鎌倉青春シンフォニー:笑顔の鎧を脱ぎ捨てて、私たちは波を乗りこなす

乾為天女

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第39章 江の島展望灯台 (01)

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 風が強い午後だった。
 海を見下ろす江の島展望灯台は、空気が澄んでいて、遠く富士山の稜線がくっきりと浮かんでいる。観光客がスマートフォンやカメラを手に展望デッキを歩き、笑顔を交わしながらその絶景に感嘆の声を上げていた。
「……風、さっきより強くなってない?」
 彩希は髪を押さえながら、展望デッキの中央で三脚に取り付けたカメラの映像を覗き込む。制服の上に羽織ったウィンドブレーカーが風に煽られてはためいていた。
「風速、8メートル以上出てる。……正直、ギリギリ」
 直輝がスマートフォンを手に、冷静に数値を読み上げる。その指先には、ドローン専用アプリのインターフェースが光っている。
「でも、これ逃したらもう日が落ちちゃう。今日しかない」
 空はすでにオレンジに染まり始めていた。学園祭の告知動画に使う「黄金の夕焼けに浮かぶ校章フラッグ」は、構想の中でも目玉のカットだった。彩希が執行部として力を入れて提案した撮影スケジュール。場所も時間も、すべてを計算し尽くしたベストなタイミングだった。
 サラが展望デッキの一角から駆け寄ってくる。手には巻き上げ式のフラッグポールと、折り畳まれた校章入りの白い旗がある。
「旗、準備できたよ。英語の説明も、展望台スタッフさんに共有済み!」
「ありがとう、サラ。人の流れが多いから、少し離れたところに誘導してくれる?」
「うん、まかせて!」
 サラはにっこりと笑って、展望台にいた外国人観光客に英語で丁寧に声をかけ始めた。
「Excuse me, we’re filming a student project. Could you please move just a bit to the side for safety?」
 その柔らかい口調に、観光客たちも快く頷き、笑顔で移動していく。サラの柔軟さと語学力が、場の空気を和らげていた。
「さすが……通じてるな。俺らの片言英語より百倍説得力ある」
 直輝が感心したように呟くと、彩希は一瞬笑みを浮かべたが、すぐに目を細め、風上の空を見上げた。
「……直輝、いけそう?」
「リスクあるけど、5分で済ませる。サイド風の流れだけ把握すれば安定飛行できる」
「じゃあ、行こう。旗、揚げて」
 彩希の合図で、フラッグポールが展望台の柵に結びつけられ、ゆっくりと白地に青の校章旗が翻る。
 その瞬間、ドローンがプロペラ音を立てて空へと浮かび上がった。
 カメラが捉える画角の中、夕焼けと海、そして高らかにはためく校章フラッグ。彩希は一歩前に出て、目を細めながらその映像を見つめる。
 風が吹きつける中、彼女は自分の腕で制服の裾を押さえ、寒さよりも緊張に体を強張らせていた。
 完璧な一瞬。そう思った、そのときだった。
「——風、急に来る!」
 直輝の声が上がった。
 突風が一帯をなぎ倒すように吹き抜け、旗が竿ごとしなる。ドローンがバランスを崩し、機体が斜めに傾いた。
「落ちるかも……!」
 彩希は即座に判断した。
「——広場、封鎖して!」
 声に迷いはなかった。周囲のスタッフ学生たちに手を振り、展望デッキの中央へ入れないようロープを張らせる。
「ドローン、手動で戻せる?」
「やる!」
 直輝がスマホ画面を操作し、緊急帰還モードを手動で起動する。機体の位置をGPSで把握し、プロペラの回転数と姿勢制御を一瞬で切り替える。
 頭上で、再びプロペラの音が変わる。風に煽られながらも、ドローンはゆっくりと降下し、彩希の立つ横の安全地帯へと戻ってきた。
 直輝がキャッチンググローブをはめ、両手でドローンをがっちりと受け止める。
「回収完了……」
 機体のLEDが静かに青に変わった。
 彩希は安堵の息を吐く。その瞬間、冷たい汗が背筋を流れたことにようやく気づいた。
 サラが戻ってきて、観光客たちに改めて状況を説明し、にこやかにお辞儀をする。
「It’s all safe now. Thank you for your understanding!」
 拍手が数人の観光客から自然と沸き起こる。
「サラ、ありがとう。すごく助かった」
「ううん、こちらこそ! 彩希の指示、かっこよかった!」
 サラは親指を立てて見せ、彩希にウインクを投げた。
 彩希は照れくさそうに肩をすくめ、直輝に向き直った。
「……助かったよ。判断、早かったね」
「お互いさま。君の声がなかったら、俺も1秒遅れてた」
 風がまたひと吹き、三人の髪を揺らす。
 太陽が水平線に沈みかけ、空は薄紫から群青へとゆっくり色を変えていく。校章フラッグは、沈みゆく光を受けて、まるで空に浮かぶ月のように輝いていた。
 その景色は、誰もが立ち止まりたくなるほど、静かで、誇らしいものだった。
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