昼休みは紙月堂で――元会社員と元同僚がつくる、ひと息つける文具店

乾為天女

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第30話 「紙月堂」のこれから会議

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 閉店後の紙月堂に、いつもより一段明るい照明が灯った。


 「本日の営業は終了しました」の札を下げたガラス戸の向こうでは、商店街の街灯が橙色の輪を落としている。店の奥の大きなテーブルには、マグカップと、開きかけたノートと、ペンがいくつも並んでいた。


 「全員そろいましたね」


 ポットにお湯を足しながら、紗菜が穏やかに言う。


 悠之介、臣全、亜友、靖治、咲亜矢。それから、惣菜屋の奥さんも、エプロン姿のまま椅子に腰かけている。


 「今日は、『紙月堂のこれから』について、ちゃんと言葉にしておきたいなと思って」


 悠之介が、テーブルの端に座りながら口を開いた。


 「家賃のこと、一段落しただろ」


 「『一段落』って言えるまで、けっこう長かったですけどね」


 靖治が、遠慮なく本音をこぼす。


 「でも、あの封筒のおかげで、『続ける前提』で考えられるようになったので」


 紗菜が、笑いながら言葉をつなぐ。


 「続けるなら、どう続けたいか。そこを一回、みんなで紙に出しておきたいです」


 「紙月堂だけに、ですね」


 臣全が、待ってましたと言わんばかりにダジャレを差し込んだ。


 「はい、今のは聞かなかったことにします」


 紗菜が、即座に受け流す。


 「え、そこは拾ってくださいよ」


 「拾うと増えるので」


 わいわいとした空気の中、ポットからカップに温かい飲み物が注がれていく。珈琲の香り、ほうじ茶の香り。亜友が持ってきた羊羹の小皿が、テーブルの真ん中にそっと置かれた。


 「で、『これから』って、具体的には何を話すんだ?」


 悠之介が、本題に戻すように尋ねる。


 「まずは、『夕方の紙月堂をどう使うか』を決めたいです」


 紗菜が、テーブルの中央に一枚の紙を置いた。


 そこには、大きく三つの丸が描かれている。


 「一つ目は、相談の場所として」


 丸の中に、「相談」と書かれている。


 「二つ目は、短い学びの時間として。ノートの書き方を一緒に考えたり、日記の続け方を試してみたり」


 もう一つの丸には、「小さな勉強」と書かれる。


 「三つ目は、『何もしない時間』の場所として。ここでぼんやりしてから、家に帰る人の時間」


 最後の丸には、「ぼんやり」と、ひらがなで書かれていた。


 「この三つの顔を、夕方の時間にどう混ぜていくか。そこから始めたいなと」


 「顔、ですか」


 惣菜屋の奥さんが、興味深そうに身を乗り出す。


 「うちも、夕方は『晩ごはんを買う顔』と、『揚げ物待ちながら世間話する顔』と、二つありますねえ」


 「紙月堂も、そんなふうに、『夕方にしか出てこない顔』をはっきりさせたいんだ」


 悠之介が、ゆっくりと言葉を添えた。


 「昼間は、ノート広げて仕事したり勉強したりする人が多いだろ。夕方は、それを一回閉じる時間にしたい」


 「閉じるって言い方、いいですね」


 亜友が、うれしそうに頷く。


 「『今日はここまで』って、手を止める時間」


 「でも、実際問題、夕方も仕事してる人、多いですよ?」


 臣全が、自分のノートをぱらぱらとめくりながら言う。


 「僕なんて、夕方からが本番の日もありますし。夜中にデザインの修正が飛んできたりするので」


 「そういう人も含めて、『ふっと寄れる』時間を増やしたいんです」


 紗菜は、三つの丸を指先でとん、と叩いた。


 「相談の人も、学びたい人も、ぼんやりしたい人も。全部を同時にやろうとすると、店が息切れしそうなので、順番を決めたい」


 「順番?」


 「はい。『一週間のうち、この曜日の夕方は相談』『この曜日は小さな学び』『この曜日はただぼんやり』って」


 イラストのような小さなカレンダーが、紙の隅に描かれていく。


 「じゃあ、僕は『学びの日』担当で、『ノートの片付け方講座』とかやりたいですね」


 臣全が、やる気満々で手を挙げた。


 「片付け方?」


 「はい。ノートが増えると、どこに何を書いたか分からなくなるじゃないですか。それを色分けしたり、背表紙に合図つけたりするやつ」


 「さすがデザイナー」


 靖治が、感心したようにうなずく。


 「僕は、『ぼんやりの日』の常連になります。授業が終わったらここに来て、何もしないで豆の香りだけ吸う時間」


 「何もしないで豆の香りだけ吸うの、意外と忙しいかもしれないぞ」


 悠之介が、笑いながら注意する。


 「吸って、戻して、吸って、戻して……」


 「それはそれで、仕事終わりの儀式ですね」


 紗菜が、さらりとまとめる。


 ◇


 「空き店舗の話も、ここに繋げたいんですよね」


 亜友が、お茶を一口飲んでから口を開いた。


 「真ん中の空き店舗を、『いろんな灯りが順番に入る場所』にする話、前に出てましたけど」


 「うん」


 悠之介が、頷く。


 「紙月堂だけじゃなくて、商店街全体の夕方の灯りをどうつなぐか、って話になるからな」


 「この店の中に、小さな地図の場所を作るのはどうでしょう」


 惣菜屋の奥さんが、指でテーブルの端をなぞりながら言った。


 「ここに、商店街の簡単な地図を立てておくんです。『今日の夕方、ここからここまで歩くと落ち着きます』って書いてあるやつ」


 「それ、いいですね」


 紗菜の目が、ぱっと明るくなる。


 「紙月堂がスタート地点で、亜友堂や惣菜屋さんや、時計屋さん跡地や、空き店舗の前を通るルート」


 「通るだけでいいんです」


 亜友が、ゆっくり言葉を重ねる。


 「空き店舗の前だって、『ここ、何が入るんだろうねえ』って話しながら通るだけで、もうその場所に灯りがともり始める気がして」


 「その地図の横に、『今日の相談ノート』も置くのはどう?」


 紗菜が、新しい紙を取り出した。


 「紙月堂に置いてある『相談ノート』を、商店街全体の道具にするんです。『惣菜待ちの愚痴』『羊羹を選ぶ悩み』『空き店舗への願い事』みたいな」


 「『揚げ物待ちの愚痴』、毎日増えそうだわ」


 惣菜屋の奥さんが、笑いながら肩をすくめる。


 「『今日も晩ごはんは唐揚げです』って書き込みで埋まりそう」


 「それはそれで、読んでて楽しいと思いますよ」


 靖治が、すでにページの様子を想像している。


 「でも、そのノート、誰が管理するんですか?」


 「基本は紙月堂で預かります」


 紗菜が、即答した。


 「日付ごとにページを分けて、『今日の商店街の声』として、ここで保管しておく。時々、読み返して、『何が増えてきているか』を見る」


 「数字の代わりに、言葉の在庫を数えるわけか」


 悠之介が、ぽつりとつぶやいた。


 「豆の袋もノートも数えるけど、言葉も数えておく」


 「全部を一気にやろうとすると、さすがに無理が出ますけどね」


 亜友が、慎重に釘を刺す。


 「家賃も上がるわけですし」


 「ですよね」


 紗菜が、すぐに頷いた。


 「だから、ここでも『三か月ごとに一つずつ』にしたいんです」


 紙の端に、「一回で全部はやらない」と小さく書き添えられる。


 「今決めるのは、『最初の三か月で何を試すか』だけ」


 「じゃあ、その三つを選びましょう」


 悠之介が、テーブルを見回した。


 「候補は、『夕方の曜日ごとの顔』『地図コーナー』『商店街相談ノート』あたりか」


 「私は、『夕方の顔』からがいいと思います」


 惣菜屋の奥さんが、真っ先に手を挙げる。


 「曜日ごとに決まってると、お客さんも覚えやすいですし、『今日はぼんやりの日だから寄ろうかな』って考えられますから」


 「地図コーナーは、図面と文章を作る時間が必要なので、二つ目が良さそうですね」


 臣全が、現実的なスケジュールを頭の中で組み立て始める。


 「一つ目の三か月で『夕方の顔』を試して、その間に、次の三か月に向けて地図を準備する」


 「相談ノートを商店街全体のものにするのは、その次でも遅くない気がします」


 亜友が、ゆっくりとまとめる。


 「まずは、『ここで相談してもいい』って空気を、夕方の紙月堂の中で育ててから」


 「……よし、それでいこう」


 悠之介が、ノートにペンを走らせた。


 『一~三か月目:夕方の曜日ごとの顔を試す。』
 『四~六か月目:地図コーナーを作り、「夕方の灯りルート」案内を始める。』
 『七~九か月目:商店街相談ノートを共通ツールにする準備。』


 「九か月先まで書くと、ちょっとだけ遠くが見えますね」


 靖治が、感心したようにノートを覗き込む。


 「でも、一個ずつなんですよね」


 「一個ずつだよ」


 悠之介が、はっきりと答える。


 「家賃が上がったからって、欲張って全部増やしたら、店も人もすぐに息切れする」


 「だから、『増やす』より『選ぶ』ですね」


 紗菜が、小さく笑う。


 「夕方の顔も、灯りのルートも、相談ノートも。一つずつ選んで、試して、続けるかどうか決める」


 ◇


 「ところで、その『夕方の顔』ですけど」


 咲亜矢が、それまで黙って聞いていた分を取り戻すように、すっと手を挙げた。


 「合図があった方がいいと思うんですよね」


 「合図?」


 「はい。外から見て、『今は相談の時間ですよ』『今日はぼんやりしてていい時間ですよ』って分かる、何か」


 「あー、それ、分かります」


 靖治が、すぐに反応する。


 「中から見てても、『今この時間は相談モードだ』って分かると、変に気を張らなくて済みそう」


 「看板、作ろうか?」


 臣全が、さっそくペンを握り直す。


 「ガラス戸のところに掛ける、小さな札。『本日、相談タイム中』みたいな」


 「『相談』って言葉、ちょっと構えません?」


 咲亜矢が、首をかしげる。


 「私だったら、『相談あります』って言い切れるほどじゃないけど、何となく話したいときもあるので」


 「じゃあ、『今日の相談タイム』はどうでしょう」


 紗菜が、ぽつりと提案した。


 「『相談がある人いらっしゃい』じゃなくて、『ここは今日、相談を受け取る準備をしてます』って意味に聞こえるように」


 「なるほど」


 悠之介が、札のイメージを頭の中で描く。


 「『今日の相談タイム』って書いてあって、その下に、小さく『聞くだけの日』『一緒に書く日』みたいな説明を足すのはどうだ」


 「いいですね」


 亜友の表情が、ふわりとやわらぐ。


 「『聞くだけの日』なら、話す勇気がまだない人も入りやすいですし、『一緒に書く日』なら、ノートを開くのが苦手な人も、『一緒なら』って思えるかもしれません」


 「あと、『今日はただぼんやりの日』も欲しいです」


 靖治が、そっと手を挙げる。


 「相談するほどじゃないけど、家に帰りたくない日ってあるので」


 「そこ、力入れて言うな」


 悠之介が、苦笑しながらも頷いた。


 「じゃあ、『今日の相談タイム』札を基本にして、その日の内容を小さく書き足す形にしよう」


 「デザイン、任されました!」


 臣全が、勢いよく手を挙げる。


 「紙月堂のロゴと、『今日のここまでメモ』のマークも入れて、『ここに置いていけます』って感じに」


 「『置いていけます』って言い方、好きです」


 咲亜矢が、ぽつりと笑った。


 「がんばりたいときも、がんばりたくないときも、置いていける感じ」


 ◇


 「じゃあ、最後に一つだけ」


 紗菜が、テーブルの上に新しい紙束を置いた。


 「『自分はこの場所で何をしたいか』を、一言ずつ書いてもらえますか」


 「え、ここでですか」


 靖治が、少し身構える。


 「長文じゃなくていいです。一行で」


 紗菜は、ペンを配りながら続けた。


 「さっきまで話したことは、『紙月堂としてどうしたいか』でした。今度は、『自分がここでしたいこと』を短く紙に残しておきたいんです」


 「それを、どこに貼るんですか」


 「『今日のここまでメモ』の隣です」


 カウンター横の掲示板を指さす。


 「あそこに、一人一枚ずつ。『ここで何をしたいか』の宣言として」


 「宣言、ですか」


 「言い切れない人は、『今のところ』って書き足してもらってもいいです」


 わずかな沈黙のあと、紙の上にペンの音が落ち始めた。


 最初に書き終わったのは、咲亜矢だった。


 「私は……」


 照れくさそうに笑いながら、自分の紙を読み上げる。


 「『がんばりたいときも、がんばりたくないときも来られる店でいてほしい』」


 「両方、か」


 悠之介が、静かに目を細める。


 「どっちかだけの店だと、しんどくなりますから」


 咲亜矢は、自分で書いた一行を見つめながら、指先で紙の端をなぞった。


 「がんばってる自分だけ許される場所じゃなくて、ぐだぐだしてる自分も置いていける場所であってほしいです」


 「そのまま貼りましょう」


 紗菜が、紙を受け取り、そっと掲示板に貼る。


 「私は……」


 次に声を上げたのは、亜友だった。


 「『年をとっても通える階段の段差でいてほしい』」


 ちょっと不思議な言葉に、全員が首をかしげる。


 「階段の段差?」


 「はい」


 亜友は、少し笑いながら説明した。


 「高すぎても低すぎても、足を引っかけるでしょう? 年をとっても、無理なく上り下りできる段差の階段が、私は好きで」


 紙月堂の入口をちらりと見る。


 「この店も、若い人だけじゃなくて、年をとった人も、ゆっくり上がってこられる段差であってほしいなと思って」


 「それ、すごくいいな」


 惣菜屋の奥さんが、真っ先に頷いた。


 「私の親も、最近足が弱ってきてるので。『この段差なら大丈夫』って思える店、貴重なんですよ」


 その紙も、掲示板に静かに貼られていく。


 「僕のは……普通かもしれませんけど」


 靖治が、自分の紙をちらりと見てから、読み上げた。


 「『授業で折れた心を、豆の香りで立て直す場所にしたい』」


 「きれいにまとめたな」


 悠之介が、半分感心しながらも笑う。


 「まとめるまでに、だいぶ悩んだんですから」


 靖治は、顔を赤くしながら紙を渡した。


 「でも、ほんとにそう思ってます。ここがあるから、まだ大学行けてる感じです」


 「ありがたい話だ」


 短くそう言って、悠之介は紙を受け取る。


 臣全と惣菜屋の奥さんも、それぞれ一行を書いた。


 「『うっかり長居してしまう打ち合わせ場所にしたい』とか」


 「『揚げ物が揚がるまでの十分を、ちゃんと休む時間にしたい』とか」


 最後に残ったのは、悠之介自身の紙だった。


 「店長、読まないんですか」


 全員の視線が集まる。


 「……別に、大したこと書いてないぞ」


 「大したことなくても、聞きたいです」


 紗菜が、わずかに笑いながら促した。


 悠之介は、ほんの少しだけためらってから、紙を持ち直した。


 「『ここで淹れる珈琲が、誰かの今日を区切る一杯であればいい』」


 店内の空気が、静かに落ち着く。


 「はじまりでも、終わりでも、途中のひと休みでもいい。『ここまで』って言える一杯であればいい」


 言いながら、自分で少し照れたように笑った。


 「だから、これからも、豆はちゃんと数えるし、家賃の数字もちゃんと見る。けど、それと同じくらい、『誰かの今日がどこで区切れたか』も、ちゃんと見ていきたい」


 「そのための、『今日の相談タイム』札ですね」


 紗菜が、小さく付け加える。


 「そのための、夕方の顔や、地図コーナーや、相談ノートです」


 掲示板には、新しい紙がいくつも並んでいる。


 「がんばりたいときも、がんばりたくないときも」。
 「年をとっても通える段差」。
 「豆の香りで立て直す場所」。
 「今日を区切る一杯」。


 それぞれの一行が、「紙月堂のこれから」を静かに形作っていた。


 外では、商店街の街灯が少しずつ消え始めている。


 店の奥のテーブルに、最後のカップが一つだけ残っていた。


 その一杯の湯気が、ゆっくりと薄れていくのを見届けてから、悠之介は「今日のここまでメモ」に、短く一行を書き足した。


 『ここから先は、また明日考える。』
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