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ヤッちまったら後の祭り

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 身体が酷くダルい。関節が痛い、腰が痛い、なんだか熱も出ているような感覚がして寝ぼけながらうんざりする。起きたくない、もう少し寝ていたい、だって今日は休みのはずだ。そう思いつつも、段々と意識ははっきりしてきてしまう。ふと、慣れない肌触りのシーツとマットレスの質感に違和感を持った。重い瞼を開くと眼前に広がったのは、薄暗く知らない部屋だった。郁人は慌てて飛び起きた。

 ここ、どこだ⁉

 寝起きの頭では状況がよく分からなかった。周りを見渡す限り、ここはホテルらしい。ゆっくりと昨夜のことを辿る。いつものバーでやけ酒をして、あたるに会った︙、いや違う、あの人はナオと言う別人だったんだ。それで︙、それで︙。

「うわぁっ︙、まじか。」

 思い出された記憶に郁人は頭を抱えた。酔っていたのでちゃんとしたことは思い出せない。ただ、尻や腰に感じる違和感が己の処女の喪失を物語っている。ヤッちまった︙。

 野々村郁人、25歳。
 童貞よりも先に処女を卒業しました。

 ホテルには誰も居ない。
 昨夜のことが夢であって欲しいと願った所で、ベッドサイドの小さなテーブルに書き置きを見つけてしまった。

『25歳の誕生日おめでとう。
 昨日は楽しかった、ありがと♡
 また遊びたくなったら、あの店で僕を誘ってね。』

 メモの横には、壱万円札が置かれていた。
 バーの分も払って貰ったのに︙。
 昨夜、自分も奢ると言ったような気がする。財布を確認すれば、中身は減っておらずスマホもそのまま、服に至っては畳んである。処女以外は何も奪われていない。むしろ、こんな自分に対してなのに待遇が良すぎる。

「お金、返すか。」

 ついでに飯でも奢らせてもらおう。

「あの店に行ったら、会える、のか︙。」

 つくづく、自分は馬鹿な男だと思う。彼からすれば一度きりの相手で、気まぐれに抱いてみただけだろう。それでも、何年も焦がれてきた初恋の相手に似ている相手に優しく抱かれて、意識せずにいられるものだろうか? しかも郁人に限っては、昨日までセックスどころか男との駆け引きすらしたことがなかったわけで︙。昨夜のナオの指先を思い出して、身体がゾクりと震えた。俺ってば、薄情だな。自分で自分にほとほと呆れる。
 郁人は、お金を返すのとお礼を理由に、その日のうちにあの店に行った。しかしその晩、ナオは店に来なかった。仕方がないので、また来週の休日に行くことにして諦める。正直、結構へこたれた。やっぱり、一夜限りだったんだな。そりゃそうか、あんな良い男が相手に困るわけがない。たとえ処女厨でも引く手数多だろう。

 少しだけ飲んで、郁人はすぐに店を後にした。
 落ち込みを引きずりながら、夜道を歩く。涼しい夜風が胸の中まで冷やすみたいだ。処女を失った所で、セックスで抱かれてみた所で人生は特に変わらなかった。愛されていると感じたのは抱かれている間だけで、今は虚しいばかり。ただ本物の男の欲望と人肌を知った身体が欲張りになるだけだ。

「ケツ、痛ぇ︙︙。」

 じわじわと目頭が熱くなった。
 どうせ処女を守り続けたって、仕方がなかったんだ。
 アイツが俺を抱いてくれるわけじゃない。
 良い経験になったはずだ。
 きっと、そうだ。

 ゆっくりと近づく自分のマンション。家賃の安さで選んだそこは、けして新しくはないし、広くもない。あたるを追いかけて、東京まで来てしまったのだから恋とは盲目だ。階段を登って五階まで上がる、エレベーターがないからキツイ。呼吸を整えながら顔を上げると、一番奥の自分の部屋の前に人影が見えた。その男は、しゃがみ込みスマホを眺めていた。

「︙っ、あたる。」

 美しく整いすぎた顔を上げ、直はこちらを見た。無表情のまま、こちらを冷たく見据えている。会えた喜びと同時に罪悪感が郁人の胸を占めた。

「遅かったな。」
「ご、ごめん。今、カギ開けるからっ。」

 いつもと変わらない態度と静かな声。それなのにどこか責められているような感覚がしてしまうのは、きっと自分の罪悪感のせいだろう。
 
 焦りながらガチャガチャと音を立てて鍵を開ける。あたるは時々こんな風に突然、郁人のマンションを訪れる。その度に何度も淡い期待を膨らませ、優越感に浸ってきた。
 
 ドアが開き、郁人が入ると直も入る。

「寒かっただろ、ごめんな。いつから待ってたんだ?」
「︙別に、さっき来たし。」
「そか︙︙。」

 気不味さに会話を試みたが素っ気なく返され、さらに気不味さが増す。忘れてた、こいつは全然喋んないんだった。ナオの余韻のせいで脳がバグを起こしそうだ。

「飯は?」
「食べる。」
「おけ。」

 いつもと変わらない会話。
 変わらない態度と空気、好きな人。
 いつものように自分が飯を用意してやる。
 まるで恋人みたいだと浮かれていた昨日までの俺は何処へやら。
 でも、あたるは変わらない。飯を食って風呂に入って寝ていく。
 そんで、明日の朝にはいないのだろう。

 変わったのは、俺だけ。
 自分だけがたった一人で変わったんだ。






 郁人の作った夕飯を食べ終え、郁人の後にシャワーを済ませたあたるが腰にタオルを巻いたままの姿で出てくる。鍛え上げられた身体と濡れた髪、郁人はどうしようもなく視線を逸らす。身体の奥に小さな疼きを感じた。
 
「濡れたまま、裸で出てくるなよ。服着ろ、服!」
「めんどくさい。」
「風邪引くぞ、まったく︙。」
「ん。」

 床に座って腰掛けるあたるの髪をベッドの上からタオルで甲斐甲斐しくわしゃわしゃと拭いてやる。ドライヤーを持ってきて乾かしながら、少しクセのある金髪に指を通す。いつも通り。でも、今日は何か違う。彼の髪に触れる度、喜んでいたはずなのに。郁人はあたるに触れていられなくなって、ドライヤーを止めた。少し長めの髪は、まだ濡れている。

「疲れた、後は自分で乾かせ。
 俺、もう寝るわ。布団敷くから、そこ避けろー。」

 あたるが来たとき、郁人は床に布団を敷いて寝る。来客用の布団は直が来始めてからすぐに買った。甘やかしすぎだという自覚はある。身体が妙にだるいのは、完全に昨夜の情事のせいだ。正直気まずいのもあるが本当に眠くて仕方がない。熱があるというのもあながち気の所為ではないのだろう。それに、少しとは言え酒を飲んでしまったから余計に辛くなっている。

「今日はベッドで寝ろよ。」
「へ?」
「具合、悪いんだろ。」
「そ、んなこと、、」
「あんだろ。
 別に俺が勝手に来てるだけだし、俺が床で良い。」
 
 乱暴な言い方、でも優しい。小さな体調の変化にすら気が付いてくれる。こういうあたるの些細な言動が郁人を魅了してきた。赤く染まっているであろう顔を俯かせると、あたるの少し冷たい手が首にそっと触れてくる。小さく甘やかな感覚に郁人は、ぴくりと反応してしまう。思わず、あたるから身を引いてしまった。すると、あたるが不機嫌な顔を見せた。その反応につい喜びが広がる。この男の小さな感情の変化に気がつけるのは身内以外できっと俺くらいだ、なんて調子に乗った考えが浮かぶ。いつも以上に過剰に意識しているのは分かっている。

「昨日、どこに居た?」
「はぇ⁉」

 予想もしていなかった突然の質問に郁人は素頓狂な声を出した。バレるわけがないのに、バレたんじゃないかと焦る。いやいや、これは至って普通の日常会話だ。昨日は何していたのか、くらい誰だって他愛もなく聞く。

「あー。昨日は、いつものバーで飲んでた。
 ほら、お前も行ったことあるだろ?
 今日もそこで飲んでから帰って来た。」

 お前が祝ってくれないせいで、お前のそっくりさんとセックスしちまったんだよ! と八つ当たりじみた馬鹿な文句が脳を走ったが心の中で留めておく。ついでに今日、帰りが遅くなってしまった理由わけを言う。

「昨日も行って、今日も行ったのか。」
「ん? ああ、会いたい人がいて待ってた。」
「︙会いたい人?」
「昨日世話?になって、お礼したかったんだけど、会えなかった。
 また来週にでも行くよ。」

 嘘は言っていない。何故か気になるようで、ワケを話せと言いたげな直の視線に郁人は色々省いて説明をする。連絡先を交換しなかったから仕方がない、会えたらラッキーってくらいだ、と早口に言った。どこか言い訳じみていて内心苦笑する。同時に珍しく喋るあたるに違和感を覚えつつも、機嫌が良いだけなのだろうと思考を流した。

 また、あたるの腕が自分に伸びてくる。今度は驚いて身を引かないように気をつけながら、何だよと言って眉を潜めてみた。それでもあたるの表情は変わることなく、一貫して無を貫いている。腕が伸びてきて、長い指がスルりと首筋を撫でた。

「んっ︙。」
 
 その小さな感覚に吐息のような声が盛れた。慌ててふざけた風にごまかそうと顔を上げると、思ったより近くに顔があって一瞬呼吸が止まった。ぼぅっと、綺麗な顔を眺めていると低い声が冷たく囁いた。

「ここ︙キスマーク。」
「は⁉ はあぁ⁉」

 ばっ!と、なぞられた首筋を掌で覆い隠す。慌てふためきながら勢いよく立ち上がり、あたるから距離を取った。

 まさか! 昨夜か! 
 いやいや昨日のアレ以外何がある!
 やばい! いや、やばくないのか?
 どうする、どうごまかせばっ︙。

 郁人は、パニック状態でワタワタと狭い部屋を動き回った。

「︙嘘だけど。」
 小さく呟かれた言葉。
「は? なななななな、なんだよ!
 ばっっっかじゃねーの⁉ やめろよぉ!」
 
 何、変な嘘吐いてくれちゃってんの?
 馬鹿なの? ねぇ! 馬鹿なの⁉
 混乱して、ガキみたいな悪口をぎゃーぎゃーと言っているような気がするが、気にしない。だって、明らかにコイツが悪い!

「何? 本当にそういうことしてたわけ?」

 テレビの方を見ながら、素っ気なく言われて郁人は唖然とした。テレビのドキュメンタリーにもこちらにも興味なさげに微笑を浮かべていた。久々に笑ったかと思えば、それは嘲笑のようで︙、正直、ムカついた。

「俺だって、たまには、遊んだり︙すんだよ。」

 郁人は、ぼそぼそと小さく言ってベッドの布団に潜った。なんだか無性に虚しさが込み上げて、泣きたくなった。

 俺が誰とセックスしようが、この男には関係ない。
 この男にとって、どうでもいいこと。

 今まであたる相手に女の影をちらつかせたことなんてない。好みのタイプの女の子は、小さい・巨乳・可愛いの三点セット「理想が高すぎて彼女ができないヤツ」で通すことで、そういう会話で自分のセクシャリティがバレないように回避してきた。それはあたるに対しても周囲に対しても、それが自分自身の防衛だった。結局、高校大学と恋人ができずに生きてきた俺だが、あたるは違う。無口で無愛想なくせに常に彼女がいたし、そのうち彼女が面倒だとか言ってセフレを作りはじめた。本当に、いつか刺されると思う。
 はじめて、あたるに彼女ができた時は絶望だった。おめでとうと笑顔で返したが、その日はワンワン泣いて次の日学校を休む羽目になった。数週間後、その相手とあたるがセックスをしたという噂を聞いた日はさらに地獄で、あの手でどんな風に抱くのだろうかと想像して︙。彼女が変わる度、そのうち慣れると言い聞かせてきたが結局、慣れることはなかった。何度も何度も苦しくなった。せっかく大学進学で離れたのに卒業間近で再会。たまに飯を作ってやってたら「郁人の飯、毎日食えたらな︙。」とボソリと呟かれて、馬鹿みたいに東京まで追ってきた。今でも、あたるに女性の気配を感じると女々しく泣いてしまう日もある。

 今日も彼から知らない女の移り香がした。

 布団越しに音量の下げられたテレビの音がざわざわと聞こえる。またナオに会って抱いて貰おう︙、そんな考えがぼんやりと浮かぶ。この寂しさも虚しさも快楽の中で癒やして貰えば良いんだ。ひっそりと涙を流しながら、郁人は眠りについた。

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