大罪の後継者

灯乃

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旅立ち

愛し子

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 窓枠にしがみついてべそべそと泣いている女性に、リヒトたちを取り囲んでいた魔術師部隊のひとりが、鋭く声を掛ける。

「お下がりください、奥方さま! ここは、危険です!」
(……奥方さま?)

 リヒトは、目を丸くした。よく見てみれば、そう言った彼は部隊長であることを示す腕章をつけている。その立場にある者が、『奥方さま』と呼ぶということは――もしやあの女性は、ここを預かる将軍の妻なのだろうか。

 突然、リヒトたちに向けて危険な魔導具を発動した女性は、どう見ても二十歳に届くかどうかという若さである。あの無鉄砲さと落ち着きのなさからして、成人したばかりであってもおかしくない。

 ……国境の防衛を預かる将軍職にある者が、二十代や三十代の若さというのは、さすがにありえないだろう。とはいえ、貴族階級によくあるという政略結婚であれば、年の離れた夫婦など珍しくもない話である。たとえ親子ほどの年齢差があろうとも、本人たちが互いに納得しているのなら、外野がどうこう言うことではないのだ。

 そんなことを考えていたとき、部隊長がスバルトゥルに銃口を向けたまま言った。

「……確認したい。貴殿は、この砦に害なす者か?」
「いいや。俺たちは、こいつがここで世話になっているっていうんで、会いに来ただけだ。『心を病んでいた』こいつから、随分と手荒い歓迎を受けたがな」

 スバルトゥルの返答に、イシュケルがむっとした顔になる。

「オレは、別に病んでいないぞ」
「そういう話になってたんだろうが。話がややこしくなるから、おまえは少し黙ってろ」

 いまだ拘束されたまま、子どものように拗ねた顔をするイシュケルを見て、魔術師部隊の者たちがざわついた。

「ロゼさまが……しゃべった……?」

 そう言ったのは、誰だったのだろうか。
 直後、ぶわりと殺気をまとったイシュケルが、彼らを圧殺するような魔力を放つ。声もなく、魔術師部隊がその場に膝をついた。癖のない金髪が、パチパチと危険な光をまとい、まるで水中にいるかのように緩く舞う。

 低く感情の透けない声で、イシュケルが言う。

「その名を、二度と口にするな。あの子の名は、断じておまえたちが呼んでいいものじゃない」

 不快げに眉をひそめたスバルトゥルが、舌打ちをして吐き捨てる。

「……殺した契約者の名を、おまえの呼び名に使うとはな。まったく、悪趣味なことだ」

 自分に向けられたものではないとはいえ、これほどの魔力を間近で放たれると息苦しささえ感じてしまう。
 しかし、イシュケルがもうここに用はないというなら、長居は無用だ。蒼白になっているアリーシャを背後に庇いながら、リヒトはスバルトゥルに呼びかけた。

「バル兄貴。そのひとを連れて、もう帰ろう」

 これ以上、彼らの逆鱗に触れるようなことがあったら、下手をすればこの砦が丸ごと破壊されてしまうかもしれない。自分たちの目的は、帝国の支配下にある召喚獣全員の解放であって、帝国そのものの崩壊ではないのだ。

 もちろん、召喚獣たちの意思次第で、将来的にはそうなる可能性がゼロではないだろう。リヒト自身、ジルバと父親の復讐のためなら、帝国のすべてを敵に回す覚悟はとうにしている。

 それでも、自分たちに危害を加えたわけでもない、何も知らない相手を復讐の対象に含めるのは、やはり何かが違う気がした。今後、彼らが自身の意思で、自分たちの敵として立つというのであれば、容赦はしない。けれど、イシュケルという圧倒的な力を持つ者の前に膝をつき、震えながら頭を垂れている者たちを相手に、武器を向けようとは思えなかった。

 スバルトゥルが、小さく息を吐く。

「……リヒト。おまえのいやな予感というのは、本当によく当たるな」

 話しが噛みあわない。え、と瞬きをしたリヒトを一度見たスバルトゥルが、拘束していたイシュケルの首から腕を離し、その背中を軽く叩いた。

「ほかの連中を解放する前に、この国がなくなるのは面白くない。俺は、あいつを殺した連中を、楽に死なせてやる気はないからな」

 イシュケルが、心底いやそうな顔でスバルトゥルを睨む。

「その点については、全面的に同意する。だが、オレまで戦闘行動に入れば、おまえの契約者があっという間に魔力枯渇状態になるだろう。あの子どもひとりで、二体ぶんの高位召喚獣の戦闘モードを支えられるわけがない」

 先ほどのやり取りからして、現在のイシュケルはスバルトゥルの眷属となることで、間接的にリヒトの魔力を取り込んでいるのだろう。いまいち実感はないけれど、何しろすべてがはじめてのことばかりで、よくわからないというのが正直なところだ。

(……うん。スバルトゥルが戦闘行動に入ったときのだるさが、倍になるのはちょっとキツいかもしれない)

 けれど、先ほどの経験で、どれくらい魔力を持っていかれるのかは体感できた。はじめての経験に対する驚きもあって上手く対処できなかったけれど、次からはもう少し外的要因による魔力量の変化に対応できると思う。そういうものだ、とはじめからわかっていれば、乱れた魔力の流れを整えるのは、そう難しいことではない。

 スバルトゥルとイシュケルが同時に戦闘モードに入るというなら、そのつもりで心構えをしておく所存ではあるのだが――そもそも、なぜ今ここで、そんな物騒な話しになるのだろう。

 リヒトが首を傾げていると、スバルトゥルが何やら楽しげにイシュケルに問うた。

「なあ、水の王。俺がリヒトと契約したのは、いつ頃だと思う?」
「いつ頃って……。おまえの戦闘モードにまだ馴染みきっていないところを見ると、せいぜいここ半年というところか?」

 その答えに、スバルトゥルは悪戯が成功した子どものように笑って言う。

「残念。正解は、四日前だ」
「……は?」

 イシュケルの目が、丸くなる。そんな彼に、スバルトゥルが重ねて告げた。

「ちなみに、契約後に戦闘行動に入ったのは、今日がはじめてだな」
「………………冗談、ではないのか?」

 ぎこちなくリヒトを見たイシュケルが、ふと訝しげに目を細める。そして、はっとした様子でスバルトゥルを振り返った。

「あの子どもの制御ピアスは、おまえの作ったものだな。道理で、魔力の馴染みがいいはずだ――とでも言うと思ったか? いったい、どこで拾ってきた。事と次第によっては、今すぐその首引っこ抜くぞ」

 突然、なぜか喧嘩腰になったイシュケルに、スバルトゥルが笑みを消して答える。

「リヒトの父親は、雪の王の契約者だ。おまえの契約者と同じように、雪の王が奪われたときに殺された」

 イシュケルが、小さく息を呑む。低い声で、スバルトゥルが続けて言った。

「俺が最初の契約者を殺しかけたとき、リヒトの父親が止めてくれた。そうしてたったひとり生き延びたあいつは、命がけで俺を自由にしてくれた。おまえをおぞましい禁呪から解放した術式は、彼らが命と引き換えにして生み出したものだ。なあ、水の王。もう一度、聞くぞ。……おまえは、どうする?」

 静かな問いかけに、イシュケルがぐっと目を閉じる。そして、再びアクアブルーの瞳を現した彼は、透明な眼差しでリヒトを見た。

「……雪の王の、愛し子か」

 イシュケルの、男性のものにしては細く白い手がリヒトの頬に触れる。そのまま、左の耳に滑っていった指先から強い魔力を感じた。この感覚は、スバルトゥルが新しい制御ピアスを作ってくれたときのそれとよく似ている。
 困惑したリヒトに、イシュケルが言う。

「気にするな。これは、ただのお守りだ」
「お守り?」

 そうだ、とイシュケルがうなずく。

「雪の王が自由を取り戻すまで、オレは必ずおまえを守ろう。――さしあたって、まずはあの化け物たちの始末だな」

 低く呟いた彼が、何気ない仕草で空を見上げたときである。

(……っっ!!)

 ――突然、太陽を陰らせたもの。それは、空を埋め尽くさんばかりに群れをなして現れた、巨大な飛行型キメラタイプの蟲たちだった。
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