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第49話 「『変なこと言ったら殴る』」

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「コーヨーくんに足りないのは、自惚れなんじゃないかな」

 そういってアイスティーを飲むのはナツメさん。

「ムカつくことあるんやったら、一発殴ればええんとちゃう?」

 そんな過激なことを言ってケーキを一口ほおばるのは三木センパイ。

「いえ、殴るなんてできませんし、そもそも殴る理由もないですし」

 否定しながらアイスコーヒーを手に取るのは僕。あわせて三人が、同じテーブルに座っている。
 場所は前に三木センパイに連れてきてもらった、隠れ家みたいなカフェ兼バーの店。他にお客さんはいなくて、ほとんど貸し切り状態。
 目の前に座っている、誰が聞いても美男美女だと答えるであろう二人がまぶしい。なぜそこに自分のような平凡で地味な男子大学生がいるのか。場違いな気がして椅子に座りなおす。客の心地よさを大切にしていることがわかる椅子のクッションがしっかり支え直してくる。

「うーん。青葉くんならコーヨーくんの一発は二発、避けずに受け止めてくれそうだけど」

 小首をかしげるナツメさん。だから、殴る必要はなにもないのに、なんでそんな想像をするのか。

「もしそれで青葉が殴り返して来たら呼んでや。青葉を羽交い絞めして抑えたるから」
「じゃあ私はコーヨーくんにタオル渡す係するね。セコンド!」
「いえ、あの、二人とも……殴る予定はないので」

 楽し気に恐ろしい予定を立てている二人に気力をぬかれながらもツッコミを入れる。この二人、組み合わせたら見た目のよさ以上に意外にも気が合う。

「そう? でも、イヤなことはちゃんとイヤって言ったほうがいいんじゃない? 元カノと会わないで、なんてこと、恋人からのかわいいワガママだと思うし」
「うんうん、せやなあ」

 そうやって二人とも、青葉先輩の元カノが留学から帰ってきたことも知ってて、僕が青葉先輩の「恋人」である前提で、普通に話してくれる。

 なんで三木センパイとナツメさんの三人でこんな話をしているかと言うと、タイミングがよかったから、としか言えない。

 先日。映研のガチ班やOBを含めた飲み会があったそうだ。そこに合宿で撮っていた自主映画で主役をつとめたナツメさんが呼ばれた。そしてたまたまOBである三木センパイもいた。
 二人は初対面だったらしい。最初は当たり障りのない話をして、猫柳さんなんかを通して、三木センパイが青葉先輩のイトコであることや、合宿でナツメさんが青葉先輩と僕と仲良くしていた、というのを知った。
 そこまでなら、共通の知人がいる、という程度で話が盛り上がって終わり。

 ただ、そこにいた青葉先輩の同期が「そういや青葉の元カノが帰ってきたんだって」と話題の一つとして、その話をした。

 話題はすぐに流れたけど、三木センパイとナツメさんは優しかった。
 飲み会の騒ぎに紛れて、外に出て、それぞれ別々に僕に連絡をしてくれた。
 ナツメさんはこっそり僕に「今度ご飯でもいかない?」とメッセージをくれた。
 三木センパイは直接僕に電話で「コーヨーくん? いやー、どないしてるかなと思って」と聞いてくれた。

 そして、三木センパイが僕に電話しているところにたまたまナツメさんが鉢合わせた。

 ナツメさんは「え……コーヨーくん?」と思わず口に出して、三木センパイも「あれ、ナツメさん?」と電話したままで呟いた。

 ナツメさんからメッセージをもらったのとほとんど同じタイミングで、三木センパイから電話がきて、しかも電話ごしにその二人が同じところにいるらしい、とわかった僕も僕で「え?」と戸惑った。

 その場にいなかったから確実なことはわからないけど、多分二人ともその時探りあっていたんだと、思う。

 僕と青葉先輩がつきあっている、というのは周りに秘密にしている。そして、二人はその秘密を知っているけど、お互いがその「秘密」を知っている者同士というのは知らなかったのだから。

 そのまま流れで「三木センパイもナツメさんも、知っているから大丈夫です」と二人に伝えた。
 電話の向こうから安堵したような、溜息が聞こえてきた。

 そうして、青葉先輩の元カノが帰ってきた、というのを知って僕を心配してくれた二人と一緒にお茶を飲んでいる。
 自分たちのことを知っている二人の前だから、肩を張る必要もなくて楽だった。いや、見目がよすぎて若干の居心地の悪さはあるけれども。
 二人の気遣いが嬉しかったし、秘密を守ろうとしてくれていたのも嬉しい。
 ただ、二人とも心配のベクトルがさっきからおかしい。

「まあ殴らんでも、それくらいのワガママはもっと言っていいんちゃう? せいぜい困らせたらええやろ」
「そうそう。なんなら今すぐ『会いに来て!』とか」

 二人とも一貫して僕が青葉先輩に遠慮しすぎてるんじゃないか、という主張で、到底僕にはできそうにないことばかり提案をしてくる。

「いえ、あの、青葉先輩は優しいですし、僕の我儘もちゃんと聞いてくれますから……」
「ほんま? コーヨーくんのいうワガママ、デートの食事決めるくらいのレベルな気ぃするんやけど」

 いぶかしげに三木センパイがこちらを見る。僕のことを、本当になんだと思っているんだろう。
 この間。勝手に祭りから帰って、わざわざ家にきてくれた青葉先輩の前で泣き出して迷惑をかけたり、そもそも「周りには秘密にして」なんて我儘をしているのは僕のほうだ。
 ハッキリと教えるのも恥ずかしいから、遠回しにそんなことを伝えたら三木センパイだけじゃなくてナツメさんの眉を寄せていった。美人は眉間にしわを寄せても美人だ。

「いきなり自分の恋人の前の彼女が出てきたら、不安になるのは当たり前だし、ゲイ同士っていうわけじゃないなら周りに隠すのも普通だと思う。私だって、オープンにしてないし」
「んー、ボクは特に隠してるわけちゃうけど、ボクみたいのほうが逆に珍しいのも知っとるしなぁ。だからそれくらい、ワガママにはいらんとちゃう?」
「むしろ、秘密にしておきたい気持ちがわかるから、絶対他の人にはコーヨーくんたちのことを話さないって決めてわけだしね」

 花が咲くような微笑みでナツメさんが言う。
 
 僕と青葉先輩がつきあっている、というの秘密を共有していることを知った二人は、お互いのセクシャリティのカミングアウトもすませていたらしい。さらにナツメさんにいたっては、猫柳監督に片思いしているというところまで話している。

 考えてみれば彼女も秘密を抱えている人で、それに親近感を覚えたから仲が良くなったのだ。
 だからナツメさんはそう断言してくれる。

 けど。それでも。
 ぐ、と膝の上で手を握りしめる。

「……それでも、青葉先輩に嘘をつくのをお願いしていることは、かわらないですから」

 ナツメさんとのことを誤解したときも、花火大会で逃げ帰った日もまっすぐに「なにもない」と言ってくれた先輩。
 誠実で真正面から自分に向き合ってくれている。それが嬉しくないわけが、ない。
 でも、だからこそ。
 そんな先輩に嘘をつかせる自分が――男の恋人、という自分が不釣り合いに見えて仕方ない。

 この間飲み込んで言えなかった、先輩を信じ切れないことへの罪悪感と自己嫌悪は、いまだに氷の欠片になって溶け切れないまま、心臓に刺さったままだ。

「コーヨーくんの気持ちがわからんわけでもないんやけど……でもそれも、青葉はわかってて選んだことやろ?」

 ケーキを食べ終えたフォークを置いて、三木センパイが「うーん」とうなりながら腕を組む。

「前もゆうたけど、あいつはイヤなことはちゃんとイヤっていうヤツやし、好きなことするタイプやで。それに、あいつだって生きとって嘘ついて誤魔化すくらいするで。聖人君子やあるまいし」

 ここにいる中で、いや、大学の知り合いと比べたって、きっと一番青葉先輩と多い時間を過ごしてきた人。イトコ、という青葉先輩にとって近しい存在の三木センパイは、ひとつひとつ言葉を考えながら話す。

「あいつ、よう気ぃきくけど、アレ、ボクのせいもあるんよな」
「え?」
「ウチな、小さいころは西のほうに住んどって、まあ転勤とかいろいろあって実家のあるこっち戻ってきたんや。ボクはあいつの通っとった小学校に途中から転校してな。そんで、ボクの髪って色薄いやろ? 目もちょっと青いし。父方の祖母の血なんやけど、クォーターっていうやつ?」

 三木センパイはくいっと自分の髪を持ち上げる。その髪は色素が薄くて、茶色、光加減によっては白っぽくみえる不思議な色合い。

「んで、転校して早々、めっちゃからかわれたねんな。ヘンな髪だ! ってな。陰口叩かれたり、グループにいれてもらえんかったり。ま、子どものころの話なんやけど、その分遠慮もなくて」

 正直、三木センパイがそんな目にあうというのは信じがたかった。ひょうひょうとしてて、イケメンで。いつだって目立って集団のトップに立っていそうなイメージだったから。
 けど、確かに小さな集団の同調圧力というのはある。とくに子どもというのはブレーキがわからない。
 一度「自分たちと違う」と認めたら、それが過激になるのは予想できた。

「青葉は、学年はちゃうけど、ボクとイトコゆうんはみんなに知られてて。ボクがそんなんなったせいで、一時期、青葉も遠巻きにされてな。お前もヘンな血混ざってるんやろ、とか言われたり」

 その言葉は、衝撃だった。あの青葉先輩が?
 いつだって周りを楽しませて、快活な青葉先輩が?

「そ、れは。そんな」

 ひどい、と今ここで僕が言っても意味がない。
 子どものときの青葉先輩が理不尽な目に遭ってたとしても、それはもう過去で。この時代にいる僕がそこに行って先輩を助けるなんてことできやしない。
 でも、けど。青葉先輩がつらい目に遭ってた。それだけで、ぐるぐると消化しきれない怒りと何もできない無力感が渦巻く。

 ぎゅっと握る手が強くなる。爪が肌に刺さって、今にも血がにじみ出そうだ。

 けどそんな様子の僕とはお構いなしに、三木センパイは軽く言葉を続ける。

「ああ、安心しいや。そんな長く続かんかったし」
「そう、なんです、か?」
「うん。ま、ボクもこらえ性なかったから。一番からかってきたリーダーのヤツをコテンパンにぶちのめしてな」
「……え?」
「やあー、あんときはほんま面白かったわあ。今思い出しても笑える。あの頃はまだ小さかったから、この顔もどっちかっていうと女の子っぽく見えててなあ。それもあって喧嘩弱そうに見えたんやろな。そう思ってたやつにぶん殴られて、ぽかーんって地面に倒れてこっち見てくる顔、ほんまに間抜けやってなあ」

 思い出し笑いで肩を揺らす三木センパイに僕は「は、はあ」という生返事しかできない。子どもの頃の暗い思い出を聞いてるのかと思ったら、予想と違った。いや、ある意味、三木センパイらしいといえばらしい。

「そんで、まあガキ大将に勝ったわけやから、逆に認められたっていうんか、次のガキ大将になってな。そっからいろいろ悪ふざけしたんやけど……そこは置いといて。そんなわけで、周りからのボクの扱いが変わったら、青葉の周りもくるーって掌返して態度変わってな」

 いじめられっ子のイトコ、という立場から、子どもたちのリーダーであるガキ大将のイトコ、というのは、狭い世界の中では逆転勝利、出世と言ってもいいだろう。
 ずっと先輩がつらい思いをしなくてよかった、とホッとしていたら、そこで困ったように三木センパイが笑う。

「ボクはよかったんやけど、青葉はなぁ。それまでふつーに友達してたクラスメイトが、いきなり遠ざかって、かと思えば前よりも絡んでくるようになって。短い間でくるくる態度変えるクラスメイト見て、色々考えたんやろな」

 ふう、と三木センパイは重たい息を吐き出す。

「あいつ、一人っ子やし、もともとは甘えっ子だったんやけど、そっからはよく人を見るようになってな。ヘンにひねくれなかったんはええんやけど、簡単に人の態度は変わる、ってゆうんを子どもの時にわかったもんやからなぁ。せやから、周りの気持ちとか読むの得意なったり、気ぃきかせて優しくしたりな。要領よく立ち回るようになったんよ。あの頃は、また周りが敵にならんよう、味方をつくろうと思ってたんかもしれんけど……まあ、そんなんがクセづいて今みたくなったんよなあ」

 青葉がそのこと、ちゃんと覚えてて、自覚してるかは知らんけど。そう三木センパイはつけ加えて、手元のコーヒーを飲む。
 僕は急に与えられた大量の情報を処理しきれない。
 青葉先輩は、要領がよくて器用なタイプなのは知っている。けど、それだけじゃなくて一緒にいる人たちを一瞬で明るくさせる、夏の空みたいな人で。
 だから、その眩しさにいつも目がくらんでいたのだけど。

「ま、ようは別にガキのときから聖人君子で、優しい性格だから今みたいになってるわけちゃうって言いたかったんや。そういう経験あったから、陰口みたいなんは嫌いなんやろうけど。悪意とかなければ、必要やったら、多少の嘘つくくらい平気やろ」

 だから、嘘がどうのっていうのは、そんなに気にしないんでええんちゃう? と気軽に三木センパイは言う。

 そう、なんだろうか。

 青葉先輩にとって、僕とつきあっていることを秘密にしているのは、負担になっていないんだろうか。
 ただ、三木センパイの話を聞いてて思ったのは。
 眩しい、夏の透き通る青と、輝く太陽みたいな青葉先輩は、そんな小さいころからの積み重ねだったのか、と。
 それを思うと、青く青く、染め上げるような、先輩の笑顔が、よりいっそう、特別なものに思えて。

 ああ、なんだか、無性に。

「だいたい、今日も青葉抜きで会うっていうの伝えたら、『コーヨーに変なこと言ったら殴る』とかゆうとるやつやで? あんまりアイツのこと、お綺麗に考えといいんちゃう?」

 ニヤリ、と悪戯っ子のように笑う顔は、確かにイトコというだけあって、顔の作りは全然違うのに、どこか青葉先輩と似ていて。

 なんだか、無性に、先輩の声が聞きたくてたまらなかった。



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