大罪の後継者

灯乃

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旅立ち

将軍と妻

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 将軍の身に起こった変貌は、正しい契約という安全弁なしに、イシュケルの魔力に深く触れすぎた結果だろう。蝙蝠のような皮膜を持つ巨大な翼も、爬虫類の瞳も、水竜イシュケルが備える特徴として聞き及ぶそのままだ。

 リヒトは、短銃型魔導具をホルスターに戻し、いまだ荒い呼吸を繰り返している将軍に近づいた。背後では、アリーシャが油断なく狙撃銃型魔導具を構えたままだが、彼女の様子を将軍が気にしている様子はない。そんな余裕など、もうないのかもしれなかった。

「アンタの体は、水の王の魔力に侵蝕されてる。それは、理解しているか?」

 苦しげに顔を歪めた将軍が、うなずく。

「そうか。アンタはもう、普通の人間には戻れない。五年間、水の王を不当に支配し、使役していた代償がその体だ。これから先、アンタは人間でもない、精霊でもない生き物として、長い時間を生きることになる。――それを、受け入れろ」

 残酷なことを、言っている自覚はあった。
 けれど、これは彼が背負うべき罪業だ。ほかの誰にも、肩代わりすることなどできはしない。

「水の王は、アンタを哀れだと言っていた」
「……っ」

 将軍の目が、驚愕に大きく見開かれる。

「アンタに復讐する気はない、と。水の王は、アンタが帝室の命令に従っていただけだと、知っていたよ」
「う……ぁ、あぁ……っ」

 床に立てられた将軍の爪が、毛足の長い絨毯を難なく引き裂く。
 リヒトは、肩を震わせる彼の前に片膝を落とした。

「それから、あー……。アンタ、魔導武器職人になりたがっていた奥さんのために、修業先の工房の主に頭を下げに行ったんだって?」
「……は!?」

 将軍が、がばりと顔を上げる。激しい動揺を現して揺れる視線が、ひどく人間くさかった。

「ど……ど、どうして、それを……っ」
「いや、偶然小耳に挟んだだけなんだが。ついでに言うなら、さっきおれたちはアンタの奥さんに、やたらと物騒な魔導具で細切れにされかけた」

 一瞬、ものすごく遠いところを見る目をした将軍が、がくりとうなだれる。

「それは……妻が、大変、申し訳ないことを……」
「ああ。あんな何をしでかすかわからない奥さんを、野放しにされるのは困るんだ。がんばって、生きてくれ」

 そう告げると、将軍は何度か大きく息をしたあと、掠れた声で口を開いた。

「私には……彼女と、ともに生きる資格など、ありはしない……」

 彼から溢れる魔力が、どろりと濁りを濃くしていく。それに眉をひそめながら、リヒトは背後を振り返った。

「旦那は、こう言ってるが。アンタはどう思うんだ? 奥さん」

 将軍の体が硬直する。
 リヒトが壊した扉の向こうで、呆然とした様子で立ち尽くしているのは、赤銅色の長い髪を三つ編みにした若い女性。クリーム色のワンピースは煤けて汚れ、スカート部分が膝上の辺りで無造作に切り取られている。ここまでたどり着くのに、何度か転んだのだろう。腕や膝がすり切れ、血が滲んでいた。

「旦那……さま……?」
「……イング、リット」

 異形と化した将軍に、その妻は信じられないものを見る目を向けている。普通ならば、現実を受け入れられずに泣きわめくか、悲鳴を上げて卒倒してもおかしくない。……普通、ならば。
 女性は、そっと胸の前で両手を組み合わせて呟いた。

「すごい……強そう……カッコいい……」
「……は?」

 断罪されるのを待つ咎人のような顔をしていた将軍が、間の抜けた声を零す。女性は、そんな将軍をとろけるような目でうっとりと見つめながら、頬を染める。それから彼女は、はっとしたように瞬きをして、慌てた様子で駆け寄ってきた。

「あのあの、旦那さま。大変差し出がましくて申し訳ないのですけれど、とってもたくさんのキメラタイプの蟲たちが、ここを襲いにきているんです。旦那さまの部下さんたちが、一生懸命がんばってくれているのですけれど、やっぱり旦那さまの指揮がないと大変そうで!」

 巨大な翼を生やし、爬虫類の目と鋭い牙に爪まで備えた将軍を前に、ぶんぶんと握った両手を上下させて力説する女性は、キリッとした顔で言う。

「そのお姿からして、随分と力の強い精霊の魔力に侵蝕されてしまったようですけれど……。大丈夫です! わたくしも魔導武器職人を目指す身として、いろいろと勉強して参りましたもの。これくらいのことで、驚いたりはいたしません。どんなお姿でも、旦那さまは旦那さまです! むしろ、とっても強そうでときめきます!」

 ――人間が、精霊の魔力に侵蝕されたときの対処法。
 それは、とにかくまずは何よりも自分自身を肯定させ、他者と混じり合って曖昧になっている自我を、明確に意識させることである。

 禁呪の代償として、通常ならば徐々に進むはずの肉体変化が急激に生じた将軍は、おそらく精神的にも相当のダメージを受けていただろう。なのに、いまだにしっかりと理性を保っているのは、驚嘆に値する精神力だ。

 しかし、その将軍をしても、女性の言動には動揺を隠せないようである。ぽかんとした顔で妻を見ていた彼は、やがてぎこちなく口を開いた。

「ここは……危険だ。きみは、早く――」
「そうですね! 旦那さま、早く部下さんたちを助けに行きましょう! ええと、まずはそのぐるんぐるんにおかしな感じになっている魔力を、どうにかして落ち着かせなくちゃなんですが……」

 むう、と眉根を寄せた女性に、リヒトは問う。おそらく、『早く逃げろ』と彼女に言いたかったのだろう将軍は、ひとまず無視だ。

「こういう状況なんで、挨拶は抜きで失礼する。あなたは、魔力操作が得意か?」
「ふお!? ……おおう、なんたる美少年! うむ、眼福!」

 振り返るなり、ぐっと親指を立てられた。半目になったリヒトは、女性の額にデコピンをかましたい衝動に駆られたが、どうにか堪える。

「動揺しているのはわかるが、さっさと答えてくれないか」
「魔力操作か! それなら、得意中の得意分野だよ! これでも、魔導武器職人の卵なんだ!」

 将軍に対してはやたらと女性らしい口調だったが、やはりこちらが素なのだろう。以前聞いた通りの庶民的な言葉遣いに、ほっとしつつリヒトは言う。

「アンタの旦那は、見ての通り精霊の魔力に急速に侵蝕されてる。このままだと、じきに肉体と精神が崩壊して死ぬ」
「え、それはいやだよ! あたしは、旦那さまの子どもを生んで、親子で仲よく蟲狩りに行くのが夢なんだから!」

 ほほえましく思うべきなのか『危ないからやめなさい』とツッコむべきなのか、いまいちよくわからない夢を語られて戸惑ったリヒトだったが、将軍にとってはなかなかのクリティカルヒットだったらしい。首まで赤くして突っ伏したところを見ると、もしやむっつりスケベだったりするのだろうか。

 それまで黙って狙撃銃型魔導具を構えていたアリーシャが、ぼそりと言う。

「巨乳で童顔のとっても可愛い若奥さんに、ここまで言われて根性見せないとか……。男として、それはないよねえ」
「ぐふ……っ」
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