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ルイーズ2
痴情の縺れ
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夫たちが戻ってきたのは、かなり夜も更けてから。
先に夜食を供して人心地ついてから、簡単な説明を求めたところ――
「まあ、何と言うか、一言で言うと頭がおかしい奴らに振りまわされた感じだな」
夫はサンダースが用意したブランデーを一息に呷り、タン、とグラスをテーブルに音を立てて置いて、ふうとため息をついた。
何から聞くべきかと、戸惑っているわたしの前に、グレイグ夫人がハーブティーのカップを置き、尋ねた。
「つまり、リンダとニコルソン医師の不貞に気づいたリンダの夫が、アンお嬢様を攫って暴走した……ということなのですか?」
夫は肩を竦め、黒い布の眼帯の紐を調節しながら頷く。
「まあ、要するにそう。リンダの夫ジェフ・モーガンは、妻のリンダと上手くいっていなくて、嫉妬心をたぎらせていた。結婚して三か月になるけど、リンダはモーガンに辟易して、その……夜の生活もなんのかんのと拒否しがちだったらしい。モーガンは、リンダに別の男がいるのを疑い、その相手を僕だと思い込んでいた。……というか、リンダがそう、仄めかしていたようだ」
ちょっと意味がわからず、わたしが瞬きする。
……リンダは幼馴染のジェフ・モーガンと恋仲で、三年前にも結婚する予定だったのに、夫との関係がバレ、アンを妊娠したことでいったんは破談になった。両親にも詰られ、勘当されたリンダは、自殺未遂を謀って、なんとか一命をとりとめ、アンを生んだ。その後、アンはわたしが引き取って養女にし、リンダはようやく両親とも和解して、ジェフ・モーガンと結婚した――のだと思っていたのに。
「リンダとジェフ・モーガンは不仲だったのですか?……やっぱり、例の一件が……」
わたしが言いかけると、夫は首を振り、グレイグ夫人が注いだブランデーのお替りを、今度はゆっくり、一口だけ口に含んだ。
「リンダはそもそも、ジェフ・モーガンが好きだったのかな? 家が近所で幼馴染かもしれないけれど、公爵家の令嬢に仕えるリンダにとって、村の職人のジェフは不満だったのではないかな。……あのモーガンという男、実直そうと言えば聞こえはいいが、公爵家に出入りする人間を見慣れた目には、いかにも田舎臭いし、しかも見るからに嫉妬深そうだ」
リンダは村の出身ではあるが、幼い頃からわたしに仕え、持ち物や服装も、公爵令嬢付きに相応しく、それなりのものを支給されていた。村の娘たちの中でも、抜きん出て垢抜けて見えた。一方のジェフは代々の桶づくりの職人で――
「村の教会で会った時、なんとなく、釣り合わないような、妙な雰囲気を僕は感じた。男は明らかに女に執着していたけれど、女の方は妙に怯えていて様子がおかしかった。お屋敷仕えを続ける中で、リンダはもっと上等の男を狙っていたんじゃないかな。――そんな時に、医者に粉をかけられたら、あっさり靡くだろ」
「……レイフが……」
医者のレイフ・ニコルソンは大学も出て、この辺りの男の中では都会的で洗練されている。まだ独身で、リンダが狙える最上の部類だ。
「リンダは医者と関係を持ち妊娠したが、医者はリンダとの結婚を承知しない。嫉妬深いジェフを誤魔化すにはどうしたらいいか。……そこで医者がリンダに知恵をつける。僕の部屋に忍び込み、僕の子を妊娠したと言い張れば、後は医者が上手くやると。普通ならそんな策は上手くいかないけれど、こと、昔の僕に関しては、まったく信用がなかった。情事の現場を目撃したルイーズが悲鳴をあげ、リンダと僕の関係は邸中の周知のものとなり、僕の言い訳など誰も聞かなかった」
「じゃあ、アンの父親は――」
わたしが夫を見つめれば、夫は微かに首を振った。
「医者は今のところ、黙秘を貫いているそうだ。……でも、たぶん間違いないと思う」
アンの父親はレイフ・ニコルソンで、夫ユージーンは嵌められたのだと言われ、わたしは思わず顔を覆った。夫はわたしの手を握り、そっと抱きしめる。
「……仕方がないよ、君が悪いわけではない。昼に再現しただろう? あんな光景を目にしたら、動顛して当然だ」
「でも……」
「月数とか、いろいろ不自然なことがあったとしても、医者がつじつまを合わせてしまえば、素人は信じてしまう。……一言で言えば、僕に信用がなさすぎた」
グレイグ夫人が、あくまで冷静に、話の続きを促した。
「今は、先に進みましょう。問題は、本日の、モーガンの事件についてです」
「そうだったね。……リンダは僕の子だと偽ったまま、アンを生んだ。君はアンとリンダに責任を感じて、アンの養育を申し出る。ジェフ・モーガンは、リンダとそのまま結婚すると言い張ったが、リンダの方はジェフとの結婚を拒否した。リンダと両親の不仲は、そのためらしい」
不貞を働いてもなお、結婚しようと言ってくれる幼馴染との結婚を拒否する娘に、リンダの両親は愛想を尽かした。リンダは紆余曲折の末に医者に助けられアンを生んだと言うが、これも実際はどうだったのか。アンを出産した後、リンダは生活のためと称して医者の診療所で手伝いをし、内実は愛人関係にあった。
「リンダは医者にいいように利用されていたけれど、とにかく医者のことが好きだったらしいね。モーガンは、執念深くリンダに付きまとっていたけど、リンダは、アンが公爵家の養女になっているのは、戦争が終わって僕が戻ってきたら、僕がリンダを愛人にするつもりだからだと、モーガンを牽制していたようだ」
「では、なぜリンダはモーガンと結婚したのでしょうか」
呆然と聞くだけのわたしと異なり、グレイグ夫人はぐいぐいと核心に迫ってくる。……そう言えば、グレイグ夫人は探偵小説を読むのが好きだと言っていた。その時は意外な趣味だと思ったけれど、青い目が爛々として、……なんというか、すごく生き生きとしている。
「……もしかして、リンダが再び妊娠したのではございませんか?」
「さすが! グレイグ夫人、鋭い! 冴えてるね!」
夫がポンと手を打って、人差し指を上げてグレイグ夫人を指せば、グレイグ夫人が誇らしそうに頭を下げる。わたしは、先ほどの医者の家で見た、リンダの裸を思い出し、アッと思う。……そうか、太ったというよりは、あれは……。
グレイグ夫人が少しばかり誇らしそうに夫に礼を言う。
「お褒めにあずかり、恐縮に存じます」
「そう、たぶん、理由はそれだ。僕たちが村の教会で見た時、すでに妊娠していたんだね。それで、まさか前回と同じ手は使えないので、モーガンと結婚し、誤魔化そうとした。ところが――」
夫がもう一口、ブランデーを口にし、グラスをテーブルに戻す。
「リンダの予想もしないことに、戦争で大怪我をしたはずの僕が、なぜか公爵家で療養すると言う。リンダは僕の記憶がないことをあの時点では知らないから、僕が真実を暴露するんじゃないか、内心、ビクビクだったんだ」
「……それで、リンダは妙にビクビクして、モーガンの方はあなたのことを、親の仇のように睨んでいたのね」
……そして改めて、リンダを見て絶対にあんな女と不貞なんてあり得ない、と断言していた夫の勘は、とても正確だったわけだ……。
先に夜食を供して人心地ついてから、簡単な説明を求めたところ――
「まあ、何と言うか、一言で言うと頭がおかしい奴らに振りまわされた感じだな」
夫はサンダースが用意したブランデーを一息に呷り、タン、とグラスをテーブルに音を立てて置いて、ふうとため息をついた。
何から聞くべきかと、戸惑っているわたしの前に、グレイグ夫人がハーブティーのカップを置き、尋ねた。
「つまり、リンダとニコルソン医師の不貞に気づいたリンダの夫が、アンお嬢様を攫って暴走した……ということなのですか?」
夫は肩を竦め、黒い布の眼帯の紐を調節しながら頷く。
「まあ、要するにそう。リンダの夫ジェフ・モーガンは、妻のリンダと上手くいっていなくて、嫉妬心をたぎらせていた。結婚して三か月になるけど、リンダはモーガンに辟易して、その……夜の生活もなんのかんのと拒否しがちだったらしい。モーガンは、リンダに別の男がいるのを疑い、その相手を僕だと思い込んでいた。……というか、リンダがそう、仄めかしていたようだ」
ちょっと意味がわからず、わたしが瞬きする。
……リンダは幼馴染のジェフ・モーガンと恋仲で、三年前にも結婚する予定だったのに、夫との関係がバレ、アンを妊娠したことでいったんは破談になった。両親にも詰られ、勘当されたリンダは、自殺未遂を謀って、なんとか一命をとりとめ、アンを生んだ。その後、アンはわたしが引き取って養女にし、リンダはようやく両親とも和解して、ジェフ・モーガンと結婚した――のだと思っていたのに。
「リンダとジェフ・モーガンは不仲だったのですか?……やっぱり、例の一件が……」
わたしが言いかけると、夫は首を振り、グレイグ夫人が注いだブランデーのお替りを、今度はゆっくり、一口だけ口に含んだ。
「リンダはそもそも、ジェフ・モーガンが好きだったのかな? 家が近所で幼馴染かもしれないけれど、公爵家の令嬢に仕えるリンダにとって、村の職人のジェフは不満だったのではないかな。……あのモーガンという男、実直そうと言えば聞こえはいいが、公爵家に出入りする人間を見慣れた目には、いかにも田舎臭いし、しかも見るからに嫉妬深そうだ」
リンダは村の出身ではあるが、幼い頃からわたしに仕え、持ち物や服装も、公爵令嬢付きに相応しく、それなりのものを支給されていた。村の娘たちの中でも、抜きん出て垢抜けて見えた。一方のジェフは代々の桶づくりの職人で――
「村の教会で会った時、なんとなく、釣り合わないような、妙な雰囲気を僕は感じた。男は明らかに女に執着していたけれど、女の方は妙に怯えていて様子がおかしかった。お屋敷仕えを続ける中で、リンダはもっと上等の男を狙っていたんじゃないかな。――そんな時に、医者に粉をかけられたら、あっさり靡くだろ」
「……レイフが……」
医者のレイフ・ニコルソンは大学も出て、この辺りの男の中では都会的で洗練されている。まだ独身で、リンダが狙える最上の部類だ。
「リンダは医者と関係を持ち妊娠したが、医者はリンダとの結婚を承知しない。嫉妬深いジェフを誤魔化すにはどうしたらいいか。……そこで医者がリンダに知恵をつける。僕の部屋に忍び込み、僕の子を妊娠したと言い張れば、後は医者が上手くやると。普通ならそんな策は上手くいかないけれど、こと、昔の僕に関しては、まったく信用がなかった。情事の現場を目撃したルイーズが悲鳴をあげ、リンダと僕の関係は邸中の周知のものとなり、僕の言い訳など誰も聞かなかった」
「じゃあ、アンの父親は――」
わたしが夫を見つめれば、夫は微かに首を振った。
「医者は今のところ、黙秘を貫いているそうだ。……でも、たぶん間違いないと思う」
アンの父親はレイフ・ニコルソンで、夫ユージーンは嵌められたのだと言われ、わたしは思わず顔を覆った。夫はわたしの手を握り、そっと抱きしめる。
「……仕方がないよ、君が悪いわけではない。昼に再現しただろう? あんな光景を目にしたら、動顛して当然だ」
「でも……」
「月数とか、いろいろ不自然なことがあったとしても、医者がつじつまを合わせてしまえば、素人は信じてしまう。……一言で言えば、僕に信用がなさすぎた」
グレイグ夫人が、あくまで冷静に、話の続きを促した。
「今は、先に進みましょう。問題は、本日の、モーガンの事件についてです」
「そうだったね。……リンダは僕の子だと偽ったまま、アンを生んだ。君はアンとリンダに責任を感じて、アンの養育を申し出る。ジェフ・モーガンは、リンダとそのまま結婚すると言い張ったが、リンダの方はジェフとの結婚を拒否した。リンダと両親の不仲は、そのためらしい」
不貞を働いてもなお、結婚しようと言ってくれる幼馴染との結婚を拒否する娘に、リンダの両親は愛想を尽かした。リンダは紆余曲折の末に医者に助けられアンを生んだと言うが、これも実際はどうだったのか。アンを出産した後、リンダは生活のためと称して医者の診療所で手伝いをし、内実は愛人関係にあった。
「リンダは医者にいいように利用されていたけれど、とにかく医者のことが好きだったらしいね。モーガンは、執念深くリンダに付きまとっていたけど、リンダは、アンが公爵家の養女になっているのは、戦争が終わって僕が戻ってきたら、僕がリンダを愛人にするつもりだからだと、モーガンを牽制していたようだ」
「では、なぜリンダはモーガンと結婚したのでしょうか」
呆然と聞くだけのわたしと異なり、グレイグ夫人はぐいぐいと核心に迫ってくる。……そう言えば、グレイグ夫人は探偵小説を読むのが好きだと言っていた。その時は意外な趣味だと思ったけれど、青い目が爛々として、……なんというか、すごく生き生きとしている。
「……もしかして、リンダが再び妊娠したのではございませんか?」
「さすが! グレイグ夫人、鋭い! 冴えてるね!」
夫がポンと手を打って、人差し指を上げてグレイグ夫人を指せば、グレイグ夫人が誇らしそうに頭を下げる。わたしは、先ほどの医者の家で見た、リンダの裸を思い出し、アッと思う。……そうか、太ったというよりは、あれは……。
グレイグ夫人が少しばかり誇らしそうに夫に礼を言う。
「お褒めにあずかり、恐縮に存じます」
「そう、たぶん、理由はそれだ。僕たちが村の教会で見た時、すでに妊娠していたんだね。それで、まさか前回と同じ手は使えないので、モーガンと結婚し、誤魔化そうとした。ところが――」
夫がもう一口、ブランデーを口にし、グラスをテーブルに戻す。
「リンダの予想もしないことに、戦争で大怪我をしたはずの僕が、なぜか公爵家で療養すると言う。リンダは僕の記憶がないことをあの時点では知らないから、僕が真実を暴露するんじゃないか、内心、ビクビクだったんだ」
「……それで、リンダは妙にビクビクして、モーガンの方はあなたのことを、親の仇のように睨んでいたのね」
……そして改めて、リンダを見て絶対にあんな女と不貞なんてあり得ない、と断言していた夫の勘は、とても正確だったわけだ……。
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