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第31章 学生課窓口 (00)
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講義前の学生課前は、いつもよりざわざわしていた。
朝の空気にまだ少し残る秋の冷気が、掲示板前に集まった学生たちの間をすり抜けていく。
「え、全部……英語?」
小柄な一年生らしき男子が、手にした紙を見つめて顔をしかめた。横では同じような反応が次々に起こっている。
窓口の掲示板には、「国際交流・交換留学ガイダンス案内(英語)」のA3ポスターが数枚、整然と貼られていた。だが、肝心の日本語版は見当たらない。
「和訳は?」「もしかして……間に合ってない?」
ざわつきが広がり始めたそのとき、恭平がその前に立った。
彼は、窓口スタッフと数言交わしたあと、ぱっと振り返り、朗らかな声で手を挙げた。
「おはようございます! ちょっとだけお時間ください。これ、今から日本語訳、作ります!」
その笑顔に、いくつかの不安そうな顔が少し緩んだ。
その隣には、金髪のハーフの女子学生——サラがいた。薄いクリーム色のシャツにデニムのジャケット、髪をゆるく結いながら、慣れた手つきでiPadを操作している。
「私が英文、声に出して読む。恭平が打ってく、オーケー?」
「Perfect, サラ。君の発音で勉強させてもらうね」
二人は階段横の空きスペースに移動し、即席の翻訳チームを結成した。近くの自販機前に座る女子学生グループが「なにあれ、プロ?」と囁く。
——けれど、実際の作業はきわめて地道だった。
サラが読み上げるたび、恭平は意味を確認しながら入力していく。
「『The exchange program will start in mid-November...』」
「“交換留学プログラムは、11月中旬から開始予定です”……OK?」
「うん、あってる。それ、文末に“予定”ってつけるの、やさしい」
「気遣いって、サラから習ったんだよ」
サラはわずかに目を丸くした。
「私が? そんなこと……」
「うん、こないだ、軽音部の練習見学に来てたとき。望愛の歌、リズムずれてるときでも、君だけが“優しい耳”で聞いてた」
サラは一瞬何も言えず、iPadのスクロールバーを指でなぞるだけだった。
沈黙を破るように、彼女が笑った。
「……それは、私が自分に甘いからかも」
「でも他人に優しいのって、自分に厳しくしすぎる人にはできないことだよ」
「じゃあ、恭平はどう?」
「僕? 僕は、笑顔で誤魔化すのがうまいだけだよ」
——その言葉に、少しだけ風が止まったように感じた。
「けど、今日はちゃんとやる。笑顔も使うけど、伝えるために」
そのとき、学生課の掲示板前に、再び人が集まり始めた。
「おーい、訳できた?」
「できたよー!」
恭平はプリントアウトされた日本語訳を掲示板の隣に貼り付けた。サラがA4用紙を何枚も持ち、配布用として机に並べる。
「これで、安心ね」
サラが微笑み、恭平もうなずいた。
——月の記憶は風化しても、人に優しさを返した瞬間は、ちゃんと誰かの朝を変える。
その日、窓口前に集まった留学生と日本人学生の間には、小さな“伝わった”の実感があった。
朝の空気にまだ少し残る秋の冷気が、掲示板前に集まった学生たちの間をすり抜けていく。
「え、全部……英語?」
小柄な一年生らしき男子が、手にした紙を見つめて顔をしかめた。横では同じような反応が次々に起こっている。
窓口の掲示板には、「国際交流・交換留学ガイダンス案内(英語)」のA3ポスターが数枚、整然と貼られていた。だが、肝心の日本語版は見当たらない。
「和訳は?」「もしかして……間に合ってない?」
ざわつきが広がり始めたそのとき、恭平がその前に立った。
彼は、窓口スタッフと数言交わしたあと、ぱっと振り返り、朗らかな声で手を挙げた。
「おはようございます! ちょっとだけお時間ください。これ、今から日本語訳、作ります!」
その笑顔に、いくつかの不安そうな顔が少し緩んだ。
その隣には、金髪のハーフの女子学生——サラがいた。薄いクリーム色のシャツにデニムのジャケット、髪をゆるく結いながら、慣れた手つきでiPadを操作している。
「私が英文、声に出して読む。恭平が打ってく、オーケー?」
「Perfect, サラ。君の発音で勉強させてもらうね」
二人は階段横の空きスペースに移動し、即席の翻訳チームを結成した。近くの自販機前に座る女子学生グループが「なにあれ、プロ?」と囁く。
——けれど、実際の作業はきわめて地道だった。
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「気遣いって、サラから習ったんだよ」
サラはわずかに目を丸くした。
「私が? そんなこと……」
「うん、こないだ、軽音部の練習見学に来てたとき。望愛の歌、リズムずれてるときでも、君だけが“優しい耳”で聞いてた」
サラは一瞬何も言えず、iPadのスクロールバーを指でなぞるだけだった。
沈黙を破るように、彼女が笑った。
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「でも他人に優しいのって、自分に厳しくしすぎる人にはできないことだよ」
「じゃあ、恭平はどう?」
「僕? 僕は、笑顔で誤魔化すのがうまいだけだよ」
——その言葉に、少しだけ風が止まったように感じた。
「けど、今日はちゃんとやる。笑顔も使うけど、伝えるために」
そのとき、学生課の掲示板前に、再び人が集まり始めた。
「おーい、訳できた?」
「できたよー!」
恭平はプリントアウトされた日本語訳を掲示板の隣に貼り付けた。サラがA4用紙を何枚も持ち、配布用として机に並べる。
「これで、安心ね」
サラが微笑み、恭平もうなずいた。
——月の記憶は風化しても、人に優しさを返した瞬間は、ちゃんと誰かの朝を変える。
その日、窓口前に集まった留学生と日本人学生の間には、小さな“伝わった”の実感があった。
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