俺勇者、39歳

綾部 響

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2.勇者の現在

俺勇者、39歳……

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 不浄生物ゾンビの如き緩慢な動きで部屋を出た俺は、そのまま扉に鍵をかけて階段へと向かった。
 引き摺った足を踏み外さない様に階下へと降り立った俺は、陽射しの強さに手をかざして目をすがめた。

 下りた先はそのまま大通りに面していて、多くの人々が活気に溢れたこの通りを往来している。
 少なくない人の流れは俺が苦手な物の1つだ。人混みなんてちょー苦手。
 ほんとは夜まで部屋に籠っていたかったが、俺よりも発言権の高いクウフク様の御要望とあっては仕方が無かった。

 「あ、あらぁ勇者様。今お目覚めですかぁ?」

 不意に右方向から声が掛けられた。ノッソリとした動きでそちらを見やると、そこには見知った大家さん夫人が数人の奥様方と円を作ってこちらを見て立っていた。
 布陣……いや夫人サークルは俺の一挙手一投足を見つめている様で、全員が俺の体より発せられているんだろう身を守る様に自身の体を抱いている。
 何かってなんだよ……。

「……ああ……はい……今日は……」

 それでも俺は努めて愛想よく挨拶した……つもりだった。

 例えどう思われていようと、この人は俺がお世話になっているアパートの大家さん夫人で、そう言った人とのコミュニケーションが大事だと言う事は俺だって良く分かってる。
 しかし普段にも増して、俺の返事は相手に不快感を与えてしまったかも知れない。その声を聴いた大家さん夫人の眉根が、何とも歪な形になった。

 だがそれも仕方が無い。

 さっきの返答は俺が聴いても不審に思っただろうな。
 未だに昨日戦った時の疲れが抜けきっておらず、全身は筋肉痛。更に寝不足気味の寝起き直後ときたもんだ。
 小さくくぐもった声が、どこか卑屈で後ろめたい様な態度に見えなくも無いし、間違いなくそう見えただろう。



 
 俺が今住んでいるこのアパートは、もっぱら駆け出しの冒険者達が借りる格安アパートの1つだ。この街にはそんなアパートがかなりの数存在している。
 理由は明解、この「プリメロの街」が別名〝始まりの街〟と言われている通り、冒険者を目指す者は王城で認定を受けた後この街にあるギルドで登録を済ませ、晴れて冒険者としての第一歩を踏み出すからだ。

 当たり前の話だが新米冒険者にはお金が無い。武器防具やアイテムを買う金は勿論、その日泊まる宿屋代にも苦労する有様だ。
 だから、こう言った格安アパートをパーティ単位で借り拠点とするのだ。
 最初に1ヶ月分の家賃さえ納入しておけば、出入り自由の使用自由。迷惑行為は注意されるものの、大抵が若い冒険者なのである程度は大目に見てくれるのも嬉しい所だ。

 この世界で冒険者に認定して貰える場所は、この街に隣接するドヴェリエ城でのみ。当然このプリメロの街には、新米冒険者が殺到するってすんぽーだ。
 部屋は大体5人が入れるかどうかと言う大きさだが、それでも宿屋で暮らすよりは遥かに経済的だ。

 それに新米冒険者の成長は速い。
 いつまでもそんなアパートで暮らす者は殆どおらず、大抵は数か月で快適な宿屋暮らしに切り替えるか別の街へと旅立ってしまう。つまり回転率が良いのだ。
 そう言った意味では部屋を提供する大家さんにとっても、この商売はそれなりに旨味があるのかもしれない。実際ここの大家さんは5件のアパートを所有してるって話だ。
 だがそんなアパートにもう十数年住み着いている勇者なんて、かなり迷惑な部類に入るかもしれない。いや、間違いなく迷惑がられていた。



 
「昨日も遅かったみたいですねぇ……。あまり無理はなさらないで下さいね?」

 大家さん夫人の表情はにこやかなまま崩れない。だが感情も籠っていなかった。
 それは発せられた言葉も同様で、常套句の様に在り来たりで当たり障りのないセリフだった。
 そこに含まれる意味は、出来れば顔を合わせたくなかった、アーンド早々に立ち去ってくれ……だ。

「……ありがとうございます。それじゃあ……」

 分かるか分からない程度に頭を下げて会釈とし、俺は生ける屍リビングデッドな動きで通りの流れを邪魔しないよう出来る限り端を歩いた。
 数歩程歩き出すと俺の背後では井戸端会議が再開された様で、婦人方のヒソヒソとした囁き声が聞こえてきた。
 冒険者としての「レベル」が上がるのは良い事でもあり、時には良くない事も引き起こす。
 婦人方のヒソヒソと声を絞った言葉は、「レベルキャップ」目前な俺の耳にしっかりと捉えられていた。

「こんな昼間っから……」

「なんだか最近は気味が悪くて……」

「勇者なんだから早く出て行けば……」
 
 露骨だな、おい。
 聞こえてる、聞こえてますよぉ。

 こんなある意味心の内を聞いてしまったら、次からはどう接すれば良いのか分からなくなる。いや、別に態度を変えるつもりは無いんだけどね。
 だがそう言った視線や陰口は、大家さん夫人達だけに限った事では無かった。
 勇者をもう20年やってるんだ。そんな態度を取られても仕方が無いし、もう慣れてしまった。
 初夏の風が心地良く頬を撫でるこんな日は、あの時の事を思い出さずにはいられなかった。




「貴方は今日から勇者となるのです」

 夢か現か……いや夢だったな。寝入った俺が見た夢の中に、光に包まれた聖霊様が現れてこう言ったんだ。

 18歳の誕生日を控えてベッドへと飛び込んだ夜。

 翌日の誕生日を待って、冒険者になる事を決めていた。両親ともそう約束していたんだ。
 冒険者になる事は幼い頃からの夢だった。

 当時は魔族が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしており、冒険をするのも今と比べればとても安全とは言い難い。だけどそんな事で俺の好奇心を抑える事は出来なかったんだ。
 最初は猛反対だった俺の両親も、最後には根負けした様で渋々認めてくれた。
 俺の代わりに、家業である農家を継いでくれると言ってくれた弟妹ていまい達には感謝してもし足りない位だった。

「宝をゲットしたら、すぐに持って帰って来てやるからな!」

 俺の口癖を年下な筈の弟妹達は、生暖かい優しい眼差しで聞いてくれていたっけ。
 そしていよいよ冒険の旅へと出発する前夜、光の聖霊様が現れて俺は勇者だと告げたんだ。

「俺が……勇者!?」

 胸の高鳴りが止まらなかった。いや、夢の中だったから本当に高鳴ってたかどうかは分からないけど、とにかくそんな気持ちで一杯だった。

 聖霊様に問い返した俺だったが、本当の意味で反問した訳じゃない。
 言葉で聞き返してはいたが、その実疑っていなかった。ただ反芻はんすうしただけだったんだ。
 その時の気分はもう天にも昇る程で、それと同時に強い使命感に燃え上がっていたんだ。
 若い冒険者なら誰でも憧れる、救国の英雄「勇者」。
 その存在になれると光の聖霊様からわざわざ告知された時の興奮は、恐らく誰にも分かってもらえないだろう。

「厳しく、困難な道程を貴方に課す事となります。でも恐れないで。私と、私の眷属けんぞく達が常に貴方を傍らで見守っていきます」

 優しいその声音は慈愛に満ち、これから茨の道を進む事になる若い勇者をおもんばかっている様だった。
 だが、そんな心配など全く必要では無かった。
 その時の俺には将来の不安も、未知への恐怖も何もなかった。ただ、ただ明日への期待で胸が一杯だったんだ。

「貴方だけが人類の希望。どうか、どうかこの世界に光を、平和を取り戻して下さい」

 そう言って可憐で美しい光の聖霊様は、光に溶け込む様に消えて行った。

 本当にただの夢だったんじゃないか?

 流石にすぐには信じられなかったが、昨夜の夢が嘘偽りでない事はすぐに分かった。
 俺の左胸には光の聖霊様のシンボルが、聖痕となりクッキリと浮かび上がっていたのだ。これには両親も、弟妹達も驚きを隠せずにいたっけ。
 もっとも一番興奮してたのは間違いなく俺だったけど。

 そこからの俺は、もう普通の冒険者として過ごす事は許されなくなった。
 ドヴェリエ国王様との謁見と〝勇者の証〟の付与、そして最終攻略地点の提示。

 つまり魔王攻略を言い渡されたのだった。

 今考えるといくら聖霊様のお告げがあったとしても、よく18の若造に世界の全てを委ねようなんて発想に至ったなと感心するな。
 だけど当時の俺はそんな事微塵も考えていなかった。嫌だとか怖いとか、出来れば誰かに代わって欲しいなんてこれっぽっちも考えていなかった。
 憧れの勇者として世界を股に駆けた冒険をし、人間界の代表として魔王と対峙する。男として、このシチュエーションに燃えない奴はいないだろう。

 そして俺は、訪れた冒険者ギルドで運命の出会いを果たした。それはまるで、聖霊様のお導きであるかの様に俺達は出会った。

 ―――光の勇者パーティ。

 後にそう呼ばれる4人の仲間達と出会い、俺達の冒険はスタートしたんだ。
 それから幾多の冒険をし、数多の難関を乗り越え、本当に魂で結ばれた最高の仲間達に俺達はなっていったんだっけ。




「……あいつら……元気かなぁ」
 今日みたいな優しい陽射しと心地よい風が吹く日は、決まってあいつらと出会った時の事を思い出す。
 今は離れ離れになって、多分もう会う事は無い……まず間違いなく俺から会いに行く事は無い仲間達。
 色んな事があったけど、今でも俺はあいつらを〝仲間〟だと信じてる。

 ―――グゥウウゥ……。

 だがそんな感傷的な事なんか、今はどうでも良かったな。思い出話では腹が膨れる事は無い。
 そんな事よりもまずは飯が優先だった。人間、腹が減っては戦も出来ないってゆぅもんな。

 この大通りを進んでいけば大きな四辻に合流する。
 その一角にある〝雑貨屋コンビニ〟。俺はそこを目指して、意味のない回想で遅くなった足に喝を入れて歩む速度を上げた。
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