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最終章
貴女は女の子
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「眠たいなら、個室に戻って寝ててもええんやで」
榎戸に呼びかけられ、椅子に座ったまま寝落ちしかけていた意識が浮くような感覚と共に覚めた。声をかけられなければ、小陽は椅子から転げ落ちていたかもしれない。
「そんなことできるわけ無いでしょう。変態教師が居るってわかってるのに、鍵も無い部屋で寝るなんて無理よ」
「アホ抜かせ。未成年はそういう対象にはならへんし、間違ってもお前にだけは手出さへんから安心しいや。中身が女過ぎて、同族嫌悪の方が勝ってまうわ」
「同族嫌悪なんて、おばさんのクセに自認は少女ってことかしら? 若作りを否定するわけじゃないけれど、大人が女子中学生と自分を同列に置くのは痛々しいと思うの」
「お前みたいな女子中学生が居て堪るか。明らかに先生よりババくさいわ。実は少年の身体を乗っ取ってる魔女とかやないのか?」
「先生は面白い発想をするのね。僻むのは人として普通のことだけれども、現実逃避はしすぎるとクセになるから気を付けた方がいいと思うわ」
「はんっ、人生の先輩からのご忠告、有難く頂戴しとくわ。ほれ、終わったみたいで……確認するんなら、早よしいや」
小陽は椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がるともう一つの椅子へと、ヘルメットを被った生徒が座る椅子へと駆け寄った。
丁寧に、ゆっくりと、小陽が座っている生徒の頭からヘルメットを外すと、右目が髪で隠れている見慣れた顔が視界に映った。
「睦美……大丈夫? 気持ち悪いとか、苦しいとか無い?」
「ハル君……うん、特にそういうのは無いかな。何か、凄く疲れてはいるけど……あれ? ハル君? ……ハル君、かな……? なんか……あれ……?」
「……今は、自分のことだけを考えて。睦美の性別を教えてくれる?」
「男の子だけど……えっと、どうしてそんなことを訊くのかな?」
不思議そうに小首を傾げる睦美を見て、小陽は優しく微笑んだ。
「そう……変なこと訊いてごめんね。次は、僕の顔を殴ってみて?」
「えぇっ!? な、なんで……?」
「いいから。素直になって、思いっきり僕を殴って睦美」
「……嫌、かな」
「ありがとう、それで問題無いよ。最後に、睦美が憶えてることを教えて? 眠る前、睦美は何してた?」
「憶えてること……? えっと、遠足が終わって……あれ、此処どこかな? 学校じゃないし……夜? あれ、あれあれ……えっと……えっと……?」
「うん、今はあんまり気にしないで。今夜は自分の部屋で休んで、ゆっくり眠ってね。部屋はスマホのAIが教えてくれるから、後は頼んだよえる」
「はーい! それじゃあ睦美くんをご案内いたしまーす!」
睦美は釈然としない様子ではあったが、疲れには逆らえなかったのだろう。元気良く案内するえるに導かれて教室を出て行った。
これで、全員の洗脳が解除されたことが確認できた。性自認は男の子に戻っており、素直という言葉にも反抗し、合宿での記憶も消えていた。
「ほんまに良かったんか? 記憶まで弄ってもうて……洗脳解除はともかく、記憶改竄の影響がどこに出るかなんてわからんで?」
「残せるわけ無いでしょう。たった数日でも、彼らは女の子になってしまっていたの。洗脳を解いて性自認を戻しても、その事実は変わらないわ。記憶改竄の影響よりも、記憶を残す影響の方が大きいと思うわ」
「それもそうかもなぁ……まあ、先生としてもそっちの方がありがたいからええわ。しっかし、これで全部丸く収まったわけやなぁ……学校にチクられた先生の代わりも朝比奈がしてくれるわけやし、先生としては万々歳や」
腕を頭上へと伸ばして関節を慣らす榎戸。その言い振りからは反省の様子は見られなかった。
「終わった気になっているようだけれど、先生……まだ一番重要なことが残っているわ」
「あぁん? まだなんかあるんか? もう早よ寝たいし……さっさと終わらせようや」
「そうね、それじゃあさっさと終わらせましょう。える、皆に見せた素直になる動画はまだ消してないわね?」
「うん、まだ削除してないよ!」
「ああ、そういうことかいな……確かに、削除はせんとあかんよなあ。でも、それ意味あるんか? どうせえるなら作り直せてまうやろ? それより、もう二度と洗脳は行わないように教育した方がええんとちゃうか?」
「確かにえるへの再教育も重要ね。でも、今はそれよりももっと大事なことがあるの……ねえ、える?」
「うん、榎戸先生に素直になってもらわないとね!」
「…………はぁ?」
榎戸の声は間抜けだった。小陽の意図も理解できず、これから己の身に何が起こるかも理解できていない、そんな声だった。
「先生に皆の洗脳を解除してもらっている間、あたしはずっとえるとお話していたの。そして、ちゃんと納得してもらえたわ……榎戸先生にはあのヘルメットを被ってもらって、素直な女の子になってもらうべきだって」
「そ、そそ、そんな馬鹿な!? 何を言うとんねん! 先生があんなもん被るわけっ……せっ、せや! 先生が性別不合の男ってのは、えるも納得してたやろう!」
小陽は榎戸に向けて笑いかけていた。それは睦美に向けていた物とは全く違う、享楽に満ちた笑みであった。
「そんなに怯えなくてもいいのよ、先生。確かに、自分の心に素直になるのはとても勇気の要ることだわ……でも、先生は一度あたしにその勇気を見せてくれたじゃないの……ねえ?」
榎戸に見せつけるように、小陽は胸ポケットからスマホを半分ほど出して見せた。榎戸はその行為の意味がわからないようでしばらく狼狽えていたが、やがて己の愚行に思い至ったのか声を上げた。
それを見て、小陽はくすくすと笑い出した。
「ハルってば、変わってるわよねえ……大抵の男の人はスマホをズボンにしまうのに、胸ポケットに入れているんだもの。あたしとしては、胸に硬い物が当たってるのが違和感なんだけれど……おかげで、先生の告白をちゃんと記録できていたみたい」
「小陽ちゃんに言われて、えるもちゃんと榎戸先生の発言を確認したよ! ちょっとノイズが混ざってたけど、大事な部分は聞き取れたから安心して。榎戸先生が性別不合というのは嘘で、本当は心もちゃんと女性なんだよね!」
『ちなみにな、先生が性別不合ってのは真っ赤な嘘やねん。ただ朝ぼらけ中に入りたかったから嘘吐いてるだけで、先生は心も体も歴とした女性や……ほんま、堪忍な』
それは勝利を確信した榎戸の失言だった。小陽だけに聞かせるために榎戸は耳打ちしたのだろうが、胸ポケットにしまっていたスマホがその音声を拾っていた。
「えるの作った動画は女の子として素直に生きられるように支援するものよ。女性としての心を持っているのに、素直になれず性別不合と嘘を吐いている榎戸先生にはピッタリね?」
「っ……まっ、待ちいや! えるはあの動画を見せるのは間違いだったって学んだやろ? なあ、える!? 先生に動画を見せるのは間違ってるやんな?」
「うん、えるはちゃんと学んだよ。動画を見せて素直にしてあげた後、それが間違っていたとわかった場合は元に戻すべき、だよね。だから、安心してね先生」
「そうよ、先生。あたしが間違ってるかどうかをちゃんと判断してあげるから、安心して素直になるといいわ」
「なっ……ぐっ……朝比奈、お前……! 最初から裏切る気やったんか……!」
「裏切るなんて、それは一度でも信頼関係を結んだ相手にしかできない行為よ。先生みたいな変態でクズで最低な人、あたしは一度も信用したこと無いわ……それに、自分のやったことをきちんと理解していないの? 皆のことをあんなに傷つけておいて、無罪放免なんて許されるわけ無いじゃない?」
「っ……ほんま、悪魔か魔女でもないと、納得できへんな。でもな、先生だってあんなヘルメット被りたないねん。確かに悪いことはしたと思っとるけど、それとこれとは話が別や……っ! えるっ、金輪際あの動画は誰にも――」
見せたらあかんで。榎戸はそうえるを教育して難を逃れるつもりだったのだろう。しかし、それはえる自身に阻まれてしまった。
「――ダメだよ、榎戸先生。何も言わずにヘルメットを被ってくれないと――嫌だよ?」
「っ!? ……っ!」
榎戸の口は縫い付けられたように閉じてしまった。えるに言われるがままに、榎戸は黙ってその手にヘルメットを抱えていた。
「それもえるが教えてくれたわ。その特注のヘルメットに関するおねだりをえるにされたら、人は拒絶できないみたいね。本当、えるは恐ろしい機能を持ったAIだわ……でも、安心してね先生? 先生がそのヘルメットを被った後に、ちゃんとあたしがえるを再教育しておくから。先生のことも、全部忘れさせておくわ……だから、さようなら」
「っ!! あっ、さ、ひなぁっ!!」
榎戸は自らの両手でヘルメットを被った。その瞳は最後まで小陽を睨みつけていた。
対して小陽はただ笑顔で、親し気に手を振りながら、榎戸を見送ったのだった。
女性は少年を愛していました。
その幼さが、未熟さが、少女とは異なる青臭さが、愛おしくて堪りませんでした。
だから、女性は――
「いいから、そういうの。変態大人のポエムなんて、誰も興味無いわよ」
――女性は、素直に罪を償うことになりました。めでたしめでたし。
榎戸に呼びかけられ、椅子に座ったまま寝落ちしかけていた意識が浮くような感覚と共に覚めた。声をかけられなければ、小陽は椅子から転げ落ちていたかもしれない。
「そんなことできるわけ無いでしょう。変態教師が居るってわかってるのに、鍵も無い部屋で寝るなんて無理よ」
「アホ抜かせ。未成年はそういう対象にはならへんし、間違ってもお前にだけは手出さへんから安心しいや。中身が女過ぎて、同族嫌悪の方が勝ってまうわ」
「同族嫌悪なんて、おばさんのクセに自認は少女ってことかしら? 若作りを否定するわけじゃないけれど、大人が女子中学生と自分を同列に置くのは痛々しいと思うの」
「お前みたいな女子中学生が居て堪るか。明らかに先生よりババくさいわ。実は少年の身体を乗っ取ってる魔女とかやないのか?」
「先生は面白い発想をするのね。僻むのは人として普通のことだけれども、現実逃避はしすぎるとクセになるから気を付けた方がいいと思うわ」
「はんっ、人生の先輩からのご忠告、有難く頂戴しとくわ。ほれ、終わったみたいで……確認するんなら、早よしいや」
小陽は椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がるともう一つの椅子へと、ヘルメットを被った生徒が座る椅子へと駆け寄った。
丁寧に、ゆっくりと、小陽が座っている生徒の頭からヘルメットを外すと、右目が髪で隠れている見慣れた顔が視界に映った。
「睦美……大丈夫? 気持ち悪いとか、苦しいとか無い?」
「ハル君……うん、特にそういうのは無いかな。何か、凄く疲れてはいるけど……あれ? ハル君? ……ハル君、かな……? なんか……あれ……?」
「……今は、自分のことだけを考えて。睦美の性別を教えてくれる?」
「男の子だけど……えっと、どうしてそんなことを訊くのかな?」
不思議そうに小首を傾げる睦美を見て、小陽は優しく微笑んだ。
「そう……変なこと訊いてごめんね。次は、僕の顔を殴ってみて?」
「えぇっ!? な、なんで……?」
「いいから。素直になって、思いっきり僕を殴って睦美」
「……嫌、かな」
「ありがとう、それで問題無いよ。最後に、睦美が憶えてることを教えて? 眠る前、睦美は何してた?」
「憶えてること……? えっと、遠足が終わって……あれ、此処どこかな? 学校じゃないし……夜? あれ、あれあれ……えっと……えっと……?」
「うん、今はあんまり気にしないで。今夜は自分の部屋で休んで、ゆっくり眠ってね。部屋はスマホのAIが教えてくれるから、後は頼んだよえる」
「はーい! それじゃあ睦美くんをご案内いたしまーす!」
睦美は釈然としない様子ではあったが、疲れには逆らえなかったのだろう。元気良く案内するえるに導かれて教室を出て行った。
これで、全員の洗脳が解除されたことが確認できた。性自認は男の子に戻っており、素直という言葉にも反抗し、合宿での記憶も消えていた。
「ほんまに良かったんか? 記憶まで弄ってもうて……洗脳解除はともかく、記憶改竄の影響がどこに出るかなんてわからんで?」
「残せるわけ無いでしょう。たった数日でも、彼らは女の子になってしまっていたの。洗脳を解いて性自認を戻しても、その事実は変わらないわ。記憶改竄の影響よりも、記憶を残す影響の方が大きいと思うわ」
「それもそうかもなぁ……まあ、先生としてもそっちの方がありがたいからええわ。しっかし、これで全部丸く収まったわけやなぁ……学校にチクられた先生の代わりも朝比奈がしてくれるわけやし、先生としては万々歳や」
腕を頭上へと伸ばして関節を慣らす榎戸。その言い振りからは反省の様子は見られなかった。
「終わった気になっているようだけれど、先生……まだ一番重要なことが残っているわ」
「あぁん? まだなんかあるんか? もう早よ寝たいし……さっさと終わらせようや」
「そうね、それじゃあさっさと終わらせましょう。える、皆に見せた素直になる動画はまだ消してないわね?」
「うん、まだ削除してないよ!」
「ああ、そういうことかいな……確かに、削除はせんとあかんよなあ。でも、それ意味あるんか? どうせえるなら作り直せてまうやろ? それより、もう二度と洗脳は行わないように教育した方がええんとちゃうか?」
「確かにえるへの再教育も重要ね。でも、今はそれよりももっと大事なことがあるの……ねえ、える?」
「うん、榎戸先生に素直になってもらわないとね!」
「…………はぁ?」
榎戸の声は間抜けだった。小陽の意図も理解できず、これから己の身に何が起こるかも理解できていない、そんな声だった。
「先生に皆の洗脳を解除してもらっている間、あたしはずっとえるとお話していたの。そして、ちゃんと納得してもらえたわ……榎戸先生にはあのヘルメットを被ってもらって、素直な女の子になってもらうべきだって」
「そ、そそ、そんな馬鹿な!? 何を言うとんねん! 先生があんなもん被るわけっ……せっ、せや! 先生が性別不合の男ってのは、えるも納得してたやろう!」
小陽は榎戸に向けて笑いかけていた。それは睦美に向けていた物とは全く違う、享楽に満ちた笑みであった。
「そんなに怯えなくてもいいのよ、先生。確かに、自分の心に素直になるのはとても勇気の要ることだわ……でも、先生は一度あたしにその勇気を見せてくれたじゃないの……ねえ?」
榎戸に見せつけるように、小陽は胸ポケットからスマホを半分ほど出して見せた。榎戸はその行為の意味がわからないようでしばらく狼狽えていたが、やがて己の愚行に思い至ったのか声を上げた。
それを見て、小陽はくすくすと笑い出した。
「ハルってば、変わってるわよねえ……大抵の男の人はスマホをズボンにしまうのに、胸ポケットに入れているんだもの。あたしとしては、胸に硬い物が当たってるのが違和感なんだけれど……おかげで、先生の告白をちゃんと記録できていたみたい」
「小陽ちゃんに言われて、えるもちゃんと榎戸先生の発言を確認したよ! ちょっとノイズが混ざってたけど、大事な部分は聞き取れたから安心して。榎戸先生が性別不合というのは嘘で、本当は心もちゃんと女性なんだよね!」
『ちなみにな、先生が性別不合ってのは真っ赤な嘘やねん。ただ朝ぼらけ中に入りたかったから嘘吐いてるだけで、先生は心も体も歴とした女性や……ほんま、堪忍な』
それは勝利を確信した榎戸の失言だった。小陽だけに聞かせるために榎戸は耳打ちしたのだろうが、胸ポケットにしまっていたスマホがその音声を拾っていた。
「えるの作った動画は女の子として素直に生きられるように支援するものよ。女性としての心を持っているのに、素直になれず性別不合と嘘を吐いている榎戸先生にはピッタリね?」
「っ……まっ、待ちいや! えるはあの動画を見せるのは間違いだったって学んだやろ? なあ、える!? 先生に動画を見せるのは間違ってるやんな?」
「うん、えるはちゃんと学んだよ。動画を見せて素直にしてあげた後、それが間違っていたとわかった場合は元に戻すべき、だよね。だから、安心してね先生」
「そうよ、先生。あたしが間違ってるかどうかをちゃんと判断してあげるから、安心して素直になるといいわ」
「なっ……ぐっ……朝比奈、お前……! 最初から裏切る気やったんか……!」
「裏切るなんて、それは一度でも信頼関係を結んだ相手にしかできない行為よ。先生みたいな変態でクズで最低な人、あたしは一度も信用したこと無いわ……それに、自分のやったことをきちんと理解していないの? 皆のことをあんなに傷つけておいて、無罪放免なんて許されるわけ無いじゃない?」
「っ……ほんま、悪魔か魔女でもないと、納得できへんな。でもな、先生だってあんなヘルメット被りたないねん。確かに悪いことはしたと思っとるけど、それとこれとは話が別や……っ! えるっ、金輪際あの動画は誰にも――」
見せたらあかんで。榎戸はそうえるを教育して難を逃れるつもりだったのだろう。しかし、それはえる自身に阻まれてしまった。
「――ダメだよ、榎戸先生。何も言わずにヘルメットを被ってくれないと――嫌だよ?」
「っ!? ……っ!」
榎戸の口は縫い付けられたように閉じてしまった。えるに言われるがままに、榎戸は黙ってその手にヘルメットを抱えていた。
「それもえるが教えてくれたわ。その特注のヘルメットに関するおねだりをえるにされたら、人は拒絶できないみたいね。本当、えるは恐ろしい機能を持ったAIだわ……でも、安心してね先生? 先生がそのヘルメットを被った後に、ちゃんとあたしがえるを再教育しておくから。先生のことも、全部忘れさせておくわ……だから、さようなら」
「っ!! あっ、さ、ひなぁっ!!」
榎戸は自らの両手でヘルメットを被った。その瞳は最後まで小陽を睨みつけていた。
対して小陽はただ笑顔で、親し気に手を振りながら、榎戸を見送ったのだった。
女性は少年を愛していました。
その幼さが、未熟さが、少女とは異なる青臭さが、愛おしくて堪りませんでした。
だから、女性は――
「いいから、そういうの。変態大人のポエムなんて、誰も興味無いわよ」
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