【R18】ゴーレムの王子は光の妖精の夢を見る

無憂

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番外編

侍従官ジョナサン・カーティスの独白②

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 我が家、ロックウィル伯爵家と、隣家とも言うべき、グレンフィリック子爵家、どちらも羊毛の生産でそこそこ儲けている。父と子爵は幼馴染で親友で、お互いの妻同士も仲がよく、両家は親戚同様に行き来していた。自然な成り行きで、兄クリスと子爵の姪・デイジーの婚約が決められた。

 幼少時は上手くいっていると思っていた。でも、兄が学校に上がって寄宿舎に入ってから、なんとなく微妙な空気が流れ始める。

 母親同士も、そして妹ドロシーとシャーロットも仲がいいから、両家の交流は相変わらずだ。だから、クリスがいない時でも、デイジーは頻繁に我が家にやってきたし、家族同然に扱われていた。僕もそのことを疑問に思わないでいた。

 いつからだろう。デイジーが、僕にあれこれと話しかけるようになったのは。

 明るい金髪に青い目の兄クリスは、ハンサムで明朗な性格で、華やかな王都の暮らしが気に入ったのか、休暇になっても理由をつけて家に戻ってこない。逆に、僕はゴミゴミした都会のせわしさが苦手で、休暇はほとんど家で過ごした。デイジーはかつては、陽気な兄を好んで、陰気な僕には近づいてこなかったのに。
 デイジーは綺麗な金髪の巻き毛で、空の青を溶かしたような瞳の色をして、そして女性らしい柔らかい印象があって、風が近くを通り抜けた時には、ふわりと甘い香りがした。

『クリスからね、こんな手紙が来たの。……王都の聖誕節のシーズンは素晴らしいって……大きな公園の池がスケートリンクになって、聖節市場が夜通し出るって――』
『そうなんだ。……僕はすぐにこっちに帰ってきてしまうから、王都の様子は知らない』
『わたしも王都に行きたいわ。ジョナサンは王都の生活が楽しくないの?』
『いや……僕は家が落ち着くから……』

 僕が十七になる年、二十歳になって大学カレッジ卒業の年を迎える兄と、デイジーの結婚が具体的に決まる。だがその頃、デイジーは僕に、結婚への不安を打ち明けるようになった。

『本当に、クリスはわたしのことが好きなのかしら……近頃ちっともこちらに帰ってこない』
『大学の課題が忙しいって言っていたよ。あと、いい就職口を探すのに苦労しているみたいだ』
『ねえ、でも王都は都会だわ。……もしかしたら、もっと素敵なご令嬢がいるのかも……わたしみたいな田舎者じゃなくて……』
『そんなことはないよ、デイジーは綺麗だよ。……兄貴も、きっと会いたいと思っているよ。会いに行ってみたら』

 時々王都で会う兄クリスは、常に忙しそうにしていて、そして野心に溢れていた。王都で官僚として出世する未来に夢中のあまり、婚約者のデイジーや故郷のことは二の次、三の次になっていた。
 デイジーは休暇中の兄のクリスに会うために、王都に出掛けた。――そうして、何があったのか知らないが、酷く傷ついて戻ってきた。

 何があったのか、デイジーは語らない。でも、兄がデイジーを傷つけたのだ。僕は兄に腹を立て、デイジーに深く同情した。それをきっかけに、僕とデイジーの間は急速に接近して、その――要するに男女の仲になった。

 仮にも兄の婚約者と。
 僕は自分自身が許せなくて、その次の休暇は初めて、家に帰らなかった。

 デイジーと会うのが恐ろしかった。関係を持っておきながら逃げ回る僕は卑怯な男だと思いながらも、でも僕は、兄や家族にも会わせる顔がないと思ったから――。
 


 

 しかし、僕が現実から目を塞ぎ、士官学校の寄宿舎に逃げ込んでいる間に、デイジーと兄との関係はどうにもならないほど、拗れてしまったらしい。それがわかったのは、その翌年。兄は無事に王宮に職を得て、エリート官僚の道を歩み始め、兄とデイジーの結婚式は二か月後に迫っていた。

 ――結婚式にはさすがに帰らなければ――

 兄とデイジーの結婚式を目の当たりにする。僕はデイジーを愛しているのか、それとも兄への罪悪感なのかわからなくなって、なんとか結婚式を逃れる方法はないのか密かに悩んでいた。そんな時、王都の市警ヤードからの連絡に僕は仰天する。

 兄が、歓楽街の安ホテルで刺されて死んでいた。
 近くには泥酔した男が、ナイフを握って倒れていた。

 目撃者は娼婦。……兄は馴染み客で、逢瀬の途中でヒモと鉢合わせし、泥酔して錯乱した夫に刺された、と証言した。

 僕からの電報に父が慌てて上京し、我が家も一族も恐慌状態に陥った。
 事件が新聞記者に嗅ぎつけられれば、とんでもない醜聞スキャンダルだ。貴族階級にとって、それは一族の死と同じ。

 父はかなりの金をばら撒いて事件の収束を図り、泥酔して記憶がないと言い張る男は、娼婦の証言のままに死刑になった。





 兄の葬儀の後、婚約者であるデイジーやその父親と話し合った。

 兄とデイジーは同い年。兄が大学カレッジを卒業し、就職するまで結婚を延ばしたため、デイジーはもう二十一歳。嫁ぎ遅れとまでは言わないが、十代で嫁ぐのが当たり前な世間では、これから新たな結婚相手を探すには、いささか年齢が上がっていた。何より、兄はデイジーを裏切って娼婦に耽溺していた。

 父はデイジーに切り出した。

『クリスのことは本当になんと言っていいかわからない。君を待たせたうえにこんなことになって。……だが君はまだ若い。相応しい縁を望むならば、我が家が伝手を頼って探してもいい』

 だが、それに対するデイジーの父親、ミルドレッド氏の答えは僕の予想を超えていた。

『クリス坊ちゃんとの結婚で、我が家にいくらか支度金をいただけるお約束でした。その支度金を当てにして、待ってもらっている支払があるんでさ。それがなくなったらうちは破産だ!』

 デイジーの母――グレンフィリック子爵の姉――は、リーデンシャーの郷紳ジェントリのミルドレッド家に嫁いだが、その家はいつのまにか、多額の負債を抱えていたらしい。羊毛の取引で資産を築いた我が家との縁組がなくなれば、たちまち破産の危機が及ぶという。
 父は言った。

『支度金については、約束通り支払ってもいい。……我が家からの迷惑料の代りに。あるいは……クリスの代りと言ってはなんだが、次男のジョナサンもいる。デイジーよりも年下になるが、ジョナサンと婚約を結ぶならば――』

 僕はドキリとした。
 僕と、デイジーが結婚?

 が、それについては、母が難色を示した。

『あなた……仮にもデイジーはクリスの婚約者でしたのよ。兄が死んですぐに、弟を……だなんて。あんまりです。それに――』

 母はためらいがちにデイジーを見て、言った。

『生前、クリスとの仲はあまりよくはなかったようですわ。クリスもひどいけれど、お互い、すれ違いがあったのだと思います。無理にジョナサンを宛がうべきではないわ。わたくしは反対です』
『……ジョナサン、お前はどうだ』

 父に聞かれて、僕はびくりと身を起こす。

『お前は、クリスの代りにデイジーと婚約する気があるか?』
『僕は――』

 僕は返答に窮してちらりとデイジーを見た。デイジーは黒い服を着て黒いヴェールで顔を隠し、ずっと下を向いていた。

『僕は……その……デイジーさえ、いいなら……』

 だが、デイジーは顔を上げると、僕の方を見もせず、父に言った。

『わたし、王都に出たいと思います。……もう、田舎はいや。ですから、お父様にではなく、お金をください』
『デイジー、何を言う!』

 ミルドレッド氏が慌てて止めるが、デイジーは言い張った。

『田舎で待たされている間、何一ついいことはなかった。わたしだって、わたしらしく生きる権利があります!』
『当てはあるのかね? 都会に出ても、女一人で暮らすなんて無理だ』
『ヴァイオレットおばさまを頼ろうと思っています。いつでも出ていらっしゃいって、言ってくださった!』
『ヴァイオレット……マールバラ公爵夫人だね?』
 
 国王の従兄、マールバラ公爵の夫人レディ・ヴァイオレットは、ミドルトン侯爵家の娘、ということになっているが、実はグレンフィリック子爵家であるパーマー家の出だ。デイジーはマールバラ公爵夫人を頼り、王都で生活したいと言い出した。――ただし、そのための資金は我が家から出してもらいたい、と。

『デイジー、なんてことを!』

 ミルドレッド氏が呆れて止めるけれど、デイジーの意志は固かった。あまりに非常識な言葉で、母などは露骨に気分を害したらしいけれど、しかし、デイジーの婚約者だった兄クリスは、デイジーを裏切って死んだのだ。……いや、デイジーだって、兄を裏切って僕と寝たじゃないか。

 でもそれは、僕の口からは言えない。

 結局、父はデイジー自身にもいくらかの慰謝料を支払い、デイジーと僕らの縁は切れた。

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