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第26話 告白は口より先に手が動く
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元恋人のシンデレラ定食が出た翌日から、みつよ食堂の空気は、目に見えないところで少しずつ変わり始めた。
記事の切り抜きは相変わらずガラス戸の横に貼られている。
『奪う恋じゃなくて、分け合うごはん』。
その見出しを立ち止まって読む人は増えたけれど、店の中の三人は、そこに恋だの何だのを書かれていることよりも、目の前の「今日のお腹」に意識を向けていた。
――少なくとも、見た目にはそう見えた。
*
「……“愛してる”は、ないな」
昼のピークを過ぎたカウンターの端。
客席が少し落ち着いた時間帯に、勇一はスケッチブックを前に頭を抱えていた。
ネームの最終話。
ページの一番最後、大きなコマのど真ん中に、「告白のセリフ」を書くスペースだけがぽっかり空いている。
そこに何を書けばいいのか、さっきから一ミリも進んでいない。
「愛してる、って、一度描いてみたんだけどさ」
勇一は、鉛筆の芯を指先でいじりながらつぶやく。
「吹き出しの中に置いた瞬間に、“お前、誰だよ”って自分で突っ込んじゃって」
「誰ですか」
カウンターの内側から、桜子が笑いをこらえながら聞き返す。
ポットのお茶を注ぎつつ、スケッチブックをちらりと覗き込む。
「この料理人キャラがさ。
いきなり“愛してる”とか言うと、別の漫画の人みたいになるんだよ。
ここまで皿で全部語ってきたタイプなのに」
「たしかに」
「“好きです”は、“就活の志望動機”っぽくなったし」
「それはそれで気になります」
ページの端には、「ありがとうじゃ足りない」「ここにいてほしい」「一緒にご飯食べたい」など、書いては消した言葉の残骸が重なっている。
消しゴムのかすが、雪のようにたまっていた。
「いっそ、何も言わない、は?」
桜子が提案すると、勇一は即座に首を振る。
「それ、コマの外側の人間が許してくれないから」
「コマの外側?」
「編集さんたち。
“ここまで引っ張っておいて、目で語るだけで終わりはナシです”って、全員から怒られる未来が見える」
「ああ……」
その光景は、なんとなく想像できた。
「現実はさ、言葉なくても何とかなるときあるじゃん」
勇一は、カウンターに頬杖をつく。
「皿出したり、手伝ったり、背中押したり。
でも漫画は、やっぱりどこかで言葉にしないと、読者が“ここが山場だよ”って受け取れない」
その「読者」という言葉に、桜子は少し背筋を伸ばした。
自分も、いつの間にかその一人になっている。
「じゃあ、最終的には何か言ってもらうとして」
桜子は、ポットを置いてから言った。
「先に、何をしてるか、決めたらどうですか」
「何をしてるか?」
「その告白シーンのとき、皿洗いしてるのか、料理してるのか、ただカウンター越しに立ってるのか。
それで、“言える言葉”変わる気がするので」
その言葉に、勇一は「おお」と目を丸くした。
「さすが、ホール係」
「何もしてないときに喋るのって、逆に難しい気がして」
「確かに。
手、空いてるほうが緊張するかも」
勇一は、スケッチブックの空白に、小さく「手元:皿? 包丁?」と書き込んだ。
*
一方その頃、厨房でも別の人間が同じところで詰まっていた。
琉叶は、まな板の前で、キャベツと向き合っていた。
千切り用に四つ割りにしたキャベツの、最後の一欠片。
それを刻み終えれば、今日の仕込みは十分な量になるはずだった。
――普通なら、そこで包丁を止める。
けれど、その日だけは違った。
「……」
無言のまま、琉叶はキャベツの芯の部分をさらに細かく刻み始めていた。
ザク、ザク、と規則正しい音が、いつまでも終わらない。
「ねえ」
流し台の前から、美津代が声をかける。
「キャベツ、いじめてるの?」
「いえ」
「その量、今日の倍はあるよ」
「いえ」
「いえ、って言いながら手止まってないから」
まな板の上には、すでに大きなボウル二つぶんの千切りキャベツが山になっていた。
それでも琉叶の包丁は、一定のリズムを崩さずに動いている。
「……すみません」
ようやく手を止めて、琉叶は包丁を置いた。
「ちょっと、考えごとしてました」
「包丁持ちながら考えごとするの、やめようね」
「はい」
キャベツの山を見て、自分でもやりすぎたと自覚する。
ボウルの縁からふわりとこぼれ落ちそうになっている千切りたちが、軽くため息でもついていそうな気配だった。
「そんなに刻んで、何の告白でもするの?」
「……どうしてそれを」
「キャベツの切り方が、“何か言えない人”の切り方してるから」
美津代は、ボウルを一つ持ち上げてみせる。
「黙って手だけ動かしてたら、気持ちがバレないと思ってるタイプ」
「ちが……」
否定しかけて、琉叶は口をつぐんだ。
図星すぎて、反論の言葉が見つからない。
「勇一から聞いたよ」
美津代は、軽い口調で続ける。
「ネームの最終話で告白シーンが決まらないとか。
“うちの店は、言葉より先に手が動く人間ばっかりだね”って笑ってた」
「……そうですね」
琉叶は、キャベツの山を見下ろした。
「気づくと、包丁持ってます」
「包丁やめて、皿に持ち替えるところから始めよっか」
「はい」
*
夜の営業がひと段落したころ、店内にはゆるやかな間が流れていた。
カウンターには常連が数人、テーブル席には商店街の人たち。
昼間ほどの活気はないが、静かな話し声が心地よい。
桜子は、伝票を整理しながら時計を見る。
そろそろ、片付けと明日の仕込みの準備に入る時間だ。
「ねえ、桜子」
カウンターの端から、勇一が声をかけた。
「今日、閉店後、ちょっと時間もらってもいい?」
「ネームですか」
「うん。
最終話。
どうしても決まらなくてさ」
「私は、漫画のことはよくわからないですけど」
「だからいいんだよ」
勇一は、スケッチブックを掲げる。
「“読者代表”として。
ここまで付き合ってくれた人に、“この言葉だったら信じられる”って言ってほしくて」
“ここまで付き合ってくれた人”。
それが、桜子自身のことでもあるのだと気づいたとき、胸の奥が少しだけくすぐったくなった。
「わかりました」
桜子は頷いた。
「じゃあ、閉店後に」
そのやりとりを聞いていたのか、カウンターの内側から美津代が顔を出した。
「じゃあ、あんたも残りな」
「え?」
「仕込み、今日だけちょっと多いから。
キャベツ担当の子が、張り切りすぎちゃって」
「……なるほど」
視線を厨房に向けると、山盛りの千切りキャベツがこちらを見返してきた。
ボウルが三つ。
どう考えても、今日一日では使い切れない量だ。
「私、手伝います」
桜子は、迷わず言った。
「どうせ残るなら、ちゃんと身体動かしたいので」
「そう来なくちゃ」
美津代は満足そうに頷く。
「じゃあ、ホール閉めたあとで、キャベツ会ね」
*
閉店時間になり、最後のお客を送り出すと、桜子はガラス戸の鍵をかけた。
暖簾を外し、外のブラックボードを店内にしまう。
アーケードの灯りだけが、薄く入口を照らした。
「では、キャベツ会を始めます」
美津代が、冗談めかして宣言する。
「本日の議題、“口より先に手が動く人たちの今後について”」
「議題が重いです」
勇一が笑い、琉叶は少しだけ居心地悪そうにキャベツの山を見た。
「とりあえず、刻みすぎたこの子たちを、どう救うか考えよ」
美津代は、ボウルを一つ持ち上げる。
「コールスロー、サラダ、炒め物、漬物。
何でもいけるけど」
「……オーブン、使ってもいいですか」
しばらく黙っていた琉叶が、口を開いた。
「キャベツとベーコンのグラタン風。
あとは、少しだけカレー味の炒め物にして、明日のまかないに回したいです」
「いいね。
それ」
勇一が目を輝かせる。
「“告白グラタン”って名前にしよう」
「やめてください」
即座に二人からツッコミが入った。
「じゃあ、私はボウル一つ分、コールスローにします」
桜子は、エプロンを結び直して名乗りを上げた。
「刻んだ人の気持ちまで、ちゃんとほぐせるように」
「おお」
勇一が、スケッチブックに何かを書き込む。
「今の一言、ネームに欲しい」
「やめてください。
取材協力料、高くつきますよ」
*
それぞれの手が、同じキャベツの山から違う料理を生み出していく。
桜子は、ボウルにキャベツを移し、塩を振ってしばらく置いた。
しんなりしてきたところで水気を絞り、マヨネーズとヨーグルト、少量の砂糖を混ぜる。
そこに、刻んだりんごとコーンを加える。
「りんご?」
琉叶が、横目で見ながら尋ねる。
「少しだけ甘いほうが、“がんばった日”には合う気がして」
「……いいと思います」
オーブンのほうでは、キャベツとベーコンを炒めたものを耐熱皿に敷き、その上からホワイトソースとチーズをかけている。
パセリだけでなく、ブラックペッパーも少し多めに振った。
「スパイス多めですね」
「言えない言葉の代わりです」
「ポエム率、高くないですか」
「今日はそういう日です」
コンロの隅では、キャベツのカレー炒めが湯気を立てていた。
にんにくと生姜の香りが、店内に広がる。
「……こうやって見てるとさ」
勇一が、腕を組んで眺める。
「みんな、告白してるよね」
「は?」
三人分の声が重なった。
「だって。
口で“好きです”って言うより、このキャベツ救出作戦のほうが、“ここで一緒にいたいです”って伝わる気がするもん」
「大げさです」
桜子が笑う。
「ただの残業です」
「ただの残業に、人はここまで情熱を注がないの」
「それはそれで、編集さんにも聞かせてあげてください」
*
オーブンから、チーズの焦げるいい香りが立ち上る。
タイマーが鳴り、琉叶が手袋をして扉を開けた。
「わあ……」
桜子の口から、自然と声が漏れる。
こんがりときつね色に焼けたグラタン。
キャベツとは思えない、しっかりとした存在感がある。
「試食、します?」
「もちろん」
四つに分けたグラタンと、コールスロー、カレー炒め。
まかない用の小さな皿に少しずつ盛りつけ、カウンターに並べる。
深夜の食堂に集まった四人の前に、「余りもの」から生まれたご馳走が静かに湯気を立てた。
「いただきます」
一口。
キャベツとベーコンのグラタンは、驚くほど優しい味だった。
芯まで火が通ったキャベツが、しゃきしゃきと、でも柔らかく舌の上でほどける。
「……これ」
桜子が、スプーンを持ったまま言う。
「今日一日が、全部報われる感じします」
「それは大げさです」
琉叶は言いながら、少しだけ耳が赤い。
コールスローは、りんごの甘みと酸味がちょうどいい。
カレー炒めは、疲れた身体にぴったりの強さだった。
「よし」
勇一が、スケッチブックをぱたんと閉じる。
「決めた。
最終話の告白、セリフはまだ保留にするけど、手前のコマで、“キャベツ刻みすぎた二人が、最後に一緒にまかない食べる”シーン入れる」
「告白は?」
「皿の奥に、ちっちゃく吹き出し描く。
“今度さ、一緒に余りもの料理しない?”って」
「それ、告白なんですか」
「告白だよ。
“余りものの日々も含めて、一緒に食べたい人です”って意味だから」
桜子は、スプーンを口に運びながら、その言葉を噛みしめた。
口より先に手が動く人たちの告白は、こういう形になるのかもしれない。
*
「……じゃあ」
ひと通り食べ終えたあと、美津代が湯呑みを手に取った。
「ここからは、それぞれの宿題ね」
「宿題?」
「うん。
勇一は、最終話のセリフ。
私は、明日のメニューにこのキャベツたちをどう組み込むか。
琉叶は、今日の“やりすぎ”を、明日以降どう生かすか」
「じゃあ、私は?」
桜子が尋ねると、美津代はにやりと笑った。
「あんたは、“誰のために残業したかったのか”を、自分でちゃんと確認しな」
その一言に、グラタンよりも熱い何かが胸の奥に広がった。
「それ、職場のアンケートに書く項目じゃないですよね」
「書いたら、だいぶ攻めた会社だね」
「回答に困ります」
困ると言いながら、桜子は自分の手のひらを見つめた。
さっきまでキャベツを絞っていた指先。
ホールでトレイを持っていた手。
ポスターの中で皿を支えている手。
その全部が、「ここにいたい」という気持ちと繋がっている。
「……でも」
小さく息を吐き、グラタンの皿に目を落とす。
「口より先に手が動いてるうちは、まだ答え出したくないかもしれないです」
「それもアリ」
美津代は、あっさり頷いた。
「答えは急がなくていい。
でも、“今、自分の手がどこに伸びてるか”だけは、見失わないようにしな」
桜子は、素直に頷いた。
その夜、みつよ食堂の厨房には、言葉にならなかった告白がいくつも漂っていた。
キャベツの山から生まれた料理たちが、その全部を受け止めてくれているような気がした。
記事の切り抜きは相変わらずガラス戸の横に貼られている。
『奪う恋じゃなくて、分け合うごはん』。
その見出しを立ち止まって読む人は増えたけれど、店の中の三人は、そこに恋だの何だのを書かれていることよりも、目の前の「今日のお腹」に意識を向けていた。
――少なくとも、見た目にはそう見えた。
*
「……“愛してる”は、ないな」
昼のピークを過ぎたカウンターの端。
客席が少し落ち着いた時間帯に、勇一はスケッチブックを前に頭を抱えていた。
ネームの最終話。
ページの一番最後、大きなコマのど真ん中に、「告白のセリフ」を書くスペースだけがぽっかり空いている。
そこに何を書けばいいのか、さっきから一ミリも進んでいない。
「愛してる、って、一度描いてみたんだけどさ」
勇一は、鉛筆の芯を指先でいじりながらつぶやく。
「吹き出しの中に置いた瞬間に、“お前、誰だよ”って自分で突っ込んじゃって」
「誰ですか」
カウンターの内側から、桜子が笑いをこらえながら聞き返す。
ポットのお茶を注ぎつつ、スケッチブックをちらりと覗き込む。
「この料理人キャラがさ。
いきなり“愛してる”とか言うと、別の漫画の人みたいになるんだよ。
ここまで皿で全部語ってきたタイプなのに」
「たしかに」
「“好きです”は、“就活の志望動機”っぽくなったし」
「それはそれで気になります」
ページの端には、「ありがとうじゃ足りない」「ここにいてほしい」「一緒にご飯食べたい」など、書いては消した言葉の残骸が重なっている。
消しゴムのかすが、雪のようにたまっていた。
「いっそ、何も言わない、は?」
桜子が提案すると、勇一は即座に首を振る。
「それ、コマの外側の人間が許してくれないから」
「コマの外側?」
「編集さんたち。
“ここまで引っ張っておいて、目で語るだけで終わりはナシです”って、全員から怒られる未来が見える」
「ああ……」
その光景は、なんとなく想像できた。
「現実はさ、言葉なくても何とかなるときあるじゃん」
勇一は、カウンターに頬杖をつく。
「皿出したり、手伝ったり、背中押したり。
でも漫画は、やっぱりどこかで言葉にしないと、読者が“ここが山場だよ”って受け取れない」
その「読者」という言葉に、桜子は少し背筋を伸ばした。
自分も、いつの間にかその一人になっている。
「じゃあ、最終的には何か言ってもらうとして」
桜子は、ポットを置いてから言った。
「先に、何をしてるか、決めたらどうですか」
「何をしてるか?」
「その告白シーンのとき、皿洗いしてるのか、料理してるのか、ただカウンター越しに立ってるのか。
それで、“言える言葉”変わる気がするので」
その言葉に、勇一は「おお」と目を丸くした。
「さすが、ホール係」
「何もしてないときに喋るのって、逆に難しい気がして」
「確かに。
手、空いてるほうが緊張するかも」
勇一は、スケッチブックの空白に、小さく「手元:皿? 包丁?」と書き込んだ。
*
一方その頃、厨房でも別の人間が同じところで詰まっていた。
琉叶は、まな板の前で、キャベツと向き合っていた。
千切り用に四つ割りにしたキャベツの、最後の一欠片。
それを刻み終えれば、今日の仕込みは十分な量になるはずだった。
――普通なら、そこで包丁を止める。
けれど、その日だけは違った。
「……」
無言のまま、琉叶はキャベツの芯の部分をさらに細かく刻み始めていた。
ザク、ザク、と規則正しい音が、いつまでも終わらない。
「ねえ」
流し台の前から、美津代が声をかける。
「キャベツ、いじめてるの?」
「いえ」
「その量、今日の倍はあるよ」
「いえ」
「いえ、って言いながら手止まってないから」
まな板の上には、すでに大きなボウル二つぶんの千切りキャベツが山になっていた。
それでも琉叶の包丁は、一定のリズムを崩さずに動いている。
「……すみません」
ようやく手を止めて、琉叶は包丁を置いた。
「ちょっと、考えごとしてました」
「包丁持ちながら考えごとするの、やめようね」
「はい」
キャベツの山を見て、自分でもやりすぎたと自覚する。
ボウルの縁からふわりとこぼれ落ちそうになっている千切りたちが、軽くため息でもついていそうな気配だった。
「そんなに刻んで、何の告白でもするの?」
「……どうしてそれを」
「キャベツの切り方が、“何か言えない人”の切り方してるから」
美津代は、ボウルを一つ持ち上げてみせる。
「黙って手だけ動かしてたら、気持ちがバレないと思ってるタイプ」
「ちが……」
否定しかけて、琉叶は口をつぐんだ。
図星すぎて、反論の言葉が見つからない。
「勇一から聞いたよ」
美津代は、軽い口調で続ける。
「ネームの最終話で告白シーンが決まらないとか。
“うちの店は、言葉より先に手が動く人間ばっかりだね”って笑ってた」
「……そうですね」
琉叶は、キャベツの山を見下ろした。
「気づくと、包丁持ってます」
「包丁やめて、皿に持ち替えるところから始めよっか」
「はい」
*
夜の営業がひと段落したころ、店内にはゆるやかな間が流れていた。
カウンターには常連が数人、テーブル席には商店街の人たち。
昼間ほどの活気はないが、静かな話し声が心地よい。
桜子は、伝票を整理しながら時計を見る。
そろそろ、片付けと明日の仕込みの準備に入る時間だ。
「ねえ、桜子」
カウンターの端から、勇一が声をかけた。
「今日、閉店後、ちょっと時間もらってもいい?」
「ネームですか」
「うん。
最終話。
どうしても決まらなくてさ」
「私は、漫画のことはよくわからないですけど」
「だからいいんだよ」
勇一は、スケッチブックを掲げる。
「“読者代表”として。
ここまで付き合ってくれた人に、“この言葉だったら信じられる”って言ってほしくて」
“ここまで付き合ってくれた人”。
それが、桜子自身のことでもあるのだと気づいたとき、胸の奥が少しだけくすぐったくなった。
「わかりました」
桜子は頷いた。
「じゃあ、閉店後に」
そのやりとりを聞いていたのか、カウンターの内側から美津代が顔を出した。
「じゃあ、あんたも残りな」
「え?」
「仕込み、今日だけちょっと多いから。
キャベツ担当の子が、張り切りすぎちゃって」
「……なるほど」
視線を厨房に向けると、山盛りの千切りキャベツがこちらを見返してきた。
ボウルが三つ。
どう考えても、今日一日では使い切れない量だ。
「私、手伝います」
桜子は、迷わず言った。
「どうせ残るなら、ちゃんと身体動かしたいので」
「そう来なくちゃ」
美津代は満足そうに頷く。
「じゃあ、ホール閉めたあとで、キャベツ会ね」
*
閉店時間になり、最後のお客を送り出すと、桜子はガラス戸の鍵をかけた。
暖簾を外し、外のブラックボードを店内にしまう。
アーケードの灯りだけが、薄く入口を照らした。
「では、キャベツ会を始めます」
美津代が、冗談めかして宣言する。
「本日の議題、“口より先に手が動く人たちの今後について”」
「議題が重いです」
勇一が笑い、琉叶は少しだけ居心地悪そうにキャベツの山を見た。
「とりあえず、刻みすぎたこの子たちを、どう救うか考えよ」
美津代は、ボウルを一つ持ち上げる。
「コールスロー、サラダ、炒め物、漬物。
何でもいけるけど」
「……オーブン、使ってもいいですか」
しばらく黙っていた琉叶が、口を開いた。
「キャベツとベーコンのグラタン風。
あとは、少しだけカレー味の炒め物にして、明日のまかないに回したいです」
「いいね。
それ」
勇一が目を輝かせる。
「“告白グラタン”って名前にしよう」
「やめてください」
即座に二人からツッコミが入った。
「じゃあ、私はボウル一つ分、コールスローにします」
桜子は、エプロンを結び直して名乗りを上げた。
「刻んだ人の気持ちまで、ちゃんとほぐせるように」
「おお」
勇一が、スケッチブックに何かを書き込む。
「今の一言、ネームに欲しい」
「やめてください。
取材協力料、高くつきますよ」
*
それぞれの手が、同じキャベツの山から違う料理を生み出していく。
桜子は、ボウルにキャベツを移し、塩を振ってしばらく置いた。
しんなりしてきたところで水気を絞り、マヨネーズとヨーグルト、少量の砂糖を混ぜる。
そこに、刻んだりんごとコーンを加える。
「りんご?」
琉叶が、横目で見ながら尋ねる。
「少しだけ甘いほうが、“がんばった日”には合う気がして」
「……いいと思います」
オーブンのほうでは、キャベツとベーコンを炒めたものを耐熱皿に敷き、その上からホワイトソースとチーズをかけている。
パセリだけでなく、ブラックペッパーも少し多めに振った。
「スパイス多めですね」
「言えない言葉の代わりです」
「ポエム率、高くないですか」
「今日はそういう日です」
コンロの隅では、キャベツのカレー炒めが湯気を立てていた。
にんにくと生姜の香りが、店内に広がる。
「……こうやって見てるとさ」
勇一が、腕を組んで眺める。
「みんな、告白してるよね」
「は?」
三人分の声が重なった。
「だって。
口で“好きです”って言うより、このキャベツ救出作戦のほうが、“ここで一緒にいたいです”って伝わる気がするもん」
「大げさです」
桜子が笑う。
「ただの残業です」
「ただの残業に、人はここまで情熱を注がないの」
「それはそれで、編集さんにも聞かせてあげてください」
*
オーブンから、チーズの焦げるいい香りが立ち上る。
タイマーが鳴り、琉叶が手袋をして扉を開けた。
「わあ……」
桜子の口から、自然と声が漏れる。
こんがりときつね色に焼けたグラタン。
キャベツとは思えない、しっかりとした存在感がある。
「試食、します?」
「もちろん」
四つに分けたグラタンと、コールスロー、カレー炒め。
まかない用の小さな皿に少しずつ盛りつけ、カウンターに並べる。
深夜の食堂に集まった四人の前に、「余りもの」から生まれたご馳走が静かに湯気を立てた。
「いただきます」
一口。
キャベツとベーコンのグラタンは、驚くほど優しい味だった。
芯まで火が通ったキャベツが、しゃきしゃきと、でも柔らかく舌の上でほどける。
「……これ」
桜子が、スプーンを持ったまま言う。
「今日一日が、全部報われる感じします」
「それは大げさです」
琉叶は言いながら、少しだけ耳が赤い。
コールスローは、りんごの甘みと酸味がちょうどいい。
カレー炒めは、疲れた身体にぴったりの強さだった。
「よし」
勇一が、スケッチブックをぱたんと閉じる。
「決めた。
最終話の告白、セリフはまだ保留にするけど、手前のコマで、“キャベツ刻みすぎた二人が、最後に一緒にまかない食べる”シーン入れる」
「告白は?」
「皿の奥に、ちっちゃく吹き出し描く。
“今度さ、一緒に余りもの料理しない?”って」
「それ、告白なんですか」
「告白だよ。
“余りものの日々も含めて、一緒に食べたい人です”って意味だから」
桜子は、スプーンを口に運びながら、その言葉を噛みしめた。
口より先に手が動く人たちの告白は、こういう形になるのかもしれない。
*
「……じゃあ」
ひと通り食べ終えたあと、美津代が湯呑みを手に取った。
「ここからは、それぞれの宿題ね」
「宿題?」
「うん。
勇一は、最終話のセリフ。
私は、明日のメニューにこのキャベツたちをどう組み込むか。
琉叶は、今日の“やりすぎ”を、明日以降どう生かすか」
「じゃあ、私は?」
桜子が尋ねると、美津代はにやりと笑った。
「あんたは、“誰のために残業したかったのか”を、自分でちゃんと確認しな」
その一言に、グラタンよりも熱い何かが胸の奥に広がった。
「それ、職場のアンケートに書く項目じゃないですよね」
「書いたら、だいぶ攻めた会社だね」
「回答に困ります」
困ると言いながら、桜子は自分の手のひらを見つめた。
さっきまでキャベツを絞っていた指先。
ホールでトレイを持っていた手。
ポスターの中で皿を支えている手。
その全部が、「ここにいたい」という気持ちと繋がっている。
「……でも」
小さく息を吐き、グラタンの皿に目を落とす。
「口より先に手が動いてるうちは、まだ答え出したくないかもしれないです」
「それもアリ」
美津代は、あっさり頷いた。
「答えは急がなくていい。
でも、“今、自分の手がどこに伸びてるか”だけは、見失わないようにしな」
桜子は、素直に頷いた。
その夜、みつよ食堂の厨房には、言葉にならなかった告白がいくつも漂っていた。
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