鎌倉青春シンフォニー:笑顔の鎧を脱ぎ捨てて、私たちは波を乗りこなす

乾為天女

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第47章 大学キャリアセンター

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 カーペットに陽がさす。冬の昼下がりとは思えないほどぽかぽかとした空気が、大学キャリアセンターの一角に漂っていた。だが、そのあたたかさが逆に、ここに座っている学生たちのこわばった表情を際立たせていた。
 会場は静かだった。資料を配る音、ページをめくる音、そして、わずかな咳払い。それらが妙に耳に残るのは、張り詰めた空気のせいだろう。
 「広告代理店の課題先行型インターンって、聞いたことある?」
 椅子に浅く腰かけた恭平が、隣の広樹に声をひそめて尋ねた。
 「あるけど、俺たちの代に提示されるのは初だな。課題の提出で書類選考を兼ねるってやつ。ちょっとハードル高いよな」
 広樹は手元の資料をさっと一瞥しながら答えた。表紙には、《課題選抜型 インターンプログラム 応募要項》と印刷されていた。恭平の手元にも、同じパンフレットがある。横目で見ると、横一列に座る学生たちの顔つきが揃って真剣そのものだ。
 その一列の前方に座っていたのが、旭だった。
 無言で、まばたきひとつせず資料に目を落とし、赤いペンで要点を引いていく姿は、もはや芸術的な集中力にすら見える。指先がピクリと動くたび、紙面に赤い線が生まれ、ひと文字も逃さないという意思がにじみ出ていた。
 「相変わらず、すげぇな……」
 恭平がぽつりとつぶやくと、広樹も「だな」と同意した。
 「……よし」
 旭が低く息を吐き、資料をめくった。
 次の瞬間、旭はホワイトボードへ立ち上がった。そしてスタッフの制止もなく、スムーズに黒ペンを取り、ホワイトボードの左端に「選考課題:広告コピー案提出/500文字以内」と書きつけた。
 「これ、明日正午〆切。広告主は『鎌倉ローカルフードフェス2025』。キーワードは“再発見”。テーマは“地方の魅力の再発見”」
 旭は一度もこちらを見ずに説明しながら、すでに次の文字を書いていた。
 「提出形式はPDF。選考通過者は二週間後にオンライン面接。対象は3年次以下。参加人数は上限50名……」
 室内の数人がざわめきはじめる。
 「え、もう読み終わったの?」「ちょっと待って、そんな速く――」
 誰かの呟きが漏れると、恭平はタイミングを見てすっと立ち上がった。
 「質問、いいですか?」
 その声に場が静まる。恭平はどこまでも自然な笑顔で、キャリアセンターの担当職員に向き直った。
 「地方の魅力の再発見、ってありますけど……たとえば、観光地として有名な場所は含まれますか? たとえば、鎌倉の大仏とか江ノ島とか」
 場の空気が、ふっとほどけた。
 「あ、確かに」「それちょっと聞きたかった」
 何人かの学生が頷き、担当者も笑顔を浮かべた。
 「いい質問ですね。もちろん、観光地も“再発見”の対象です。ただし、そこに新たな視点が必要です。“昔からある魅力を、今の若者がどう伝えるか”という部分が問われます」
 「ありがとうございます」
 恭平は丁寧に頭を下げて着席した。空気が、ほんの少し柔らかくなるのを感じた。自分の役目は、きっとこういうことだと思う。
 その横で、広樹が静かにA4用紙を開いた。
 「俺、目標シート、今週バージョンで作ってきた。配るね」
 そう言って取り出したのは、「1月目標達成表」と書かれた自作のシートだった。
 内容はこうだ――
 ・提出物の締切日一覧
  ・インターン応募の必要書類一覧
  ・個人別進捗記録表
 「みんなが書けるよう、名前の欄は空欄にしてる。掲示板にも貼って、コピー自由にする」
 「それ、助かる……」
  「こういうの、広樹くんしか作らないよな……」
 数人の学生が思わずつぶやいた。
 広樹の資料は、一目見てわかりやすい。見出しは色分けされ、スケジュールが時系列に並び、どこに何を書けばいいかまで明確だった。
 「……前回より視認性、上がってる。よくできてる」
 そうつぶやいたのは、珍しく旭だった。広樹は少し照れたように頷き、恭平はその二人を見て、目を細めた。



 配布された「目標シート」を手にした学生たちは、さっそくペンを走らせ始めた。広樹が示したテンプレートに、自分のインターン計画や履歴書作成日、提出予定日などを書き込む姿は、まるで本格的な就活戦線が始まった証のようだった。
 「なぁ、広樹。これ、軽音の部室にも貼っていい?」
 「もちろん。むしろ、望愛とかにも見せてやってくれ。……課題の期限忘れそうな顔してたろ」
 「はは、言えてる」
 そう笑い合っていると、隣で旭が再び席を立った。
 今度は、自分のノートPCを開いて、プロジェクターに繋ぎ始めた。
 「実際に俺が考えた“コピー案の試作”を映す。文体の参考に」
 そう言って表示されたスライドには、シンプルなキャッチコピーが並んでいた。
 ・「その海、まだ見たことのない青がある」
  ・「地元の味は、遠くの誰かの“宝物”になる」
  ・「あの日の味、今の君と」
 「……かっけぇ」
 「え、これ考えたの? 自分で?」
 学生たちの反応が一変する。無口な旭が、人前でクリエイティブなアウトプットを共有したことが、周囲に意外性と刺激を与えた。
 「文章の長さは40~60文字程度が適当。体言止め、比喩、時制の操作を活かすと印象が残る」
 淡々と話すその口調に、重みがあった。
 恭平はそんな旭の横顔を見つめながら、静かに思った。
 (こうやって、自分のやり方を見せることで、周囲を引っ張るんだな)
 そして、ふと思い出す。望愛が以前言っていたこと――
 「広告って、言葉で誰かの心を動かすんだよね。……私には無理かも」
 そのときは、望愛はいつも通り途中で話を終えていた。
 でも今なら、彼女も挑戦するかもしれない。
 「……よし」
 恭平はノートを開き、手を動かし始めた。
 まずは、さっきの質問から思いついたコピーの断片を書き留める。
 ・「その場所は、記憶よりも静かに咲いていた」
  ・「古い町に、新しい恋が始まるように」
 (下手でも、最初の一歩がないと、届かない)
 背筋を伸ばすと、前方に立つ旭と、隣でペンを走らせる広樹の姿が視界に入った。二人とも、まっすぐに「内定」だけを見ている。
 ――いや、違う。
 二人が目指しているのは、ただの「内定」じゃない。
 自分の言葉で誰かを動かすこと。
  自分の道を、自分で拓いていくこと。
 それを見て、恭平もまた、自分の武器を思い出していた。
 「……俺は、笑顔で前を向かせる役目だ」
 言葉にしなくても、その意志は表情ににじんだ。隣の広樹がちらりと視線を寄せて、「恭平、コピー思いついた?」と笑いかけてくる。
 「まあね。俺のコピー、ちょっと甘すぎるかもだけど」
 「それも魅力だよ。甘さも、希望も、青春のうちだろ?」
 そう言った広樹の声には、目標を共有し合う仲間としての信頼がこもっていた。
 やがてキャリアセンターのスタッフが、「そろそろ締めますね」と告げる。
 配布された資料と目標シートを手に、学生たちはそれぞれの歩幅で立ち上がっていく。
 恭平は、椅子を戻しながら後ろを振り返った。
 旭が最後までホワイトボードの前に立ち、消えかけた赤ペンのキャップを静かに閉める。
 (この背中に、負けたくないな)
 そんな想いが、ゆっくりと胸の奥に沈んでいく。
 それはきっと、「恋」と同じくらい、大切な青春の感情だった。
(第47章 了)
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