い会話を交わすと、三人はそれぞれに行動を開始した。
アレックスはその場で敵陣右翼に身体を向け、リディアは左翼に向けて歩を進め、マリアベルはアレックスの後方に待機する。
「すー……っ」
アレックスは、目の前に群がる黒騎士たちを前に、深く息を吸い込んだ。
身体の中に、熱いものが煮え滾っていた。
心臓の辺りから生まれたそれは、血管を通って全身を駆け巡り、体中の毛という毛を逆立て、ミシミシ軋む音を立てながら筋肉を隆起させる。
────怒りだ。
激しい怒りが全身に満ちあふれ、敵を引き裂けと訴えてくる。
それでもなお、アレックスが以前とは違い理性を失っていないのは、身体の中にあるもう一つの熱のおかげだろう。
暖かな命の熱が、アレックスを獣ではなく、人に押し留めていた。
「フー……ッ!」
炎のように熱い息を吐き出し、アレックスはその大きな背中をやや丸める。
そして、身体の横に下げた両手の平を前に向けると、軽く指を折り曲げた。
アレックスが、本気で戦う時の体勢だ。
番いを奪われ、胸には憤怒を、胎には子を宿した母虎が、愚かな狩人たちに向かってゆっくりと歩き出した。
◇
「落ち着けッ! どれだけ強かろうと相手は獣人だッ! 対処法は変わらんッ! 盾持ちは前に、弓兵と魔術師は後方から狙いをつけろッ!」
黒騎士十番隊の隊長であり、六~十番隊の全権指揮を担うタバサは、動きの鈍い部下たちに喝を入れつつ指示を飛ばす。
が、そう言う彼女自身、体の震えや冷や汗を止めることは出来なかった。
(敵意を向けられただけでこれか……化け物め……っ)
その原因はもちろん、こちらに向かってゆっくりと歩を進めてくる獣人────虎人族の先祖返りであるアレックスの、尋常ならざる威圧感の為だ。
並の人間であれば────いや、どれだけ鍛えていようとも、人間という種族であれば否応なしに感じ取ってしまう、生物としての『格』の違い。
保有する魔力が極端に低いという欠点こそあるものの、肉体の性能に関しては、決して越えられぬ壁が人と獣人の間には存在している。
膂力、速さ、五感の鋭さ、勘の良さ、どれを取っても獣人は人を凌駕する。
特に、その身体能力の高さを生かせる近接戦に置いては、達人級の使い手が優れた武具で身を固めて、ようやく互角といったところだ。
それでも人は常に、獣人に対して上の立場を保ち続けてきた。
理由は二つある。
まずは、種族としての協調性だろう。
人はいざとなれば『国』という一つの大きな括りで纏まることが出来るが、獣人はそうではない。
獣人は狼人族、虎人族、猪人族など、それぞれ動物の特徴を受け継ぐ氏族ごとに纏まっており、風習や性質なども全く異なっている。
なんなら、他氏族の獣人同士で生息地を争い合うことも珍しくはない。
一応、獣人の『国』とされている地域はいくつか存在しているが、それはあくまでも獣人たちの多く生息している地を、人が便宜上そう呼んでいるだけのこと。
その為、複数の氏族が連合して人間に立ち向かう、というような事態にはなかなかならず、人間側からすれば各個撃破すればいいうえに、増援もさほど気にしなくていいという、戦争をする相手としては非常に戦い易い種族なのだ。
しかし、この二つの種族の優劣を決定づけたのは、やはり魔術の開発と発展によるものが最も大きいだろう。
獣人はその保有する魔力量の少なさから、攻撃的な魔術を扱うことが出来ない。
だが、それに対して人は戦いに魔術を組み込むことによって、遠距離から一方的な攻撃を仕掛けることが出来る。
戦いの距離が、人と獣人の趨勢を決したのだ。
その戦術は今もなお有効であり、覆されたことはない。
獣人は確かに人の数倍も頑強であり、動きも速い。
だが、言ってしまえばそれだけなのだ。
生物である以上、炎が迫ってくれば怯むし、雷を浴びれば動きが止まる。
その隙を狙って弓を射るなり、槍で突くなりすれば、獣人を倒す事はさほど難しい事では無かった。
もちろん、例外はある。
同じ黒騎士隊に所属するレアンは、獣人としても戦士としても最高峰の能力を持つ武人だ。
その実力は、他の黒騎士全員と互するほどである。
しかし、度重なる訓練によって、タバサの率いる六~十番隊は、実戦を想定した模擬戦での勝率を四割に上げるまで成長をしていた。
今目の前にいるアレックスという獣人は、確かに強いのだろう。
個として戦いを挑めば、この場にいる誰であろうとも瞬殺されるのは目に見えている。
だが、彼女たちは『騎士』であり『隊』なのだ。
集団戦闘において、自分たちに勝る者はまずいないと自負していたし、そう言えるだけの修練を重ねてきてもいた。
だから今回も勝てる。
そう、確信していた。
────ドンッ、という重低音とともに、前方にいた盾持ちの部下が消え、その代わりその場所に、拳を突き出した体勢のアレックスが現われるまでは。
「……はっ?」
タバサは、戦いの最中である事も忘れ、思わず間の抜けた声を上げた。
何が起こったのか理解できず、つかの間、思考が停止したのだ。
タバサは確かに、アレックスから目を離さなかった。
一瞬たりともだ。
レアンとの訓練から、先祖返りの獣人の速度が馬鹿げていることは理解しており、十分に警戒していたのだから当たり前だろう。
だがそれでいてなお、アレックスの動きを目で追えなかった。
戦いの中で、相手の剣が目で追えない、というならまだ分かる。
近い距離であるほど、人の目で速い動きを捉えるのは難しくなるからだ。
しかし、十数歩先にいる相手の、しかも体全体の動きを追えないなどというのは、デタラメにも程がある。
それはアレックスの移動速度が、達人の剣速にも等しいということを示しているのだから。
「……っ、囲めぇっ!」
一瞬の自失から我に返ったタバサは、すぐさま指示を飛ばした。
混乱や驚愕はまだ心の大部分を支配しているが、長年の戦いで培った騎士としての経験が、それを可能にした。
実際、その指示は現在の状況を考えると、最も適切なものだったと言えるだろう。
吹き飛ばされた仲間がいた場所に、入れ替わるように現われたアレックスの距離は近すぎて、弓や魔術は仲間の体が盾となり、当たらない。
かといって、陣形を維持したまま距離を取ろうとするのも愚策だ。
あの短距離転移にも等しい移動速度を考えれば、アレックスにとって目に見える範囲など、手を伸ばせば届く距離と何ら変りはないだろう。
また、密集して押し潰す、という手段もとれない。
部下が吹き飛ばされた、先ほどの攻撃。
音とアレックスの体勢から察するに、拳による殴打を盾に打ち込んだのだと考えられる。
だが、その飛ばされた盾持ちの部下は、竜の尾撃にも耐えたという実績を持つ猛者だった。
それが、何の抵抗も出来ずに吹き飛ばされた。
あまりの速さに、衝撃を逸らす暇が無かった、というのはあるだろう。
しかしそれを考慮に入れても、金属製の全身鎧を身に纏い、同じく金属製の大盾を構えた人間を宙に舞わせた攻撃力は、破城槌と同程度にはあると見ていい。
そんなものを前に密集するなど、どうぞなぎ倒してくださいと言っているようなものだ。
であれば、あとは包囲して前面にいる者は囮と防御に徹し、側面と背後にいる者が攻撃をするという、単純な包囲攻撃しか手段は残されていない。
一瞬でこれだけの事を判断し、最善の判断を下せたタバサは、騎士として、指揮官として、非常に優秀だと言える。
……だがそれは、あくまでも相手が予測の範囲内に収まる存在であれば、の話だ。
タバサの指示で、素早くアレックスを取り囲んだ黒騎士たちは、すぐさま攻撃に出た。
「はぁあああっ!」
「おぉおおおっ!」
アレックスの前面に位置する二名が雄叫びを上げながら注意を引き、後ろから別の二名が無言で剣を突き込む。
しかし、
「がっ……!」
「ぐはっ!」
その剣がアレックスに届くことはなく、逆に凄まじい勢いで左右になぎ倒されてしまった。
アレックスが、依然として振り向いていないにも関わらずだ。
「なにが……っ」
と言いかけて、タバサは気づいた。
先祖返りである事を象徴するアレックスの尻尾が、いつの間にか地面すれすれの位置から上昇し、人の頭くらいの高さまで上がっていることを。
「まさか……尻尾で殴り倒したとでもいうのか!?」
倒れた二人を見れば、頭部に装備した金属製の兜が棒状に陥没しているのが見えた。
その形は、アレックスの尻尾の形状に、ぴったりと当てはまっている。
目の前で繰り広げられた光景に、タバサは愕然とした。
せざるを得なかった。
つまりアレックスという獣人は、訓練を積んだ騎士でも視認不可能な速さで移動し、破城槌レベルの攻撃力を有し、背後からの意表を突いた奇襲も野生の本能的な何かによって察知して、鋼の棍棒じみた強度を誇る尻尾で迎撃してくる、ということだからだ。
「ば、化け物……っ!」
自らが指揮官である事も忘れ、一人の人間として、タバサは恐怖の籠もった声を漏らした。
その声に反応し、アレックスがタバサに顔を向ける。
「……いや、おれは化け物じゃねぇ」
言いながら、手近な人間をひとり殴り飛ばし、アレックスは一歩、タバサに近づく。
「前はそうだったかもしれないが……今のおれは、無敵で最強なお母さんだ」
一歩、また一歩。
牙を剥き出しにした、獰猛な表情のアレックスがタバサへと近づくたびに、部下の黒騎士たちが地面になぎ倒され、視界の外まで殴り飛ばされていく。
────【狂戦士アレックス】
まさに、その二つ名にふさわしい暴威の体現者。
「あ……あ……」
もはや、タバサに部下へ指示を飛ばすだけの余裕は残されていなかった。
意味もなく口から音を漏らしながら、『なぜだ』という思いだけが頭の中で反響する。
自分たちは、獣人に対する戦闘訓練を積んできた。
しかも、単独A級という肩書きをもつ、名実ともに世界最強の獣人であるレアンを相手に。
それなのになぜ、こうも一方的に蹂躙されているのか……
「あ……」
ふと、決して認めたくない考えが、頭を過った。
自分たちは、確かに訓練を積んできた。
レアンを相手にして、四割の勝率を上げられるほど研鑽を重ねてきた。
……しかしその時、レアンは果たして本気で戦ってくれていたのだろうか。
もしかしたら、自分たちにとっては実戦を想定した本気の戦いでも、レアンにとっては文字通りただの『訓練』に過ぎなかったのでは……
「じゃあな」
「あ…………がっ!!」
考えが纏まる前に、タバサはアレックスの拳を胸に受け、宙を舞っていた。
誇りである黒い鎧は拳の形に陥没し、そこから伝わってきた衝撃は人が耐えられる限界を優に超えていた。
遠のく意識の中、何か暖かいものが体に浸透してきた気がしたが、それがなんであるのかを認識する前に、タバサは地面に激突し、全ての思考を手放した。
自分に向かって短杖を向ける、青い髪の女の姿をタバサが認識することは、最後までなかったのだった。
20
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
最難関ダンジョンをクリアした成功報酬は勇者パーティーの裏切りでした
新緑あらた
ファンタジー
最難関であるS級ダンジョン最深部の隠し部屋。金銀財宝を前に告げられた言葉は労いでも喜びでもなく、解雇通告だった。
「もうオマエはいらん」
勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。
ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。
転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。
勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
戦場の英雄、上官の陰謀により死亡扱いにされ、故郷に帰ると許嫁は結婚していた。絶望の中、偶然助けた許嫁の娘に何故か求婚されることに
千石
ファンタジー
「絶対生きて帰ってくる。その時は結婚しよう」
「はい。あなたの帰りをいつまでも待ってます」
許嫁と涙ながらに約束をした20年後、英雄と呼ばれるまでになったルークだったが生還してみると死亡扱いにされていた。
許嫁は既に結婚しており、ルークは絶望の只中に。
上官の陰謀だと知ったルークは激怒し、殴ってしまう。
言い訳をする気もなかったため、全ての功績を抹消され、貰えるはずだった年金もパー。
絶望の中、偶然助けた子が許嫁の娘で、
「ルーク、あなたに惚れたわ。今すぐあたしと結婚しなさい!」
何故か求婚されることに。
困りながらも巻き込まれる騒動を通じて
ルークは失っていた日常を段々と取り戻していく。
こちらは他のウェブ小説にも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる