鎌倉青春シンフォニー:笑顔の鎧を脱ぎ捨てて、私たちは波を乗りこなす

乾為天女

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第6章「笑顔と電話の間で」(01/End)

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 講義棟の裏手、植え込みの陰。そこだけ音が緩くなっていた。
 望愛はスマホを耳にあてたまま、足元の砂利をつま先で蹴っていた。
「……うん、わかってるって。今日は無理。授業も、自治会も詰まってる」
 電話の向こうの叔母の声はやさしくて、でも少しだけ責任を押しつけてくる種類のトーンだった。
 「だったら最初から引き受けなきゃいいのに、って言われるんだよな……」と心の中でぼやいて、それを口には出さず飲み込む。
「……じゃあ、明日の夜なら大丈夫。行くから」
 通話を切って、スマホを見つめた。画面の中に、自分が映っていた。額のあたりに、少し汗。
(……なんであたし、逃げてきたんだっけ)
 自分が誤植を見逃した。それだけの話なのに。
 誰も怒っていなかった。むしろ冷静に、問題を“処理”していた。それが、逆に苦しかった。
(怒られた方が、楽だったかも)
 罪悪感も責任も、どこか他人事のままでいたかった。なのに恭平は——あの人は、なんであんなに“普通に”笑っていられるのか。
 「じゃ、配布再開します!」
 その声が、建物の向こうから聞こえた。
 ホールでは、恭平がもう一度学生に向けて案内を始めていた。直輝が横で、パンフの箱を並べている。
「配布済のものに日付訂正の紙を後ほど追加します。詳細はWeb掲示板にも出すので、見てください!」
 慌ただしく動きながらも、彼は笑顔を崩さない。
 その姿が、まるで“自分とは違う種の人間”みたいに思えた。
(……でも、あの人、どっかで本気で「怒ってる」とか、あるのかな)
 そう思った瞬間、自分でも驚いた。
 なぜ気になるのか。
 なぜ、こんなに胸の奥がざわつくのか。
 わからないまま、望愛はゆっくりとホールに戻った。
 何かを言うわけでもなく、黙ってシール貼りを手伝った。足元に箱を置き、静かに「訂正あり」と印字されたラベルをパンフの封筒に一枚ずつ貼っていく。
 恭平がそれに気づき、少しだけ目を丸くした。
「……おかえり」
 それだけ言って、また笑った。
 望愛は下を向いたまま、「……ただいま」と小さく返した。
 直輝がちらっと横目で見て、それ以上は何も言わずに次の箱を開けた。
 作業は、淡々と進んでいく。
 でも、その“淡々”の中には、確かに少しだけ——“戻ってきた時間”が流れていた。
 午前十時。訂正用紙の印刷が終わった。
 学生たちは何も気づかないふりで、ただ新歓の情報を受け取り、配布テーブルの前を通り過ぎていった。
 失敗はあった。でも、それはもう“誰かだけの責任”じゃなくなっていた。
 そして——
 貼り終えた最後の一枚を手に、望愛はふと恭平の方を見た。
「……笑ってるけど、疲れてない?」
 そう聞くと、彼は少し考えてから答えた。
「疲れてないよ。……というか、誰かが笑ってないと、みんな困るでしょ?」
「……そっか。でも、いつか“困らせて”もいいんだよ。あんたが、疲れた時は」
 それは、自分にも言っているような言葉だった。
 彼は一瞬、言葉を失ったような顔をして——それから、ほんの少しだけ柔らかく笑った。
「うん。……そのときは、よろしく」
 ホールの隅で、ふたりだけの短いやり取り。
 世界はもう動いていて、自分たちだけが、少し遅れてそのリズムに追いついたような気がした。
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