昼休みは紙月堂で――元会社員と元同僚がつくる、ひと息つける文具店

乾為天女

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第27話 空き店舗に灯りを描く

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 星見商店街のちょうど真ん中あたりに、一軒だけぽっかりと口を開けたシャッターがある。


 前の店が閉まってから、もう一年近く経つ。


 ガラス戸の内側には色あせたポスターだけが残り、薄い埃をかぶった棚が、通りを歩く人の目にときどき映る。


 その朝、そこに変化があった。


 「……あれ、貼り替わってません?」


 紙月堂のカウンターから外を眺めていた臣全が、身を乗り出した。


 灰色のシャッターの真ん中に、「貸店舗」の新しい貼り紙が光っている。白い紙に黒い文字。その下には、不動産会社の名前と電話番号。


 「ほんとだ」


 レジの横で伝票をまとめていた悠之介も、視線を上げた。


 「前の紙、角がめくれてましたもんね」


 靖治が、モーニングセットのトレーを運びながらガラス越しに見る。


 「ってことは、誰か動き出したってことですか」


 「『空いてます』って言い直した、ってところかな」


 紗菜は、カウンター越しに様子を眺めながら答えた。


 「そのままにしておく選び方もあったけど、『ここ、使いませんか』って声をもう一度上げたってことだから」


 「店長、何かやりましょうよ」


 臣全の目が、あからさまに輝きはじめる。


 「また急だな」


 「だって、紙月堂と僕の店のちょうど間ですよ? ここにどんな店が入るかで、通りの顔、変わっちゃいますって」


 臣全のデザイン事務所は、商店街から少し外れた路地にある。けれど最近は、紙月堂の近くに移転したいな、とぼんやり考えていた。


 「『星見商店街の真ん中は、紙とノートと珈琲の三角地帯です』って言えるような並び、作りたくないですか」


 「三角地帯って言い方やめろ」


 悠之介が、控えめに突っ込む。


 「でも、たしかに、何が入るかは気になるな」


 「ですよね?」


 臣全は、カウンター横の「今日のここまでメモ」の束から、白紙の一枚を抜き取った。


 「じゃあまず、『入ってきたらうれしい店』を書き出しましょう」


 「夢のリストですね」


 靖治が、わくわくした顔でペンを握る。


 「ボードゲームができるスペースとか。ノート広げながら遊べるような……」


 「唐揚げの匂いが充満するような店じゃなければ、うちは何でもウエルカムですよ」


 惣菜屋の奥さんが、いつの間にか会話に混ざっていた。


 「うちの唐揚げは商店街の端で揚げてるから、ここまでは匂い行かないですけど」


 「和菓子の教室を開ける場所もいいですねえ」


 羊羹を納品に来ていた亜友が、小さく笑う。


 「昔あそこ、何の店だったか覚えてます?」


 「ええと、最初は時計屋さんで、そのあと文房具と雑貨を少しだけ置く店になってました。夕方になると、店主さんが店先で腕時計のベルト調整してましたね」


 亜友の声には、少しだけ懐かしさがにじんでいる。


 「時計のチクタクと、商店街のざわざわが一緒に聞こえる場所でした」


 「いいな、それ」


 悠之介が、思わずつぶやいた。


 「じゃあ、今度は『ちょっと心配な店』も書いておこうか」


 紗菜が、紙を裏返す。


 「例えば?」


 「通り抜けの人が増えすぎて、ゆっくり座れる場所が減っちゃうようなところとか。夜遅くまで大きな音が出るところとか」


 「チェーンの居酒屋とかですかね」


 靖治が、具体的な名前を出すのは避けつつも、頭の中の想像を言葉にする。


 「安くて便利かもしれないですけど、紙月堂に来る人の顔ぶれ、変わっちゃいそう」


 「便利さだけで選ぶと、そういう方向になりやすいかもしれませんね」


 紗菜は、貼り紙の端に書かれた不動産会社の名前をちらりと見た。


 「……一回、話だけでも聞いてみますか」


 「え、不動産屋さんに?」


 「はい。『こういう店が来てくれたら、商店街としてもうれしい』って話を、先に伝えておくのはどうでしょう」


 「そんなこと、聞いてくれますかね」


 「聞いてくれるかどうかは、話してみないと分かりません」


 紗菜が、さらりと言う。


 「『家賃だけじゃなくて、通りの空気も大事にしたい』ってスタンスは、もう一回出しておきたいので」


 ◇


 その日の夕方、紙月堂の奥のテーブルには、「貸店舗」と印刷された紙と簡単な間取り図が広げられていた。


 不動産会社からメールで送られてきた資料だ。


 横幅は商店街の他の店と同じくらい。奥行きは少し深く、奥に小さなバックヤードと流し台が一つ。天井はやや高い。


 「ここに、入口から奥までまっすぐ通路を作って、両側に棚を置いて……」


 臣全が、コピー用紙の上に鉛筆で線を引いていく。


 「真ん中あたりに、ノートを広げられるテーブル。壁には商店街の店の商品を少しずつ置いて、『星見商店街ミニミュージアム』」


 「名前が長い」


 悠之介が、くすっと笑う。


 「でも、通りの真ん中に、『商店街の紹介所』みたいな場所があるのは、たしかに面白いかもな」


 「そこに、週末だけ亜友堂の羊羹も並べましょう」


 亜友が、控えめに手を挙げる。


 「百貨店の催事に出るほどの準備は難しくても、ここなら、いつもの台所から運べますし」


 「いいですね」


 紗菜が、資料の端にメモを書き足した。


 「『一軒の店』じゃなくて、『商店街の入口のひとつとして使う』って発想」


 「そうそう!」


 臣全が、力強く頷く。


 「不動産屋さんとの打ち合わせ、僕も行っていいですか。図面持って」


 「もちろん」


 そうして、二日後。


 商店街の外れにある不動産会社の事務所に、「星見商店街」一行が顔をそろえた。


 スーツ姿の担当者が、にこやかに迎え入れる。


 「いつもお世話になっております。星見商店街の皆さんでお越しいただけるなんて」


 「空き店舗の件で、お話を伺いたくて」


 紗菜が、穏やかな声で切り出した。


 「もちろんです。今、いくつか問い合わせも来ておりまして」


 担当者は、手元のファイルをめくる。


 「具体的には、コンビニエンスストアのフランチャイズと、カフェチェーン、それから雑貨店の候補が……」


 「コンビニですか」


 悠之介の眉が、わずかに動く。


 「正直、星見商店街のすぐ外にも一軒ありますし、コンビニが来ると、個人の店の売上に影響が出る可能性が高いので……」


 「便利ではあるんですけどね」


 亜友が、言葉を選びながら続けた。


 「うちのお客さまも、『帰りにコンビニで晩ご飯買って帰る』って方、多いですし」


 「チェーンのカフェも、候補に?」


 紗菜が、資料をのぞき込む。


 「はい。駅前の店舗の姉妹店として、商店街の方にも……というお話が」


 担当者は、悪気なく説明したが、その横顔に、数字とブランド名が優先されている気配が少しだけ漂っていた。


 「チェーンのカフェが入ると、紙月堂のような個人の店と、お客さんの使い方が分かれるかもしれません」


 紗菜は、否定ではなく、「違い」を丁寧に並べるように話し始めた。


 「駅前の店は『待ち合わせ』や『通りすがり』の方が多いと思います。でも、星見商店街の真ん中は、『わざわざ足を運ぶ』人が多い場所です。ここに何が入るかで、通り全体の歩き方が変わってしまうので」


 「歩き方、ですか」


 「はい」


 紗菜は、持参した写真をテーブルの上に並べた。


 昼間の商店街。紙月堂の前でノートを広げている人。惣菜屋の前で唐揚げを選ぶ親子。亜友堂の店先で、和菓子をじっと見つめるお年寄り。


 「この通りは、昼と夜で、少し性格が違います」


 昼の写真の隣に、夜の写真もそっと並べる。


 シャッターの閉まった店が増える時間帯でも、紙月堂と数軒の灯りは残っている。


 「昼は、『買い物と用事の道』。夜は、『一日の終わりにちょっと寄る道』。真ん中の空き店舗は、その両方の顔に関わる場所なので、『どんな灯りをつけるか』を、一緒に考えられたらと思って」


 担当者は、写真に目を落としたまま、しばらく黙っていた。


 「……具体的には、どのような使い方をお考えなんでしょうか」


 少し声のトーンが変わっている。


 「はい。まず、『商店街の案内所を兼ねた店』という案があります」


 臣全が、用意してきた図面を広げた。


 「ここが入口で、真ん中にテーブル。その周りに、商店街の店の商品を少しずつ置いて、『星見商店街でこれが買えます』『こういう人が働いています』って紹介する棚を」


 「それと、期間限定で店を試せる枠も作れたらと」


 紗菜が、図面の隅に丸で囲んだスペースを指差す。


 「三か月だけ焼き菓子を試してみたい人とか、週末だけ手作りの雑貨を並べたい人とか。いきなり大きな契約を結ばなくても、『商店街に自分の灯りを置いてみる』ことができる場所」


 担当者は、顎に手を当てた。


 「期間限定の店を入れるとなると、その分契約が複雑になりますが……」


 「そこは、家賃の決め方を工夫できないでしょうか」


 悠之介が、静かに口を開いた。


 「例えば、期間限定で使う場合は、一か月あたりの家賃を少し高めに設定する。その代わり、契約期間は短くして、『やってみたい』人が入りやすいようにする」


 「それと、商店街の方で、広報のお手伝いもします」


 臣全が、自分のノートを開いた。


 「ポスターや地図のデザインはこちらで受けますし、紙月堂や亜友堂の店頭にも案内を置けます。『空き店舗』じゃなくて、『いろんな灯りが順番に入る場所』として動かしていければ」


 数字だけではない「得」を、言葉にしていく。


 「もちろん、最終的にどなたに貸すかは大家さんと御社の判断になります。ただ、そのときの選択肢の一つとして、『商店街全体で面倒を見る使い方』もある、ということだけお伝えしたくて」


 紗菜のまとめに、亜友がそっと言葉を添えた。


 「昔、この通りの真ん中にあった時計屋さんは、時計を売るだけじゃなくて、『時間の相談所』みたいな場所でした」


 懐かしい記憶を、丁寧に言葉にする。


 「『この腕時計、直りますか』『この目覚まし、もう少しだけがんばってもらえますか』って、皆さんが聞きに来てました。あの店の灯りが消えたとき、通りの真ん中から、時間の相談できる場所が一つなくなった気がして」


 「だから今回は、『何を売る店か』だけじゃなくて、『どんな相談が持ち込まれる場所か』も一緒に考えられたら、うれしいです」


 担当者は、しばらく天井を見上げてから、ゆっくり頷いた。


 「……正直に申し上げると、これまで私は、『空き店舗=早く埋めたいマス』としてしか見ていませんでした」


 「マス?」


 靖治が、思わず聞き返す。


 「はい。商店街の図面の中の、空いている四角い部分ですね。そこに、条件に合う業種の名前を当てはめていく、という発想で」


 「分からなくはないです」


 悠之介が、苦笑しながら言う。


 「うちも、帳簿だけ見てたら、『数字のマス』ばかり気にしそうになるので」


 「でも、皆さんのお話を伺って、ここが『通りの真ん中の灯り』として機能していることが分かりました」


 担当者は、机の上の写真をもう一度見た。


 「すぐに『ではこの案で』とはいきませんが、大家様にも、今日の話をセットでお伝えします。期間限定の枠を組み込む場合の契約の形も含めて、社内で検討させてください」


 「ありがとうございます」


 紗菜が、深く頭を下げると、他のメンバーもそれに続いた。


 ◇


 事務所を出ると、外の空気は少しひんやりしていた。


 「どうなるかなあ」


 臣全が、ポケットの中の図面をぽんぽんと叩く。


 「すぐに思い通りにはいかないだろうけど」


 悠之介は、商店街の方角を見ながら答えた。


 「今日の話で、『ただの空白』じゃないってことは伝わったと思う」


 「空白って言うより、『余白』ですね」


 紗菜が、少しだけ笑う。


 「何も描かれていないけれど、これから何を描くか、一緒に考えられる場所」


 「じゃあ、『今日のここまでメモ』に書いときましょう」


 靖治が、鞄からメモ帳を取り出す。


 「『空き店舗の話、マスじゃなくて灯りとして話せた』って」


 「長いな」


 「じゃあ、『真ん中の灯りの話をした』にします」


 そう言って笑う顔は、空き店舗のシャッターより少しだけ明るかった。


 星見商店街の真ん中にある小さな四角い空間は、まだ空いたままだ。


 けれど、その中にはもう、いくつもの「こんな灯りがいい」という線が、見えないインクで少しずつ描き込まれ始めていた。
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