昼休みは紙月堂で――元会社員と元同僚がつくる、ひと息つける文具店

乾為天女

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第39話 「仕事終わり」が集まる場所

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 夕暮れの星見商店街は、一日の終わりと、もう一つの始まりが同時に混ざる時間帯だ。


 シャッターを下ろす音、看板をしまう気配、店の前のほうきが舗装路を擦る音。それぞれの店が「今日はここまで」と告げる中で、紙月堂の前だけは、少し違う様子を見せていた。


 「ここ、ほんとに店の前で合ってます?」


 「合ってるよ。うちの『仕事終わり置き場』だから」


 臣全が、笑いながら折りたたみのテーブルを運んでくる。その上には、コンビニで買ってきた紙コップと、お菓子の小さな袋が並べられていた。


 「名前が急にそれっぽい」


 靖治がツッコミを入れつつ、紙コップを並べるのを手伝う。


 「ええと、『仕事終わり置き場』って、いつからできたんでしたっけ」


 「何となく集まるようになったのは、たぶん、年明けくらいからかな」


 悠之介は、店の中からポットを持ってきた。


 「閉店後、片づけが終わった人からここに来て、今日あったことを一つだけ話して帰るっていう」


 「一つだけってところが、いいよね」


 亜友が、紙袋を抱えてやってくる。


 「全部話そうとすると遅くなっちゃうけど、『今日のひとこと』くらいなら、みんな顔を出せる」


 「で、その『ひとこと』が、だいたい長くなるっていう」


 咲亜矢が、後ろから苦笑しながら現れた。


 ポスター用の紙筒を肩に担いでいる。今日もギリギリまでデザイン作業をしていたのだろう。


 「はいはい、座った座った」


 臣全が、手際よく椅子を並べる。


 紙月堂のシャッターはすでに半分まで下りているが、その前には小さな輪ができていた。


 ◇


 「じゃ、とりあえず乾杯の代わりに」


 全員の紙コップに、ポットから温かい飲み物が注がれる。コーヒー、紅茶、ただのお湯。それぞれ、中身はバラバラだが、不思議と同じ湯気が立ち上って見える。


 「お疲れさまでした」


 「お疲れさまー」


 控えめな声が、商店街の夕暮れに溶けた。


 「じゃあ、今日の『ひとこと』、誰からいく?」


 「はい」


 一番に手を上げたのは、意外にも咲亜矢だった。


 「今日、一枚だけ、納得いくポスターが描けました」


 「おお」


 「『一枚だけ』ってところがリアルだね」


 亜友が笑う。


 「どんなやつ?」


 「商店街の春のセールの告知。最初、『お得』『安い』って文字を大きくしてたんだけど、途中でやめた」


 「どうして?」


 「なんか、それだけじゃ、この街の感じが伝わらない気がして」


 咲亜矢は、紙コップのふちを指でなぞる。


 「だから、『また来たくなる日』っていう小さい文字を、端のほうにこっそり入れた」


 「うわ、それいい」


 悠之介は、思わず声を上げた。


 「『また来たくなる日』って、何を買ったかより、誰と話したかのほうを思い出しそうだ」


 「そうなったらいいなって」


 咲亜矢は、少し照れくさそうに微笑む。


 「じゃあ次は……」


 「はい」


 今度は亜友が手を上げた。


 「今日、久しぶりに『売り切れました』って札を出しました」


 「え、何が?」


 「いちご大福」


 「それはめでたい」


 臣全が拍手をする。


 「でもね、それが全部、『予約分』なんだよ」


 「予約?」


 「紙月堂で、本の相談をしたお客さんたちが、『帰りに買っていきます』って言ってくれて。数を聞かれて、『そんなに出ないと思いますけど……』って控えめに答えたら、ほんとにピッタリで」


 亜友は、少し複雑そうに笑った。


 「売り切れるのはうれしいけど、『もっと作ればよかった』ってちょっとだけ後悔もする。でも、『次もお願いします』って言ってもらえたから、今日はそれでよしにしました」


 「『次もお願いします』って言葉、いいよね」


 靖治が、紙コップを両手で包み込む。


 「就活のエントリーシートにも、その欄ほしいです。『次の選考もお願いします』って、自分でチェックつけられるやつ」


 「それはただの希望だよ」


 紗菜が冷静に突っ込む。


 「じゃあ、靖治くんの『ひとこと』は?」


 「えーっと……」


 少し考えてから、彼は口を開いた。


 「今日、『就活どう?』って三回聞かれました」


 「それはなかなかの数だね」


 「でも、そのうち一回は、『就活、ちゃんとご飯食べながらしてる?』だったんですよ」


 その言葉に、場の空気が少し和らぐ。


 「誰に聞かれたの?」


 「スーパーのレジのおばちゃんに。紙月堂のエプロン見て、『あら、あそこの子でしょ』って」


 「さすが地域密着」


 臣全が笑う。


 「で、どう答えたの?」


 「『食べてます。だいたい、ここで』って」


 靖治は、紙月堂の看板を親指で示した。


 「そしたら、『それなら安心』って言われました」


 「それ、最高の評価じゃない?」


 悠之介は、心からそう思った。


 「『ちゃんと食べてるなら安心』って言葉、ここ数年で一番うれしいかもしれない」


 ◇


 「じゃあ、最後は……」


 自然と視線が、悠之介と紗菜に集まる。


 「どっちからいく?」


 「じゃあ、私から」


 紗菜が、紙コップを少し掲げた。


 「今日、『転職考えてるんです』って、初めてちゃんと親に言いました」


 「おお」


 臣全が、感心したように目を丸くする。


 「どんな反応だった?」


 「一瞬、沈黙。それから、『あんたがちゃんと考えて決めるなら、どっちでもいい』って。……あと、『数字だけはごまかすな』って」


 「らしい」


 咲亜矢が笑った。


 「だから、とりあえず今日は、『ちゃんと考えた一日目』として、ここに報告しました」


 そう言って、彼女は静かに紙コップを置いた。


 「じゃあ、最後は俺かな」


 全員の視線が、自然と悠之介に集まる。


 「今日、『一年後もここにありますか』って聞かれた」


 「誰に?」


 「昼間に来た高校生」


 悠之介は、今日の出来事を思い出していた。


 「受験で忙しくなるから、しばらく来られないかもしれないって。だから、『その頃も開いてますか』って」


 「何て答えたの?」


 「『その頃も開けておけるように、がんばってるところ』って」


 少しだけ、言葉を選ぶ。


 「『絶対にあります』って言えたらカッコいいんだろうけど、そこまで言い切る勇気はなくて。でも、『開け続けたい』って気持ちは、ちゃんと伝えたかった」


 「十分伝わってると思う」


 亜友が、柔らかく微笑む。


 「だって、こうやって『仕事終わり置き場』に集まってる時点で、もう半分くらい約束みたいなもんだし」


 「そうだね」


 臣全が、紙コップを掲げる。


 「じゃ、今日の締め」


 全員のコップが、真ん中で軽く触れ合う。


 「明日も、それぞれの店を開けよう」


 「開けよう」


 小さな合図のような声が、夜の商店街に溶けていった。


 紙月堂の前のテーブルには、飲み干された紙コップがいくつも並んでいる。その一つ一つに、それぞれの「仕事終わり」が詰まっていた。


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