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十七 酷寒珠毒
楊楓は剣を杖代わりにして、どうにか立ち上がった。毒が体内に入り込み、手足の自由がきかない。
数丈先では紅鴛が袖を舞わせ、裏切り者と激闘を繰り広げている。姉弟子が毒をものともせず動けるのは、長年の修行で鍛えた内功のおかげだ。楊楓はこの面でも彼女に遠く及ばなかった。ようやく一門の敵を見つけ出したのに、自分はまたしても役に立てないままなのか。恥ずかしさと情けなさで、歯を食いしばった。
紅鴛と翠繍の戦いははや百手に達していた。
下腹の痛みが徐々に酷くなってくるのを感じる。翠繡が使ったのは恐らく寒毒の技だ。強力な陰の気を掌中に満たすことで、冷気と毒気を相手の体内へ送り込む。そうすると臓腑や骨が凍りついたようにじわじわと蝕まれ、心臓や脳に達すれば死に至る。毒を追い出すには、結跏趺坐して陽の気をめぐらせるか、薬を飲んで内側から体を温めるしかないが、戦っている今はそんな状況ではない。
紅鴛は決着を急ごうと、さらに技の勢いを強めた。翠繍は彼女の焦りを読んだのか、ひたすら守りをかためる。
その身ごなしを見て、紅鴛は昨晩洞窟付近で追い回した黒い影の正体が翠繍だったのだと気がついた。足運びがそっくりだ。義妹は最初から、紅鴛をここへおびき出す腹だったのだ。
素手では埒があかない。紅鴛は、ちらっと背後の方を見やった。さっき、翠繍の話に動揺して落としてしまった長剣がある。それと悟られないよう、袖を舞わせながらじりじりと後ずさる。
そして、不意に後ろ足を蹴り上げた。背後へ手を伸ばし、宙へ飛んだ剣を掴むや、怒濤の勢いで突きを送った。
刃がぐさりと、翠繍の右肩へ沈む。
が、紅鴛はしまった、と思った。あまりにもあっさり決まりすぎている。
案の定、剣が刺さったのとほぼ同時に、翠繍の左掌が猛烈な反撃を送ってきた。肉を切らせて骨を断つ、義妹は捨て身で右肩を犠牲にしたのだ。
紅鴛はかわそうにも間に合わなかった。左掌が胸を直撃した。体が紙のように吹っ飛び、地面へ叩きつけられる。強力な陰の気に満たされた掌を二度も受けてしまったのだ。うつ伏せの状態からどうにか半身を起こしたものの、胸元が苦しくなり、ごぼりと黒い血を吐いた。
翠繍が右肩に剣を突き刺したまま、淡い笑みを浮かべた。
「あと数寸剣先をずらしていれば、私を刺し殺せたのに。姉妹の情で手加減してくれたの? ううん……今の姉さんのことだから、武当十八戒の第九戒『武当の弟子は武術を以て無闇に相手を殺すべからず』をこんな時でも守ってたんでしょうね」
紅鴛は答える余裕も無かった。地面に肘を突き立て、体を持ち上げようとしたが、体内に染み入った毒のせいで力が入らない。
勝敗は決した。
翠繍がすぐそばに膝を着いた。
「許してね、姉さん。剣を握られていたら、私に勝ち目は無かったから。捨て身でやるしかなかったの。この酷寒珠毒掌だって、本当は二発も打ちたくなかった。一撃で達人を死に至らしめるほどの技だから。私の修行が未熟でなければね」
さっきまで戦っていたのが嘘であるかのように穏やかな口調だ。
紅鴛は寒さに襲われ、全身が震えを発していた。うまく動かない唇で言った。
「翠繍……お願い。武当派の弟子として、これ以上……過ちを重ねないで。私を、まだ姉と思ってくれるなら……どうか言葉を聞いて」それから、大事なことを思い出した。「よ、楊師弟……に、げて……」
その楊楓は、今まさに足を引きずりながら、瞳に怒りをたぎらせて翠繍へ迫っていくところだった。
「裏切り者! 殺してやる!」
剣を杖代わりに、よろめきながら進む。とても戦える状態ではない。殆ど闘志だけが一人歩きしていた。
翠繍は立ち上がり、無造作に袖を翻した。黄色の粉塵が吐き出されて、楊楓に襲いかかる。悲鳴をあげる間もなく、彼はその場に倒れた。
紅鴛も力無くうなだれた。武当山へ助けを呼ぶ手立ても失われてしまった。
翠繍がまたあの、失望と憐憫のこもったような瞳で、紅鴛を見下ろした。
「姉さん。今は休んで。起きたら、またゆっくり話をしましょう」
袖が払われた。
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