鎌倉青春シンフォニー:笑顔の鎧を脱ぎ捨てて、私たちは波を乗りこなす

乾為天女

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第14章「ステージに消えた歌詞」(01/02)

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 2025年6月20日、鎌倉南大学講堂の舞台袖。夕方五時、照明のテストランが始まり、カーテンの向こう側では新歓ステージ本番を前に軽いざわめきが広がっていた。
 望愛は、片手にマイクを握ったまま、もう片方の手でズボンのポケットを何度もまさぐった。
「……あれ?」
 紙が、ない。
  さっきまであった、歌詞カードが、どこにも見当たらない。
 冷や汗が背中を伝い、耳鳴りがした。舞台袖には控えの椅子に腰かけた広樹がいて、舞台係の恭平は照明スタッフとやりとり中。どちらも、まだ異変には気づいていない。
「落ち着け、落ち着け、望愛……大丈夫、思い出せば……出てこない……」
 脳内は真っ白だった。ステージに出る直前なのに、頭の中にはサビの一節すら浮かんでこない。
 そのとき。
「望愛?」と背後から声がかかった。
 振り返ると、恭平がこちらを心配そうに覗き込んでいた。
「顔、真っ青だよ。大丈夫?」
「……歌詞、なくなった」
 それを聞いた瞬間、恭平の表情が、ほんの少しだけ動いた。でも、やっぱりすぐに、あの“笑顔の仮面”をつけ直した。
「よし、それなら……“非常灯案”でいこうか」
「えっ?」
 恭平は舞台係のインカムを操作し、スタッフに小声で指示を出した。
「三番照明、ステージフロントを一旦落として。場内の明かりも三割くらいに。……OK、今すぐ」
 それから、望愛の肩を軽く叩いて言った。
「大丈夫、誰も君の口元を凝視してないって状況を、今から俺が作る。あとは、音と気持ちに身を任せて。君なら、できる」
 言葉ではなく、空気が、その場を支配した。
 望愛の目が、ほんの少し見開かれる。
「……なんで、そこまで」
 その問いに、恭平はただ、微笑んだままこう返した。
「だって、君は途中で放棄しない人になろうとしてる途中でしょ?」
 その言葉が、深く刺さる。痛いほど、優しい。
 まもなく照明が暗転し、司会から紹介のアナウンスが流れる。
「それでは、新入生歓迎ライブステージ、ラストは軽音サークル代表――ボーカル、望愛さんの登場です!」
 場内が一瞬ざわめき、やがて拍手に包まれる。
 望愛は、照明の落ちた舞台に一歩、足を踏み入れた。
 ライトの代わりに、会場のスマホのライトがちらほらと揺れ、幻想的な光景が広がる。その中に、恭平が手を軽く振って立っていた。
 望愛は深呼吸し、マイクを口元に持ち上げた。
「……聴いてください、『光のゆくえ』」
 イントロが静かに始まる。バンドの音が、確かな支えとなって、背中を押してくれる。
 ――そして、望愛の声が、震えながらも第一声を紡いだ。
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