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第30章 由比ヶ浜防波堤 (End)
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月を見上げたまま、望愛が小さくため息をついた。
「……ああ、言っちゃった。引き返せないな、これ」
「うん。月は録音してるからね」
恭平が冗談っぽく言うと、望愛は笑って振り返る。
「録音ってなに、空にICレコーダーでも浮かんでるの?」
「え? 見えない? 俺には見えるよ。『月のメモリー』ってアプリで」
「うわ、だっさ……けど、ちょっと好きかも」
彩希は黙って、そのやりとりを見つめていた。
望愛の笑いには、これまでと違う重みがあった。軽やかなのに、どこか芯がある。何かを決意した人間の笑いだった。
だからこそ、彩希も動く。
「私も、言ったことがあるんだ」
「え?」
望愛が振り向くと、彩希は月に背を向けて、海の方を見ていた。
「高校の時。部活で、先輩とめっちゃ揉めて、私がやろうとしてた案、全部ボツになった。でも納得いかなくて、悔しくて。その夜、防波堤で泣きながら言った。『私は絶対、誰かを無視して物事を決めない人になる』って」
風が、言葉の余韻をさらっていく。
「だから、今こうして、みんなの声を聞くって決めた。自分のやりたいことより、人と一緒にやるほうが、たぶん、楽しいってわかったから」
望愛は言葉を失い、ただ頷いた。
彩希の意志の強さは、決して押し付けではない。その根には、きっと何度も傷ついてきた過去がある。
「……じゃあさ」
恭平が、ポケットから何かを取り出した。細い、銀色のペンだった。
「これ、防波堤に名前、刻まない?」
「名前……って?」
「この石のとこ。どうせ数年で風化するけど、今ここにいた証を残したくて」
「中学生のカップルかよ」
望愛が笑いながらツッコミを入れたが、どこか照れている。
「でも……いいかも。やる?」
三人は、波止場の端に並んでしゃがみ込んだ。
恭平が最初に、自分のイニシャル“K.Y.”を刻む。
彩希がその隣に、筆圧の強い“S.A.”
そして、望愛が一瞬ためらったあと、丁寧に“N.M.”と書いた。
風が一層強くなり、波が岸壁を叩く。
けれど、その音さえも、今は心地よかった。
「じゃ、これでこの日、記念日決定ね」
「何の記念?」
「“途中で投げ出さないって、月に誓った記念日”」
「それさ、来年とか誰も覚えてなさそう……」
「忘れてもいいの。今だけは、覚えてるから」
恭平の言葉に、望愛はふと視線を落とした。
自分の書いた「N.M.」の文字に、小さな砂粒が引っかかっている。それが風でふわりと飛んだ。
——ああ、風化するってこういうことか。
でも、心に残るならそれでいい。
彼女はそう思った。
「ありがとう。来てよかった、今日」
小さな声だったが、しっかりと聞こえた。
そしてその夜、望愛は生まれて初めて、途中で終わらせなかった一日を、まるごと抱えて帰ることになった。
防波堤に残された三つのイニシャルだけが、波と月に見守られながら、静かに語り合っていた。
「……ああ、言っちゃった。引き返せないな、これ」
「うん。月は録音してるからね」
恭平が冗談っぽく言うと、望愛は笑って振り返る。
「録音ってなに、空にICレコーダーでも浮かんでるの?」
「え? 見えない? 俺には見えるよ。『月のメモリー』ってアプリで」
「うわ、だっさ……けど、ちょっと好きかも」
彩希は黙って、そのやりとりを見つめていた。
望愛の笑いには、これまでと違う重みがあった。軽やかなのに、どこか芯がある。何かを決意した人間の笑いだった。
だからこそ、彩希も動く。
「私も、言ったことがあるんだ」
「え?」
望愛が振り向くと、彩希は月に背を向けて、海の方を見ていた。
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風が、言葉の余韻をさらっていく。
「だから、今こうして、みんなの声を聞くって決めた。自分のやりたいことより、人と一緒にやるほうが、たぶん、楽しいってわかったから」
望愛は言葉を失い、ただ頷いた。
彩希の意志の強さは、決して押し付けではない。その根には、きっと何度も傷ついてきた過去がある。
「……じゃあさ」
恭平が、ポケットから何かを取り出した。細い、銀色のペンだった。
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「名前……って?」
「この石のとこ。どうせ数年で風化するけど、今ここにいた証を残したくて」
「中学生のカップルかよ」
望愛が笑いながらツッコミを入れたが、どこか照れている。
「でも……いいかも。やる?」
三人は、波止場の端に並んでしゃがみ込んだ。
恭平が最初に、自分のイニシャル“K.Y.”を刻む。
彩希がその隣に、筆圧の強い“S.A.”
そして、望愛が一瞬ためらったあと、丁寧に“N.M.”と書いた。
風が一層強くなり、波が岸壁を叩く。
けれど、その音さえも、今は心地よかった。
「じゃ、これでこの日、記念日決定ね」
「何の記念?」
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「それさ、来年とか誰も覚えてなさそう……」
「忘れてもいいの。今だけは、覚えてるから」
恭平の言葉に、望愛はふと視線を落とした。
自分の書いた「N.M.」の文字に、小さな砂粒が引っかかっている。それが風でふわりと飛んだ。
——ああ、風化するってこういうことか。
でも、心に残るならそれでいい。
彼女はそう思った。
「ありがとう。来てよかった、今日」
小さな声だったが、しっかりと聞こえた。
そしてその夜、望愛は生まれて初めて、途中で終わらせなかった一日を、まるごと抱えて帰ることになった。
防波堤に残された三つのイニシャルだけが、波と月に見守られながら、静かに語り合っていた。
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