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第一章

来世に期待します

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 私はフェブリール男爵家の次女として生まれた。
 名は──もうなんだったか、忘れてしまったけれど。

 皆、私を“出涸らし”と呼ぶ。

「出涸らしちゃん、食事はまだ? 私、今夜は殿下に城の中庭に招かれているのだけれど……」
「す、すみませんっ!! すぐに……!!」

 美しきローゼリアお姉様は尊き聖女様で、このアーレンシュタイン王国の王太子クリストフ・フォン・アーレンシュタイン殿下の婚約者だ。
 
 輝く金色の髪。ぱっちりとした目と長いまつ毛。
 はっきりとしていて物怖じしない強さ。
 聖女であるお姉様は、この家はもちろん、この国で最も特別な存在だ。
 
 今夜は王族しか入ることが許されない中庭へ殿下に招待されたのだそうで、午後からお姉様たちの服や髪の支度で忙しかった私は、夕食の準備を遅らせてしまっていた。
 お姉様の付き添いとしてお父様とお母様も登城するから、今夜は私一人か……。

「早くなさいグズね!! 王太子殿下がお待ちなのよ!? 本当、あなたはローゼリアの出涸らしで、何にも満足にできないんだから……!!」
「ローゼリアは美しく華やかで心優しい。そのうえ聖女だというのに、なんでお前はグズでボソボソと何を話しているかもわからない暗い子になったんだ……。何より、ぼそぼそしたその老婆のような髪。あぁ、まったく美しくない」 

「ご、ごめんなさい。お父様、お母様」

 美しいお姉様と姉妹だとは思えぬほどに、私は劣っている。

 長い髪と肌は白ボケたような色で、手入れもされていないからボロボロだ。
 そんななのに目だけは真っ赤な血のような色で、不気味だと皆が言う。
 性格だって、いつも明るく優しくはっきりとした姉とは違い、私はどこかぼんやりしてはっきりしないし、姉とは似ても似つかない。

 良いところは全て姉にあり、皆が噂する通り、私はその“出涸らし”なのだ。

「あぁもうっ!! 時間になっちゃうじゃないの!! ローゼリア、もういいわ。いきましょう!! 王太子殿下をお待たせするわけにはいかないもの!!」
「そうね。仕方ないわ、お母様。お父様も、行きましょう」
 金切声でイライラしながらコートを羽織る母の背を宥めるように撫でながら、お姉様がお父様を促す。

 あぁ、また私のせいでお姉様に迷惑が掛かってしまった。
 帰ってきたらきっとまた罰が与えられる。
 一日食事抜き?
 それとも川の中に投げ込まれる?
 また鞭で打たれたら……。

「ご、ごめんなさい……」
「良いのよ。向こうで何かいただくわ。殿下に言えばきっと城のシェフがおいっっっしい料理を用意してくれるだろうから。だから気にしないでね」
「まぁ優しいローゼリア!! そうね、こんな質素な食事より、城では豪華でおいしい食事を出してくださるわ!!」
「うむ。おい、これはちゃんと処理しておくんだぞ!! 私たちが帰るまでにな!!」

 そう言い残して、お姉様は父と母とともに家を出ていってしまった。

「……良いなぁ……」
 私が登城したのは、デビュタントの一度きり。
 そこで陛下からお言葉をいただいて、踊ることもできずにそのまま家に帰された。
 踊ってくれるような婚約者も友達もいない。
 お父様もお母様も醜い私を人目に晒したくはなかったから、王立学園にも行くことなく、ずっとこの男爵家で家の仕事をして過ごしている。
 これからもこんな毎日が続いていくのだと、そう思っていた。

「とにかくこのテーブルに並べた料理をなんとかしなくちゃ」

 このフェブリール男爵家には、メイドや執事はいない。
 一応貴族だし、聖女の生家ということもあって国からお金も出て、普通の男爵家よりもお金はあるはずだけれど、メイドや執事が長続きした試しはない。
 皆、なぜかすぐに辞めてしまうのだ。
 それも逃げるように。
 お母様は少し癇癪持ちだけれど、お姉様はとってもお優しいというのに……。

 さて、何をどうしよう。

「お野菜のスープは明日の朝に回すとして……、お魚は“まる子”にでもあげましょう」
 “まる子”というのは屋敷の裏の森から時々ふらりと現れる、シュッとした鼻筋の通った美人黒猫さん。
 たくさん食べて丸々してねという意味を込めて“まる子”と名付けた、私の友人だ。

「せっかく焼いたパンだけど、朝には硬くなっちゃうわよね。これは“カンタロウ”にあげましょう」
 “カンタロウ”というのは同じく裏の森からよく現れる黒い鳥で、「カー」と鳴くから私が“カンタロウ”と名付けた。

 食事が残された時には裏の森の前にそっと出して、2匹に食べてもらっているのだ。

 よし、これでとりあえず片付きそう。
 私は急いでスープを厨房の鍋へ戻し、パンを袋に詰め、魚を一つの皿にまとめると、カトラリーを厨房に下げて水に浸しておく。

 その間にお風呂の準備をしておくのが私の仕事、だが──。

「へ!? キャァッ!!」

 浴室の掃除中、間抜けにも泡で足を滑らせた私は、後頭部から思いっきりすっ転んでしまい、頭を強打してしまった。

 その瞬間に自分の中から駆け巡る、誰かの記憶の欠片たち。
 不思議と懐かしく、温かい記憶。

「ったぁ……」
 後頭部がズキズキする。
 思考がいつも以上に靄がかかったかのようにぼんやりして、やがてその靄がとれた時、私は浴室の鏡に映る自分を見て、息をひゅぅっと飲み込んだ。

「私……白っ!!」

 そこに映るのは白い肌、白い髪の女。
 そう、私だ。見慣れた当然の姿だ。
 でも私の中の私はもう一つ。
 黒い髪と目だった時の私。
 そうだ、私は前《まえ》は黒だった。

 じゃぁさっきの記憶の欠片は──「前世……?」

 詳しくは思い出せないけれど、両親が早くに亡くなって、質素倹約をモットーに生きてきた。
 お料理も、庭で野菜を育ててそれを頼りになんでも作っていたし、私は作ることが好きだった。
 だからか。私が食事を作ることが苦痛ではないのは。

 だけど名前を思い出すことはできない。
 転生してからも、“出涸らし”と呼ばれすぎて、本当の名前で呼ばれた記憶がもうない。
 どっちみち、私がどんな名前だったのかわからないのは同じ、か。

 ……あぁ、どうして──。
 そう考えると、ボロボロと涙が溢れた。

「ごめんなさいっ……ごめん、なさい……。生まれてきて、ごめんなさいっっ!!」
 誰にともなく、謝罪の言葉だけを繰り返す。
 それだけしか、出てこないのだ。

 そうだ、もう一度生まれ変わろう。
 グズで陰気な私がいなくなれば、お姉様たちもイライラすることなく三人仲良く暮らすことができる。
 私も、もう毎日ぶたれることはない。怒鳴られることもない。
 痛みを与えられる日々はなくなるんだ。
 それがいい。来世に期待しよう。

 そう思い立ったと同時に、幼い頃に姉から聞かされた、あの話が脳裏をよぎった。

“裏の森にはね、こわーいこわーい魔法使いがいるのよ”

 魔法使いさんなら、上手に私の命を奪ってくれるかもしれない。
 痛みもなく。
 苦しみもなく。
 一瞬で終わらせてくれるはずだ。

 死ぬ時ぐらいは楽に死にたい。
 痛みはもう、嫌だもの。

「行こう。裏の森へ」

 私はまとめた魚とパンをテーブルの上に置いたまま、何も持たずに裏の森へと足を向けた。

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