文化祭実行委員会、恋も友情も停電も!―桜陽高校ラブフェスティバル―

乾為天女

文字の大きさ
19 / 26

第19話「志歩、駆ける」

しおりを挟む
 朝の陸上トラックには、まだ夏の名残があった。
  グラウンドに立ちこめる土と芝の匂い、うっすらと白く煙る朝靄の向こうに、ひとりの少女が立っていた。
 志歩は呼吸を整え、足元に目をやった。
  今日こそは最後まで走り切る。それだけを胸に決めていた。
「志歩、来てたのか」
 背後から聞き慣れた声が響く。
  優作だった。いつものように髪は整えられ、Tシャツと短パン姿も無駄がない。
「朝練、見張り役?」
「いや、見届け役だ。お前、やるって言ったからな」
 志歩は苦笑した。
  成長に貪欲である自分と、面倒くさがりな自分。そのせめぎあいに、いつも負けそうになる。
「五キロ、走る。って決めたけど……昨日の時点で、二・八。誤差じゃ済まないよね」
「誤差って言葉、便利に使うな」
「だって、あと二キロちょっとが、すごく遠いんだもん」
 志歩は靴紐をぎゅっと締め直す。
  指が少し震えているのを、隠すように笑った。
「今日、逃げたら、もう走れなくなる気がして」
「……その予感は、大事にしろ」
 優作の声は静かで、けれど、芯が通っていた。
  志歩は彼の横を通り過ぎ、スタートラインに立った。
「ラップ、測ってくれる?」
「ああ、もちろん。最後まで走り切れたら、俺から何かひとつご褒美やる」
「え、それ何それ、超プレッシャー。しかもそういうの、ちゃんと覚えてるタイプでしょ」
「ルールは守る。それが俺の信条だからな」
 志歩は吹き出した。
  心の中にあった重たいものが、少しだけ軽くなる。
 グラウンドの向こうに、朝日が差し込みはじめていた。
  志歩は深呼吸をひとつ。――そして、走り出した。



 一周、二周、三周――。
 志歩のスニーカーが土を蹴るたび、乾いた音が規則正しく響く。息がすでに上がりはじめているのは、スタート直後からペースをやや上げすぎたからだ。
 でも、止まりたくなかった。
 途中で歩いたって誰も責めない、そう分かっている。だけど、今日は違う。
 委員会で何度も途中放棄しそうになって、そのたびに周りに助けられた。
  真緒や百合香が前向きな言葉をかけてくれたこと。優作が資料の整理を黙々と引き受けていたこと。希が意地を張りながらも全体のバランスを気にしていたこと。遥輝が一度も誰かを否定しなかったこと――全部、思い出していた。
「四周!」
 優作の声が遠くで響く。
「あと三周……!」
 志歩は肩で息をしながら、腕を振る。
  太ももが鉛のように重たい。でも、今までと違って足は止まらない。
(変わりたい。甘えたままでいたくない)
 志歩は、ぐっと唇を噛んだ。
  脳裏に浮かぶのは、あの資料室で亮汰に責任をなすりつけられた瞬間――悔しくてたまらなかった。
 でも、今なら言える。
  自分は逃げない。自分で走るって決めたから、最後まで走りきるって。
 五周目、顔に汗が流れ落ちる。六周目、視界がにじんだ。
「あと一周だ!」
 優作の声に、志歩は答えるように大きく頷いた。
 呼吸は乱れ、足もふらついている。でも、最後の直線、志歩は力を振り絞った。
 ――そして、七周目のゴールラインを踏み越えた瞬間。
 その場に膝をつき、両手を地面についた。
「……はーっ……しんど……っ……でも」
 顔をあげると、そこに優作が立っていた。
  ストップウォッチを持ちながら、いつも通りの無表情。
「……完走、確認。おつかれ」
「うっわ、笑いなよ! 褒めてよ!」
「褒めたつもりだったが」
「いや、それはないって!」
 志歩は思わず吹き出し、息を吸って笑いながら、地面に寝転んだ。
 空がやけに高く見える。泣きそうなほど、清々しかった。



 しばらく寝転んだままの志歩に、優作が黙って水のボトルを差し出した。
「飲んどけ。脱水になる」
「ありがと……」
 ボトルを受け取り、ぬるくなった水を一気に流し込むと、胸の奥がじんわり熱くなった。
「なあ、優作」
「ん?」
「アタシさ……変われたかな?」
 問いかけた声は、かすれていた。恥ずかしい質問だとわかっていて、それでも聞いてみたかった。
 優作は空を見上げ、ぽつりと答える。
「変わったかどうかじゃない。やるって決めて、やったんだ。――そこが大事だ」
 志歩は目を見開いた。
  堅物な彼から出たその言葉は、どんな褒め言葉よりも胸に染みた。
 ふと、校舎の方から声が聞こえる。
「おーい! 志歩ー! 走ったって聞いたぞー!」
 駆けてくる真緒と百合香。後ろから亮汰と俊介も見える。
「どうせ途中でバテたんでしょー?」
「いや、七周完走してたぞ。今、タイムまとめてきた」
 優作の報告に、真緒と百合香の目が丸くなる。
「すごっ……志歩、本当に?」
「……やればできるんです、私」
 胸を張って言うと、みんなからどっと笑い声が上がった。
 それが嬉しくて、志歩も思わず照れ笑いを浮かべる。
 亮汰が半ばふざけ気味に「じゃあ、次は委員会タスク全部押しつけても大丈夫だな」と言った時には、真緒と百合香から一斉にノートで叩かれていた。
 俊介が「……ま、ちゃんと走った姿は見たし。次の配置、任せてもいいよな?」とつぶやくと、志歩は「任されましたー!」と腕を突き上げた。
 ――空は高く、夏の終わりが近づいている。
 でも、志歩の心は今、これ以上ないくらい熱かった。
 この日、志歩はほんの少し、自分を好きになった。
(第19話 完)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。

猫菜こん
児童書・童話
 小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。  中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!  そう意気込んでいたのに……。 「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」  私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。  巻き込まれ体質の不憫な中学生  ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主  咲城和凜(さきしろかりん)  ×  圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良  和凜以外に容赦がない  天狼絆那(てんろうきずな)  些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。  彼曰く、私に一目惚れしたらしく……? 「おい、俺の和凜に何しやがる。」 「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」 「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」  王道で溺愛、甘すぎる恋物語。  最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

モブの私が理想語ったら主役級な彼が翌日その通りにイメチェンしてきた話……する?

待鳥園子
児童書・童話
ある日。教室の中で、自分の理想の男の子について語った澪。 けど、その篤実に同じクラスの主役級男子鷹羽日向くんが、自分が希望した理想通りにイメチェンをして来た! ……え? どうして。私の話を聞いていた訳ではなくて、偶然だよね? 何もかも、私の勘違いだよね? 信じられないことに鷹羽くんが私に告白してきたんだけど、私たちはすんなり付き合う……なんてこともなく、なんだか良くわからないことになってきて?! 【第2回きずな児童書大賞】で奨励賞受賞出来ました♡ありがとうございます!

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

9日間

柏木みのり
児童書・童話
 サマーキャンプから友達の健太と一緒に隣の世界に迷い込んだ竜(リョウ)は文武両道の11歳。魔法との出会い。人々との出会い。初めて経験する様々な気持ち。そして究極の選択——夢か友情か。  大事なのは最後まで諦めないこと——and take a chance! (also @ なろう)

マジカル・ミッション

碧月あめり
児童書・童話
 小学五年生の涼葉は千年以上も昔からの魔女の血を引く時風家の子孫。現代に万能な魔法を使える者はいないが、その名残で、時風の家に生まれた子どもたちはみんな十一歳になると必ず不思議な能力がひとつ宿る。 どんな能力が宿るかは人によってさまざまで、十一歳になってみなければわからない。 十一歳になった涼葉に宿った能力は、誰かが《落としたもの》の記憶が映像になって見えるというもの。 その能力で、涼葉はメガネで顔を隠した陰キャな転校生・花宮翼が不審な行動をするのを見てしまう。怪しく思った涼葉は、動物に関する能力を持った兄の櫂斗、近くにいるケガ人を察知できるいとこの美空、ウソを見抜くことができるいとこの天とともに花宮を探ることになる。

影隠しの森へ ~あの夏の七日間~

橘 弥久莉
児童書・童話
 小学六年の相羽八尋は自己肯定感ゼロ男子。 幼いころに母親を亡くした心の傷を抱えつつ、 大きな夢を抱いていたが劣等生という引け目 があって前を向けずにいた。 そんなある日、八尋はふとしたきっかけで 入ってはいけないと言われている『影隠しの 森』に足を踏み入れてしまう。そこは夏の間、 奥山から山神様が降りてくるという禁断の森 で、神様のお役目を邪魔すると『影』を取ら れてしまうという恐ろしい言い伝えがあった。  神様も幽霊も信じていない八尋は、軽い気 持ちで禁忌を犯して大事な影を取られてしま う。影、カゲ、かげ――。なくても生きてい けるけど、ないとすごく困るもの。自分の存 在価値すらあやうくなってしまうもの。再び 影隠しの森に向かった八尋は、影を取り戻す ため仲間と奮闘することになって……。  初恋、友情、そしてひと夏の冒険。忘れら れない奇跡の七日間が始まる。※第3回きずな児童書大賞奨励賞受賞作品 ※この物語はフィクションです。作中に登場 する人物、及び団体は実在しません。 ※表紙画像はたろたろ様のフリー画像から お借りしています。

処理中です...