【R18】陰陽の聖婚 Ⅳ:永遠への回帰

無憂

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12、女王の寝室

アデライードの不安

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 夜、初めて女王の寝室に入り、入浴も済ませて二人、大きな寝台の上で寄り添い合う。
 リリアとアンジェリカが淹れてくれた薬草茶ハーブティーを飲み終えて、アデライードはまだ寝酒の馬鈴薯酒アクアヴィットを嗜んでいる夫の側にごそごそと寄っていく。女王の寝台は四本柱の彫刻も豪華で、高い格天井の装飾は花々や天使の華麗な絵画で埋め尽くされ、慌てて取り換えたらしい真新しい天蓋布の襞も重厚で、何となく落ち着かない。
 一方の夫は、普段どおりの東方風の絹の夜着を緩く着て、大きく開いた襟もとから金鎖に通した神器の指輪を覗かせ、優しく微笑むとアデライードを抱き寄せた。

「今日は大変だったな……体調は、どうだ?」
「ん……少し、疲れた、けど……」

 飲み干したショットグラスを寝台脇の卓上に置いて、シウリンはアデライードを抱き寄せ軽く唇を塞ぐ。

 ナキアに近づくにつれて、アデライードの緊張が高まっていくのを、シウリンは否応なく感じ取っていた。レイノークス領の時もそうだったが、そちらはまだしも、幸福な記憶の残る故郷だった。ナキアには嫌な思い出しかないのかもしれない。

「……この部屋に入ったのは、アライア女王とのお別れの時だけです」

 アデライードがポツリと言う。アライア女王の危篤が伝えられ、ユウラとレイノークス辺境伯ユーシス夫妻、アデライード、そしてユリウスは、慌ててレイノークス領からナキアに駆けつけたけれど、死に目には間に合わなかった。だが柩に収める前のアライア女王の遺体とは対面できた。幼かったアデライードの記憶は、ずいぶん曖昧だ。数度会っただけの、母の姉だという人が亡くなり、おそらくはその娘である従姉の姫が女王になるはずだった。その即位式を見届けたら、すぐに領地に帰る。――それだけのつもりだった。

 幼いアデライードはユリウスに守られるように、王城の一角に滞在していたが、その日々はあまり楽しいものではなかった。

 狭い場所に閉じこめられたのも、レイノークス領でのびのび育ったアデライードには苦痛だった。異母兄のユリウスはアデライードを精一杯可愛がってくれるけれど、一番仲のよかった異母弟のマルクスとも遊びたい。他の異母姉たちともお喋りしたい。とにかくレイノークス城に帰りたい。無聊を慰めるために、王城を出入りする、ナキア周辺の貴族の少女たちとのお茶会が設定されたけれど、言葉の端々に地方への偏見が滲んでいて、田舎の素朴な暮らしに慣れたアデライードはなじめなかった。少女たちの着るゴテゴテした長衣は遊ぶには邪魔そうで、アデライードには全く魅力的には見えなかった。――だって、お母様もお父様も、すっきりした衣服を着ているけれど、誰よりもお美しい。飾り立てた衣装を着たところで、中身が綺麗になるわけではないのに――。

 どうにも我慢の限界が来たころに告げられた、母の女王戴冠の話。父の急死、そして――。

 悪夢のようなあの日。雪崩れ込んできたギュスターブたちが母ユウラを監禁し、アデライードもユリウスもユウラから遠ざけられてしまう。数日後、束の間再会した母は、見る影もなくやつれていた。母はアデライードに神器の指輪を渡し、とにかく王城を出ろと言う。

 馬車の窓から遠ざかる王城を覗いて、せいせいした気分だった。お母様もお兄様も、すぐに追いつくから――そう、乳母に言われた言葉を疑いもせず、カンダハルから船に乗り、海を渡る。海の向こうに、あんな孤独が待ち受けているなんて、想像もせずに――。

 アデライードはぎゅっと、シウリンの鍛えた胸に顔を押し付けて抱き着く。目の前で、あの日母から手渡された神器の指輪が揺れる。聖地の森でこれをシウリンに渡した時は、母にもすぐに逢えると信じていた。ただ、ほんの一時、彼に預かってもらうだけのつもりだった。

 シウリンの力強い腕がアデライードの身体に回されて、抱きしめられる。瞬間、息が詰まるけれど、その苦しさにアデライードはようやく安心する。

 ――怖い。

 十年ぶりのナキアの王城。
 隣にこの人がいなければ。この人の熱い腕のぬくもりがなければ、到底、その場に立っていられなかった。白鳥城と呼ばれる王城の優雅な姿は、アデライードになんの安らぎももたらさない。馬車から降り立った時の、周囲の視線。出迎えた貴族たちの値踏みするような、そして微かな失望の気配。優雅ににこやかに、女王らしく自信満々に振る舞うなんて、できるはずがない。なぜならアデライードにとって、ナキアの貴族たちは父を殺し、虐待される母を見殺しにした、イフリートの手先でしかないからだ。聖地の修道院に閉じこめられたアデライードにも、そしてギュスターブの手の内に監禁されたユウラ女王にも、誰一人として救いの手を差し伸べなかったではないか。

 十年を経て、帝国の強大な軍に守られ、〈狂王〉と渾名される夫の庇護のもとに、アデライードはようやく、ナキアに帰ることができた。そう、ここはアデライードにとって、敵地に等しい。

 アデライードは夫に操られる傀儡くぐつのように、一声も発しなかった。その姿を見て、帝国に囚われた無力な女王と、アデライードを侮る気配が元老院に満ちていた。あの壇上にポツンと置かれた椅子、一人ならば到底、座ることなんてできないと思われた孤独な玉座。シウリンの膝の上に抱き込まれたからこそ、アデライードは上から議場を見下ろすことができた。そうでなければあの場で倒れたかもしれない。微かに震えるアデライードの身体を、シウリンが大きな手で宥めるように撫でてくれた。

 心配はいらない。ただ、生きてこの場にあればいい。――ただ、あなたは私だけのものだから。

 そう、言われたような気がして、アデライードはそれから、夢見心地で女王即位の宣誓だけを辛うじてこなした。

 ああ、わたしにはこの人だけなのだ。
 豪華な寝台の絹の褥の上で、アデライードはさらに夫の胸に顔を寄せる。このままずっと身体を寄せ合って、隙間なくピッタリとくっついて、互いの肌さえなくなるほど、一つになれればいいのに。

「アデライード……?」

 妻の抱く不安を感じ取ったのか、シウリンが呼びかける。

「……しない、の?」
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